「好きな女性にまともにアプローチもできないだなんて、こっちの俺は随分と可愛らしいんですね」
自分と同じ顔が綺麗に口角を上げる。俺はその言葉の意味を瞬時に理解して、かぁっと頭に血が上るのがわかった。そんな様子すら目の前の男は楽しげに見つめる。――正直、悔しかった。
俺と同じ顔の、俺とは異なる人物。この不思議な男が現れたのは昼もだいぶ過ぎた頃。
俺は魔法舎で賢者様とのんびり三時のお茶をしていた。お気に入りの美味しい紅茶が手に入ったから、と賢者様を誘ってみれば彼女は嬉しそうに頷く。そんなところも可愛らしくて、俺はほんのりと早くなる脈を感じながらこの時間を堪能していた。……のだが。
この幸福の時間を誰にも邪魔されないように。そう思って魔法舎の裏でひっそりとお茶会を開いていれば、ふと人の気配がした。
魔力は感じられない。なんでこんな所に人間が? 俺は賢者様を不安にさせない程度に気配を警戒する。あ、まずい。こっち来る。そう思ったと同時に草むらの影から一人、人間が現れた。
「――え?」
音に反応した賢者様が困惑したようにその人を見つめる。俺も正直驚きすぎて言葉が出ない。
パッと見ただけで上等なものだと分かる派手な青い上着。その下の青と白のスーツも上等なもので、デザインもまるで西の国のもののように派手だった。まるでブラッドリーのようにジャラジャラとつけられたアクセサリーもそのスーツを引き立てさせる。派手ではあるが、センスのある服装だった。
ここにクロエが居たら、きっとハイテンションでその人物に話しかけていただろう。だが、俺と賢者様はそうはいかない。
それを着ている青年は、俺と瓜二つだった。まるで鏡を見ているように、その表情を驚きに歪めていた。サングラスのせいで分かりにくいが、右目の泣きボクロすら同じだ。ここまで俺と似ている人間がいるだなんて。俺が混乱していれば、その青年が微笑みを浮かべる。
「どうもはじめまして。突然で悪いけど道に迷ってしまったようなんです。道案内を――」
「あっヒース! 待ってくださいー!」
なんとなく声も似ている。魔力さえ感じられれば俺は西の魔法使いの変化の魔法を疑っただろう。男の声に困惑していれば、さらに草むらから人間が出てきた。男を追いかけてきたのだろう。その女性に、賢者様が息を飲んだ。
男を思わせるような青い派手なドレスのような服。体のラインが強調されており、スリットからは艶かしい御御足が覗いている。ただそれだけなら良かったのに。その女性の顔と声に覚えがありすぎた。
俺とテーブルを挟んだ反対側にいる女性。そう、賢者様にそっくりだった。
俺にそっくりな派手な男と、賢者様にそっくりな女性。そんな不思議な二人組に俺はどうしよう、と慌てた。
彼らは『ヒースクリフ』と『晶』と名乗った。名前まで同じだなんて、本当にどうしたらいいのかがわからない。結界が張られてるこの魔法舎にやすやすと人間が忍びこめるとは思えないし、怪しいのか否かも判断がつきにくい。……同じ顔だから、特に。
「少し、状況整理をしましょう。《レプセヴァイヴルプ・スノス》」
とりあえず一回ちゃんと話をした方がいい。俺が魔法で椅子を二脚出せば、賢者様に似た女性が目を輝かせた。隣の男の袖を引っ張りながら興奮気味に話しかける。
「ヒース、今の見ました!? マジックですかね!?」
「マジック……にしてはこの大きさの椅子を隠す場所はない。今のはいったい?」
「そんなに難しくはない魔法ですけど……よければ、腰をかけてください」
魔法で彼らのところまで椅子を飛ばす。彼らの目の前に行儀よく並んだ椅子に、二人は驚きながらも腰を落ち着けた。
そうして話をして――沢山不可思議なことが出てきた。正直言って「異なる世界から来ました」と言われた方が納得するほど。
彼らは魔法使いを知らなかった。聞けば、俺に似た男はパンテーラファミリーという組織のNo.2らしくて、賢者様に似ている女性は男の愛人だという。俺と賢者様の顔でやめてほしい、と思ったが意識してるみたいで恥ずかしいので俺は口には出さなかった。
第一パンテーラファミリーなんて組織聞いたことは無い。彼らも「生まれ育った場所と全然景色が違う。『ねおん』もないし、あのごちゃごちゃした建物もない。『でんぱ』もないし――」と言った。
「ひ、ヒース……」
賢者様がテーブル越しに俺に話しかける。彼女に耳を傾ければ、賢者様は確信を持ったように頷いた。
「多分この人たち、この世界の人じゃないと思います。だってネオンとか、電波とか、この世界にはないですよね?」
たしかに『ねおん』も『でんぱ』も聞いたことがない単語だった。女性の着ている衣服だって、見たことのない斬新なデザインのドレスだ。賢者様いわく、『ちゃいな服』らしい。
でも、もし仮にこの説が正しかったとして、俺はこの二人をどうしたらいいのだろうか。そんな困惑を男に読み取られた。彼は大人っぽく笑う。
「晶、行きましょうか。ここに用はなさそうだから」
男がすっと立ち上がると、女性も慌てたように立ち上がる。男は慣れたようにその腰に手を回す。当然二人の距離感は近い。女性も当然のようにするものだから、勝手に照れてる俺が異質なのかと思った。
いやだって、俺と同じ顔の男と賢者様と同じ顔の女性がこの距離で――艶めかしく会話をしていたら、意識もしてしまう。ちらりと賢者様の方を見れば、彼女はほんの少し頬を染めつつ彼らから視線を逸らしていた。そんなところも可愛らしくて、思わず俺は意識せざるを得ない。そんなみっともない自分を振り払うように男に話しかけた。
「行くってどこに行くんですか?」
「さぁ。少なくともここに居ても答えは出ないだろうし、しばらく二人で歩いてみることにします」
その答えを聞いて、ふと俺は焦った。もしこの俺や賢者様にそっくりな男女が魔法舎や中央の街を歩いてみろ。魔法使いなら魔力の有無で別人だと分かるかもしれないけど、人間なら区別はつかない。
――東の国の魔法使いと、賢者様は男女の関係なんだって。
そんな噂が市井に広まる。それは困る。いや、賢者様相手なら俺だって本望だけど、ブランシェットのことや中央と東の国の関係性を考えたらあまり良くない。俺は勢いよく立ち上がってた。
「ま、待ってください!」
男が女性に甘えるように抱きつきながらこちらを見る。心臓に悪いからやめてほしい、なんて言えなかった。
「もう少し状況把握してからの方がいいと思います。もし仮にあなた方が異世界から来たとして、この世界のことを何も知らない。把握してから動いた方があなた方にとっても安全だと思いますが?」
しばらく男と見つめ合う。同じ顔のはずなのに、何故か圧を感じる。普段の俺もこんな顔をしているのだろうか。冷や汗が出そうな時間を数秒間過ごして、男は頷いた。
「……わかりました」
そのまま二人は元々の椅子へ腰掛ける。ようやくできた距離感に俺は安心した。これが違う顔ならまた違う感情を抱くのだろう。テーブル越しの彼女もほんの少し安心したように小さく息をついていた。
そんな俺たちを見て、真顔だった男がふと口角を上げた。そういうことか。確かに男の口がそう動いたのを俺は見逃さなかった。意味を図りかねていると、男は嘲笑した。
「好きな女性にまともにアプローチもできないだなんて、こっちの俺は随分と可愛らしいんですね」
わざとらしく彼は言った。その言葉の意味を理解する。きっと、この男は俺の気持ちに気がついた。テーブル越しの彼女に抱いている感情に。そして、このたった数十センチの距離すら詰められない俺を嘲笑ったのだ。
「好きな女性……?」
賢者様が困惑したように呟く。男の言葉を彼女は理解できなかったようで、首を傾げながら俺の方を見た。
俺は思わず舌打ちしたくなるのを堪えて、男を睨んだ。
「あなたには関係ありませんよね」
「そんな怒ったような顔しなくても。余裕のない男は嫌われますよ?」
「ヒース、落ち着いてください」
女性が困ったように男をつついた。この空気と、もしかしたら言葉の意味に気がついたのだろう。だがそんな女性の長くて艶めいた髪を見せつけるように撫でながらあいつは目を細める。こちらを一瞥したあとに髪を一房手にしてキスを落とす。そんな光景を見た賢者様は「わ、」と小さく声を上げたが、俺は無性に腹が立った。――こいつ、絶対にわざとやってる。
性格の悪い男だ。思わずムッとしてしまう。そんな俺の表情すらきっとこいつは楽しんでいる。俺がムキになればなるほど、こいつの掌で転がされる。これ以上男の思いどおりになってたまるかと、思うと同時に悔しくてたまらなかった。
俺はこの数十センチの距離が堪らなく好きだった。いや、好きだと思い込もうとしていたのかもしれない。けれど、こうしてあの男と女性の距離感を見て、正直羨ましくなった。同じ顔のあの男は賢者様と同じ顔の女性にたいしてこうしてスキンシップが堂々ととれるのに。俺だって、彼女に触れたいと思うことはあるのに。同じ顔なのにどうしてこうも違うんだ。ドロドロした黒い感情が溢れそうになった。
男は楽しげに女性の肩を抱く。もうこうなってくると一挙一動全てが俺を煽るためにやってるとしか思えなくなってくる。
「…………とりあえず、他の魔法使いを呼んできます。誰かわかるかもしれませんし」
こんなみっともない俺を見られたくなくて、一回俺はその場を離れた。
その後、結局一晩たってから二人は居なくなっていた。「半日だけの夢だったのかもな」なんてネロは言っていたけど、彼の視線がちょっぴり生暖かくて俺は彼の背中を睨みつけた。他の魔法使いたちもなんとも言えない顔で俺を見つめてきて本当に居た堪れない。同じ顔のあの男を内心恨みながら、俺はそっと賢者様に手を差し出した。
「よろしければどうぞ。この先は足場が悪いですから」
「ありがとうございます!」
賢者様の手がのせられる。ドキドキしつつもその手をギュッと握りしめて、俺はこっそりあの男に感謝した。