魔法使いの母【アクアマリンの愚蒙
─アーサー・グランヴェルの母─】
私の愛しいアーサーが魔法使いだと知った時、私は膝から崩れ落ちた。
ふと目が覚める。シーツを乱しながらゆっくりと体を起こせば、近くにいた侍女たちが慌てたように声をかけてきた。
「お目覚めですか、王妃様」
グラスに入った水を差し出され、私は一口それを飲む。ひんやりとした水が喉を湿し、ようやく頭が回るようになってきた。
「……アーサーは?」
その名前に侍女たちは表情を強ばらせる。その表情で、昨日の出来事が夢ではなかったのだと私は嫌でも思い知らされた。
アーサーが、魔法を使った。まだ五つにもなってない幼い我が子は無邪気に不思議の力を使った。それを見た私や、私の侍女たちの気持ちがわかるだろうか。
腹を痛めて産んだ可愛いわが子。なのに、恐ろしい魔法使いだった。侍女たちも、偶然近くを通りすがった貴族たちも、恐ろしいものを見る目でアーサーを見る。その目をやめて。そう叫びながらアーサーを抱きしめたくなった。けれど体は動かない。不思議そうに周りの人間を見渡す幼子に、私は何もできなかった。
第一王子が魔法使いだった。この事実はしばらく伏せられることになった。余計な混乱を民に与える訳にはいかない、という殿下のご意向だった。
けれども噂はあっという間に広まる。気がつけば市井の者ですら『アーサー第一王子は魔法使いらしい』と知っていた。
「……王妃様も実は魔女なんじゃないの? 魔法使いを産んで、この国を乗っ取るつもりなのよ」
ある日、そう私の侍女が話をしているのを聞いてしまった。彼女は私の侍女の中でも特段可愛がっている、信頼している女の一人だった。グランヴェル家に嫁ぐ前からお世話になっている信頼できる人間。その侍女にそのように疑われていることに酷くショックを受けて、私は一晩泣き明かした。
「アーサー王子はこの国を乗っ取るおつもりだ」
「アーサー王子は廃位すべきだ」
「ああなんと恐ろしい。魔法使いだなんて」
恐ろしいのはどちらだ! まだ四つの幼子を寄って集ってそう罵って! 化け物でも見るかのような目で私の子を見ないで!
そう叫ぶことができたなら、どれだけスッキリしただろう。けれども私はこの国の王妃。感情に任せてそのような事は言えなかった。だから、私は我慢した。
きっとこれからアーサーをどうにかしようと企む輩も増えるはずだ。頑張って私が守らなきゃ。恐ろしい魔法使いだったとしても、アーサーは私のたった一人の愛し子。この子を守れるのは私だけなのだから。この子と運命を共にする覚悟を私は決めた。
限界は静かに近づいていた。
夜、寝付けなくなった。寝ようと思ってベッドに入ってもその日に言われたことを思い返してしまう。城の者にあからさまに避けられて寂しそうな顔をしたアーサーを思い出す。ああ、どうしてあの子があんな顔をしなきゃならないの。グルグルと答えの出ない問いを何度もして、眠りについたのは明け方。
食欲もなくなった。お腹が空かない。あんなに好きだったホワイトシチューも、手が伸びなくなった。フルーツなら、だとかこちらの方が栄養があるから、だとか色々と侍女たちが用意してくれるが、侍女に言われた言葉を思い出す。今こうして甲斐甲斐しく私の世話をしてくれているが、きっと影では私のことを『魔法使いを産んで国を乗っ取ろうとしている魔女』と呼んでいるのだろう。信用のならない裏切り者め、と私は心の中で彼女たちを罵った。
「ははうえ?」
アーサーの舌足らずな呼び声が聞こえてきた。その小さな体で無邪気に私を求める。その姿が可愛くて、愛おしくて──ああ、疲れてしまった。窶れ果てたこの母を見て、アーサーはどう思っているのだろうか。
「ははうえ、だっこしてください」
「……明日にしましょう。今日は疲れてしまったの」
必死に私に手を伸ばす幼子を、私は拒絶した。
限界を、迎えた。誰も信頼できず、ろくに寝食もとれないこの状況。たった一人でアーサーを守ることなどできるわけがなかった。
どうして私の子供は魔法使いなのだろう。たった一人の愛しい息子が人間でさえあってくれたなら。こんな思いをするぐらいならば、産みたくなんてなかった。そうぐるぐる一晩中考えて、私はふと思い至った。
――アーサーさえ、居なければ。
私はすぐに一人の臣下を呼び出して内密に指示を出す。アーサーを北の国に捨ててきなさい。そう告げる自分の声が、やけに冷たく聞こえたのは気のせいだろうか。
このような人の悪意と敵意に塗れた汚い場所に置いておけないから。というのは建前で、本音はもうあの子を見ているのが辛かった。あの子さえ居なければ、きっと心穏やかに過ごせるはずなのだ。
指示を受けた臣下は動揺した。
「……お言葉ながら、北の国では王子のお命が危ないかと。中央の国のハズレにある孤児院などではダメなのでしょうか?」
「ダメよ。あの子の顔はグランヴェルの血を彷彿させるわ。きっと中央の国の中ではあの子が尊き血筋の関係者だとバレてしまう」
こんな穢らわしい王宮に二度と戻ってこられないよう、アーサーを遠い場所にやりたかった。かといって外交問題に発展しそうな西や東の国に置き去りにするわけにもいかない。北の国の奥地なら。そう告げれば臣下は逡巡したのち、頷いた。
アーサーが居なくなったことはあっという間に中央の国中に知れ渡った。何かを言われる度に私は「アーサーは悪い魔法使いに攫われてしまったのよ」と取り憑かれたかのように繰り返す。繰り返すうちに、次第にそれが本当のことのように思えてきた。
もしかしたらアーサーは生まれた時に悪い魔法使いにすり替えられたんじゃないのか。私の本当の息子は、今、どこか遠い場所で母を求めて泣いているのではないだろうか。ああ、哀れなアーサー。今すぐにでも城を飛び出して探しに行きたい。見つけだして、私が本当の母なのよと抱きしめるのだ。
もしくはこれは全て悪い夢で、目が覚めたら人間のアーサーがいるのかもしれない。「あなたが魔法使いだった夢を見たわ」と言えば、アーサーは「まほうつかいじゃないよ」と笑ってくれるのだ。そして私と殿下とアーサーの三人で、お茶会をする。そんな幸せな夢を見て、我に返る。
わかっている、わかっているのだ。私が捨てたあの子こそが私の愛しいアーサーだ。きっと今頃北の国のどこかで私を求めて泣いている。もしかしたら吹雪にやられて既に息絶えているかもしれない。ああ、ああ、私はなんてことをしてしまったんだろう! どうして私はあの子を受け入れてあげられなかったんだろう! どうして大事な我が子の運命に向き合ってあげられなかったんだろう! 守りたいと思ったはずなのに、愛おしいと思ったはずなのに、どうして、どうして、どうして……!
私はベッドに倒れこむ。誰も訪れることの無いこの部屋で、朝が来るまで一人泣き続けた。
こうして、私は自分の子供を捨てる、愚かな母親となった。
【ブルーダイヤモンドの幸福
─ヒースクリフ・ブランシェットの母】
私の大事な息子が魔法使いだと知った時、私は息を飲んだ。
ヒース、ヒースクリフ。私とあの人の大切な愛の結晶。可愛くて命よりも大切な存在。きっとブランシェットの家に生まれた以上、貴族としての苦悩も多いだろう。けれどもあの子が幸せでいられるように、私は母として一生をかけてあの子を慈しんでいくつもりだった。
そんなある日、ヒースが魔法使いだとわかった。正直言うと、私も旦那様も困惑した。魔法使いだなんて、会ったこともなければどんな存在なのかもわからない。恐ろしくて人の心がない存在だと噂で聞く程度。けれどもこの子が魔法使いだったとして、愛おしい私たちの子供に変わりないのも事実だった。魔法使いだなんて、大した問題ではない。
けれどもこの東の国では魔法使いであるということは大きな問題となった。ブランシェット家の一人息子が魔法使いだと知られるようになると、周りからの視線に棘が含まれるようになった。
「ブランシェット様は魔法使いに寛容であられるようですが──」
そう嫌味な視線と言葉が突き刺さる。ヒースのことを言っているのだと嫌でもわかった。その都度私は隙のない完璧な笑顔を作るのだ。
「ヒースクリフはすくすくと優しくて賢い子に育っております」
お前が遠回しに言っていることの意味ぐらいはわかっている、という牽制も兼ねてそう微笑みを浮かべればたいてい相手は怯む。根性がないわね、なんて私は相手の背中を見送るのがいつもの事だった。
ヒースは言葉の通り優しくて賢い子だった。十になる前には己の立場を理解して、魔法使いであることを恥じるようになっていった。私や旦那様が影で何と言われているのか理解してしまったのだろう。ああ、そのような顔をさせたいわけじゃないのに。
あなたが人間だろうが魔法使いだろうが、私たちにとって大切な存在なのには変わりない。あなたは私たちの宝物で自慢の息子。そう何度も言い聞かせて、でもどこか悲しそうに笑うヒースを見て心を痛ませることは幾度もあった。
そんな心優しい息子を悪意から守りたかった。けれど人間である私に何ができるだろうか。旦那様も同じことを考えていたらしくて、二人でうんうん頭を悩ませた。だが人間にできることなんて、ほとんどない。せいぜいこの貴族社会の中でヒースに悪意の矛先が向かないように立ち回ることがやっとで、それですら完璧にこの子を守ることはできない。
もしも私や旦那様が魔法使いであったなら、ヒースを守ることも容易だったのかもしれないのに。もしも私がヒースを人間に産んであけられていたら、ここまで苦労をかけることもなかったかもしれないのに。そんなありもしないことを考える毎日は、暫く続いた。
そんなある日、庭番にヒースと歳の近い魔法使いがいると聞いた。もしかしたら、魔法使いであるヒースの友達になってくれるかもしれない。そんな期待を込めて、私はその魔法使いの少年──シノと名乗った──とヒースを引き合わせた。
「ヒースの友達になってほしいの。この子も魔法使いだから」
人見知りなヒースは私の服の裾をぎゅっと握る。シノを見極めようと警戒して、けれどもその警戒の裏に微かな期待があることもわかった。
魔法使いに産まれて、貴族の家に産まれて。はじめて歳の近い友人になれるかもしれない存在が目の前に現れた。新たな出会いに対する不安と期待。まだまだ子供でわかりやすいわね、なんてヒースの頭をそっと撫でる。
対して、シノも本当にわかりやすかった。顔に『なんだこいつ』『気に食わないな』とでかでかと書かれている。一応、相手は仕えてる家の息子なんだけど……。私は思わず苦笑してこの幼い子供たちを見守った。
育ちや身分が違えば考え方も異なる二人にはじめはハラハラしていたけれど、二人は意外と相性がいいようだった。喧嘩をすることもあるらしいけど、二人で笑いあっているところを見かける度に酷く安心した記憶がある。
やはり人間である私や旦那様ではあの子の支えになれないところがたくさん出てくる。それの穴を埋めてくれる存在が欲しかった。私がレモンパイを作ると物欲しげに見てくる少年は、それにうってつけで。気がつけばシノは私の第二の息子のような存在になっていった。
もちろん、他の使用人に示しがつかなくなってしまうような極端な特別扱いはしない。けれど、彼はブランシェットに仕える小間使いであると同時にヒースの友達でもある。少しぐらいなら許されるだろう。私の焼いたレモンパイを口いっぱいに頬張りながらその深紅の瞳を輝かせる少年に、私は思わず笑ってしまった。
なにやら魔法使いというものは、魔法使いに魔法を教わるものらしい。そんな噂を聞いて私と旦那様はハッとした。確かによくよく考えてみれば、人間である両親や家庭教師なんかでは魔法の使い方なんて教えられるはずもない。となるとあの子たちには魔法を教えてくれる存在が必要だ。
「探そう、魔法使い」
「探しましょう、魔法使い」
私たちは顔を見やってお互いに頷いた。あの子の為にいい師になってくれる魔法使いを探さなくては。
けれど、この国は魔法使いに対する偏見が強い国だ。そんな土地で魔法使いを探すことは非常に難しかった。
下手に『魔法使いを探している』なんて言えば周りの家にどんな顔をされるかわからない。それだけならまだしも、『ブランシェット家は魔法使いに傾倒している』みたいな変な噂を立てられても困る。もしそれがヒースの耳に入ってしまえば、あの子は『自分のせいで』と思い悩むから。愛する息子のためにも、ブランシェットの家のためにも、あまり大っぴらに魔法使いを探すことはできなかった。
そうして二人で魔法使い探しに苦戦していた時。自分は強い魔法使いだ、自分なら彼らにさまざまな魔法を教えてやれる。そう自信満々に告げる魔法使いをやっとの事で見つけ出せた。彼に二人の師となってくれるよう頼めば、男はニヤリと歪に笑って引き受けてくれた。
あれから数年。男とヒースは賢者の魔法使いとして召喚されて、その翌年男は亡くなった。代わりにシノが賢者の魔法使いとして召喚されて、二人は中央の国で暮らすようになった。
師匠を失ってどうなるかと思ったけど、二人はだいぶあっさりしていて新たな師と呼べる魔法使いを見つけたらしい。二人の口から定期的に出てくる『ファウスト先生』という方にお会いしてみたいけれど、彼からは「私は何もしておりませんので」と断られているとのこと。随分と謙虚なお方らしい。
ヒースもシノも何も言わないから本当のことは分からないけど、もしかしたら亡くなった男はあまりいい魔法使いではなかったのかもしれない。あまりに堂々と強い魔法使いだと言っていたから雇ったのだけれど、どうも様子がおかしかった。ヒースはあの男にどこか萎縮しているように見えたし、シノだってあまり懐いてはいなかった。嬉しそうに『ファウスト先生』の話をする息子達を見る度にその違和感はますます強くなり、きっと私の推測はあっているのだろうなと罪悪感と申し訳なさを抱いてしまう。けれどもそれと同時に彼らが自分で尊敬できる存在を見つけたことを喜ばしくも思えるのだった。
「母上!」
「奥様」
そう私を呼びかける幼い少年たちに、私は確信する。魔法使いだからって、全員が全員悪い人ではないのだと。私の子のように、優しくて強い魔法使いもいるのだと。いつか、ヒースが魔法使いであることに胸を張れる未来が来ますように。そう祈りながら私は彼らに返事をする。
「いってらっしゃい、ヒース! シノ、ヒースを頼むわ!」
こうして、私は素敵な子供に恵まれた、幸せな母親となった。
【シトリンの非道
─カイン・ナイトレイの母─】
私の可愛い坊やが魔法使いだと知った時、私は思わずこの子を抱きしめていた。
魔法使いは恐ろしいものと聞いている。魔法を使えばなんだってできる。物を盗むことだって、人を殺すことだって、容易にやってのける。けれど私は魔法使いに会ったことはないし、どこか遠い国の御伽噺のように思っていた。
だからある日、まだ幼いカインが手を触れずに玩具を動かした時。私は叫びそうになるのを必死に堪えて彼を抱きしめた。
「どうしたの?」
くすぐったいよ、と無邪気に笑うカインに私は何も答えられなかった。今のは幻覚?
「……カイン、どうやってあれを動かしたの?」
「うごけー! ってかんがえたらうごいたよ」
手を一切触れずに念じただけで物を動かす。魔法だ。私の坊やは、魔法使いだったのだ。そんなすぐには受け入れられない現実に、私はただただこの子を抱きしめることしかできなかった。
主人とも相談して、カインには魔法を使わないように言い聞かせることにした。恐ろしい魔法使いとはいえ、カインは私たちの子だ。あんな無邪気で可愛らしい坊やが物を盗んだり人を殺すことなんてするわけが無い。私たちの子が魔法使いということは受け入れられる。けれど、それを公表するかどうかは話が別だった。
もし、カインが魔法使いと知られてしまえばそれだけでカインは心無いことを言われる。心も体もきっと傷つけられてしまう。きっと痛いだろう。辛いだろう。そんな思いをカインにさせるわけにはいかない。カイン自身を守るためにも、私たちは覚悟を決めた。
だから、口酸っぱく『人前で魔法を使ってはいけない、魔法使いだということを言ってもいけない』と教えてきた。カインは素直で、私たちの教えを守ってくれた。
そんなある日、あの子は暗い顔で帰ってきたことがある。何かあったのか。慌てて私が駆け寄れば、あの子の黄金色の瞳から涙が溢れた。
聞けば、友達と魔法使いの話になった時に『嘘をついた』と言う。魔法使いを見たことがあるか、と聞かれた時に何も答えられなかった。魔法使いを見てみたい、という言葉に俺も見てみたい、と返した。それがあの子の心に深く突き刺さっているようで、私はカインを抱きしめながら必死にあやす。
「母さんの言いつけを守ってくれたんだね、ありがとう」
気休めの言葉でしかなかった。カインは私の腕の中でただただ静かに涙を流した。
カインの為を思って言いつけた言葉が、逆にカインを苦しめている。この子の真っ直ぐな心を守りたくて、けれど結局守れてなんかいない。――本当に、私たちの選択は正しかったのだろうか。はじめて、迷いが生まれた。
あれからカインはすくすくと育っていった。騎士になりたいと剣術を頑張っていって、そしてあの子は王都へと向かった。あの子の騎士になりたいという夢を応援していたけれど、やっぱり少し寂しくて「何も王都に行かなくても……」と渋っていれば喧嘩のようになってしまった。ちゃんとお別れができなかったのが心残りだけれど、きっとまた会えるから。家に帰ってきたあの子を迎え入れて、あの子の好きな物を用意しながら「あの時は悪かったよ」と謝ろう。
ある朝、なんだか街がざわめていた。落ち着かない雰囲気に私が首を傾げていれば、顔馴染みの女と目が合った。彼女は気まずそうに私のところに来て、小声で囁く。
――王都の騎士団長、カイン・ナイトレイが魔法使いだったと。その事実が判明し、その役を解かれたらしい。
思わず私は目を見開いた。せっかく夢を叶えて、王都の騎士団長にまでなったというのに? まさか、魔法使いという些細な理由で解任されたというの? それにバレたっていったいどうして? あの子は魔法使いであることをうまく隠していたのに? いったいあの子に何があったの?
疑問と心配と不安がグルグルと頭の中で回った。そんな私に女が話しかける。
「ね、奥さんは知ってたの? カインくんが魔法使いだって」
同情じみた瞳を向けられる。けれどもその奥にある真意に気がついて私は言葉を失った。そんな私の様子を見てどう思ったのか、女は納得したように頷いた。
「知るわけないわよね。魔法使いなんて、みんな嘘つきの卑怯者なんだから。きっと奴らに血の繋がりなんて関係ないのよ。奥さんもあんなに可愛がってた大事な息子に騙されて可哀想に」
瞳の奥の疑念が消える。それと同時にペラペラと魔法使いの――カインの悪口を並び立てる。完全に私のことを『魔法使いに騙された被害者』だと思い込んでいるようで、私はすぐにでも走り去りたくなるのを堪えて声をあげた。
「悪いけど、ちょっと疲れてるから」
「あらそう。ゆっくり休むべきよ、長い間魔法使いなんかに騙されていたのだから疲れて当然だわ」
そう告げる女に挨拶をして、私は家まで走る。息が切れるのもお構い無しに家に駆け込んで、玄関でへたりこんだ。
悔しかった。魔法使いだからという理由で騎士団長を解任されることも、何も知らない奴らが好き勝手にカインの悪口を並び立てることも。
あの子は優しくて素直で、ちょっと元気がすぎるところもあったけれど私の自慢の息子。傷つきながらも私を守るために言いつけを守ってくれたし、『騎士になる』という夢に向かってひたすらに努力だってできるし、あのポジティブさで救われた人だって沢山いる。素敵なところしかない、私の自慢の坊や。
なのになんで。あの子のことを何も知らないようなやつらが「あいつは魔法使いだから」「嘘つきで卑怯者だ」と勝手に決めつけるようなことを言うの。あの子の素敵なところも見やしないで勝手な事を言うな! 悔しい、悔しい、悔しい! 心無い連中に息子の名誉を傷つけられて、私は玄関先ということも忘れて泣き崩れた。
こうして、私は子供に嘘をつかせた、非道な母親になった。
【ペリドットの残酷
─チレッタ・フローレス─】
私の子供が魔法使いだとわかった時、私は嬉しくてモーリスに抱きついていた。
愛する人ができて、愛する人との子供ができて。南の国での穏やかな日常は北の魔女だった私にはとても新鮮な毎日だった。
毎日が幸福とはこういうことを言うのかもしれない。愛する家族に囲まれて、落ち着いた時間を過ごせる。お転婆なルチルが「ころんだぁ」と泣きながら帰ってきたり、仕事で大変なことがあったらしいモーリスがべそべそしてたり、ちょっと大変で面白いこともあったけれど、そんな小さな出来事が私にとっては幸福だったんだ。
一度だけルチルが妖精に攫われたことがある。その時の全てを失ってしまったかのような喪失感や焦りや怒り。全力で探して、結局妖精の元で無事だったルチルを見て酷く安心した記憶がある。自分の命よりも大切だと思えるような存在ができるなんて、と我ながら驚いた。
北の国では自分よりも大切なものを作ることは命取りになる。だからそんなものは作ってこなかったけど、今こうして南の国で自分よりも大切な物を作ってみるとわかる。自分よりも大切な存在があるって、チョコレートのように甘くて幸福なのだと。
現に、こうして大切な存在がとたとたと私の元へ駆け寄ってくる。キラキラとした瞳で一枚の画用紙を私に手渡した。
「かあさま、みて! かあさまととおさま、かいたの!」
「わ、すごい! 流石私の息子、天才!」
褒められたルチルがえへへと笑う。もうすぐ五歳になるかならないかの年頃なのにこんな芸術的な絵が描けるなんて、本当に天才かも。ルチルが私の大きくなったお腹にそっと手を当てる。
「あかちゃんも、うまれたらにいさまがかいてあげるからね」
まだ見ぬ弟に、ルチルが思いを馳せる。きっとこの子はいい兄になるだろう。――こんな愛おしい存在を置いて逝かなきゃならないなんて、悲しすぎるでしょ。私は思わず目頭が熱くなった。
魔法使いは余命がわかる。例に漏れず、私は死期を予感していた。そしてフィガロから聞かされたお腹の子の予言。わかってしまった。きっと、私はこの子を産んでから死ぬんだろう。
でも、産みたい。このお腹の子が将来どうなるかもわからないし、ルチルを置いて逝くことになるのも心残りではある。それでも私はこの子を堕ろすことは考えられなかった。
フィガロには「子供を産むな」と言われた。今思い返しても腹が立って仕方がない。私がどんな思いでこの子を産むことを決めたのか知らないくせに、外野から喧しい男だった。ふざけたことを言うな! そう胸ぐらを掴んで怒鳴りつければあいつはあっさり「わかったわかった」と身を引いた。その表情は納得も理解もしてなさそうだったけど。
けれども同時に、フィガロは一周回って信用できる男でもあった。
「私が死んだらルチルとこのお腹の子を頼むよ」
そう告げればあいつは私を哀れなものを見る目で見下してきた。そんなところも腹の立つ男だったけど、私は言いたいことを飲み込んだ。同情したいなら勝手に同情させておけばいい。この私を同情して見下せるなんて、彼にとってはきっとこれが最後のチャンスだろうし。ふん、と私はあいつを鼻で笑ってやった。
それでも流石に死ぬ事への恐怖がある。それ以上に夫や子供たちを遺して逝くことになることへの恐怖があった。死んだ後、彼らはどうなってしまうんだろう。たった五歳で母親を亡くしてしまうルチル。きっと私の顔を見ることなく母親を失うお腹の子。五歳のやんちゃ盛りの子供と乳飲み子を遺されてしまう私の夫。特に私の夫なんかは途方に暮れるだろう。私の死を悼みたいのに、それどころじゃなくなっちゃうんだ。そのあたりは街の人やフィガロに期待するしかない。お願いだから子供たちを、モーリスを支えていってほしい。
そもそも私だって積極的に死にたいわけじゃない。けれど私は、私が死ぬこと以上に私の息子達が幸福であることを祈っているから。私の命以上に彼らが大切だから。彼らの為にならなんだってできる。できるけども。それでも、ちょっと、怖い。
らしくもなくそう感傷的になった私に、ミスラが告げた。
「あなたの子供は、俺が守ります」
驚いた。ミスラとは長い付き合いだけど、そんなことを言うなんて思いもしなかった。けれども彼の不器用な優しさを感じる。私は思わず笑ってしまった。
「――ありがとう」
あのミスラに守られるなんて、ルチルもお腹の子もきっと一生安泰だ。そんな私を見てミスラもホッとしたように眉を下げた。
ああ、けれど、やっぱり苦しい。悔しくて、心も体も痛くて、夫や子供たちのことを思うと不安でみっともなく泣き喚きたくなる。これ以上モーリスやルチルを悲しませたくはなかったのと、私のプライドが許さなかったから必死に堪えたけど。
そうして十月十日たった頃、私は歯を食いしばりながら陣痛や死への恐怖と必死に戦っていた。産婆が慌ただしく動いていた。少し離れたところでルチルが今にも泣き出しそうに見守ってくれている。昨日まであんなに楽しそうに「にいさまになるんだ」と笑っていたのに、そんな顔しちゃダメでしょ。そう声をかけたくて、でも声は出なかった。
そして、生まれた子は息をしていなかった。産婆が慌てたように赤ん坊を叩くものの、ぐったりした様子の子供は産声をあげない。絶望の空気が漂う中で私はこの子の持つ魔力がやけに少ないことに気がついた。
「るちる」
絞り出すような声で幼い子供を呼ぶ。彼は涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら恐る恐る私のところに近づく。その頭をそっと撫でながら告げる。
「赤ちゃんに、あなたの魔力をわけてあげて」
「まりょくをわける……?」
「そう。イメージしてみて。あなたの中の力を、赤ちゃん……ミチルに、渡すイメージ。赤ちゃんを助けてあげて」
ルチルは混乱していた。けれど、覚悟を決めたように頷く。やだ、さすが私の子。かっこいいじゃない。
おるとにく・せとまおーじぇ。舌足らずで、どこか鼻声の呪文が広がる。それと同時にルチルの魔力も広がっていく。どうかお願い。私はふわふわと浮かび上がりそうな意識の中で必死に願った。
私の子供たちには幸福であってほしい。弟の存在を楽しみにしていたルチルの為にも、必死に十月十日私のお腹の中で頑張ってくれたミチルの為にも。だから、生きていてほしい。死なないで。お願いミチル、頑張って――!
産声が、聞こえた。赤ん坊の息が吹き返したのだ。ルチルの「やったぁ!」という声も聞こえてくる。良かった、本当に良かった。
そう安堵すると同時に私の体から命が抜けていくのがわかった。瞼が重たい。力が入らない。もう限界なんだろう。――私はもうすぐ、この子達を残して石になる。
そんな私の様子に気がついたルチルが叫んだ。
「…………かあさま? かあさま! ねぇ、あかちゃんないたよ、かあさま、まって、やだ、かあさま!」
「チレッタ! チレッタ、しっかりしなさい!」
赤ん坊の産声。ルチルの懇願と泣き声。産婆たちの悲鳴にも近い声。そんな慌ただしい声を聞きながら、私は思わず微笑んだ。
ごめんね、ルチル。ミチルをよろしくね。この言葉がルチルに届いたかはわからない。けれども届いていたらいいなと思う。
どうか、ルチルもミチルも幸せで。何かあったら父様にすぐ言うんだよ。
こうして、私はまだ幼い子供たちを残して石になった、残酷な母親となった。
【パープルサファイアの矛盾
─ファウスト・ラウィーニアの母─】
私の息子が魔法使いだと知った時、あまりに酷い運命を嘆いた。
オズ。それはこの世界を支配しようとした恐ろしい魔法使いの名だった。逆らう者は人間だろうと魔法使いだろうと関係ない。オズの手によって滅ぼされた都市もたくさんある。いつかこの世界は全てがオズの手中に収まるのだろう。幼い頃の私はそうぼんやりと世界の絶望を感じたことがある。
そんな世界が突如変わった。オズが世界征服の途中でいなくなったのだ。もしかしたら飽きたのかもしれない。世界最強の魔法使いというのはまるでこの世界を玩具のように扱うんだな、とほんの少し腹が立ったがそれだけだった。
そして、オズがいなくなったあと。世界は今まで以上に荒れ果てた。突如恐怖の象徴が居なくなったことで、あちらこちらが無法地帯と化した。私が結婚して、子供を産んだのはそんな時期の事だった。
一人目は人間ではなかった。ようやくつかまり立ちができたぐらいの幼子が無意識に魔法を使うのを見た瞬間、己の子が魔法使いだと理解した。そしてその事実に、純粋に絶望した。
オズが自分勝手に世界を荒らしまくったせいで魔法使いに対するイメージは最悪だった。きっとこの幼子が魔法使いだとバレてしまえば村の連中はこの子を殺そうとする。そんなことはさせまい。私は絶望の中、この子を守らなきゃと固く誓った。
次に生まれた娘は人間だった。良かった、と安堵すると共に息子に罪悪感を抱いた。人間であることに安堵してしまうなんて、息子を否定してしまった気分だった。別にあの子は魔法使いに生まれたくて生まれたわけじゃないのに。私のいいつけを守って必死に魔法使いであることを隠す息子の姿を見ながら、私は申し訳なくなった。
息子はいい子だった。親のいいつけをよく守り、妹の面倒もよく見るし、心配になるぐらい素直で真っ直ぐな少年に育ってくれた。
そんな息子が、ある日深刻な顔で私に告げたことがある。
――アレクに、魔法使いであることがバレてしまった。
彼と仲のいい近所の少年の名前だった。たまたま一人で魔法を使ってるところを見られてしまったらしい。私が思わず口を抑えれば、息子は慌てたようにつけたす。
「バレたけど、僕の秘密は誰にも言わないって」
「……怖がられたり、しなかったの?」
「凄いねって。私もそんな風に魔法が使ってみたいなって言ってた」
「……そう」
怖がられなかった。そのことに酷く安堵しつつも私はあの銀の髪を持った少年を警戒した。言わないと言いながら、明日には村中に噂が広まっているかもしれない。もしそうなったら、子供たちに被害が出る前にこの村を出て行かなければ。
そんな私の表情を見て察したのだろう。息子は安心させるように私に笑いかけた。
「安心して。アレクは信頼できるよ」
ああ見えて、あいつは口が堅いんだ。そんな言葉をうけて、私は半信半疑で息子の友人を信じた。
実際、息子の友人は喋らなかった。二人でこっそり魔法で遊んでいる時はあるらしいけど、それ以外では一切触れなかった。ああ、息子が信頼できると言っただけある。息子の人を見る目は正しかったのだ。
そんなある日、息子の友人はこんなことを言い出した。――革命を起こす、と。
それはこの村を出て、戦争に参加するということだ。前々から強い意志を持った少年だとは思っていたがまさかここまでとは。驚いていれば、息子が更にとんでもないことを言い出した。
「僕はアレクについていく。魔法使いと人間が共存する世界を作りたいんだ」
言葉が出なかった。あなた、正気なの? そう叫びたくなった。そんな母の心境に気がついているのかいないのか、息子は希望と意志を強く持った瞳で私を見つめた。
「アレクみたいに魔法使いに偏見のない人間もいる。きっと、魔法使いも人間も関係なく、協力していける世界ができるはずなんだ」
「…………私は、反対よ。絶対に反対」
震える声で私は首を横に振った。私が反対したところできっと息子の意志は変わらないのだけれど、とにかく私は息子の言葉を容易に肯定する訳にはいかなかった。
いってらっしゃい、なんて気軽に送り出せるわけがない。近隣の村におつかいに行くのとは訳が違うのだ。息子が向かう先は死地。そんな所に息子を送り出すなんて私にはできなかった。
何が何でも反対。お願いだから考え直して。そんな私の言葉に息子は唇を食いしばった。
「また明日話そう。――僕は本気だから」
今日は話し合いにならないと思ったのだろう。息子はそれから毎晩私と話し合いを重ねた。
息子は頑固だった。いったい誰に似たのやら、平行線のやり取りをずっと続けて――私が折れた。ある晩、息子の友人が現れたから。
革命軍にはファウストの力が必要なんです、と言う息子の友人。思わず殴ってしまいそうになるのをグッと堪える。あなたさえ居なければ息子は「革命軍に参加する」なんて言い出さなかったのに。
けれど、彼は息子の友人だ。魔法使いであることをはじてて受け入れてくれた、家族以外の人間。息子が「アレクとなら、きっと」と真っ直ぐに信頼する人間。そんな彼を無下にできるわけがなかった。私達は毎晩毎晩真剣に向き合って、話し合いを続けた。
そして「お願いします」と頭を下げる少年たちに、私はとうとう「勝手になさい」と頷いてしまうのだった。
この日のことを、私は一生忘れることがなかった。
村を出ていった息子たちの戦況は小さなこの村にも噂で聞こえてくる。勝ったと聞けば酷く安堵したし、負けたと聞けば息子の安否が心配で寝付けなくなった。
気がつけば、小さな少年のアレクとファウストではなく、革命軍を率いる青年のアレク様とファウスト様となっていた。もしかしたら本当にあの子の夢見た魔法使いと人間が共存する世界が実現するのかもしれない。遠い空の下で頑張る息子を思って、私は毎日祈りを捧げた。
神なんて居るはずがなかった。
魔法使いが処刑された。そんな噂が村に広まった時、私は息を飲んだ。まさか。誰が処刑されたの、と噂をしていた村の人に尋ねれば、彼女たちは言いにくそうに顔を背けた。もう、それは答えだった。
革命軍のトップであるアレク・グランヴェルがファウスト・ラウィーニアをはじめとする魔法使いたちを処刑した。私はそれを聞いた時思わず叫んでいた。
信じられない、信じたくない、ふざけるな。事情を知った娘が必死に「あくまで噂だから、きっと兄さんは無事よ」と私の背中を摩ってくれたが私の嗚咽は止まらなかった。
そうしてグランヴェル王朝となった。
立派になった息子がひょっこり戻ってきて「ただいま」と言ってくれるんじゃないのか。そう期待して、絶望して、期待して、また絶望して。気が狂うかと思うぐらい息子の帰還を待った。せめて手紙を出してくれれば。あの子の無事を確認できたのなら。ただただそれだけを私は望んだ。
けれどもいつになっても息子からの音沙汰はない。もしかして、本当に処刑されてしまったのかもしれない。それと同時に息子の友人を憎んだ。
革命に息子の力が必要だと必死に訴えかけてきたあの晩を思い出す。あれは嘘だったというのか。あの男を信用した私が馬鹿だった。
腸が煮えくり返る。あの男を信頼してしまった己の馬鹿さ加減にも反吐が出た。私に力があるのならばあの男を今すぐ呪い殺してやるというのに。心優しい息子なら「そんなことやめてくれ」と止めてくるかもしれないが、知ったことか。私は息子を傷つけたあの男を一生許さない。
病の床から娘を呼ぶ。もうすぐ私の命は尽きる。しわくちゃの老婆となっても忘れられない息子への伝言を娘に託した。本音を言えば死ぬまでに顔だけでも見たかったけれどきっと叶わないから。もしひょっこり戻ってきたら『遅い』と言ってやって。それだけでいい。私はそっと瞼を閉じた。
ああ、でも、本当に。最期にあの子に会いたかった。この村を離れて、いったいどんなことをしたのか。どんな大変なことがあって、どんな嬉しいことがあって、どんな素敵な人に出会ったのだろうか。北の魔法使いに師事したと聞いたが、北の魔法使いは恐ろしくなかったのだろうか。怖い目には合わなかったのだろうか。そんな私の言葉を聞いて「あなたは心配症だな、大丈夫だよ」なんて私の記憶の中の幼い少年は笑うのだ。
生きていればどんな青年へと成長していただろうか。きっと背も伸びただろう。その素直な気質は変わらないでいてほしい。素敵な男性になって、多くの友人や家族に囲まれて幸せになってほしい。友人と静かな夜をアルコールで彩っているかもしれない。息子は魔法使いだから今度は誰かの魔法の師となっているかもしれない。何度そんなくだらない夢を見て、冷たい現実に泣き崩れただろうか。
ある筈だった息子の幸福と未来。それを奪い去った息子の友人への恨みが死の直前になっても消えることはなかった。死してなお、私はあの男に対する恨みに縛られるのか。ああ、ああ、どうしてこんなことになってしまったのか。許せなかった。許したいとも思えなかった。
最後の力を振り絞って娘に謝罪する。命が尽きるその瞬間まで、人を憎むような母親であることが情けなかった。
私の手が誰かにとられた。その温もりはきっと娘だろう。最期まで娘には迷惑をかけてしまった。ごめんね。
「もう、ゆっくり休んでくれ」
誰かの声がした。誰の声か分からなかったけれど、どこか懐かしい声だった。私は無性に嬉しくなって、遠のく意識と共に微笑んだ。
こうして、私は息子の幸福を祈りながら息子の友人を呪う、ひどく矛盾した母親となった。
【望まれて産まれてくる魔法使いへ
─魔法使いの母─】
少し重たくなったお腹を抱えて私は魔法舎へ向かう。
懐妊してから暫くして、私は早めの休暇を貰うことになった。もう少し働けるとは思ったのだけれど、心配性のあの人がずっとあわあわしているものだから賢者様と相談して今から暫くはお休みを貰うことにした。その為、今日は休暇前の最後の魔法舎になる。魔法使いの皆さんに挨拶をしなきゃ、と私は魔法舎へ足を運んだ。
どこにいらっしゃるか分からないけれど、とりあえずこの広い魔法舎を散歩がてら歩く。ふと談話室を覗きこめば想像通り、何人かの魔法使いがそこにはいらした。ティーパーティーをされているようで、お邪魔するか悩む。逡巡したあと声をかければ、皆さん穏やかに迎え入れてくれた。
カインさんが軽く手を上げて笑いかけてくれる。
「この声、カナリアか? どうしたんだ?」
「実はこの度暫く休暇をいただくことになって、そのご挨拶に伺いました」
「確かに最近体調悪そうだったもんね。大丈夫?」
ヒースクリフさんが心配そうにこちらを見る。つわりが酷かった時期のことを心配されているのだろう。私はあはは、と笑う。
「体調は大丈夫です。その、妊娠しまして。ちょっと、というかかなり早い休暇をいただくことになったんです」
「まぁ、本当ですか? おめでたいですね!」
「おめでとうございます、カナリアさん!」
わぁ、とルチルさんとミチルくんが声をあげる。私のめでたい話に喜色満面で喜んでくれた。まさかこんなに喜んでくれるなんて。嬉しくなってしまった私は数日前にフィガロさんに言われたことも伝えた。
「実は、お腹の子魔法使いかもって」
ああ、きみのお腹から微かに魔力を感じるよ。ルチルやミチルの時と同じ感覚だ。君たちの子供は魔法使いかもしれないね。
そうフィガロさんは言った。その言葉に私は嬉しくなったし、帰ってから主人に伝えたら驚いた後に嬉しそうに破顔した。
「確かに、よくよく感覚をすませたら魔力が感じられる。……魔法使いだなんて、きみたちも大変だな」
同情じみた言い方だったけどファウストさんの声は柔らかかった。見守られているような安心感を抱きながら私はひとつ提案する。
「そこでお願いがあるんですけど、もし魔法使いだったら定期的にこの子と会っていたたけませんか? もちろん、人間だったとしても定期的に会ってくださると嬉しいんですけど」
彼らに対する信頼と甘えだった。そんな、私の提案に全員が頷いてくれた。アーサー様が一歩私に近づく。穏やかな顔で私の微かに膨らんだお腹に手を当てた。
「無事に産まれてくるように、祝福の魔法を」
パルノクタン・ニクスジオ。そう彼が呪文を唱えるとそれに続くように次々と皆さん呪文を唱えていく。
グラディアス・プロセーラ。何が正しいのかわからなくなってしまった時に、この子が迷わず自分の道を歩めますように。
サティルクナート・ムルクリード。僕は親の死に目には会えなかったから、親を大事にできる子になりますように。
レプセヴァイヴルプ・スノス。魔法使いであることに絶望せずに、堂々と成長することができますように。
オルトニク・セトマオージェ。泣き喚きたくなるほど怖いことがあったとしても、真っ直ぐに立ち向かえる強さを持てますように。
オルトニク・セアルシスピルチェ。この子がカナリアさんやクックロビンさんと別れることなく、末永く一緒に幸せに過ごせますように。
そんな様々な六人分の祝福の魔法をかけられて、私は言いようのない幸せを感じた。
ねぇ、わかるかしら? あなたはこんなにも祝福されて、産まれてくることを望まれている。きっとそこには人間だろうと魔法使いだろうと関係はないんだろうけど。
望まれて産まれてくる魔法使いに最高の祝福を。