合コンに参加したあんずちゃんを迎えに行く茨あん●計画的犯行の一夜
七種茨×あんず
――今日の飲み会、普通のじゃなくて、合コンだったみたい。ごめんね。
通知は一時間前。そのメッセージを見て、茨は眉間に深く深く皺を寄せ、まわりにはばかることなく、非難の声を上げた。――はあ?
「茨、汗も拭かずになに見てんすか」
ジュンがタオルを投げつけてきたのを片手で受け取って、また改めて画面に目を落とす。通知はやっぱり一時前で、メッセージはそれ一通だけだった。この女、まさか合コンでよろしくやっているわけじゃないだろうな。茨は額に滲んだ汗を乱雑に拭きながら、大きなため息をついた。そこを、遠慮なしに近づいてきた日和が、ひょいと画面を覗き込む。
「なに?合コンって」
「ちょ、殿下」
「あんずちゃん、『ごうこん』に行ってるの?」
日和の唐突な一言に、ジュンが思わず吹き出して笑う。――この貴族、どこでそんな言葉を覚えてきた?茨は口の端をひくつかせた。
「あんずさん、茨とはもういいってことなの?」
「なんっ――……閣下!」
「ナギ先輩、『合コン』とか、そういうの知ってたんですか?」
「うん。この前のドラマで勉強した」
日和と凪砂、いくらこの二人が根っこからの金持ちであったとしても、この社会――とりわけ芸能界で生きていくなかで、下劣な言葉のひとつやふたつ触れる機会があるらしい。いや、そんなことはどうでもいいのだ。いま大事なのは、あんず――自身の恋人についてである。茨は歯噛みした。
高校を卒業して、そのまま芸能界に飛び込んだ茨やジュンとは違い、彼女は夢ノ咲卒業後、大学に進学した。茨たちより余計に四年、学生とESとの二足の草鞋を履きこなすことに決めたのである。
問題は、あんずが大学に行くこと自体ではない。彼女の所属するサークルが、一般的に良くある「飲みサー」というやつであり、あんずもそれなりにその活動を楽しんでいる節があることである。
心配しなくても、あんずは酒にめっぽう強い。酔いつぶされてお持ち帰り、ということはないにしろ、彼氏は今をときめくスーパーアイドルである。恋人がいる、と大っぴらに宣言するわけにもいかず、大学の友人はみんな、あんずには彼氏なんていないと疑わず過ごしているのだった。
「飲み会に行ってみたら、合コンだったそうです。全く――自分たちが汗水垂らして踊っている間に、いいご身分ですよ」
「まあ、大学生ならそういうことだらけでしょうけどねえ。コソコソ会わなきゃいけない男より、その辺に落ちてるやつの方が楽だったりして」
「ジュン、もしかして自分がカツカツのスケジュールを組んだこと、根に持っています?」
「心当たりがあるようで何よりですよぉ」
ジュンはいやに楽しそうに笑いながら、汗まみれの服を脱いで新しいウェアに着替えていた。
EDENの四人は全員、今日はここで仕事は締めだったはず。彼はそのままトレーニングに直行するというのだから、本当に体力が底なしの男だ。茨は内心鼻で笑った。
「変な男に釣られる前に、迎えに行ってあげなきゃだめだね。早く行って」
「そうしたいのは山々ですが」
日和の提案に、茨は声だけで笑う。言ってしまえば、今すぐ飲み屋に駆けつけて、ふん縛って連れ戻してきたいのが本音だ。店の場所だって、昨日彼女がぺらぺら喋っていたから覚えている。
それでも、さすがにコズプロの看板アイドルが、一般的な居酒屋に女を迎えに行くわけにはいかない。茨は疲れと苛立ちで、なんだか頭が痛くなってきた。
「迎えにきたのが茨だって、ばれなければ大丈夫」
「凪砂くん、なんだかニコニコしてるね」
「うん。いいことを思いついた」
普段着に着替えた凪砂が、絶世の美貌をふわりと緩ませる。なんだか茨は、とてつもなく嫌な予感がした。
☆
「あんずちゃん!飲んでる!?顔全然赤くないじゃーん!」
「はい。わりと」
ところ変わって、ESより少し離れた駅の居酒屋である。いつのまにか隣の席を陣取り、酒臭い息を吐き出しながら話しかけてくる男をあしらって、あんずはハイボールを飲み干した。これで六杯目だった。
この会が一体なんなのか察して、すぐに彼女は茨に連絡を入れた。しかし返事はない。今日のこの時間は、新曲のMV撮影のリハーサルをしていたはずだ。押しているのだろうか――それとも、呆れて連絡もよこさないのか。今度会ったときに謝らなければ。
「この子、全然男っ気ないんですよ。だから慣れてないのかも」
「え〜!そうなんだ!かわいい!」
あんずをここに連れてきた友人が、ぱちりと彼女に目配せをする。あんずは、この子なりの優しさなのだなあ、と微妙な気持ちになった。その言葉に男は完全に乗ってしまい、だらしない顔であんずに微笑みかけている。
対してあんずはもう、お腹がいっぱいだった。この空間にではなく、物理的に食べすぎてしまった。お酒はまだ入りそうだが、もうそろそろやめておこうかという頃合いだ。
そうすると、この場所にいる意味は無くなってくる。他の友達ふたりは、それぞれ男性と楽しくおしゃべりをしているし、きっと自分がいなくても大丈夫だろう。目の前の男性がひとりきりになってしまうのは不憫ではあるが――別にいいか。あんずは軽く結論を出して、席を立とうとした。
「あんずちゃん!?もう帰っちゃうの」
しかし、男はそれにめざとく気付く。あんずは眉間に皺を寄せた。そんなことはお構いなしに、男性はあんずの腕を掴んだ。もう少し飲もうよ、とあまり回っていない口でのたまうその姿は、立派な酔っ払いだった。
どうしたものか――あんずは周りを見回して、助けは見込めないことに気が付く。友人たちはそれぞれ、すっかり気になる人と自分の世界に入っていた。
酔っ払いにかける慈悲はない、あんずが強引にでも立ち上がろうとした、そのときだった。
つい、と、控えめに服の端を引っ張られる。男がいる方とは反対側から――あんずは反射的に振り向いた。そこにいたのは、切長の青い目が特徴的な美女だった。それも、よく見知った顔の造形をした――
「いっ……」
――茨くん?
あんずは思わず大きな声を出そうとして、ぎっ、とその美女――もとい茨に睨まれる。あんずの恋人は、なぜかいつぞや見せてくれた完璧な女装をして、今目の前にいるのであった。
紫色の長い髪はウィッグだろうか。ベレー帽をかぶっているため、人工的な髪の毛という感じはあんまりしない。ガタイの良さは、ふんわりとした服でうまいこと隠され、喉仏を誤魔化すためかゆるいショールを巻いていた。要するに、めちゃめちゃ美女であった。
「えっ!?あんずちゃんのお友達?」
男がぎょっとした声を出す。他のメンツも、なんだなんだと茨の方を見た。男性陣が色めき立つ。
茨は押し黙ったままなにも言わない。不快な感情を表情いっぱいにに出しながら、あんずの腕を両手で掴んで引っ張る。
「…………迎えにきたんですよ」
あんずの耳元で、小さく呟かれた声は、やっぱり男性の――茨のもので。外見とのミスマッチさに、あんずは思わず笑ってしまった。
「お友達も一緒に飲む?」
「あ、……えっと」
さすがにこの声では喋れないということらしい。あんずが言葉を濁すのを、茨は黙ったまま、じとりと睨んでいた。――いいから早く切り上げろ、と言わんばかりに。
「この子、男の人が苦手なんです。だから……えっと、失礼しますね」
でっち上げた言い訳に、茨の視線がさらにキツくなるのを感じながら、あんずは愛想笑いを浮かべた。
☆
「とっても仲が良さそうでしたねえ。脳みその中身が小さい方がお好みのタイプだなんて、全く知りませんでしたよ。ええ、本当に」
茨の口からぺらぺらと流れていく皮肉を、あんずはへらへらしながら聞いていた。その目は茨を、というより、茨のたいへん素敵な格好を見ている。そういえば、はじめて仕事でこんな格好をしたときも、彼女は同じような反応をしていた。ゲンキンなやつ、と、茨は大っぴらにため息をつく。
「ごめんね。でも、迎えにきてくれて嬉しい。すっごくかわいいよ」
「そこはとても不本意な部分なんですが」
「…………凪砂さん?」
「大正解です。さすが敏腕プロデューサーでいらっしゃる!」
あんずは見事に、アイデアの発案者の名前を言い当てた。凪砂の言う"いいこと"――それ即ち、七種茨だとバレないように迎えに行けばいい。そう、女装だ――という流れなのであった。
もちろん茨は拒否の姿勢を見せた。しかし、これは面白いと思ったらしい日和の、サングラスにマスク、帽子の不審者さながらの格好で迎えにいくのとどっちがマシか、という言葉に、折れざるを得なかったのである。彼らの中で、あんずを迎えにいくことはもう決定事項であった。
「それで、あんずさん?さっきからずっと自分の手を引っ張っていますが、どこに連れていくおつもりで?駅は反対側ですが」
「わたしの家だよ」
「は?」
あっけらかんと言い放ったあんずに、茨は眉間にぐっと皺を寄せた。――このまえ、自分があんずさんの家に行きたいと言ったら、ごく普通に断ったじゃないか。
大学に入ってから一人暮らしをしているあんず、付き合っている彼女の部屋に行きたいということは、まあ、そういうことである。それなりの勇気を持って声を掛けたのにも関わらず、『すっぱ抜かれたら大変だから』の一言で収められてしまったのだ。
知ってますけど?すっぱ抜かれないように、できる手回しはすべてする予定でしたけど?――そんな言葉を飲み込んで、にっこり微笑んだ日はたしか一週間ほど前だったはず。
「だって、こんなに美人なのに、電車なんて乗ったら変な人が来ちゃう」
「多目的トイレで着替えますよ」
「マナー違反だよ」
ああ言えばこう言う。この女め。
茨が恨めしげな顔をしているのに、ご機嫌なあんずは気にも留めない。特に彼女は、茨を弄んでいるというわけではなかった。家に来るのを断ったのは、心の底から単純に彼のアイドル生命を心配してのことであったし、今回のこれも、俺の造形がいいからという話なのだろう。たしかに、今の自分が客観的に見て可愛いことは否めない――茨は思った。
「だから、ね。行こうよ」
それに。自分と似て非なる青い瞳を、きらきらと輝かせるかわいい彼女を無下にするのは、やっぱり心が痛むのだ。いくら自他共に認める、ドクズの俺であっても。
☆
あんずの部屋は、良くも悪くも学生らしい部屋だった。棚の上には、微妙な顔をしたぬいぐるみたちが鎮座している。ビーズの目と視線がかち合って、茨は大きくため息を吐いた。
まさか、こんな形で彼女の部屋に上り込むことになろうとは。あんずはお風呂を沸かしてくると言い、奥へ消えてしまった。勝手に着替えてしまうのもほんのちょっとだけ気が引けて、茨はひとり大人しくリビングの座椅子に腰を下ろしているわけである。
「茨くん、おまたせ」
「はあ」
戻ってきたあんずは、茨のすぐ横に座布団を持ってきて座り、じっと茨の顔を見つめている。その目はキラキラ輝いていて、茨は眉間に皺を寄せつつもその視線を受け止めた。
「ちょっと、あんずさん。寄りすぎですが」
「あ、ごめんね。臭かった?」
「そういうことではありませんけど」
なんだか茨はイライラしてきた。なんだったら、控室であのメッセージを受け取った時から苛立っているが――それはひとまず置いておいて。
彼氏といえど、男である自分を家にあげないのは、百歩譲ってまあ分かる。だがそれが、女の格好をしていたらいいというのは意味が分からない。こんなナリをしていても、声も体付きも、自分が男であるということは何一つ変わっていないのに。あけすけに言ってしまえば、そんな単純バカなところに腹が立つ。
彼女が自分から近い距離に来たのをいいことに、茨はその細い手首を掴んだ。あんずよりも一回り大きな手で。能天気な顔が、いつもと違う雰囲気を察したのか、少し警戒の色を帯びる。それが気持ちよくて、茨は眉間の皺を緩め、愉快そうな笑みを浮かべた。
「茨くん?」
その問いかけに、茨は答えない。ただ、逃げようとした肩に手を回して、ゆっくり顔を近づけるだけだった。息と息が触れ合って、鼻先が僅かに掠る。ほんのすこし、恐れに似た揺らぎを見せる瞳を今度は茨から射抜き、そのまま震える唇に噛みついてやった。
数秒ののち、リップ音を残して二人の唇が離れる。あんずは、驚きに目を見開いたまま、数回瞬きをしただけだった。それが可愛らしくて、茨は小さく声をあげて笑った。
「茨くん、今そんな雰囲気じゃなかったよね……」
「いや?どうでしょう。自分はここに入ったときから、『こういうこと』を期待していましたよ」
「えっ」
茨のあけっぴろげな言い分に、あんずは思わず顔を赤くする。どうにも嗜虐心がそそられて、茨の口角は上がる一方だった。
「あんずさんも、少しは想像したんじゃないですか」
彼女の顔色はどこまで赤くなるのだろうか。ああ、愉快だ。自分を振り回す(彼女としては無意識だろうが)あんずも、まあ、言ってしまえば悪くはないと思っているが――結局は、これが一番だ。俺の言葉に、態度に、頬を紅潮させてこちらを見つめること。
「お風呂、沸かしたんですよね。こんなんじゃ恰好付きませんから、お先にいただきますよ」
「あ、……うん」
「それじゃあ、心の準備でもしておいてください。それでは」
言うだけ言って、茨は立ち上がる。苛立ちはどこかに消えていた。突然降ってきたこの好機を、逃すわけにはいかないと――そう考えていたとき、服の裾を軽く引っ張られて体勢を崩しそうになる。
「あんずさん?」
「……よ」
「は?」
「……茨くんのこと、男の子だって……ちゃんと分かってるよ」
潤んだ瞳。色づいた頬。震える唇――そんなんで、ああ、もう、クソ!
――結局、振り回されるのは俺じゃないか!