花吐き病 嘔吐中枢花被性疾患。通称花吐き病。
名の通り、花を吐き出す奇病である。吐き出された花に触れると感染する。
原因は、拗らせた片想い。
恋煩いでそんな奇病になってしまうのだからわらってしまう。
根本的な治療法は確立されていない。
唯一、両思いになると白銀の百合を吐き出して完治する。
わらってしまう、はずだった。
「……ごめん、茨」
「いえ、大丈夫であります。ジュンはさっさと想い人に告白でもなんでもして両思いになってください。そうしたら完治しますからね」
薔薇が落ちていた。それは美しい、真っ赤な薔薇だった。思わず拾ってしまって、あっ、とジュンが叫んで、今に至る。
手を洗った。そうしたら感染せずに済むだろうか。
「でも茨が……」
「平気であります。自分、恋なんてしませんから。吐く花なんて保有しておりませんので」
「……そうなんすか」
「ええ。なのでジュンは早く白銀の百合を吐いてくださいね。スケジュールに支障が出ると困りますので」
「……はい、そうします。んじゃあ、また」
ジュンが走っていった。
平気。
それは自分に言い聞かせたようなものだった。
恋なんてしない。
それもまた同じ。
この想いは、実っちゃいけない。
***
「じゃあね、茨、おやすみ」
「はい! おやすみなさいませ閣下!」
閣下が共用ルームを出ていく。それを笑顔で見送った。
「……っ」
部屋の隅に隠れて、ビニール袋に、花を吐く。
「……っ、え、……うえ……」
不思議と、その花たちは唾液や胃液で濡れてはいなくて、ただ自然のありのままの花と変わらないように見えた。ひらひらと花弁が落ちていく。これらも、感染源になってしまうのだから、綺麗に封じて捨てるしかない。
拗らせた片想い。
それに、罹患していることを、示されている。
閣下。
いつも、閣下のことを想う度に、赤い薔薇が吐き出されていった。
「……困りましたな……」
根本的な治療法はない。唯一、両思いになること。
そんなのむりだ。
いけない。
俺が、閣下を好きなことは、百歩譲って認めても、この想いを受け取ってもらうわけにはいかない。
俺なんかが好きになっていい人じゃない。
それは、痛いほどわかっている。
不釣り合いすぎて、涙が出そうだ。
それにあわせて、俺が花吐き病に罹患していることを知られてはいけない。
そうしたら閣下は、片思いは誰なのか聞いてくる、し、もし嘘をついて別人を云っても、その人を連れてきて告白させるとかするだろう。嘘がバレたら詰問されるだろう、し、信用が失墜したら、契約を反故されるかもしれない。
それは絶対に避けなければいけない。
「っ、ぐ、……え、……っ」
はらはらと薔薇が溢れていく。
俺の想いが形になったみたいに、赤くとろけるようだった。
***
「茨、おやすみ」
「おやすみなさいませ! 自分はトイレに失礼しますね」
ロケ先のホテルで、もう我慢できそうになかった。
閣下と同室の部屋にいる以上、花吐きを我慢する以外のすべはない。急いでトイレへ篭り、便座を上げて花を吐く。
物音を聞いて、閣下が就寝なされたことを確かめる。
「……ふう」
症状は悪化していった。拗らせている。だって想い人がすぐそばにいるのだから、症状が誘発されるのは目に見えている。
静かに花を流して、ドアーを開けた。
「茨、大丈夫?」
「か、閣下!?」
閣下が気配を消してすぐそばに立っていた。
「体調悪いの?」
「い、いえ、……うっ、」
「茨?」
我慢できなかった。くちから薔薇が落ちていく。
それらは音もなく、静かに床に積もっていった。
「……これ」
「だ、だめです! 閣下触っちゃ……!」
閣下は、俺の薔薇を拾って、じっと静かにそれを見つめた。
閣下が触れてしまった。
閣下が罹患した、ということは、完治のために想い人と結ばれなくてはいけない。
閣下の好きな人。
ああ、だめだ。
その人を連れてきて、そうして。
――俺はもう一生、完治しないんだ。
「……ねえ、茨、これは花吐き病だよね?」
「……はい、……閣下、触れてしまったからには感染していますので……早急に完治させないと……」
「茨は、誰に片想いしているの?」
「え?」
「茨は、恋、するんだね」
「閣下……?」
閣下は、張り詰めたような表情をして、俺を壁に押しやった。そうして、俺をじっと、その太陽の瞳で見つめる。
「……茨は、恋、しないんだと思ってた。誰も好きにならないと思ってた。だから、よかった。私のそばにずっといて、私だけのためにわらってくれるんだと思ってた。……でも、違うんだね。……ねえ、誰が好きなの? 教えて……」
目を逸らせない。
絶対を与えられている。
懇願ではない、命令だった。
「そ、それは……」
いえない。実っちゃいけない。あんたが好きだって、いえやしない。
「う、……」
閣下は、くちをおさえて嘔吐いた。
そうして、真っ白なラナンキュラスを落とし、その美しさを床に積み重ねた。
「閣下、いけません、早く想い人に告白しましょう、そうすれば完治します、まだ連絡を入れても許される時刻ですから、早急に……」
「茨、よく聞いて、誰が好きか、教えて」
「自分のことはいいですから、閣下」
「云え、茨!」
「ひっ」
閣下がどん、と壁を叩いて、目の色を濃くして叫んだ。
怒っている。
泣きそうだった。
嘘をいえば見限られる。本当をいったって、叶いやしない。
「お、俺は……自分は……う」
はらはらと、くちから薔薇の花びらが溢れる。
「閣下、が、好き、であります……」
くるしい。この苦しさが、未来永劫続くんだな、そう思った。
「……う、」
「閣下!? 大丈夫でありますか、は、やく、端末を……」
閣下は俯いて、吐き出したのは、美しい白銀の百合だった。
「え……、ど、どうして」
「うん……、完治したんだね。両思いになったから」
「……どういう、ことですか?」
「……私の想い人は、茨だから。私は茨が好きだから」
「……え? あ、う……っ」
体が熱い。ちりちり燃える。熱が形になって、そうして吐き出されていく。
白銀の百合が、重なった。
「……茨も完治して、よかった。私たち、両思いになったね」
「そ、んな、……、だめです、おれ、なんかが……」
「ダメじゃないよ。だって体が認めたんだ、これが恋で、成就したって。くちさきだけで否定しても、この体は認め合っているよ」
「うう……」
閣下はぎゅっと俺を抱きしめた。
「それともまた茨は私を花吐き病に罹患させる気でいるの?」
「いえ、そんな……」
「じゃあ、ずっと好きでいてね、茨」
許されて、また泣きそうになった。
お願いされたら、叶えるほかない。
戸惑いは隠せないのに、何故だか触れたところが熱くて、気持ちいい。
実っちゃいけなかった感情が、結ばれて形になってしまった。
いけないことなのに、どこかで嬉しく思っている自分がいる。
「……はい」
「……いい子」
閣下の体温と匂いに包まれている。
暗い部屋で、この時間がずっと続けばいい、そうぼんやり考えて、俺はゆっくり、目を閉じた。
Request
花吐き病の茨を幸せにしてあげてください……。この思いは実っちゃいけないんだって思って必死に隠してるので、凪砂の前で(花弁を)吐き出さないようにしてるとか。
(211210)