ネロとネロの弟子 中央の国にある小さな料理店。
小さなこじんまりとした扉をあければ、ふわりと卵料理の香りが出迎える。それと同時にいらっしゃい、と若くて優しい女店主が声をかけた。
着席すればメニュー表を渡される。そのメニュー表のどれもが絶品で、何度通ってでも制覇したいと言われるほどだった。
そんな料理店に、二人の少年が入ってきた。女店主は変わらずいらっしゃい、と笑顔で対応する。少年たちはほんの少しの緊張と期待を抱いた面持ちで席につくと、メニュー表を覗きこんだ。
どれにしよう、どれも美味しそうだ。あれも気になるしこれも気になる。そんな事をワイワイと話しながら少年たちは注文をした。彼らの様子を穏やかに見守っていた女店主はキッチンの方へと姿を消した。
そうしてしばらく待てば、注文した料理がでてくる。温かくて、ふわりと漂ってくる美味しそうな香りに少年たちのお腹が同時に鳴った。少し照れくさそうに彼らはカトラリーを手に持つ。柔らかなそれにスプーンやフォークをつきたてまずは一口。
「美味しい!」
一人の少年が口元に手を当てそう感激した。対面で同じく食事をしていた少年もまた、その大きな瞳を丸くしていた。持っていたスプーンの手が空中をさまよう。何やら動揺している様子に、感激していた少年が首を傾げた。
「どうしたんですか?」
「……これ、」
ネロの作るオムレツと、全く同じ味がする。
そう告げられた少年もまた、困惑した様子で目の前のオムレツと少年を見比べた。
ネロは魔法舎で料理番を担う魔法使いだった。元々東の国で料理屋をやっていただけあって、彼の作る料理は一品一品完成度が高かった。それはあの北の魔法使いですらネロの料理で懐柔できると噂が流れるほど。
そんな彼と全く同じ味の料理を出す店がある、とネロの耳に届いたのはある日の朝だった。朝から元気な子供たちがキッチンに飛び込んできたかと思えば、前日の夜の話をしてきた。
確か、彼らは先日外食をしてきたばかりだ。きっとその話だろう、とネロが予測つければ子供たちは外食の話をしはじめた。
そこで食べたオムレツがネロと同じ味がした。そうリケが告げるとネロは目を丸くした。数百年生きているネロの料理には独自性がある。ここで隠し味を入れたらこうなる、だとか材料を変えてみるとどうなる、だとか。勿論、オムレツだって世間的に作られているレシピそのままではない。まさか、とネロは笑った。
「本当ですよ!なら、今日一緒に行きましょう!」
「ボクも一口貰いましたけど、本当にネロさんのオムレツまんまだったんですよ!」
ムキになった子供たちがネロの腕を掴んだ。ええ、マジで? ネロは急遽その料理店へ足を運ぶ事となった。
どうせ味が似ているだけだろう。ネロはそう思いながら、どこかウキウキした様子のリケとミチルに笑みがこぼれた。こじんまりとしたドアをリケが開ける。三人で入れば、女店主のいらっしゃいという声がかかる。それと同時にネロの体が固まった。目の前に現れた女店主もまた、ネロを見て硬直していた。そんな二人にリケとミチルの二人は困惑する。何かあったんですか、と尋ねる子供たちにネロは乾いた笑いしか返せなかった。
昔、ネロには弟子がいた。急に店に転がりこんできて、オムレツを食べた瞬間に「弟子にしてください!」と頭を下げてきた女。断っても断っても食いさがってくる女に、ネロがようやく折れたのは五十回目の「弟子にしてください!」の時だった。
その頃からネロは女を住み込みの従業員として雇うことになった。女は存外飲み込みが早く、かつ応用力もあったのでネロとしてもいつの間にか料理を教えるのが楽しくなっていた。
客からは「遂に店主さん結婚したのか?」なんてからかわれることもあったが、所詮師匠と弟子の関係でしかない。その都度ネロと女は笑いながら否定をしてきた。
今度は何を教えようか。だいたいの料理法は教えてきた。ちょっと難しい応用を教えるのもいいかもしれない。そんな風に、自分の日常に女を受け入れはじめたある日。
女は居なくなった。
いつもの時間になっても店に女が現れない。プライベートの空間に入るのもどうかと思われたが、部屋で倒れてたら厄介だ。そう思ってネロが彼女に与えていた部屋を訪れれば、そこにあったのは一通の書き置きだった。
居なくなることへの謝罪と、教えてくれたお礼。短いそれに、ネロは絶望感を、そして諦めを抱いたのだった。
あれから数十年。きっと、五十年は経ってない。それぐらいの月日を経て、まさか中央の国で会うとは。
隣でワイワイと盛り上がってる子供たちを横目にネロはいたたまれなさを覚えた。それは女店主もまた同じようで。少し元気が無い様子でテーブルにオムレツを三皿置いた。
逃げるように去っていく女店主をネロは視線で追うこともなくオムレツへと向き合った。スプーンを手に取り、オムレツへと落とした。
『……うん、合格』
『ほんと!? やったぁ!』
口の中で広がる卵の香りと野菜の甘さにネロは昔を思い出す。それと同時に味の変わらなさに驚愕した。少しもネロが教えたレシピにアレンジを加えていない。不思議に思って顔をあげればこちらを見ていたキッチンから顔を覗かせていた女店主と視線が交わる。女店主が慌てたようにキッチンへと隠れた。そんな姿もなんだか、懐かしくて。
ネロは胸に訪れた感傷を見なかったことにして、スプーンを再び動かしはじめた。