【新刊サンプル RTS36】雨宿りに君を想う(治北)これまで書いたSSの中で特に気に入りの12編を加筆修正し、
書き下ろし2編(はじめてのチューのお話、片思いを自覚した北さんのお話)をまとめました。
全て独立したお話ですが、作品順はおおよそ片思い〜付き合っている二人の順番で並んでいます。
R18ですが、描写は少ないです。
※サンプル内に成人向け表現ありません。
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目次
CHEяRY(書き下ろし)
春、告げる
酸っぱくて辛くて、甘い
夏の確信
This is my first kiss.(書き下ろし)
ひらひら
風邪をひいた治くん
秘密
ちゃんと
騎乗
なんかダメな日
巡る
美しいもの
雨宿りに君を想う
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CHEяRY(書き下ろし)
「お疲れ様。明日、納品行くな」
今は営業時間だから返信は夜遅くに来るだろうと思って、メッセージを送った後北はスマホを自室の机に置いて風呂場に向かった。
湯船に浸かりながら明日は何の差し入れを持って行こうかと考える。前回は枝豆だった。形が悪いものや少し傷がついたものを紙袋にまとめて持って行った。その前は茄子だったか。店を持つ男が一人暮らしだと、栄養に偏りが出ると思って何か渡せるものがあればこうして袋に詰める。体が資本なのだ。何の違和感もない。
座卓についてノートを広げる。明日納品で回る先々に目を通して、効率良いルートを確認する。一件、米が無くなったと言っていつもより早めの日程で納品をした店があった。ちょうどおにぎり宮の後に回る予定のところだったから、少し時間が空きそうだ。
別に予定を詰めてその後の納品先に早く行ってもなんら問題はない。北が農園を引き継いでから取引を始めた店もあれば、以前からの親交が続いている店もあるが、おおよそどちらも北に対して好意的で、多少時間が前後することは誤差だと言ってくれている。
けれどせっかくなら治のところで昼飯を食べたいと思って、その旨は後で連絡しようと決めた。
祖母が茹でた素麺を食べた後はお茶を啜りながらテレビを観る。チャンネルを選ぶ主導権は祖母にあるが、北が好んで観るものは特にないので構わない。
「美味しそうやねぇ」
「うん」
テレビでは、冷製スパゲッティを作り始めた。オクラやトマト、ツナを使うらしい。そうだ、明日はトマトを持って行こう。夏本番になるこれから、まだまだトマトは実る。そうだ、今度これを作ってもらえないだろうか。いや、そもそもこういう洋風なものを彼は作るだろうか。
治は休みの日に予定がないときは農園の手伝いに来てくれる。食で生計を立てているのだから食に関することはできるだけ学びたいのだと言う。そんな治が来てくれる時は、家にある野菜などで祖母の分まで食事を用意してくれるのだから、そろそろバイト代を渡した方がいいかもしれない。
『ええですよ。次行く時作りましょうか』
昼間に送ったメッセージに返信が来ていたので、こういうスパゲティは作れるかと聞いてみた。するとすぐに回答が来た。時刻は二十二時半ごろ。今夜はもう店の締め作業が終わったのかもしれない。
『ありがとう。材料は全部あるから』
『さすがですね』
『ばあちゃん喜ぶわ。いつもすまんな』
『ええです。むしろレシピ開拓になってありがたいです』
こんな調子でいつも治は快諾してくれるから、つい甘えてしまう。こないだは素麺のつけだれを色々作ってくれた。
『ありがとう。明日の納品のとき、差し入れでトマト持っていくな』
『ありがとうございます。めっちゃ楽しみです』
あの宮治が、である。感嘆の言葉を使う。きっとスマホの向こうでは笑っているのだろうと想像がつく。彼がこんなにも表情豊かであることを知ったのはお互い高校を卒業してからだ。
『そんな喜んでもらえると嬉しいわ』
『明日は何か食べて行きます?』
「食べたい」
その後いくつか確認事項のやりとりをして会話が終わった。
「……明日、と、来週」
今のやり取りを反芻しながら居間へ降りた。麦茶をコップに注ぎながら、明日トマトを治に持っていくことを話すと祖母の明るい声が帰ってきた。治のことを気に入ってるのだ。
「治ちゃん、喜んどったやろ」
「おん。あ、あと来週手伝いに来てくれるって」
「そう」
「そん時にさっきのスパゲッティのやつ、作ってくれるって言うてたよ」
「それは楽しみやねぇ」
祖母も毎回治の料理を楽しみにしている。
「それで、そんな嬉しい顔しとんの」
「何が」
「治ちゃん来てくれるから、嬉しいんやないの」
「……まぁ、助かるからな。あいつ、器用やし」
麦茶が入ったコップを祖母の前に置いて、おやすみ、と言って再び二階へ上がる。
嬉しい? 治が来てくれるから?
部屋に置いたスマホを手にする。何も来てなかった。それはそうだ。さっき、もう会話は終わったのだから。
──さっきまで、会話をしていたのだ。治と
何かが急にくすぐったくなって、スマホを置いた。一階の洗面台へ降りて歯を磨く。そこで、わざわざ二階へ行った後もう一度階段を降りていることに気がついた。洗面台も一階なのだ。先程麦茶を飲んだとき歯を磨けばよかった。
部屋に戻り薄手のタオルケットに潜り目を瞑る。……嬉しいのだろうか。治に会えるということが。
後輩の男だ。自分より少しだけ上背がある。濃い色の瞳は昔から意識の強さが見て取れる。下がった太い眉は実は器用に感情を語る。頬が膨らむほどたくさん食べて、昔はボールを、今は米を握る手はいつだって大きかった。
ずっと見てきた。手のかかる後輩だと思った。でも北さんと呼んで慕ってくれている自覚もあった。そして可愛いと思っていた。喧嘩を諌めた後、こっそり謝りに来るときなど特に。……誰よりも。何よりも。
今だって野菜が余れば、美味しいものを知れば、真っ先に治の顔を思い浮かべる。他の誰でもない。
そうか。そうなのかもしれない。自分は、治に会えると嬉しいのだ。
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This is my first kiss.
祖母が起きてしまうかもと思うと、廊下や階段を進む足運びが慎重になる。それでも年季が入った木造の床はすぐにギシリと音を立てる。今はどうあっても顔を合わせたくなかった。見せられない顔をしていると思った。早く自室に行きたいと急く気持ちを制しながら、ひっそりと歩いた。
今日、治と食事をした。
翌朝は早くから仕事をする自分を慮って、お酒も飲まずに車で送ってくれた。先月の告白から付き合って一ヶ月くらい経っただろうか。その日のことは今でもよく覚えている。
その日も家の側まで送ってくれた治は道中、食事の時とは打って変わって雰囲気が硬かった。もしや、と思いながらも、自分の思い上がりだったら嫌なので努めていつものように会話をした。
車内にいても田んぼの近くは夜になると蛙の鳴き声が喧しい。車を停めたところで、実は、と切り出された。
「あの……俺、北さんのことが好きです」
はっと運転席の治の顔を見る。これまで見たことがない泣きそうな表情をしていた。
「すんません、こんなこと急に……」
想いを打ち明けたらなんと言われるだろうか、それを知るのが怖いと思っている。でも言わずにはいられない。その気持ちがわかる。だって、自分もだから。
「俺も。俺も、治のことが好きや」
治の目が見開く。
「ほ、ほんまに?」
「おん。後輩とか仕事仲間、だけやなくて、お前が好き」
「良かった……」
想っている人が自分のことを想っている。一方通行ではないとわかった瞬間の、心の中がぽっと暖かくなるよう感覚はこれまで味わったことがなかった。とてもとても、嬉しかった。
少し会話をしてから車を降りて、治に抱きすくめられた時の自分を包んだ体温は忘れられない。すっぽり覆われながら熱くて匂いがして、とても心地良かった。
その後自室に着いてから蛙の声が再び聞こえて、治と言葉を交わすこと以外全く意識できていなかったことに気がついた。治の体温が移ってしまったのかと思うほど体が熱くて、その晩は少し温度を下げたシャワーを浴びた。
恋愛とか付き合うということに不慣れな自分に治は気を遣ってくれているのか、恋人同士のあれこれはまだどれも進んでいなかった。あれからまだ一ヶ月、お互い仕事が忙しく、一緒に過ごす時間があまり取れていないこともあると思う。が、やはり違ったと思ったのだろうか。自分ではないと、男ではないと思っただろうか。そういう不安がないわけではなかった。
「遅くなってすんません」
「ええよ。すまんな、また送ってもらって」
治との会話は楽しい。昔から格好良い男だと思ってはいたが、表情が動くようになって仕事という共通の話題もあって、いつまで話しても足りないと思うほど一緒にいる時間は居心地が良く心が弾んだ。
名残惜しくも仕方ないと割り切りながら車のドアに手をかける。
「待って」
「ん?」
何か忘れていたことがあるのだろうかと、手を下ろして治を向く。あ、と思った時には唇が触れていた。