ポジティブの魔法「ねぇ、聞いてるの植村」
「おーおー、聞いてる聞いてる」
どうせ僕なんか。とうに聞き飽きた口癖とふてくされた表情で延々と愚痴ってやがる。丸眼鏡の奥の瞳は焦点が定まっていない。せっかく淹れてやった酔い醒ましの珈琲もぬるくなっているだろう。
一方でオレはというと、酔っ払いの戯言を環境音にしながら原稿用紙にペンを走らせている。ちょっと今いーところなんだよ。妬み嫉みはまた後でじっくり聞いてネタにしてやるから待ってろ。
しばらく好き勝手に喋らせてやり――または環境音で聞き流して、とも言う――ようやく一段落したところで久米のほうを向くと、ヤツは押し入れからオレの布団を引きずり出して引っ込んでいた。うわ酒くせぇ。ぺろんと布団を捲って様子を見ると、すっかり寝入ったようでいびきをかいている。
結局珈琲は手をつけられずに冷めてしまったようだ。せめて寝るなら自分の部屋帰れよ。捲った布団の端をぱっと手から離す。今日は久米の部屋の鍵借りてコイツの部屋で寝てやろうか。そのうちコイツ用の布団、ヒロシに買わせるぞ。呆れた顔で盛り上がる布団をぺしっと叩いた。
「ったく、勝手だよなぁオマエ。気が済むまで自分を蔑んで、挙げ句オレの布団まで占領しやがって」
ヒロシや有三さんの気持ちもわかってやれよ。身近にオマエの良さを認めてくれるヤツがちゃんと居るんだからさ。芥川だって、オマエの器用さがずっと羨ましかっただろうよ。オマエの苦しみなんざひとつもわかっちゃやれねぇが、オレだってオマエのこと面白いヤツだって思ってるし、ダチで居たいんだ。なのにオマエときたら部屋主の布団奪って寝こけてやがって、この阿呆。次やったら身ぐるみ全部剥がしてやるかんな。
「ちっ。オレも周りの世話焼きが伝染っちまったか」
明日、島田あたりに声掛けて久米を主役にした大作でもいっちょ作ってやるか。愚痴を吐く元気がちょっとは自尊心に向くように。