死なない尾形の話金塊争奪戦後。月が死者を順に検分していく。見知った部下達、顔すらも分からない戦友達。その中で一つ、違うものがあった。
「おがた…」
かつての部下、かつての戦友でありながら、死の時には裏切り者、反逆者であった人物。
思うところは多分にあるが死んでしまえばそれまでだ。そんなことを思いながら通り過ぎたところでげほっと咳き込む音が聞こえた。
今、この場に生者は自分一人。驚いて振り返ると上体を起こした尾がむせこんでいた。
「お前…どうして…」
「ああ…またか」
唖然としていると、多分生き返ったんだと思いますと尾が事もなく言う。以前にも何度かあったらしい。樺太で。右目を毒矢で射られ、病院に運び込まれた頃。あの時確かに死んだと。手足が冷たくなり意識も暗くなり、間違いなく死を覚悟したと。しかし次に気付いたときには傷の痛みはあれど、毒の影響は一切消え去っていたらしい。周囲の様子からして死んでいた時間は恐らく数分。毒の影響なのか、今回は随分掛かったらしいと二日前には死んでいた尾が言う。
信じられない話だが、ここに収容したときは確かに死んでいた。それは月も確認した。左の眼窩から後頭部にまで弾が抜けていた。だが落ちた前髪を掻き上げた尾の左目は怪我の痕すらない。いや、血の痕は確かに残っている。ならば本当に傷が治り、生き返ったのか。真偽は知れないが今、目の前で尾が生きているのは事実。
果たして彼をどう扱えばいいのか。皆が死んだと認識している人間を軍に連れていけば混乱が生じる。そうでなくとも尋常でない事後処理に追われている最中、更なる面倒ごとを増やしたくはない。かと言ってこのまま放逐してしまえば何をしでかすか分からない。悩んだ挙句、彼を下男として自宅で匿い、また監視することに決めた。遠くないうちに軍曹から曹長への昇進が決まっていたから。軍曹は兵営での生活が義務付けられているが、曹長となれば兵営の外に自宅が持てる。そこに住まわせることにした。
目的を失ったゆえか、銃がないせいか、尾は従順だった。下男として家のことを取り仕切り、外に出る時は先の戦争で傷を負ったとして顔を隠した。髭を剃り、髪を下ろせば随分と印象が変わった。
特に何事もないまま月日が過ぎ、第一次世界大戦。一軍人として月も大陸へ渡り、歩くのにも難が出るほどの怪我を負う。日本へと戻った時には数年が過ぎていた。流石に尾はどこかへ行ったかと思いながら自宅へと帰ると、尾はそこにいた。そして以前と変わらず月の世話をする。
「お前、何でどこにも行かなかったんだ」
「アンタが俺に、ここで下男として住まえと言ったんでしょう。だから言われた通りにしてただけですが、それがそんなに不思議ですか?」
「そういやアンタがいない間に物取りが入りました。すぐに気付いて追い払ったんで何も盗られはしませんでしたが、腹を刺されてどうやら一度死んじまったみたいです」
足を悪くしたとはいえ月は退役することもなく、鯉の右腕として軍部に留まる。
金塊争奪戦からは10年近く経っていた。今や尾のことを覚えている、知っている人間がどれだけいるか。仮に見られたとてそれが尾だと気付く人間はまずいないだろう。何せ死んだはずの人間だ。自宅から兵営までの道のりを尾が付きそう。そして夕刻になると兵営まで迎えに行く。月の杖の代わりとして共に出歩いた。
月も初老を過ぎ、また歩くのも一苦労する有様。そして今まで月自身が為してきた諸々やかつての上官を恨みに思う者も少なくはなく、ここぞとばかりに暴漢に狙われることが増えた。流石にその対応に苦慮し、護衛をつけようとするがそれを尾が突っぱねる。
「俺がいるでしょう。片目はないですし、確かに近接も得意とは言い難いですが仮にも元上等兵。多少の相手になら負けませんし、何なら文字通り身を張っても問題ありませんしね」
尾が家の全てをこなしてしまうので、月の家に人が増えることはなく10年ずっと二人住まい。
「今更そこに人を増やして生活のペースが乱れるのは嫌です。俺の方が10歳近く若いんですから、アンタが死ぬのを見届けて自由の身になってやりますよ」
身の回りのことならともかく護衛は尾には荷が重いだろうと思ったのだが、確かに尾は決して弱くはないし、万が一死ぬことがあったらという心配をしなくて済む。尾がそう言うのならば今のうちはそれでいいかとそのままの生活を続ける。
多少の相手ならば月が、或いは尾が制圧する。月を庇い、何度か死にもしたが大抵はその場ですぐに生き返るか、誰かに尾を家に運んで貰えば翌日には生き返った。それを見て本当にこいつは不死身なんだなと月は実感する。ただ杉元の不死身とは異なり、大怪我をした時が困る。何せ治るのが早いというわけではない。いっそ死んだ方が早く治るんですがと口にする。骨折くらいで馬鹿なことを言うなと言いつつ、内臓に達するような、回復の見込みが薄い怪我の時は尾に頼まれて月自身が何度か介錯を勤めた。
更に数年。月の退役まであと数日。尾は変わらず月の下男兼護衛として働いている。まさか尾が十数年も大人しく下男として働くとは思っていなかった。退役を機に何か労わってやらなきゃなと考える。彼が下男として共に住まうようになって銃を一度も渡しはしなかったが、彼は今でもそれを喜ぶだろうか。今更そんなものと鼻で笑うだろうか。しかし他に彼が喜びそうなものを知らない。今も現役で使われている三八年式歩兵銃を尾にやろう。数えて見れば五回も己の身を守って死んでくれた。己が留守の時も数えれば六回か。生き返れるとは言っても痛みがないわけでもないだろうに。
そして退役の日。こうして送り迎えするのも最後。以前月に言った通り、月が死ぬまで居座るか。それとも出て行くか。しかし自分ももういい歳だ。今更月の家を出てどうするというのか。長らく触ってすらいなければ銃の腕も鈍っているだろう。ならば動物を狩って生計を立てるのも難しいか。そういえば確かに怪我で死ぬことはなかったが病気ならどうだろう。それでも治って生き返るか。老衰はどうだ。流石に若返ることはないだろうから、やはりいずれ死ぬのだろうか。
そんなことを考えながら月が最後の勤めを終える時間。最後のお迎えに向かうべく十年以上歩いた道を行く。その途中。どこかから銃で撃たれた。
月を殺すためには先に護衛の己を殺すべきだと考えたのだろうか。だとすれば面倒だ。月にこのことを知らせなければ。その前に最後の迎えだ。
意識が消えるまでの数秒、そんなことを考え、尾は地面に倒れた。
月は尾に渡す三八を抱え、彼が最後の迎えに来るのを待っていた。
①尾を殺した相手に尾はどこかへ埋められてしまい、尾が死んだことも知らぬまま、やはりどこかへ行ってしまったかと渡せなかった三八を手元に残したままいつか帰って来るかもしれない尾を待ち続けるエンド。
②下男が死んだことを知らされ、いつものように自宅へと運び込んでもらい、生き返ることもなく腐っていく尾を呆然と眺めるエンド。
③ 下男が死んだことを知らされ、いつものように自宅へと運び込んでもらい、尾が生き返るのをその傍で待つ間に眠ってしまい、そのまま息絶えるエンド。