茨が妊娠する話
――おめでとうございます。おそらく妊娠五週目です。
「へ?」
我ながらあほみたいな顔をしていたと思う。エコー写真にはちいさい豆みたいな胎嚢がうつっていて、それが、そう、小さな命ということを示している。
「え、お、俺男ですけど……」
珍しいことですが男性妊娠が発見されてからまだ――いえ、もう三十年は経っていますよ、そう医師は告げた。
来週に心拍を確認したら母子手帳を取得申請できます、などと何か云っているが、なにも聞こえない。頭が真っ白になる。どうやってマンションに帰ったかわからない。閣下がおかえり、と迎えてくれて、体調大丈夫? と心配してくれて、ベッドに連れてこられた。
「閣下、あの……」
「ん?」
綺麗だな、美しいな、――そう思う。閣下に出会ってもう十年経ったんだな、家族になって七年も経っていたんだな……仕事も、アイドルも、全てが満たされていて、二人は最強だった。
先日行われたEdenの十周年ライブは盛況で、この調子でまた来年にも新規のツアーなどを組もうと話していたところ。AdamとEveでの活動も順調で、スケジュールは埋まっている。
どうなっちゃうんだろう。
「に、妊娠して、ました……」
赤ちゃん。
産む? いらない? 堕(お)ろす?
――殺す?
こわい。
「ごめんなさ、ごめんなさい、ごめんなさい、お、俺、妊娠、しちゃって、ごめ、なさ……っ」
「謝ることじゃないよ、茨」
閣下に抱きしめられて、かれの匂いと温もりに包まれる。
「うれしい、茨、おめでとう、ありがとう」
満面の笑みで、一番の笑顔で、閣下はそう云った。
「……私が、父だよ」
閣下は俺のお腹に手を当てて、愛おしそうに撫でる。あんまりにも幸せそうな光景に、力が抜けていく。
「い、いいんですか、あの……仕事が」
「仕事? どうにかするから大丈夫。いままでもどうにかなっていたし」
「はあ……」
「茨、気持ち悪いのは大丈夫? それはつわりなのかな? 身体もあたためないとね。温かいものを飲もう。何がいいかな? 紅茶? ああカフェインはあまりよくないんだったね。じゃあ白湯かな? お湯沸かさないと。茨は寝ててね。眠っちゃってもいいよ」
閣下が、多分、舞い上がってる。
かれが出て行って、キッチンの方でガシャンと音がして、吃驚する。
「か、閣下……? なぎささん?」
「ボウル落としただけだよ、ごめんね、びっくりさせたね」
トレイにマグを乗せて帰ってきたかれと、一緒にベッドに座って白湯を飲む。ちょっと落ち着いた。
「閣下、あの、これはまだ二人だけの秘密にしてください。妊娠初期は、……流産、しやすいので、周囲へ伝えてしまうと万が一の時に、面倒かと」
「うん」
「とりあえず安定期に入るまでは、内密に」
「そうなんだ。安定期っていつだろう」
「いつですかね……? 自分も何となくの知識しかなくて」
端末で調べる。赤ちゃん、安定期、いつ。
「妊娠五ヶ月から安定期、みたいですね。初期流産は十一週、三ヶ月までで……今が十二月なので二月半ばまで……安定期は五月ですかね」
「それまで秘密にするんだね。がんばる」
「……まあ多分殿下とかジュンとかには早めに話すとは思うんですけど」
「家族だもんね。茨は大丈夫かな?」
「嘘を吐くのは得意ですから大丈夫です!」
と――元気よく返したのが三日前。
「むり……」
頭痛と吐き気が酷すぎて立てやしない。それでもここまで這ってきた。レッスンルームの端で蹲って、吐き気をやり過ごす。
「毒蛇、体調管理もできないなんてプロ失格! って云っていたのはどこの誰だね! そんな青い顔して病気だなんてだらしないね!」
「おひいさんうるせえ。まあ茨が体調不良は珍しいっすけど。だれでも病気になりますって」
「茨は病気じゃないよ」
か、閣下……! 閣下が真剣な顔で殿下に向かわれてしまった。まずい……云われてしまう……。
「日和くん……これは茨のせいじゃないんだ。原因は……私」
「えっ!? 凪砂くん!? 風邪でもうつしたの?」
「……茨、いいよね?」
「いえ……その……うっ……!」
無理無理無理、吐く、吐いちゃうっ!
「茨」
がさがさとビニールを出され、そこに顔を突っ込まれる。吐いた。酸っぱい後味が残って気持ち悪い。
閣下は背中をさすってくれて、大丈夫だよ、と優しく囁く。
「ど、どうしたの……? 胃腸炎?」
「大丈夫っすか? ……水飲みます?」
殿下とジュンが遠巻きに見ている。
「これはね、つわり」
閣下が背中をさすりながら静かに云った。
「つわり?」
「つわりって……ええと、妊婦の?」
「うん――茨、妊娠してるの。私との子」
「え!?」
「ええ……?」
「で、殿下、ジュン、これは、その……うっ……!」
「茨、私が話すから」
嘔吐が止まらない。胃が痙攣する。つらい。
閣下は淡々と喋った。妊娠六週目、予定日は八月、安定期になったら話すつもりだったこと、他言無用にして欲しいこと。
「今、妊娠初期は一番流産しやすい時期だから。茨には無理をさせられないんだ。あと、安定期までつわりが酷い。お腹は大きくないけれど、精神的にも肉体的にも今が大変なんだよ」
「そうなんすか……はあ……」
殿下がこちらにきてしゃがみ込んだ。菫色が潤んでいる。
「……茨、ごめんね。知らなくてキツいことを云ったね。ゆっくり休むといいね」
「は……いえ……殿下は何も悪く……うっ……!」
「喋らなくていいね!」
殿下はよしっ! といって立ち上がった。
「こうなったら、茨をとことんサポートするね! なに!? なんだろう! 葉酸サプリを贈ったらいい!?」
「おひいさんこえでけえ」
「ようさん……?」
「えっ!? 葉酸サプリしらない!? なんか妊娠さんは赤ちゃんのために取るといいらしい栄養素! 詳しくはしらない! とりあえず一番高くて効きそうなの注文するね! 毎日飲むのが義務だね、それがいい日和〜〜」
「ありがとう……ございます……うっ……!」
「茨、横になったらいいんじゃねえんすかね……」
「いえ……はい……」
閣下は横でずっと背中をさすってくれている。
「茨、これで隠さなくて済むようになったね。そのほうが嘘をつかなくていいでしょう? ……勿論、外部には秘匿していくけれど……安定期まで頑張ろうね」
「……はい……」
まだ妊娠六週目。安定期までまだ十週もある。気の遠くなるような時間だけれど、頑張っていかなければならない。――授かり物だから、何が起こるからわからないけれど――確かに、今、幸せだった。
続く
(210131)