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    s_pa_de_

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    s_pa_de_

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    茨があんずに執着して追っかけ回す話。令和2年に発行した短編集に掲載していたものです。

    恋はやさし野辺の花(茨あん)プロデューサーとアイドルが、接待まがいの食事に行くのは良くあることだ。だって、お互いにメリットがあるのだから。
    プロデューサーはアイドルと仲良くなることで人脈が広がり、それだけ自分の理想の企画の実現に近づく。対してアイドルは、自分の芸能界での居場所の基盤をつくることができる。どちらも打算ありきの関係であり、それはこの世界で生きていく上で、必要不可欠である。
    だから、ESが始まって少し経ったあの日、彼女に食事を断られたとき、七種茨は、あんずに不信感しか感じられなかった。
    打算がない人間など存在しない。誰しも腹の中に欲望やら目的やらを抱えていて、自分に徳のある方、損の少ない方を望むのだ。そんな下賤な塊を隠すことが上手な人間と下手な人間、世界にはその二種類しか存在し得ないのである。
    人畜無害であるような顔をしたこの女の本性を、暴いてやりたい。己は毒蛇だ。ゆっくりと締め付けて、毒を流し込む。青白い皮を剥いで、中身を丸裸にする。そうして、まるでほんものの神だとでも勘違いしているような彼女に、自覚させてやろうと思った。

    ーーおまえは、決してお綺麗な女神などではない、と。

    **

    茨のその魂胆は、全くと言っていいほど上手くいかなかった。仕事帰りに自宅まで送ろうと申し出ても、撮影で貰ったと嘯いて貢物を渡そうとしても、眉ひとつ動かさずに断られてしまう。しかしそんなことを何度も続けていれば、案外彼女は感情が表に出やすいタイプであると分かってきた。
    あんずは誘いを断るたび、まるで茨に心の底から申し訳ないと思っているような顔をするのだ。それが、ひどく憎たらしかった。
    茨は、自分が腹の中を隠すのが上手いタイプだと自負している。しかし彼の場合は、時にわざとガードを緩めて、見せられる部分の魂胆をちらりと覗かせるのである。それによって自分の本当の目的が隠れるということもあるし、何よりも相手の反応が愉快だった。これが自他共に性悪だと称される所以なのだがーー
    あんずの、茨の誘いを断るときの顔といったら!相手は舌をちろりと覗かせた毒蛇である、それを彼女自身痛く承知しているだろうにーー己を守るための防壁ではなく、ただ純粋に、アイドルである七種茨の障壁になりたくないと、丁重にお断り申し上げるのだ。茨の内心は煮えくり返りそうだった。
    ーーお前のような男に利用されるのは嫌だと言えばいい。
    そのうえで籠絡し、絡めとって、利用してやると心に決めていた茨に取っては、あんずの態度は、腹立たしい以外の何物でもなかった。
    そんなある日、Adamで行った仕事の控え室で、凪砂がふと尋ねた。
    「茨は、あんずさんと食事に行きたいの?」
    飾り気のない唐突な言葉に、茨は思わず咽せてしまいそうになった。浮世離れした美貌の持ち主は、茨の反応にただ首を傾げている。何をそんなに驚いているんだ、といった様子である。
    「閣下、その話はどこから?」
    「あんずさんだけれど」
    ーーあの女。話を聞けば、茨が散々自分に構う理由が分からず、夢ノ咲と合同でやりたいことでもあるのかと凪砂に聞いたようであった。勿論今の"これ"は、茨の私怨のようなものであり、Eden並びにコズプロは関係のない話だ。
    「いやあ!お恥ずかしい!目的があるのではと邪推されていてしまったわけですか!どうも自分は友人がいませんから、他人ーーましてや女性とのコミュニケーションは苦手でして!全く難解ですね」
    「茨がそう思うなら、今度の食事に同席したら?……私のよく知っている店だから、写真を撮られる心配は無いと思うけれど」
    混じり気のない赤い瞳がこちらを見ている。乱凪砂という男は、自分の魂胆を知った上でそれを有難がるような妙ちきりんな人間だが、時々本当に七種茨という存在を正しく認識しているのか不安になるような節がある。大なり小なり距離の近い友人との食事の席に、自分のような人間を呼び立てるなんて。
    「閣下とあんずさんがおふたりで?そのような食事会に、自分のような底辺が同席するなんて恐れ多いっ!自分、閣下は、ユーモアのセンスにも磨きが掛かって来たように感じます……⭐︎」
    「面白いことを言った覚えはないよ……?ただ、仲良くなりたいなら、そうすればいいと思っただけだよ」
    ーーあんずさんのことを知りたくないと思うなら、どうしてそこまで一緒の時間を作ろうとするの?
    凪砂の言葉に茨は奥歯を噛み締めた。
    聖像の顔を泥の着いた手で触るような、薄汚くてある種背徳的でもあるような、そんな自分の目的を、衝動的に吐き出してやろうと思ってーーやめた。ムキになるような事でもない。
    代わりに茨は、にっこりと笑って、こう言うことにした。是非よろしくお願いします、と。

    そこからの展開は早かった。一度食事に行ってしまえば、以前も行ったのだからという理由で誘いが掛けられる。たまに凪砂も誘いながら、二人で会う機会を増やしていった。
    ESが激動した夏、そして秋を過ぎて、季節は冬になる。茨とあんずの関係も次第に変わっていった。茨はあからさまなプレゼントをあんずに用意することは無くなったし、あんずは必要以上に茨の誘いを断ることをやめた。二人で食事をして、時には美術館なんかにも行った。会えば会うほど、茨にはあんずという人間がよく分からなくなっていった。
    だから、もう一度、もう一度と逢瀬を繰り返す。実に生産性がない、そう分かっているのに、彼女を暴いてやりたいという衝動はどんどん強くなった。
    そして、そんな日々を続けていた、春目前のある日のこと。突然、あんずからの連絡が届いた。
    ーー今日、ES近くの橋の上で会えないか。
    彼女も、他者に見つからない場所をこの一年でよく理解したらしい。夜遅くなってもいい、添えられたその文面を見て、茨は、会えるのは夜になることを返事として送った。待っている、という旨の簡潔な文章がすぐに届いて、茨は首を捻った。
    思い返してみれば、彼女から誘いをかけられたのは初めてだった。そして、この妙な関係が始まってから、もうそろそろ一年が経つのだなとぼんやり考えた。

    「七種くん」

    ーーこの一年で変わったこと。ESの存在。Edenの立ち位置。俺の身長。彼女の髪の長さ。
    待ち合わせをした橋の上には、自分たち以外誰の姿もない。ただ暗い海の、波の音だけが響いていた。春を控えているとはいえ、まだまだ肌寒かった。
    「遅くなってしまいすみません。あんずさんからお声がけいただくなんて珍しいと、自分は驚いてしまいましたよ」
    「そうかな?……うん、そうだったかも」

    この一年で変わったこと。彼女の自分に対する言葉遣い。声の高さ。態度。

    「今日、夢ノ咲の卒業式だったの」
    「……?それなら、明星さんたちと一緒に居るのがいいのでは。同学年でしょう」
    「プロデュース科とアイドル科は、卒業式の日時が違うの。収まりがつかなくなっちゃうから」
    茨は、ああ、と頷いた。夢ノ咲学院のプロデュース科。新入生が入り、人手が増えると同時に、不埒なもの、無能なものが増えたという。己の立場も弁えずに、ただアイドルに付き纏うだけの輩が。双子が時々頭を悩ませているのを知っていた。
    「だから、七種くんに会おうかなって思って」
    「はあ。……なぜそうなるのか、よく分かりませんが」
    「いいよ、分からなくて。来てくれてありがとう。ごめんね」
    あんずは勝手に満足したように頷いて、こちらに手を振って踵を返す。茨の口から、はあ、という言葉がもう一度出た。よく分からない。この女は、本当にこの会話をするためだけに自分を呼んだのか。

    ーーこの一年で、全く変わらないものがあった。何をどうしたって、自分は彼女の心に、真に触れることはできなかったこと。

    見せろ。隠すな。何でもないような顔をして、自分はみんなを等しく愛しているとでも言いたげな顔をして、その実、俺には何ひとつ、ひとっかけらも見せてはくれなかったくせに。
    「待て!」
    思わず大きな声が口から飛び出した。離れていく彼女の手首を勢いよく掴む。細い。強く引っ張れば、彼女の身体は簡単に傾いた。ああ、イライラする。自分の知らない彼女の全てが、無性に茨を苛つかせた。それ以外、頭には何もなかった。 
    細い手首をそのまま引き寄せて、衝動のまま、茨はあんずに口付けた。無理矢理唇を押し付ける、雰囲気の欠片もないキス。目を閉じるはずもなく、茨の瞳は本人も知り得ない怒りで燃えていた。

    「七種、くん」
    彼女が己を呼ぶ声で、はっと我に返った。
    自分は一体今、何をした。目の前のあんずは、状況が全く理解できないと言った顔をしていた。彼女の瞳が揺れている。その奥に、茨は、まだ知らないあんずを見つけ出せるような気がした。
    「今日は遅いですから。……さようなら」
    そこに手を伸ばそうと思えば出来たのに、茨は、直ぐに手を引っ込めた。捕まえたままのあんずの手をすぐに離し、笑顔でお綺麗に飾り付けて逃げ出した。

    海に響く波の音はもう消えていて、自分の心臓の音だけがやけに頭に響いている。なんだか酷く恐ろしくて、後ろにいるあんずの方に振り向く事ができない。茨はただ、その場を足早に立ち去った。
    ーーこんな関係、いつでも修復できると思った。言い訳の仕様はいくらでもある。だから、きっと大丈夫。

    そう。だから、大丈夫なんだ。

    「あんずちゃん?ーーそうか、彼女は誰にも言わなかったんだね」
    彼女、3月の末でESから離れたよ。4月から新卒として、別会社の内定が出ていたからね。

    「はは。……そんな」
    ーーそんなこと、許されるとでも思っているのか。
    あの橋の上。あの夜が、俺と彼女の、最後の時間になるなんて。

    **

    彼女の仕事は、他者に全て恙無く引き継がれた。ES内の全ての事務所を行き来する、特級階級のプロデューサー。そんな例外ひとつ消えたところで、業務は滞りなく進むのだ。
    月日はどんどん過ぎた。その内に、茨は、どうして自分はあの女にそこまで拘っていたのだろうと思うように、否、無理に思いこむようになった。そうでもしないと、苛立ちでおかしくなってしまいそうだった。
    ーー触れられると思った。あの夜、確かに俺は、彼女の目に"彼女自身"を見た。どうしてあのままひっ捕まえて、全て暴いてやらなかったのか。俺は一体何に恐怖したのか。あの時、もしそうしていれば。
    「茨。次の撮影。車来てますよ」
    「ーーああ、ジュン。今行きます」
    以前と比べれば、考え込むことも減ったように感じる。
    今年もまた春が来た。彼女が居なくなって、3回目の春だ。

    その数年で、ESのみに留まらず、芸能界全体で、Edenの地位は盤石なものになった。T rickStarやknightsなどの夢ノ咲アイドルも例に漏れず、今はもう、寮内で他の人間に会うことも少なくなってきた。寮暮らしをやめて、自分で賃貸を契約している者も少なくない。
    「お、今日の撮影、あの公園の近くじゃないっすか。今は桜が満開みたいですよぉ」
    「そうなんだ、素敵だね。ゆっくり見る機会は、今年もあまり無いだろうから」
    ジュンと凪砂がそんな話をしている。今日のバラエティ撮影は、東京では有名な桜の名所で行なわれるようだった。一般人がいる中での撮影は、知名度が上がることはそうだが、スタジオの撮影よりも余計な気を回さなければいけないことになる。茨は人知れず溜息をついた。
    「僕は桜はあんまり好きじゃないね」
    「おひいさんにしては珍しいっすね。そんなこと」
    日和の言葉に、ジュンが首を傾げる。日和は少し拗ねたような顔をしながら、車窓の外をちらりと見て言う。
    「咲いたときから、散るものだと分かっているから。どのものもそうだけど、桜は特に顕著だね。日本人は、刹那的なものを特に綺麗だと感じるよね」
    「いつかなくなると思うから、みんな必死になって触れようとするんじゃないんですか?よく分かんねえけど」
    「終わることは必然だけれど、それがあるから何かを見る、誰かを愛するというのは、他者に振り回されているだけで、自分の本心だとは言えないね。終わることを知らない愚か者のまま、花に毎日水をやるように……いつか消えても後悔なんてしない、心からの愛を、常に、当たり前のように注ぐことができれば、それが理想……いい日和だね?」

    その言葉を聞いて、茨は見目よく微笑んだ。心の底から理解ができないな、と。

    そんなものは全て理想論である。お気に入りの花に毎日水をあげ続けた子どもは、ある日突然花が枯れてしまえば泣くほかないだろう。愛される側も、愛する側も、際限などなければ、満足などし得ないものだ。いくら美しい言葉で飾り付けたとしてもーー愛とは、欲望の一端を担っているに過ぎない。
    今日は寝てしまおう。車窓の外を流れる、忌々しいピンク色をもう見たくなくて、茨は目を閉じた。
    「私は、刹那の愛でも間違いじゃないと思うな」
    「へえ?」
    「恋や愛の本質はまだ分からないけれど、近くで見ていると思うんだ。愛とは、探究心に似ているね」

    **

    綺麗な笑顔を顔面に貼り付けて、桜の木と並んで歩く。周りの一般人に時々手を振ったりしながら、マイクに向けて、思ってもいないことをのたまう時間。
    ーー綺麗ですね。もし恋人ができたら、一緒に歩いてみたいなあ。
    さっきから着いてきている野次馬の何人かが、黄色い声を小さくあげてスタッフに睨まれているのを横目で見た。
    「じゃあここで、漣さんと七種さん、乱さんと巴さんに分かれて、それぞれ食事の撮影に入ります」
    並木道での撮影を一通り終え、スタッフに案内されて今度は近くの料亭へ入った。この撮影のために貸し切りにしているようで、店内には店員と撮影スタッフしかいなかった。
    奥の座敷に通されて、ジュンと茨は机を挟んで向かい合った。料理の準備のためにカメラが切られる。ジュンはひとくち水を飲んでから、口を開いた。
    「調子でも悪いんすか」
    「は?」
    「顔色悪い。いつも見てないと分かんねえと思いますけどね」
    ジュンの黄金色の瞳が、何かあったなら話せと暗に示しているようだ。茨は周りにスタッフがいないことを確認してから、小さく言葉を返した。
    「心配されるようなことでも無いですよ。特に何があったわけでもないですので」
    「まあね。あんたが春に憂鬱な顔をするのは、今に始まったことじゃないですし?」
    茨の眉間にぐっと皺が寄る。それを見て、ジュンは意味ありげに笑った。ジュンが自分の笑顔を崩そうとしていたことに気が付いて、茨はもう隠さずにため息を吐いた。
    「自分の"それ"が、関係あるんですか、ジュンに」
    「ないっすよぉ。まあでも、テレビの前でその顔は戴けないですけど。熱心なファンは気付いちまうかも」
    「ご忠告どうも」
    可愛くない返事を返しはしたが、茨の心の内側には少し波がたっていた。どれだけ言葉で突っぱねようと、同じアイドルユニットである目の前の男が、茨のことをよく見ているということは事実である。プロとして、仕事に関わる忠告を無視するほど愚かではなかった。
    手元に持っていた書類を確認する。今はキッチンで、料理をつくる工程を撮影している時間だ。自分たちの食事シーンまで、20分はある。それを確認してから、移動用に持っていた帽子と上着を着用して席を立った。
    「外に出てきます」
    「う〜っす」
    ジュンは気の抜けるような返事をして、呑気にお品書きに目を通している。茨はスタッフに一言挨拶をして、案内された裏口から外に出た。
    裏口は路地に繋がっていて、少し行くと大通りに突き当たるようだ。帽子を深く被り直し、肺の空気を全て吐き出す。ふらふら歩いて、大通りの手前まで来た。
    いくら観光地の近くだと言っても、平日の昼間であるので人の姿はまばらだ。申し訳程度の椅子もある、ここで少しだけ休んでから中に戻ろう。そう思って、隅に置かれていた歪な椅子に腰をかけた、その時だった。
    茨のいる路地の目の前、大通りを、一人の女が通りすがった。
    ふと顔を上げてしまい、女と一瞬目が合ってしまう。あ、まずい、と茨は頭の隅で考えてーー女の、青い瞳に目を奪われた。

    「え」

    短く声を漏らしたのは、自分の口なのか、女の口なのか分からなかった。心臓が一回、大きく波打つように鼓動する。頭が真っ白になって、跳ねるように立ち上がった。
    「待って!」
    大きな声が口から飛び出す。その細い腕を、あの夜のように掴もうと思った。しかし、女が脚を止めたのは一瞬で、記憶に違わぬ栗色の髪を翻しすぐに走り出した。伸ばした腕は宙をかく。
    「っ、ぅあ」
    名前を呼びたい。なのに、久しぶりに口にしようとしたその音は、どうにも喉の奥に張り付いてしまって出てこない。彼女が行ってしまう。また逃すのか?吐き出せ。声を。二度と逃げられないように、あの女を縛り付けるように。
    「ーーっ、絶対に、逃げられると思うなよ!!」
    それでも身体は思うように動かなくてーー口から飛び出したのは、そんな、負け惜しみのような言葉だけだった。

    あの日、あの夜、まんまと俺から逃げ果せた女。最後まで、自分だけは周りと違うとでも言いたげな、俯瞰したような顔をしやがって。本当に腹が立つ。頭の中が掻き混ぜられているんじゃないかと思うくらい苛々する。
    逃してたまるか。今度こそとっ捕まえて、そのお綺麗な笑顔を引き剥がして、お前の中身を全てこの目で見てやるのだ。あの女の全てを知り得ないことには、この激情は収まりがつかない。この数年間納まりどころを探していた感情の答えが、ようやく分かった。
    ーーその中身がどす黒くても、触れることすら許されないような清廉なものでも、どちらだって構わないのだ。

    ただ、女神の殻を取っ払った「あんず」という一人の女を、どうしようもなく知りたいと思っている。

    そこから茨は必死だった。あらゆる伝を使ってあんずの居場所を探し出そうとしてーー尽く失敗した。気が付けば、あの路地であんずを見てから、数ヶ月が経っていた。
    身体は無理をしているというのに、何だか変な力が湧いてきて、仕事にはより一層力を入れて取り組んだ。最近では、恋愛ドラマのW主演のうちの一人に抜擢され、主題歌にはEdenの新曲が使われるという。主演と言っても、最終的には女に振られる、言うなれば当て馬の役割なのだが。
    今日の仕事は、巴日和と二人で行うものだった。収録前、早めに楽屋に入った二人は、少し離れたところで椅子に座り、思い思いの作業をしている。
    「ちょっと、毒蛇」
    「殿下?何でしょうか!」
    稽古中の舞台の台本を見ていたはずの日和が、茨に声を投げかけた。急なことに、書類を整理していた彼はやや驚いたが、すぐに笑顔を作って返事を返す。
    「どうしてそこまでして、あんずちゃんを探すの」
    脈絡のない話題に、は、と口から声にならないような音が漏れた。
    自分があんずを探していることを、隠していたわけではなかった。だが誰しも、腫れ物に触るような扱いで、直接聞いてなんて来なかったというのに。いや、あの双子だけはーー少し悲しそうな目で、あんずさんに会えたら教えてね、と言っていた。
    「変な目的で彼女を追い回しているのだったら、すぐに止めて。あんずちゃんがどんな気持ちでここを離れたのか、それくらい気を回すべきだね」
    巴日和は、とても愛情深い人間だと思う。上流階級の出身で、本人も高い地位にいるくせに、その辺りから拾ってきた小汚い犬を綺麗にしてやって、愛情を注いでいるのだから。それも二匹も。またそれに違わず、あんずもこの男に「愛されて」いるのだなと茨は思った。
    「どんな気持ちで?」
    彼女を「愛して」いるのなら、こんな感情は持ち得なかったのだろうか。全てを暴いてやりたいだなんて、まるで蛮族のような衝動だ。女性ひとりにしたって、まともな気持ちを向けることができない。俺は本当に最低な人間だと、茨は、目の前の日和を見てその思いをさらに色濃くした。ーーしかし、それがどうしたというのだ。
    「それが分からないんです。残念ながら、自分は彼女に、何も告げられていないものですから。知りもしないものを、知ったように語ることこそが愚かだと、自分は思いますが」
    知らないから、俺は彼女に会いたいと願うのだ。結局それは、未熟だったあの頃から何も変わっていない。高校三年生のあの時ーー橋の上の夜。あの日からずっと、俺の中のどこかは、時を止め続けている。
    「知らないものを知ろうとすることが悪であるとは、自分は思いませんので」
    「……そうだね。確かにそれは、悪ではないよね」
    日和は、あの子が言った通りだね、と口の中で小さく呟いた。バスの中、桜を見て、凪砂が他意などなく、ただ純粋に発した言葉。

    ーーこの子は、あんずちゃんを、ずっと。

    「今までずっと言って来なかったけれど、僕、実はね。怒らないでね」
    「は……?」
    みんなに愛されていた、あの可愛い女の子は、結局のところ、自分に向けられる愛から逃げたのだと、日和はずっと思っていた。
    アイドルである巴日和は、他者に愛されている自覚を持っているから、その愛に見合う自分にならなければと努力をしている。なぜなら、もっと愛して欲しいから。自分という存在をもっと見て、大事に思って欲しい。そうすれば、その感情を送ってくれる人たちを、自分も心の底から愛することができるから。
    しかし、愛とは時に鋭利であるのだ。自分自身ではない、自分の外殻に向けられた愛などがその筆頭である。愛に応えようと、その作り物の自分を続けようと努力をして、そしていつか、ぷつんと途切れてしまうのだ。

    ああ、そうか。
    自分の外と内、どちらに向けられた感情なのか、あの時の君は、もう分からなくなっていたんだね。
    だけどね。もうあれから、ずいぶん時間は経った。
    僕はあの時、何も言えなかったから、だから今、ちゃんと伝えるよ。
    ーー君もそろそろ、"愛"と正面から戦うべきだね、あんずちゃん。

    **

    街頭ポスター。駅の吊り広告。テレビをつければ、どこかのチャンネルで。
    普通の生活に戻っても、彼らを目にしない日はなかった。ESから離れてもう三年、その数字が現実味を帯びることは、きっと無いのだろうなと思った。
    アイドル、プロデューサー、それらと何の関係のない仕事もやっと手についてきた。前と同じくらいやりがいを感じると言えば嘘になる。でも、一人で無理をしなくていいこと、同じ仕事を任せられた仲間たちと話し合いながら共に成長できること、そんな小さな「違い」の積み重ねを、とても幸せだと感じていた。
    今日はなんだか仕事がスムーズに進んだ。定時で上がれそうだ、そう思って大きく伸びをすると、デスクの上に置いてあったスマートフォンが小さく震えているのが分かった。
    誰からの電話だろう、机に伏せていた画面を手に取ると、そこに映った名前にぎょっとした。
    「もしもし」
    急いで誰もいない会議室に入り、震える声で電話に出る。
    「遅いね!」
    大きな声が耳を刺す。すみません、と反射的に謝った。
    ーー巴日和さん。わたしがESから去る時、英智先輩と部屋で話をしていたのを聞いていたらしく、半ば無理矢理連絡先を交換させられた。そこから時折、漣くんを含めて食事に呼び出されたりしていたが、最近はずっとご無沙汰だった。
    「今日の夜は暇だよね?僕が食事に連れて行ってあげる」
    「え?いや、急ですね……」
    「僕の誘いを断るの?」
    「いいえ」
    巴さんが連れて行ってくれるお店は、民間人はもとい、パパラッチさえ入り込まないようなところだ。芸能人の隠れ家的存在だと言ってもいい。だから特に断る理由はないのだ。
    でも、わたしの言葉のひとつに過敏に反応して、拗ねたような声を出す巴さんはなんだか愛らしくて、これが彼が周りに愛される所以なのだなと思った。
    「知っていると思うけど、僕は待つのが嫌いだからね。絶対19時ぴったりに、ここに来てね」
    その言葉に返事をして、電話を切った。巴さん、久しぶりに会うなあ。いつもは漣くんがいるけど、今日はどうなのだろうか。
    もうわたしは、アイドルたちとは全く関係ない部外者だけれどーー少し話をせがむくらいは、許されるだろうか。できれば、彼の話を。
    あの人と同じグループだからといって、巴さんや漣さんと連絡を取り続けているなんて、本当に自分は現金で、ずるい女だと思う。そんなことは自分自身が一番、痛いほど分かっている。

    **

    茨はその夜、自社のビルの近くを早足で歩いていた。
    ーー夜だというのに、昼間の巴日和の話を思い出すと、まだむかっ腹が立つ。

    怒らないで、と前置きされたその内容を聞いたとき、茨は驚きと呆れで思わず声が出なくなった。
    探し物は意外と近くにある、とはまさにこのことだ。自分が必死になって探していたあの女は、巴日和とずっと連絡を取り合っていたのだという。ESを退社してからもずっと。
    そして、肝心の彼女の居場所だがーーどうしてもここでは話せないのだと言って、今日の19時にES近くの橋の上に来るようにと告げられた。むかつきを腹の中で殺しながら、自棄になって終わらせた仕事を自分のデスクに突っ込み、半分走っているような早足で茨はそこに来たのである。
    闇の中、ぎい、と小さな音が断続的に響いている。波が橋脚の根元を揺らす音だ。水面が波打つ気配もする。懐かしい、茨は自然とそう思った。
    "あの日"、ただ暗かっただけの橋の上には、今はほのかな街灯の明かりに照らされている。終わり側の桜の花がゆっくりと降り注いで、床版の至る所に桃色を溜まらせていた。
    橋の上、人影がひとつある。あの人にしては珍しく、待ち合わせに遅刻しなかったようだ。時刻は19時ぴったり。声をかけようと、橋へ足を踏み出したその時だった。
    「……、っ」
    音にならない声が喉を震わせる。朧げな灯りに照らされたその横顔が、強く強く網膜を焼いた。
    震える脚を無理やり動かして、ゆっくりとその人影に近づく。華奢で小柄なシルエット。はやる思いが、茨の歩幅をどんどん大きくしていった。橋の上のその人物は、手元のスマートフォンに夢中で、こちらのことなんて見てもいない。もう少し、もう少しで手が届く。取り戻せ。あの浅春の夜を、もう一度。

    ーー掴んだ手首は、なんて頼りない。

    伏せられていた蒼い目が、茨を見つめた。
    「逃してなんてやらないと、そう言いましたよね」
    あんずは大きな目をゆっくりと瞬かせる。ほのかな灯りでも、ようやく彼女の顔がしっかりと見えた。あの日、まだ俺たちが学生だったころの記憶より、彼女はずっと大人びていた。
    「巴さんは?」
    ーー久しぶりに会った、第一声がそれか。
    茨は形の良い眉をひくつかせた。あんずは逃げる気配なんて全く見せず、腕を振り払うこともせず、ただ自分に一言尋ねただけだった。
    「来ませんよ。直接言われたわけではありませんが、きっとそういうことです」
    「でも」
    「うるさい。そんなこと、今はどうでもいいだろ」
    そのぽんやりとした表情が癪に触って、茨は自然と口調を崩した。らしくない。そんな自分に頭が痛くなるが、それもこれも全部この女のせいだ。この女が。
    「ーー七種くん」
    「……なんですか」
    「大人になったね」
    あんずはそう言って表情を柔く崩す。正直に返してやるのもなんだか嫌で、あなたは全く変わっていませんね、と刺々しい口調で応えた。
    「いくらここでも、あんまり二人でいたら、変な噂を立てられるかも」
    「あなたはそればっかりだ。ずっと昔から」
    あんずの言葉を笑ってやると、彼女は少し眉を顰めた。昔はこんなに分かりやすく感情を表に出すことはしなかったのに。
    「七種くんが頭のいい人だって分かってるよ。でも、心配だし。それにーーわたしなんかと話すためだけに、リスクを負うのはおかしいでしょ」
    「おかしい?」
    ーーそうでしょうね。ええ、そうでしょうとも。今の自分はなんとも滑稽だ。
    一人の女のケツを血反吐を吐きながら追っかけ回して、ようやく捕まえたと思えば、どうして会いに来たのかまるで分からないといった顔をされて。
    それでも、絶対にこの手は離さない。
    「……週刊誌に垂れ込んだっていいんですよ」
    「えっ?」
    「ES所属の、元プロデューサーの女性。夢ノ咲学院の革命の立役者。そんな人が、今をときめくアイドルの唇を奪ったと」
    「はい!?」
    女は、素っ頓狂な声を出して目を白黒させる。いつの話、だの、嘘をつくのはよくない、だのぎゃあぎゃあと喚く口を、衝動のままに自分のそれで塞いでやった。

    「………ほら、奪いましたね」
    「な、……なんで」
    ーー週刊誌の記者なんて、腐肉を漁ることも厭わないような獣の如き連中です。あなたならご存知でしょう?このことが運悪く漏れてしまえば、どうなってしまうんでしょうかねえ。今日のSNSツールの発展には目を見張るものがありますから、きっとあなたの身元や情報は特定され、連日誹謗中傷の嵐!自分も同じく、アイドルという商品として大ダメージを受けてしまいますが。それもしょうがないのでしょう、記事が出てしまえば……。ああ、現代日本とは、かくも恐ろしいものです!……だから。

    「分からないよ!わたし、七種くんに、どうしてーー」
    「だから!!!」
    もうーー俺から離れるのは、やめてくれないか。
    彼女の言葉を強引に遮ってまで吐き出した言葉は、懇願の色を孕んでいた。なんだか身体から力が抜けて、掴んだままだったあんずの手首が、自分の掌から離れていく。彼女は俯いていた。
    まるで、愛の告白のようだ。そういえば、はじめて出会った時も、自分は。
    「やめてよ、七種くん」
    俯いたままの彼女の口から、拒絶の言葉が飛び出す。茨は小さく息を呑んだ。
    ーー当然だ。ここまで自分の気持ちを一方的に押し付ける人間など、他にいないだろう。
    体裁も風采も、もうあったものではない。なんだかおかしくなってきて、笑いを喉の奥で殺した。七種茨という人間は、ここまで愚かで、正直な男ではなかったのに。
    「ーーわたし、勘違いをしてしまう」
    どんな罵倒も覚悟したその時、続けて紡がれたあんずの言葉に、茨はレンズの奥の瞳をぱちぱちと瞬かせた。
    彼女は俯いたままであるが、栗色の髪の隙間から見える小さな耳はなんだか赤らんでいて、自由になった両手をそわそわと動かしているーー勘違いをしてしまう?
    「はあ?」
    茨の口からはそれしか出なかった。大きな声で、まるで理解できないという顔をされたことに、様子を伺っていたあんずはパッと顔を上げた。青い瞳が、不思議そうに茨を見つめている。
    「勘違いもクソもないでしょう!俺がここまで醜態晒してんのに、何が勘違いだ!!」
    「だ!だって!七種くんは魂胆がないと動かない人でしょ!?」
    「ええよくご存じで!それが何か!?」
    「それは、だって、」
    ーー七種くんに、ここまで言って貰うほど、わたしは価値のある人間じゃない。
    「女神じゃないよ。プロデューサーでもない。七種くんが望むこと、きっと今のわたしには何も無いよ。それでもいいって言ってくれるの?」
    「あります」
    あんずの言葉を遮るように、茨は強く口にする。青い目を不安げに揺らすだけの彼女を見て、ああ、自分もきっと同じ目をしているのだ、とぼんやり思った。お揃いの、空の色の瞳。

    「ただ、"あなた"のことが知りたいから。あんずさんがもう何処かへ行ったりしなければ、自分の望みは叶います」
    「わたしを……?知りたいって、一体どんなことを?」
    「さあ!それは自分にも分かりかねます、何しろ、人間ができていない最低野郎ですので……⭐︎」
    「ふふ、」
    なにそれ、とあんずが笑う。なんだか気が緩んで、茨も眉を下げて微笑んだ。
    今言ったことは、全て本当だ。あんずという人間そのものが知りたい。どうしてかと言われれば、理由なんてものはもう分からなかった。だって、女神でもプロデューサーでもない彼女を、俺はどうしても手元に置いておきたい。
    だから、今はこれでいい。きっとこれから彼女を知っていけば、この衝動の答えも、きっとどこかに落ちている。
    「わかった、もう逃げたりしないよ。それで、どうやって"わたし"を教えればいいの……?」
    「そうですねえ」
    ぽやんとした顔をして質問を投げてくるあんず。茨はにっこりと笑って、その提案を口にした。

    「ーーたまにお会いして、仲良くお喋りするのはいかがですか?あとは、近所の美味しいお店なんかも知っていますよ」
    目の前の彼女は、一瞬呆けた顔をしてーーやがて笑顔で頷く。なんだかそれに、少女だったころの面影を見たような気がした。

    ーーきっと、憂鬱な春は、もう来ない。

    **

    「ーーその節は、ありがとうございました」
    「本当だよね!僕のおかげで丸く収まったのに、お礼を言うのが遅いよね」
    「こんなこと言ってますけど、この人あの日ずっとそわそわしてたんですよぉ」
    「ジュンくん!」
    この空間は四方を壁に包まれているけれど、決して閉塞感はない。大きな声を出してもきっと外には聞こえない、ここはそういう大事なプライベートを守るレストランなのだと以前教えてもらった。
    真ん中には大きな鍋が置かれ、ぐつぐつと美味しそうな音を立てている。漣くんが、白菜煮えましたよ、と当然のように巴さんとわたしのお皿に具材を取り分けた。
    ーー今日は、あの日に無しになった食事会のやり直しである。
    あの時の巴さんのお誘いは、彼と引き合わせるための方便だとばかり思っていた。
    ほとぼりが冷めた今になって、この料亭に呼び出され、約束を忘れたわけじゃないよね、と言われた時は目を丸くしてしまった。そんなわたしをみて頬を膨らませる巴さんと、偶然都合があったらしく着いてきた漣くん。そしてわたし、この三人で仲良く鍋を突いているというわけである。
    「ま、茨の調子も普通に戻ったんで、こっちがお礼を言いたいくらいなんすけどねぇ」
    「毒蛇にしては人間らしいところが見えて、僕は楽しかったけどね」
    白菜を口に運ぶ。甘いそれはとろりと溶けた。舌鼓を打っていると、巴さんが、その後はどうなのと尋ねてくる。わたしは飲み込んでから口を開いた。
    「特に、なにも。ただ、あの人がわたしを知りたがってる気持ちが何となく分かった気がします」
    「へえ?」
    「わたしも、彼のことが知りたいって思うので。だからちょっとずつ教えてもらってるんですよ」
    あんずは笑う。それを見て、日和は目を細めた。

    ーー愛の反対は、無関心だという。ならば、愛とは一体何だろう。人に関心を寄せることーーそれは時に、思いやり、嫉妬、ーー好奇心?
    誰かを思い、その心に触れたいと思うこと。それを愛だとするならば、お互いを知りたいと思うこのふたりの気持ちは、きっと。
    「ねえ、あんずちゃん」
    ーーESから離れて、きみは、幸せになれるの?
    あのまだ肌寒い日に飲み込んだ言葉を、今度こそ尋ねてみようと思う。絶対、僕が望む答えが、彼女の口から返ってくるから。



    「迎えに来てくれてありがとう」
    「こんな夜中に、酔っ払いの女をひとりで歩かせるわけがないでしょう。どっかに連れてかれますよ」
    「そうかなあ」
    車窓の向こう、輝く光がいくつかの線になっている。街路樹たちは鮮やかな光で彩られ、街はなんだか明るかった。すっかり冬だ。
    「今日ね、巴さんに言われたの。今幸せ?って」
    「へえ。それで、なんて答えたんですか」
    信号で車が止まった。ウィンカーの音が車内に響いている。彼はこっちのことなんか見もしないで、ただ前を見つめている。
    ーーわたしが、あの輝かしいESから離れようと思ったきっかけは、何だったか。
    ぐんぐん成長していくアイドルたちと、共に歩むのが難しいと思ったから?自分の身だけを犠牲にして、誰かに尽くすことに限界を感じたから?
    きっと、そのどれでもなかった。あの時のわたしは、他でもない自分自身を、誰かに見て欲しかったのだ。女神でも、プロデューサーでもない、ただのわたしを。
    だからあの日も、あの橋の上で、わたしは彼を初めて呼び立てた。夢ノ咲学院の卒業式、それはたぶん、プロデューサーではない"わたし"を見せられる、最後の機会だろうと思ったから。
     今は、果たしてどうだろう。パソコンと紙があればできてしまうような、人を選ばない事務仕事ーーそこに、"わたし"は必要なのだろうか、と思うことがある。でも、きっと、そうじゃないのだ。わたしには。
    「幸せだって答えたよ。ーーだって、茨くんがいるから」
    わたしには、"わたし"を見ていてくれるーー知りたいと思ってくれる、この人がいる。そんな彼を、わたしも知りたいと願う。

    信号が変わった。車がゆっくりと発進する。茨くんは、ハンドルを僅かに握り直して、小さく呟いた。
    「俺もたぶん、そうですよ。きっと、俺は、あなたとーー」

    ーーいやぁ、ようやく会えた!自分はあなたに会うために生まれてきました!

    そう嘯いていたかつての彼と、面影が重なる。もう一度だけ言って欲しくて、声が小さくて聞こえないよ、と小さな嘘をついた。
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    s_pa_de_

    DONE付き合いたての真緒とあんずが、交通トラブルで同じホテルの一室に泊まることになる話。ズ!とズ!!の間くらいの話です。
    星灯りの未来を(まおあん)街灯で照らされた道に、スーツケースのタイヤが転がる小さな音だけが聞こえる。駅前だというのにすれ違う人はまばらで、通りを埋める店は軒並みシャッターが閉められていた。時間は夜の九時。そんな、夜中でもないような時間に、全く人気がなくなってしまうような田舎の駅前を、あんずと真緒はお互いスーツケースを引きながら歩いているのであった。
    「あっ、あれホテルだよ」
    「んっ⁉︎あ、そ、そうだな!」
    「真緒くん待ってて。聞いてくる」
    あんずはその場にスーツケースを置いて、少し離れたところで煌々と輝くビジネスホテルへと駆け出していった。その後ろ姿を真緒はぼうっと見つめる。
    ーーこれ結構、やばいんじゃないか?
    事の発端は地方での仕事の依頼が入ったことにある。撮影地近くのホテルに前泊しようということになり、そのつもりで予定を練っていたのだが、真緒は急遽生徒会長の仕事で、身動きが取れなくなってしまったのであった。それをあんずが手伝う形で、夜に宿泊施設に到着できるように遅れて電車に乗り込んだ。それが、野生動物と衝突したとか何とかで止まってしまい、スーツケースひとつで見知らぬ田舎町に放り出されたのが三十分ほど前の話だった。
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    recommended works

    s_pa_de_

    DONE付き合いたての真緒とあんずが、交通トラブルで同じホテルの一室に泊まることになる話。ズ!とズ!!の間くらいの話です。
    星灯りの未来を(まおあん)街灯で照らされた道に、スーツケースのタイヤが転がる小さな音だけが聞こえる。駅前だというのにすれ違う人はまばらで、通りを埋める店は軒並みシャッターが閉められていた。時間は夜の九時。そんな、夜中でもないような時間に、全く人気がなくなってしまうような田舎の駅前を、あんずと真緒はお互いスーツケースを引きながら歩いているのであった。
    「あっ、あれホテルだよ」
    「んっ⁉︎あ、そ、そうだな!」
    「真緒くん待ってて。聞いてくる」
    あんずはその場にスーツケースを置いて、少し離れたところで煌々と輝くビジネスホテルへと駆け出していった。その後ろ姿を真緒はぼうっと見つめる。
    ーーこれ結構、やばいんじゃないか?
    事の発端は地方での仕事の依頼が入ったことにある。撮影地近くのホテルに前泊しようということになり、そのつもりで予定を練っていたのだが、真緒は急遽生徒会長の仕事で、身動きが取れなくなってしまったのであった。それをあんずが手伝う形で、夜に宿泊施設に到着できるように遅れて電車に乗り込んだ。それが、野生動物と衝突したとか何とかで止まってしまい、スーツケースひとつで見知らぬ田舎町に放り出されたのが三十分ほど前の話だった。
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