世界にはふたりきり 降り始めは、ぱらぱらとした空に晴れ間が覗く、天気雨だった。
梅雨に入ったばかりであるが雨もそこまで多くなく、しかし雨の気配の湿気は日々増していた。帰りのホームルームで、窓の外を眺めていた悠仁は雨の降り出しを目撃し、帰るまでは止むかなぁ、と思っていた。
しかしその願いに反し、雨足はだんだんと強くなり、家に帰り着く頃には曇天が空を覆い、無数の雨粒を降り注がせていた。
「うっわ、土砂降り!」
自宅の玄関先の庇に着いた途端、バケツをひっくり返したような雨になり、悠仁は通学鞄にしているリュックから鍵を探りながら背後を振り返る。
「喧しい。早く鍵を開けろ、この愚弟が」
その隣では傘を畳んでいる双子の兄が、不機嫌そうに命令してくる。
「そう云うなら自分で開けろよな、宿儺!」
鍵持ってるクセに、と鍵を探り当てた悠仁が鍵を差し込みながら云い返す。
「はー。この俺自らが傘を差してやったというのに、オマエは余程濡れて帰りたかったようだな?」
「すいまっせん! 置き傘持ってたお兄さま、どうぞお入りくださいっ」
「うむ」
悠仁が開けた玄関をゆったりと、王然として家へと足を踏み入れる。
ホームルームが終わった頃には、すでに雨は本降りになっており、走って帰るかと教室を出たところで、別クラスの宿儺が傘を持って廊下を歩いて来たところへ遭遇した。そこへ丁度いいとすり寄ったのは悠仁であり、宿儺は条件に夕飯のリクエストをした。
リクエストに応えるには買いものをして行かねばならず、傘を持つ宿儺も当然買いものに付き合わせた。宿儺は始終傘を差す役となり、買い込んだ物品も半分持ってくれたので、傍若無人が常の宿儺にしては破格の対応である。
「ただいまー。……あれ、爺ちゃんの靴ねぇ」
狭い玄関で先に上がった兄の靴と共に、自身の靴も靴箱に仕舞いつつ、悠仁はふと祖父の靴がないことに気付く。
「……音がせんな。出掛けているようだぞ」
鍵が掛かっていたのは、老人ひとりの在宅という防犯上でのことだが、音の紛らわしにテレビを点けっぱなしにしているが、そのテレビの音もせず、雨粒がトタン屋根を叩く音ばかりが暗い家の中に響き渡る。
「朝どっか出掛けるって云ってなかったのになー」
「親父たちも今日は遅いようだぞ」
宿儺がスマートフォンに届いたメッセージ画面を弟の目先へと突き付け、家族グループのメッセージを悠仁は黙読した。
「ん、父ちゃんと母ちゃんは、今日残業と飲み会かー」
暗い廊下の明かりを点け、買いもの袋を持って台所へふたりして向かう。
「散歩にでも出たんだろうて。雨に降られて、案外帰れんのかも知れんな」
「爺ちゃん、携帯持ってねぇじゃん」
迎えに来いというのも、公衆電話が極端に減った現代では、携帯を持たなければ不便なことも増える。公衆電話がある施設にでも居れば、頃合いを見て掛けてくるかもしれないと、悠仁も案外気軽に考えている。
シンクで手洗いうがいを済まし、悠仁は買った食材や雑貨を仕舞いつつ、リクエストされた夕飯の材料もテーブルへ出していく。一方ダイニングテーブルの椅子にドカリと座った宿儺は、母親が作り置きした麦茶をグラスへ注ぎ、一気に煽る。
「雨が弱まれば自ずと帰ってくるだろう。ガキでもあるまいに」
「そりゃそうだけどさー。一応歳も歳だし、心配じゃん」
「あの殺しても死ななさそうなジジイが、そう簡単にくたばるものか」
「宿儺はまたそーゆーこと云う。こないだ爺ちゃんに花札で負けたの、まだ根に持ってんの?」
「戯け。負けたのはその一度で、あとは勝ち越しておるわ」
「でもその前にベイゴマでボロクソだったじゃん」
「カートではジジイのほうがボロクソだぞ」
「そりゃ爺ちゃんが電子機器疎いからね」
「あれは操作がゲームのスピードに追い付いてないからだ」
「それ判ってて、爺ちゃんに不利なゲームやらせんなよ……」
「莫迦を云え。あのジジイだとて、己に有利なものを選んでくるんだぞ。寧ろアナログゲームのほうはイカサマ勝負だ」
デジタルゲームでは祖父が不利だが、アナログゲームはルールやゲームによっては、祖父のほうが有利だったりする。悠仁は将棋や囲碁などは意味不明だが、宿儺は好んでそれらを習得し、祖父と勝負をしている。互いの間だけで賭けてもいるようで、次のゲームを決定する権や、大きくはない金額をやり取りしているのを何度か悠仁も見掛けている。
「はいはい。たのしそーで何よりですよ、お兄さま」
「なんだ、オマエも混ざりたいのか?」
「混ざってもいいけど、アナログのときは正規じゃないともうやんないかんなっ」
以前トランプなら判ると、悠仁も混ざって遊んだことがあったが、祖父と兄が揃ってイカサマをしているので、悠仁だけが負けを積んだ。そのときはイカサマの種を知らない悠仁であったが、あとで祖父から大負けした孫に、イカサマのネタ晴らしをしてくれたのだ。
「つまらんヤツめ。カモが居なければ、狩れもせん」
「なんで俺狩られる側?!」
「ふん。悔しければイカサマのひとつも憶えてみろ、愚弟が」
「そもそもゲームって、イカサマしないかんね?」
「ただ遊ぶだけではつまらんだろう。互いに鎬を削るのがいいのではないか」
冷蔵庫の扉を閉めた弟の腕を唐突に掴み、椅子に座る己の足へと座らせる兄は、弟の項へと指を滑らせては擽る。
「……宿儺のそーゆーとこ、ホント爺ちゃんそっくり」
「オマエの頑固さも、ジジイ譲りだな」
「なら父ちゃんはきっと、婆ちゃんに似たんだな」
「そうだろうな」
ふつ、と会話が切れ、未だ豪雨を知らせる屋根のけたたましさが部屋へ響き、いまだけは世界にふたりだけの空間が訪れている。
宿儺の指に力が籠められ、悠仁は抵抗することなくその力に任せて身を屈める。着いた先は宿儺の唇であり、寸分違わぬ同じ厚みの唇へと戯れのように唇を擦り合わせる。
「……スンの?」
閉じていた瞼をわずかに上げ、唇を触れ合わせたまま悠仁が訊ねると、宿儺は色を含ませることなく否定する。
「いいや。オマエには夕餉を作ってもらわねばならんからな。動けなくなっては困る」
「雨、降ってる間なら、爺ちゃん帰って来ねぇのに」
俺より夕飯かよ、という非難を込めてそう返せば、ケヒ、と兄は嗤いを零してにたり口を歪めた。
「なら先に夕餉を作れ。さすれば じ っ く り とかわいがってやろう」
夕餉の、角煮のように――。
「ならさ、夕飯の出来のために、もうちょっと御褒美くれたってよくね?」
「傘に入れてやっただけでなく、買い出しにも付き合わせて、さらに要求するとは。云うようになったなぁ、愚弟よ」
「買いもの行ったのは、宿儺のリクエスト応えるためだし。そこは帳消しだろ」
ギシ、とふたり分の体重に椅子が軋み、悠仁が宿儺の唇へ自ら口吻ける。角度を変えながら、屋根を打つ雨音をBGMに、ときおり混じるリップ音と掠れた吐息。
決して深くなることはない、啄むだけの口吻けを悠仁は繰り返し、宿儺は制服の上からツイと指を滑らせ、悠仁の肌を衣服越しに撫でては、小さく跳ねる身体を弄ぶ。
このまま味見をしても構わないかと、兄は口吻けに夢中な弟の尻へ手を滑らせた。
END
個人的好みで、兄×弟にさせてもらいました。