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    しどり

    @sidoridori14159

    高銀。
    時々モブ銀。

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    しどり

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    6月25日に出す予定の新刊の冒頭部

    01

     坂田銀八は教師である。担当科目は現代国語。私立銀魂高校に勤めて十年になる。
     勤務態度はあまり良くない。周囲に評価を聞けば十中八九、やる気がない、だらしがない、甲斐性がない、などの惨憺たる枕詞を冠されて答えが返ってくる。しかし人望は不思議とあって、生徒達からも同僚教師たちからも最終的には頼りにされている。
     本人的には、首にならない程度に仕事をして給料が貰えれば良いと思っているので、極力面倒事には関わらないスタンスだ。むしろ避けているつもりでいる。
     その筈なのだが、厄介事というものは、時に向こうからやってくる。


    「好きだ」
     そう言ったのは少年だった。高杉晋助、今年銀八が担任することになった三年Z組の生徒である。
     場所は国語科準備室。東棟と南棟に別れた校舎の南棟、四階建ての建物の四階の端にあって、東棟の二階にある職員室からは遠くて利便性が悪いことから銀八以外に利用する教師はほとんどおらず、実質銀八の専用の部屋といってもいい部屋だ。
     銀八はその部屋の日当たりを甚く気に入っている。担当する授業とホームルーム以外の時間に、多少面倒でもわざわざこの部屋に戻ってくるのは、眩い程の陽だまりの中で仕事をサボって微睡む時間が至福であると感じているからだ。
     そんな銀八の聖域に踏み込んで来た闖入者が、開口一番発したのがそれである。
    銀八は、眠そうな瞼をぱちりと瞬いた。
    「えーと……」
     開け放った窓辺には、やわらかな風が吹いていた。クリーム色のカーテンと、銀八の白い髪が優しくくすぐられてふわふわと揺れる。
    「何かの罰ゲーム……?」
     銀八がそういうのも無理はなかった。二人は殆ど初対面である。
     新年度が始まってしばらく経ってはいるが、春休み中に他校の生徒と喧嘩をしたことが理由で、高杉は数週間の停学処分を受けていた。今日がその処分明け初登校の日であって、朝のホームルームで出欠確認の為に名前を呼び、呼ばれた以外に二人に今まで接点はない。それなのに、と戸惑うのは当然の感情であろう。
     しかし高杉の方は、至って真剣な顔をしている。とても冗談には思えない。銀八は困惑した。もしこれが、銀八を騙して後で笑いものにしたいというような、悪ふざけの為の演技だとしたら、コイツは俳優かなにかになった方が良い。そう思った。
     だがそうではなく、この告白が本気のものであるのなら、一体何が少年の琴線に触れたというのだろう。銀八は自分の事を至って普通の男だと思っている。実際には、造形の良さを云々と語る前に、銀八の持つ白い髪と赤い瞳という色彩は、濃い色のそれらを持つ人間が圧倒的に多いこの国においては非常に人目を引くものであり、銀八自身にも一応その自覚はある。ただ、幸いにも今までは、少なくとも身近には銀八をその点で特別視する人間はいなかったので、もしこの少年がそれが理由で銀八に目をつけたなら少し残念だな、と言う気分にはなった。
     もっとも、どうせ後一年足らずの付き合いしかしない相手にどう思われたところでどうでもいい、とも言える。生徒たちとは基本的には出会ってから長くても三年の、一過性の付き合いにすぎない。それは銀八が、はじめは他に就職先が見つからず、免許を持っていたから取り敢えずなったというだけに過ぎなかった教師という職を、今では案外気に入っている理由である。
     銀八に白い目を向けられた少年の方は、ムッとした顔をした。全く心外だと言わんばかりで、銀八を見据えていた視線には益々熱がこもり、力強い口調で言葉を継ごうとする。
    「俺は本気だ、銀時。お前が好きだ」
     銀八の困惑は深まった。
    「待て待て、」
     と、額を抑える。なんだか頭が痛くなってきた。
    「まずさ、名前が違ェよね。俺は銀八な。坂田銀八。告白するなら相手の名前くらい覚えよう。な?」
     当然の指摘をすると余計に顔をしかめるのだから、全く持ってわからない。銀八はいっそ混乱してきた。
    (え、何。俺が悪ィのコレ?どういう事なの。わかんねえ……これがジェネレーションギャップってやつか?最近確かに話題についていけねえなとか思うこと多いけどさ。え、そういうこと?若者怖ェな……全然意味が分からねえ……。いや、そうじゃなくて)
     銀八はコホン、と咳払いをした。別に生徒と友達のように分かり合う必要はない。気を取り直して、続ける。
    「後、呼び捨てもやめろ。俺先生だからね、一応。年も倍くらい違うしね。少しは敬うつもり見せてくれてもバチは当たんないと思うな先生は」
     少年は機嫌の悪い顔を止めなかった。むしろ舌打ちまでされて、銀八は本当に困り果ててしまう。耳がおかしくなったのでないのなら、自分は今、少なくとも好意ではあるはずの想いを告げられたのではなかったのか。少年の態度はどう見ても、好きな相手を前にしたそれではない。視線は強すぎて、もしかしたらそれだけで人を射殺せそうな程だし、赤く染まった眦は、照れているというより最早怒りでそうなっているようにしか思えなかった。
     銀八は、生徒に告白をされるのは実は初めてではない。長く教師をやっていると色んなことがあって、分けても丁度思春期の最中(さなか)、体は殆ど大人になっているのに心はまだ成長途中の子供たちからしてみると、身近に居る大人というものは憧れ混じりでそういう興味の対象にもなりがちなのか、告白イベント自体はイレギュラーな出来事としてはよくある方だ。男子生徒からも女子生徒からも、何度か「付き合って下さい」と言われたことがある。
     勿論断ったが、しかし、その時感じた彼らの微笑ましい初々しさだとか、かわいらしさのようなものが、今銀八に向き合っている少年には欠片も見当たらないのは一体どういうことなのだろうか。
     ただし、よく感情が乏しいと言われがちな銀八の内心の動揺は、実際には殆ど表情には出ておらず、少年の方から見ると細い眉が僅かに片方動いた程度に過ぎなかった。
     そのせいか、少年も一応は、彼らと同じことを言った。
    「付き合ってくれ」
     銀八は、自分の聞き間違いではなかったことに見当違いな安堵を覚えながら、きっぱりと口にする。
    「ごめんな、それはできねえ」
     一応謝罪もするのは、彼らに対する最低限の敬意である。子供とは言え立派な一人格。適度な気安さで接しながら、しめるところはきっちりしめていく。教師としてやっていく上で大事なのはそのバランス感覚だ、などと、銀八が心中で勝手な教育論などをぶっていると、高杉はすぐに言い返してきた。
    「なんでだよ」
     と、問われるところまでは想定内だ。自分の想いを受け取って貰えない理由を求める事は、彼らが子供であることとは関係がない。
     そもそも、大人だ子供だと言ってはみるものの、実際にはその間に明確な境界線などないことを、既に大人である銀八は知っている。色んな事をうまくできるようになるのは、ただ経験した物事の種類と回数が増えたからでしかなく、抱く感情が全く別のものに変わるわけではないのだ。
     故に、銀八は嫌な顔をすることもなく、高杉のもっともな疑問にも答えた。
    「俺が教師で、お前は生徒だからだよ」
     理論は単純明快である。
     実際のところ、「好き」の理由が何であるのかは、考えを巡らせてはみても、それが返事の内容に関係する事はない。銀八にとっての絶対唯一の回答である。相手が生徒である限り。誰であっても。
     そんなの、
     と高杉は言った。
     銀八に想いを告げて来た事がある生徒の内、半分は最初のごめんな、で引いた。残りの半数のうち、更に半分は理由を聞いて引いた。高杉は残った四分の一に該当するタイプの生徒であるらしかった。
    「関係ねえだろ」
     吐き捨てるように言われ、銀八はため息をつく。なんとなくそんな気はしていたが、このタイプは少し面倒臭いのだ。上手く躱さないと後々禍根を残す。好悪の如何に関わらず、担任としてまだ付き合っていかなければならない以上、余計な火種は抱えない方が良いに決まっている。これから進路相談やら何やらと忙しくなる三年次ともなればなおさらである。
     どうせなら、まだこんな春の気配の残った早い時期ではなく、再び青空に舞い始めた桜の花びらの下で、最後の記念になどと言いながら、胸に卒業おめでとう、と書かれたリボンをつけた状態で言ってくれれば良かったのに、と銀八は思った。そうすれば後の事を考えずただふって終わりにする事ができたのだが。
    「お前になくても俺にはあんの。俺は老後を安心して迎えてえんだよ。淫行教師なんてレッテル貼られる訳にはいかねえの」
     フィクションの世界ならばまだしもである。現実はファンタジーとは違う。教師と生徒の関係は、まさに清く正しく美しくあるべきであって、そこに色恋沙汰の介入する余地はない。全くない。
     銀八は力強く言い切った。こういうタイプにはつけいる隙を与えてはならないと経験則で理解している。どんなに食い下がられてもだ。
    「納得できねえ」
     高杉はそう言うが、銀八は更に首を振った。
    「お前が納得出来るかどうかは重要じゃねえんだよ。これはな、世界の常識なの。真理っつってもいい。一足す一は二で、水は上から下に流れて、太陽は東から登って西に沈むみたいに。人間誰でも食わなきゃ飢えるし、屁ェこきゃ臭ェし、いつかは皆死ぬのとおんなじように、教師と生徒は付き合えない事になってんの」
     という訳で、と、銀八は話を締めくくろうとした。
    「なんでそんなこと言い出したのかはわからねえけど、諦めてくれる?そんでさっさと帰った帰った」

     しかし、高杉晋助はそれで諦めはしなかった。
     翌日の放課後も、銀八は国語科準備室で不機嫌な顔をした少年と対面していた。
     今日も窓辺に寄せた銀八の席には、暖かな日だまりが落ち、心地の良い風がそよいでいる。窓の外を眺めながらぼんやりとたばこをふかしていた銀八は、ガラリ、と戸が開いた瞬間、盛大に嫌な顔をしたのを隠さなかった。断りもなく部屋に足を踏み入れてきた少年の目的が、前日の事と関係ないとは思えなかったからである。
     少年は手ぶらで、少なくとも授業に関する質問などをしにきたのでは無い事だけは確かだった。そしてやはり、「好きだ、先生」と言った。
     銀八はもったいないと思いながらまだ吸える煙草を灰皿に押し付け、うんざりと言葉を返した。
    「その話は昨日終わった筈だけど?」
     少年は特に動じなかった。
    「わかったとは言ってねえ」
     と、不遜な態度で答える。銀八はまた頭が痛くなってくるのを感じた。昨日、確かに少年は、銀八の言葉に返事をした訳ではない。ムッとした顔で黙り込んだまま、銀八が席を立っても引き止める言葉を発することも、追いすがってくることもなかったので、勝手に了解したものだと思っていただけだった。
     しかし銀八の方がはっきりと断りはした事だけは確実だったので、まさか昨日の今日で再び同じやりとりをする事になるとは、銀八は思ってもみなかった。銀八の返事に対して何か気の利いた反論でも用意してきたのかと思えばそう言う訳でもないようなのが尚更よくわからない。
    「なんで駄目なんだよ」
    「だから、教師と生徒だからだよ」
    「そんなのどうだっていいだろ」
    「よくねえよ。おんなじこと何回も言わせるな」
    「理由はそれだけなのか」
    「それで十分だろうが。これ以上分かりやすい理由はねえだろ」
     銀八はぼりぼりと頭をかいた。
    「昨日も言ったけど、俺は犯罪者になりたかねえんだよ。諦めろ。付き合いてえならもっと他にいんだろうが、わざわざ俺じゃなくても」
    「俺はお前がいい」
    「お前とか言うんじゃねえよ。俺は絶対うん(・・)とは言ってやらねえぞ」
    「なんで」
    「だァから!」
     銀八は手元で机をタン、と叩いた。思わず声が荒ぶり、その声に自分自身で驚いて一瞬はっとしたような顔になり、ぼそぼそとした声でやり直す。
    「……悪い。あー、つまりだな、年が離れすぎてるって事だよ。お前俺の半分も生きてないだろ。俺はどっちかって言うと年上の女が好みだし」
     正直言って、お前はガキ過ぎる。
     銀八がそう言うと、少年は初めて銀八から視線を外して俯いた。しかし、何かフォローする言葉をかけるべきだろうかと銀八が考えている間にもう顔を上げ、
    「俺は、絶対に諦めねえからな」
     と言い残すと、今日は自分の方から踵を返して、ぽかんとする銀八を残してさっさと帰って行ってしまった。

     いや、だから、こないでほしいんだけど。
     と言っても、全く意味はなかった。銀八の苦々しい言葉をどこ吹く風と受け流し、それから高杉は毎日のように銀八のところに来るようになってしまったのだ。隙さえあれば。
     流石に人前では不味い事は分かっているのか、教室や、他にも人の多い廊下などではしつこく銀八に言い寄っている事などまるで嘘のように向こうも素知らぬ振りを貫いているので、授業以外の時間は国語科準備室に行くのをやめて、出来るだけ職員室で過ごすようにすることで高杉との邂逅を避ける事ができれば良かったのだが、しかし仕事はしなければならない。停学処分の間、休んだ単位の分高杉には課題が出されていて、その監督をするのは担任の役目であった。
     結局、放課後は銀八の方から高杉を呼び出して、プリントを挟んで向かい合う事数日。
     特に新しい口説き文句を考えてくる訳でもなく──考えてこられても困るのだが──ひたすら勝手な思いだけを押し付けようとしてくる高杉にうんざりして、必要な会話以外全て無視を決め込もうとしていた銀八の方が、結局先に音を上げた。せめて、というのも変な話だが、完全に取り合いもしないことで、高杉の方がそれで少しでも堪えている素振りでも見せてくれたのなら、教師としてはいけない事ではあろうが、銀八も少しは溜飲が下がっただろう。
     だが高杉の方は銀八の反応の有無などどうでもいいと言わんばかりにまったく平然としているので、だんだん銀八もバカらしくなって来たのだ。まともに相手をしようとしたのが間違いだったのかもしれない。
    「あーもう」
     ガシガシと髪の毛をひっかきまわしながら銀八は呻いた。将来もし禿げたら絶対こいつのせいだ、とまだ確定もしていない未来の事に対して八つ当たりのような事を思いながら、目の前のプリントには目もくれず銀八を睨みつけている高杉に改めて向かい合う。合わせないようにしていた視線が合うと、どことなく勝ち誇ったような顔をしたのがムカついた。もっとも、どこがどう、とはっきり分かったわけではない。少年の表情は殆ど不機嫌なまま変わってはいないのだが、銀八にはなんとなくそう感じられた。
    「ほんっとなんなのおまえ……もうさ。分かった。わかったから、ほんとやめにしない?」
     生まれ持った容姿が異質であった事から、人にそれがどういう意味であれ視線を向けられやすいことに慣れているせいか、それとも生来の気質であるのか、基本的には人と相対する時、下される評価やその後のあれこれなどというものをいちいち気にして受け答えに気を使わない質である銀八でも、流石にストレスを感じていた。最近妙な頭痛に悩まされるようになったのは、この件と絶対に無関係ではあるまい。
    「あのさ、俺も暇じゃねえんだよ。お前にばっかかまってらんねえの。お前全然真面目にやんねえし、本当にいいかげんにしろよな。まじでどうしたら諦めてくれるわけ?頼むから先生に教えて?善処はすっから。付き合う以外で」
     本当に、高杉のしつこさは銀八の予想の遥か上を行っていた。もしこれが学校と言う場で、銀八と高杉が教師と生徒と言う関係でさえなければ、銀八は高杉をストーカーであると訴えただろう。
     ぐったりとした様子で、最早懇願するような声を上げた銀八に、高杉はやはり揺らがない目を向けた。
    「俺は」
     と言うので、銀八は今度こそなにか、建設的な言葉が出てくることを期待した。応えるつもりのない好意ばかりを投げつけられてもただただ不毛なばかりである。
    「お前に、本気だとも取って貰えねえ事が腹立たしくてたまらねえ」
     少しだけ言葉を選ぶように僅かな間を取った高杉は、まるで銀八に言い聞かせるようにゆっくりとした口調で言った。
    銀八は首を傾げる。
    「いや、それはよくわかったってもう」
     これだけしつこく聞かされれば当然である。しかし高杉は首を振った。
    「いいや、お前は分かってねえ。端から埒外に追いやってるじゃねえか。俺を、同じ人間だと思ってすらいねえ。お前にそう思われたまま引いてたまるか」
    「んん……?いや、流石に人間だとは思ってるけど……」
    「お前の場合、それより先に教師だ生徒だ、どうでも良い事が来るじゃねェか。俺はな、銀時、お前が俺を受け入れられねえってんなら、それはそれでかまわねえさ。気のねえやつを手籠めにする趣味はねえからな。だが、俺は本気だ。ならてめェにも本気になって貰わなけりゃ、伝わった事にはならねえだろ。その上で考えて、やっぱり断られるってんなら仕方ねえが、それでも理由がそれしかねえってんなら俺は諦めねえ」
    「いや、手籠めって……まあいいや。つまり……」
     えーと、と、銀時は益々首をかしげて唸る。
    「付き合うかどうかはどうでもいいってこと?」
    「そうは言ってねえ。ただ、バカの一つ覚えみてえな断り方されてムカついてるだけだ。俺を納得させてえんならもっと違う理由を考えろ」
    「オイ、てめえは好きだ好きだ一つっきりうるせえくせに何でそんな偉そうなんだよ」
    「今のてめえに何言ったって無駄だからだよ。理解する気が端からねえじゃねえか。んなの、逃げてるのと変わりゃしねぇ」
     高杉の言い様に銀八は一瞬、チリ、と胸に走った苛立ちを反射的に言い返そうとしたが、結局は口を閉じた。
     確かにそう思われてもしかたない部分はある。高杉がどんな風に想いを言葉にしようと、銀八の返す言葉は決して変わらないことを、自分のことなので銀八は知っている。だがそれもまた仕方ない事では無いだろうか。
    「それってさ、つまり卒業したらとか、そういうことを言ってる訳?教師と生徒じゃなくなればいいとか。まあ確かに、お前が成人すれば法律的にはセーフになるかもしんないけど、でもさあ、」
     銀八は言葉を探している間、上げた手をふらふらとさせた。
    「あー、なんつったらいいかなあ。例えばさ?幼馴染がいるとするじゃん」
    「あ?」
    「隣の家とかに。で、十個くらい年が離れてんの。お前が十歳くらいのときにソイツは生まれて、お前がぜーんぶ面倒見て育てたと仮定しよう。親が忙しくてとか、なんでもいいけど」
    「何の話だ」
    「まあ聞けよ。全部だよ、全部。おむつかえたり飯くわせてやったり。で、大きくなったソイツがある日突然お前に言うわけ。好きだ、付き合ってくれ、っつって。付き合うか?付き合わねえだろ?」
     つまりそういう事である。
     それで付き合うのは特殊な嗜好を持つものだけであろう。銀八にはそう言う趣味は無かった。高杉はわかりやすく顔を顰め、「俺はオムツのガキじゃねえ」などと反論してきたが、銀八にとっては同じようなものだった。教師にとって、生徒はいつまでも生徒なのだ。親がいつまでたっても自分の子供を子供扱いするのと似ているかもしれない。それは彼らを一個の立派な人間だと認めることとはまた別の問題だった。
     銀八の言葉に、高杉は舌打ちで答えた。
    「じゃあ……どうすりゃいいってんだよ」
     ぼそり、と呟いた言葉は、銀八へ向けたものではないようだったが、銀八は椅子に座りっぱなしで痒くなってきた尻を纏った白衣の上からかきながらぼんやりと言った。
    「まあ……なんでもいいけどよ。認めてほしいってんなら、あれだな。まずは真面目に学生やってみな。やる事やらねえ奴にはそもそも好感情も生まれやしねえよ」
     あと、と、銀八は付け加えた。
    「お前はいい加減人の名前を覚えろ。俺の名前は坂田銀八だ」


    ◇◇◇

    「……銀時」

     殆ど吐息のような声で呟いた横顔を、新八は静かに見ていた。
     部屋は狭かった。コンクリートがむき出しの暗い地下室にはいくつもの中身の分からない箱が積み上げられ、一層息苦しさを増していた。その中に半分埋もれるようにして、棺桶のような物体が残りのスペースを占めていた。金属製の箱にガラス製の蓋がついたそれは、実際には寝台のようなものである。
     密閉された内部は、青白く発光する液体で満たされている。その中で揺蕩うように眠っているのは、この町ではそれなりに名の通っているある男──普段はだらしなく、やる気もなく、自他ともに認めるマダオでありながら、幾度となく街を救い、人々を窮地からすくいあげ、数年前にはこの星の危機さえ食い止めてみせた事もある何でも屋、万事屋の主人。新八の上司でもあり兄のような存在でもある男、坂田銀時その人であった。
     その、宿敵──。正直に言えば、新八はまだ、彼らの関係を的確に表す言葉を知らない。新八の前には最初、その男は敵として現れた。それも強大な敵だ。世を震撼させるテロリストの首魁として。幾度かの邂逅を経て、銀時とその男が刃を交わすところを見た。殺し合いの果てに銀時は起き上がれないほどの大怪我をした。余程の過去があるのだろうと思った。どこか悟ったように男の事をぽつり、ぽつりと零す銀時の言葉を耳にすれば、決着の時を迎えることは必然であったのだと。
     しかしその後で、その男の部下たちに請われて赴いた遠くの星では、二人が共に戦う姿を見た。男と直接言葉も交わした。
     彼らがかつては戦友、そしてもっと前には、殆ど一緒に育った同門の弟子たち、良き好敵手であり、大切な幼馴染同士であったのだと知ったのはいつの事だっただろうか。そしてその言葉通りの意味でもないのだ、彼らの間にあるものは。部外者が気軽に触れていい関係で無いことだけは分かる。
     それでも、その男、高杉晋助をこの場に呼んだのは新八だった。全ては、今はまるで死んだように眠り続けている銀時の為である。

     話の始まりは、数ヶ月前に遡る。
     その頃、江戸ではある奇病が流行った。発生は唐突、蔓延するのも一瞬だった。それは『眠り病』と仮称された。文字通り眠り続ける事がその主な症状である。
     人々が次々に目覚めなくなった江戸の町は、一時は完全にその機能を停止するところまで行った。数年前に星ごと崩壊しかけた時以来の大事件と言っても良いだろう。誰一人動くもののない静まり返った街は、さながら亡霊の住まう冥界の町であるかのようだった──というのは、事態が収束した後、新八がニュースで流されていた街頭の定点カメラが写していた光景を見て抱いた感想だった。
     結果的には、二、三日程で人々は自然に回復して目を覚まし始め、事態は一応は収束した。しかし未だに、その原因は不明──ということになっている。
    「それが、俺とどう関係あるって?」
     ゆらり、と銀時を見つめていた視線を動かし、高杉は新八へ問いかけた。
     その話は知っていた。普段は江戸どころか地球にさえ居ない事も多い高杉だが、情報は常に耳に入るようにしてある。だがその理由は、かつてのようにこの街を自らの手で壊滅せしめようという目的の為ではない。
     もし自分を犯人だと疑い、問い詰めるために呼んだのだとしたら、とんだ見当違いだぜ、と、高杉はほんの僅かに首を傾げて見せる。明るい場所であったなら、きっとその微妙な加減は新八には分からなかっただろう。だが光源は銀時の収まっているポッドしかない暗がりで、高杉はその青白い光を間近から受けているせいか、艷やかな髪に反射する光がさらりと流れたことでむしろその動きは強調されたように思えた。
     新八は緊張して喉を上下させた。今は敵ではない、ということは知っている。しかし高杉の纏う雰囲気は、やはり人を圧倒するようだ。それでも新八は話さなければならない。
    「高杉さんをお呼びしたのは、助けて欲しいからです」
     高杉は今度は素直に首を傾げた。
    「わからねえな。何故、俺に?」
     一瞬、その視線はまた銀時の方を向く。コン、と指の背でガラスの蓋を叩き、唇を薄く歪めて言った。
    「しつこく呼ぶから来てはみたがな。要はその眠り病ってのからコイツだけ回復してねえって話だろ。生憎、俺ァ医者でもなんでもねェんでな。生かすより殺す方が得意なくれえだ。今すぐ息の根止めてやってくれってんならともかく、できることがあるようには思えねえが」
     新八は頷いた。
    「勿論分かってます。でも、多分……それでも高杉さんにしか出来ない事があるんです」
     そして言葉を継ぐ。

    「実を言うと……僕たちは眠り病の正体についてはもう分かっているんです」
     ただ……、と、新八は言い淀んだ。長い話になる。どこから話せばいいのだろう、と悩んでいるようだ。高杉は黙って話の続きを待っている。
     新八はおずおずとした口調で語り始めた。
    「どうお話すればいいのかわからないので……、あの…結論から先に言いますね。眠り病の原因は、ナノマシンウィルスなんです。眠っている時……いえ、夢を見ている時って、人の脳は特有の脳波を出しているらしいんですけど、そのウィルスは人の脳に寄生して、特に夢を見ている時の脳波によって活性化して、増殖していくみたいなんです」
     すみません、と新八は謝罪を口にした。
    「僕あんまり説明が上手くなくて……というか、僕もちゃんとは分かってる訳じゃなくて」
    「構わねえよ。続けな」
    「はい。えっと、とにかく原因がそれなのは間違いないです。つまりですね、ウィルスは自分が増える為に取り付いた生物を眠らせて、夢を見させるんです。僕たちは皆夢を見ていました」
     それは奇妙な体験だった、と、新八は数ヶ月前に自分たちの身に起こった出来事を振り返る。
    「とてもリアルな……すごく良く出来た夢でした。夢だから当然かもしれないんですけど、僕は最初、そこが夢の中だなんて思いもしなくて……最初からその世界の住人だったかのように暮らしていました。学校……って分かりますか?寺子屋のようなものなんですけど、その世界ではもっと大規模で、生徒が何百人もいて……制服って言って、みんなの同じ服装で通うんですけど……、って、それはどうでもいいですね。とにかく現実とは全然違う世界で、僕たちは学校に通っている生徒でした」
    「達、ってことは、同じ夢を共有してたって事か」
    「そういうことです。不思議なんですけど。たまさんが──あっ、たまさんっていうのは源外さんが作った絡繰りの体を持っている人です。源外さんは凄い絡繰り技師の人で」
    「爺さんの事は知ってる」
    「あっ、そうですよね。えっと、そのたまさんのお陰で僕らは助かったんです。たまさんは絡繰りなので、本来なら夢というものは見ないそうで。それに加えて何かあったときのために常に意識のバックアップが取ってあって、それには、ウィルスが侵入できないようにプロテクトっていうものがかかっているんだそうです。僕全然詳しくないので、聞いたことをそのまま言うしかないんですけど……伝わりますか?」
    「ああ。俺も詳しかねェが、大体は」
    「良かった。それでですね、そのバックアップがあった事で、夢の中でも現実を思い出すことが出来たって言ってました。同時に、ウィルスの存在にも気づけたそうです。それで僕たちにも現実を思い出す事が出来るようにしてくれて……。たまさんが言うには、元は何か……凄く人の役に立つナノマシンだったんじゃないかって。増殖したそれらは連絡を取り合ってて、一つの脳みたいに働くんだそうです。電子演算器……って言うんでしょうか。それにものすごいエネルギーを生み出しているみたいだとも言っていました。一つ一つは脳波っていう凄く微弱な電気信号で起動する程なのに、生み出すエネルギーの効率が信じられないほど良いらしいです。だから、そのどちらかの用途……もしかしたらどっちもかもしれませんが……その為にどこかの星で生み出された技術なんじゃないかって」
    「それで?」
    「ええと、はい。それは仮説なんですけど、そういうナノマシンが何かが原因で暴走して、別の形に進化したのが、今回『眠り病』の原因になったナノマシンウィルスだと思うんです。皆の夢が共有されていたのは、ナノマシン同士が通信しあって一つの頭脳となっていたからで……つまり、夢というよりは、ナノマシンの作り出した仮想世界の中に僕たちは囚われていたって言った方が正しいのかもしれないですね」
    「なるほどな」
     高杉は頷いた。だがまだ分からないと言う顔をしている。それでも話の腰を折る気はないようで、促すように顎をしゃくると、脇に垂らしていた手を懐に入れて腕を組み、重心を片側の脚に移して僅かに体勢を変えた。
     高杉に話を聞く気があると分かって、新八は少しほっとした顔する。しかしすぐに表情を引き締めて続けた。
    「僕たちは夢──仮想世界から脱出する為に戦いました。といっても、剣と剣を交えるようなものじゃなくて……説明は難しいというか……ちょっと……すごくし辛いので割愛しますけど、たまさんが源外さんと協力してワクチンを作ってくれて。それで。目が覚めると、現実では三日くらいしか経っていなくて驚きました。夢の中で一年くらいは過ごした気がしていましたから」
     新八はその時の違和感を思い出すと顔をしかめた。狐につままれたような、と言う表現がぴったりだろうか。浦島太郎とはきっと逆の気分だった。
    「少しずつ時間差はありましたけど、仮想世界でウィルスを倒した事で、皆次々に目を覚まし始めました。僕は早い方だったので、皆が起きる様子を見ていたんです。静まり返っていた町が次第にいつも通りに賑やかになっていって……テレビでは早速『眠り病』のニュースが流れて、特別番組が始まりました。でも……」
     高杉とポッドを挟んで向かい側で、新八は視線を落として銀時の顔を見た。銀時は静かに眠り続けている。時折口の端から気泡がこぽりと溢れる事が無ければ、死んでいると疑ってしまうかもしれない。
    「最初は……皆笑ってたんです。こんな時でも銀さんは寝坊助だねって。でも、いつまで経っても、銀さんだけ目を覚まさなかった……」
     声をかけても、揺さぶっても。何時間経っても。何日経っても。
     今までしっかりとした口調で話していた新八は、ここで初めて声を詰まらせた。嗚咽を堪えるように、声は震える。
    「源外さんとたまさんに見てもらったら、銀さんの中にだけまだウィルスが残ってるみたいだって言われました。それどころか、ワクチンが効いてないみたいだって。そんな筈ないんです。夢の中では一緒に戦って、確かに一緒に目覚めようとしていたんですよ。なのに……。どうしてなのかは、調べて貰ってはいるんですけど、まだ分からないままです。何があったのか……。とにかく、それで、この装置は源外さんが作ってくれました。生命維持装置になっています。これにもナノマシンが入っているそうです。この、液体の中に。銀さんの生命活動を助けて、同時に、銀さんの中にまだ残っているウィルスを外に拡散させないようにする働きをするとかで。でも、何しろ急拵えですから、生命維持の機能は完全じゃないんです。このまま目覚めなければ……いずれ……」
     暫く沈黙が落ちた。
     新八は鼻を啜る。高杉は銀時を見ていた。
     やがて再び新八が重々しく口を開く。
    「……もって、半年程だそうです。それに……」
    「それに?」
    「時間が経ちすぎると、その、目がさめたとしても記憶障害なんかが起きるかもって、源外さんが。仮想世界の時間は早いし、リアルすぎるので……、最悪の場合は、廃人のような状態になってもおかしくないんだそうです。だから……もうあまり時間がありません」
     高杉は懐から出した手で顎をさすり、何事かを考えるような仕草をした。
     新八の言い様は特段高杉を責めるようなものではなかったが、少しばかりは思うところがあった。とは言え、旧知である桂を通して新八から連絡が来たとき、高杉は遠い宇宙の果てにいた。連絡は二、三度繰り返し送られてきたが、実際には、高杉は一度目の連絡が届いた時点で地球に船を向けていたのだ。だが物理的な距離ばかりはどうにもならない。
     第一まだ、高杉が必要である訳は聞いていない。
     新八はわかっているというように頷き、もう一度鼻をすすりあげると、決然とした表情で高杉を見た。
    「本題はここからなんです」


    ◇◇◇

    「やりゃアできんじゃねえか」
     銀八は呆れたように言った。
     窓辺には今日も心地の良いひだまりが落ちている。頰杖をついて、採点していたプリントをひらひらとさせながら、銀八は大あくびを放つ。
     プリントは、先日実施された中間テストの追試分である。高杉はそもそもテストを受けていなかったので、一日一科目ずつ、教科担当の教師から預かった問題のプリントを、銀八が監督して実際の試験と同じ時間をかけて解かせる事になっていた。
     その規定時間の半分程の時間、真面目にカリカリと鉛筆を走らせていた高杉は、当然だろう、とでも言うように軽く鼻を鳴らした。銀八の手にある解答用紙には、点数の欄に大きく100の文字が書き込まれている。
     銀八は嫌そうな顔をした。どうもハメられた気がしてならない。しかし約束は約束であるので、渋々高杉に向かって促すように首をふる。
    「……で、何して欲しいんだよ」
     先日、二人はある約束を交わしていた。とにかくしつこい告白をやめてほしい銀八と、諦めないと言い張る高杉の間で、折衷案として結ばれたものだ。
     銀八の仕事の邪魔をしない、毎日押しかけて好きだと言わない。その代わりに、高杉が何か、銀八の設定したハードルを一つの達成する度になにか一つ、銀八が高杉の願いを聞いてやる、というのがその要旨である。
    「てめェの言う真面目な学生生活とやらをやってやるよ。てめェの邪魔もしねえ。そのかわり、俺にもご褒美ってやつがあっても良いとは思わねえか?先生」
     と、高杉の提案したその譲歩案に、銀八は最初は難色を示した。
    「ええ……それって俺に何のメリットがあんの……?」
     もっともな疑問である。本来、一方的に迷惑を被っている側の銀八が譲歩してやる必要などあるはずが無い。
     しかし高杉は妙に確信に満ちた言葉で銀八を説得した。
    「あンだろ。俺を飼い慣らしときゃア、てめェの上(・)が俺の家に恩を売りやすいんじゃねえのか。それはてめェの手柄になるんだろ?」
     と言うのも、私立高校である銀魂高校では、理事長から普段の学校運営を任されている校長の持つ権限が頗る強く、この校長を勤めている男というのがまたワンマンタイプ──横暴と言い換えても良い──であるせいで、勤務する教師達の処遇もその胸先ひとつで決まってしまう事が珍しくないからだ。いつだったか、受け持っていたクラスの成績が校長の望む水準を下回っていたという理由でその夏のボーナスを丸々カットされた時の衝撃は銀八の中で未だに癒えない。
     ただ、この校長は世間体を気にするタイプでもあって、権力に弱いタイプでもある。つまり、高校のイメージアップにつながるような事や、高校へ寄付をしてくれそうな金持ちとのコネクションを得るような事をすれば、まあ基本的にはケチなのでごく偶にではあるが、臨時ボーナスが振る舞われたり、給与が増えたりすることもあるということだ。
     そして高杉の家は、実は古くから続く所謂名家であった。現在でもそこそこ名の知れた資産家でもあり、財政界にも繋がりがあるという。いかにも校長が媚を売りたがりそうな家柄なのである。
     高杉の言っているのはそういう事だった。
     これまで誰の手にも余っていたドラ息子を更正させたとなれば、少なくとも、高杉の家からの銀魂高校への印象は相当良いものになるだろう。そこから寄付の話などへ繋がれば、校長が大喜びする事は間違いない。
    「んな話持ち出すのは癪だがな。てめェを落とすためにはなりふりなんざ構っちゃいられねえんだ。使えるもんはなんでも使う」
     そう言う高杉に、銀八は首を縦に振らざるをえなかったのである。常々金欠だと人目を憚らずぼやいている己の態度を棚に上げ、そんなこの学校の体質が生徒たちにまで筒抜けであることとを恨めしく思いながら。

     それで、条件はなんでも良いと言う高杉に銀八が最初に高杉に課したハードルと言うのが、中間試験の追試で全科目満点を取る事だった。一、二年次の内申表を見れば、『喧嘩で出席停止処分にされる不良』という言葉から想像する程成績が悪い訳では無かったが、かと言って特別に優秀という訳でもなく、年次のはじめを丸々欠席した上でそれは無理だろうと高を括った銀八は、無理難題を提示したつもりであったのだ。
     だが蓋を蓋を開けてみればこれである。今までは手を抜いていたと言うことなのだろう。道理で何の反論も無かった訳だと、銀八はため息をつく。
    「言っとくけど……これで付き合えとかは無しだからな」
     出来ることならのぞみを聞いてやるとは言ったが、なん(・・)でも(・・)とは言っていない。無理な事は無理って言うからな、と、あらかじめ釘を刺しておいた事を、銀八が自分自身に盛大に感謝しながら、それでも念をおすように言うと、高杉は薄く笑った。
    「んなこたァ言わねえよ。そんなんで頷かせても意味がねェ。言ったろ、銀時。俺ァてめェが好きなんだ。無理矢理俺の物にしたいって意味じゃねえ」
     正直に言って、銀八は少しほっとした。しかしその安堵を悟られるのは悔しく思え、敢えて平板な声で応える。
    「じゃあ、してほしいことって何なんだよ」
    「質問に答えろ」
    「へ」
     しかし次の瞬間には思わず間抜けな声が出ていた。そんなことで良いのかと、拍子抜けした気持ちになる。
     高杉の方は真剣な顔をしていた。
    「真面目にやれ。嘘はつくな。ちゃんと考えて答えると約束しろ」
    「……んなことでいいなら、いいけど……」
    「約束しろ」
    「分かった。約束する。ちゃんと答えるよ」
     戸惑ったままではあるが、銀八がはいはい、と降参するように、あるいは宣誓のように手を上げて答えると、高杉は満足したように頷く。そして言った。
    「理由を確認させろ」
    「うん?」
    「てめェは」
    「うん」
    「教師と生徒だから駄目と言う」
    「そうだね」
    「もし、同じ立場の男だったら、お前は頷いたのか?教え子じゃなくて、ただ年下であるだけならどうだった?それとも、男同士だからか」
    「そんなん言ったって、実際お前は教え子なわけだし」
    「考えろ」
    「んん……」
     銀八は少し考え込んだ。
    「……男同士だからってのは……あるかもな」
     それからゆっくりと、曖昧に零した言葉に、高杉は即座に切り返す。
    「嫌か」
     銀八は首を傾げた。
    「嫌……っつーか……。うーん……別に……偏見とかはねえけど……」
    「オイ、正直に答えるって約束しただろ」
    「考える時間くらいくれよ。んー……、まあ…なんだ。嫌な訳じゃねえよ。ただ、あれだろ。やっぱ、まだマイノリティっつーのか。普通ではねえだろ。そんで付き合うってなると……俺はまあ、元からこんなんだしよ、別に今更だけど」
    「相手もそう見られるのが嫌だって事か」
    「まあな、……そういう事になるか。付き合うって事は、俺も相手のことそれなりには思ってるって前提な訳だろ。あんま……わかんねえけど。まあ、普通に考えて、大事な相手をそういう目にはあわせたくねえよな。コソコソすんのも面倒だし」
     銀八は肩を竦めて見せた。結局はそれに尽きる、と言いたげである。
    「俺、面倒なのは嫌いなんだよね。楽に生きてえよ」
     それを聞いた高杉は馬鹿にしたように笑った。
    「もしかしててめェ、今までそういう相手いなかったのか」
    「……」
    「経験もねェのか」
    「いや、流石にセクハラだろそれは」
     一瞬言葉に詰まった銀八は、すぐに目を半分にして高杉を見た。やめやめ、と、首を振り、どんよりとした視線はそのまま窓の外へ流れていく。胸ポケットに伸ばした手の動きは癖だったのだろう。タバコの箱に指をかけてから、はっとしたように引いた。
    「この話終わりな。一つ答えたからいいだろ」
     高杉はちっ、と舌を鳴らしたが、それ以上食い下がる事はなく、銀八の横顔に向かって新しい要求をした。
    「……次」
     と言われ、銀八は薄青の空でゆっくりと形を変えていくやはり薄い、煙のような雲を眺めたままやる気のない声で答える。
    「あ?」
    「次の課題、出せよ」
    銀八はまた顔をしかめた。
    (っつーかコレ、結局どう転んでもめんどくさいやつじゃねえか)
     ため息がでる。
     しかし、どうしてだろうと不思議な気持ちも同時に湧いていた。不躾な程の強さで自分を見つめてくる高杉の視線の前に居ると、なぜだか。
     勿論怖くはない。今までも沢山の生徒と関わってきた。不良を相手にしたことだって、強面の保護者を相手にしたことだってある。肝が小さくては教師など気楽にやってはいられない。
     居心地の悪さは確かにある。そんなに見るなよと思う。いつも銀八に向けられる様々な──生徒たちが教師として銀八を見る以外では、それは殆ど奇異の──視線とは違うそれで。だがそのまっすぐな強さに、妙な懐かしさを感じる瞬間があるのだ。
     実のところそれが、銀八に高杉を強く拒絶する事を躊躇わせている要因でもあった。そんなことは初めてで、銀八は未だに戸惑い続けていた。この高杉晋助という生徒が現れてから。


    ◇◇◇

    「あなたが、居なくなった時」
     新八がそう言い始めた時もまだ、高杉は分からないと言う顔をしていた。
     新八が高杉に依頼した事と言うのはこうである。

     銀時の中に巣食うナノマシンウィルスに高杉も感染し、同じ夢──仮想世界の中へと赴いて銀時を見つけ、銀時が起きられずにいる理由を探して、解決して来て欲しい。

     勿論ただ行ったのでは高杉もウィルスに取り込まれて終わりであるので、用意してある新しいワクチンを接種した状態で行く事になる。しかしそのワクチンは一回分……つまり一人分しか無いのだと、新八は緊迫した面持ちで言った。
    「高杉さんをお呼びした理由は実は二つあって、一つ目がその事に関係しているんです。実は……僕達は今、お尋ね者でして……」
     だからこんなところですみません、と謝る新八の前で、高杉は部屋の中を見渡して一人で得心した。こそこそとした場所に呼びつけられたのは未だに公の場には立てない身である己の為かと思ったが、どうやら動けない銀時を人の目から隠す為に相当苦心した結果であるらしい。
     何故そんな事になったのか訊けば、新八は怒っているとも困っているともとれるような顔をした。
    「ええと……これも長い話になるんですけど……。良いですか?僕たちが目を覚ましたところまではお話しましたよね。その後の事です」
     新八は回想する。


     仮想世界でナノマシンウィルスを倒し、新八が目覚めてから既に一週間が経っていた。
     眠り病に冒された人々は新八が知っている限りでは銀時以外は全て目覚め、一部に混乱はあるものの、江戸の町は殆どいつも通りの日常に復帰していると言っても良い状態になっていた。
     テレビではどのチャンネルも眠り病の話題で持ち切りであった。ニュースやワイドショーは枠を拡大して特別番組を組み、専門家の肩書を持つコメンテーター達が並んでそれぞれ持論を披露し合っている。
     しかし、と、新八は浮かない顔をしていた。万事屋の居間である。既に銀時の体は源外製のポッドに収められ、銀時のいつもの寝室に横たわっていた。いつもは銀時が薄い布団を敷く以外には何もなく、どちらかと言えばがらんとした印象のあるその部屋は、今はむしろポッドそのものの大きさもさることながら、繋がれた沢山のコード類も相俟って息苦しい程に狭い。側には神楽と定春が座り込んでいて片時も離れずにいる。
    「どうして、ナノマシンの話が出ないんだろう……」
     新八はそれが気になって仕方なかった。確かに特殊な事案であった事は疑いようがない。新八が眠り病の正体を知る事が出来たのも、身近にたまと源外という規格外の存在と、その道のスペシャリストが居たからで、そうでなければ今だって、不思議な体験をしたなあ、と、テレビを見ながら思っているだけであっただろう。
     だが、確かにたまのような存在は他にいなくても、絡繰り技師であればこの江戸には大勢いる筈だ。源外が特別優れた技師であると言う事を考慮したとしても、他に知識のある者が全く存在しないとは思えない。そうであれば、誰かは気付いても良いのではないだろうか。その可能性にさえ言及しないテレビの報道は、真実を知っている身からすればいっそ不可解でさえあった。
    「やっぱり、どこかに知らせた方が良いのかな……」
     現状、新八達の状況は行き詰まっていた。銀時の様子を毎日見に来てくれる源外によれば、銀時の中に残ったナノマシンウィルスは銀時の脳内で活発に活動してはいるが、外部からの干渉に対して強烈な拒否反応を示す状態であるらしく、例えばワクチンの効果を持つ別のナノマシンを銀時の中に入れたとしても、あまりいい効果は期待できないとの事だった。勿論脳の中に入り込んでいるナノマシンなどという目に見えない程小さなものを外科的手術で取り出す事も不可能だ。
    「せめて元のナノマシンについてもっと情報がありゃァなあ」
     源外はそうぼやいていた。由来が分かれば対処法も分かりやすいという事らしい。仮想世界の中にいる間にたまが集めた情報を元にして解析を進めてはいるものの、それには酷く時間がかかるとも。
     もしナノマシンが原因である事にもっと多くの人が気付いてくれたなら、銀時を助ける方法ももっと早く見つかるのではないだろうか。本当に誰も気付いていないというのなら、それを知っている自分達こそが、声を上げなければならないのではないのだろうか。
     そう思ってぽつり、と呟いた時だった。

     万事屋に突如来客があった。それ自体は不思議な事ではない。どんなに銀時の事が心配でも食べる為には稼がなければならないので、店は三日前から開けていた。新八ももう立派な大人である。実家の道場とも平行して万事屋の仕事を回す事くらいは、もう難なく出来るようになっていた。
     しかしやって来たのは、万事屋への依頼客ではなかった。新八が出迎えに行った玄関の前には全身を真っ白な防護服に包んだ人間が複数人立っていて、それが戸を開けるなり一斉に踏み込んで来たのだ。
    「大江戸感染症研究所の者です」
     防護服の一人がくぐもった声で言った。
     名刺のようなものを差し出され、新八は反射的に受け取る。聞いた事のない名前だったが、『国立』と書かれているからには公的な機関なのだろう。新八はそう判断した。ニュースでも、眠り病については新政府も深刻に捉えていて、確か数日前には対策本部を立ち上げたと話していた。その関連だろうと思った。銀時が眠ったままである事は近所の人なら知っている事だ。もしかしたら誰かが心配して、新八より先に連絡をしてくれたのかもしれない。
    「彼は我々が預かります」
     そう言われて、反発する神楽を宥めてまで銀時の入ったポッドを運んで行く男達を見送ってしまったのは、だからだ。

     それが間違いだった事に気付いたのは、男達を見送ってそう経たない内だった。
    「まずいぞリーダー、新八君」
     そう言って今度は窓から桂が乗り込んで来ると、数刻前までポッドが据えられていた空間がぽっかりと空いている事に気付いて顔を曇らせた。
    「!遅かったか……」
    「どうしたんですか桂さん」
     新八も慌てた。
     かつての攘夷浪士達の首魁の一人であった桂小太郎は、様々な人物と組織の様々な思惑が絡み合う中身分を偽って新政府の初代総理大臣の座に就いた後、あの一件のごたごたの最中に暗殺された事にして表舞台から姿を消し、再び裏社会へと潜んで影から国の行く末を見守る立場に徹していた。とは言え、そんな大仰な身分の男は銀時のただの幼馴染でもあって、基本的にその真意の読めない男がやって来る時は特に大した用事がある訳でもなく、大抵は下らない話をしに来るだけである。あの一件の後は、師ともう一人の幼馴染を亡くした銀時を気にかけてか以前よりも頻繁に万事屋へ訪ねて来るようになっていたので、新八も桂が例え天井裏から登場したとてそれくらいではもう驚かない。だが、付き合いもそこそこ長くなる内に、男が本気かどうか──否、男はいつでも本気ではあるのだが、その用件が一般的な感性と照らし合わせた時、自分達にとって重大な事件なのかどうか、というくらいの判断はつけられるようになっていた。
     そして桂も勿論、銀時の状況の事は知っていた。ナノマシンの見せる夢の中で合流して、一緒に戦った仲間の一人でもある。その桂が真実緊迫感を伴った様子で飛び込んで来たのだ。何事でもない訳がない。
     桂は、眠り病のウィルスを持ち込んだ犯人が分かった、と言った。
    「珍しい物をコレクションするのが趣味の男だ。最近は生き物の剥製を集めているらしい。地球の動物だけではなく、他の星の生き物も含めてな。ウィルスの件はどうやら偶発的な事故だったようだ。剥製と言っても既製品を買うのではなく作るところから自分でやりたがって、どこだかの星から生きたまま鼠だか兎だかを取り寄せたらしい。その生き物が感染していたと言う事だろう」
     桂は呆れたような溜息を吐いた。新八は疑問を口にする。
    「でも、そういうのって、検疫っていうんでしたっけ。入国管理局とかで調べたりするんじゃ……?」
     それでもターミナル周辺では逃げ出したエイリアンなどによる事件が度々起こっている事は知っていたが、旧幕府から新政権へと移行して、今まで天人達に好き勝手を許していた条約などに大分修正が入った結果、最近ではそういった事故も大分減っていると聞いていた。新八の疑問に、桂は頷く。
    「普通ならな。厄介なのはこの男が、あちこちにコネを持っている大富豪だと言う事だ。どうやら入管の職員に金を渡して、本来なら持ち込みすら禁止されているような物も違法に通させていたようなのだ。調べに時間がかかったのはその所為だな。全く……法を何だと思っているのか」
     新八は突っ込まなかった。桂は嘆かわしい、といつもの調子で首を振りながら、しかしふいに表情を引き締めて、ポッドが置かれていた場所を見て言葉を継ぐ。
    「いや、だが……それだけなら今回の場合大した問題ではなかったのだ。そやつ自身に問い詰めずとも、それを運んで来た船の記録を辿れば、ウィルスの出所もいずれ判明するだろうからな。今問題なのは……どうもそやつが銀時に目を付けたらしいと言う事でな」
    「まさか……」
     新八は青褪めた。ぞっとする物が胃からせり上がって来るのを必死で堪える。
     今銀時を連れて行ったのは。まさか。
     桂は重々しい表情で新八の想像を肯定した。
    「うむ。銀時は……どういう訳か昔からその手の連中にやたらとモテてな」
    「いや、笑えませんよ……」
    「む、勿論笑わせるつもりで言ったのではないぞ。俺は真剣だ。とにかく、この手の事は初めてではないと言う事が言いたかったんだが、今回は事情が違うだろう。今までは大体銀時が自力でどうにかして帰って来られていたのだが」
    「無理……ですよね……」
    「そうなのだ。今回ばかりは流石のアイツでもどうにもなるまい。助けてやらねば」
    「えっと、じゃ、じゃあ、警察に」
     新八は大慌てで立ち上がって、銀時の社長机の上にある電話機へ向かおうとした。しかし桂がそれを制する。
    「無駄だ、新八君。いや、無理だ、と言うべきか。言っただろう。そやつは多方面にコネクションがあると。旧幕府の政権下で相当あくどい商売をしていた男だ。そういう連中は大概幕府と一緒に倒れたのだがな、そこを生き残って、新政権下でも新たな繋がりを得たような狡猾な男だぞ。警察にも当然顔が効くと思ってくれ。通報したとてどうにもならん。口惜しいがな」
    「そんな」
    「そもそも、現状では銀時の事は何の事件にすらなってはおらんのだ。何と言って連中は銀時を連れて行った?」
     新八ははっとして、防護服の男に渡された名刺を桂に渡した。
    「ここに来た連中に、そやつの息が掛かっている事はまず間違いない。だが、この名刺は本物のようだな。眠り病について公には何も分かっていない事になっている現状、その患者を感染症の研究所が収容する事に疑義をさしはさむ者は居らぬだろう。すまないな、新八君。俺がもう少し早く来ていれば……」
     新八は中途半端に立ち上がりかけた膝の前で拳を握りしめる事しか出来なかった。そんなたくらみがあったと知らなかったとは言え、銀時の身をあっさりと連中の手に委ねてしまったのは自分なのだ。もっと疑うべきだった。ナノマシンの話がいつまでたっても表沙汰にならない事に、確かに何か、怪しい気配を感じていた筈なのに、と項垂れる。
     その時、叫んだのは定春と一緒にずっと黙って座っていた神楽だった。
    「助けに行くアル!」
    「神楽ちゃん……」
    「その乾麺研究所とか言うところに乗り込んで銀ちゃんを取り戻すネ!」
    「感染研究所だよ神楽ちゃん。そうだね。僕らが自分で行かなきゃだよね」


     そういう訳で、と、新八はそこで一度話を締め括った。
    「僕たちは研究所に乗り込んで、銀さんを取り返す事だけは出来たんですけど……」
     その事が原因で警察に追われる身となり、現在は空の万事屋や関係各所にも監視の目が張り付いている為、ろくな身動きが取れなくなってしまったのだ、と新八は項垂れる。
    「真選組の人たちは夢の中でも一緒だった事もあって、こっちの事情をかなり分かってくれてるんで、大分見逃して貰っているんですけどね。普通の警察の上の方と、あとマスコミですね。犯人はそっちに大分顔が効くみたいで……僕たちは危険な病原体を研究所から持ち出して逃げたテロリスト扱いですよ。テレビでも指名手配書を報道されちゃって」
    「なるほどな」
     高杉は頷いた。
     確かにそういう状況であるのなら、そもそもテロリストとして生きて来た高杉の方が、この町で平和に暮らしていた筈の人間よりは上手く立ち回る事が出来るだろう。もし新八達が捕まってしまえばそのまま銀時の命の危機となると言う事であれば、最悪の場合は銀時の身柄だけでもどこかへ逃がして欲しいと願う動機も理解出来る。
    「だが、それも絶対俺でなけりゃならねえ理由にはならねえな」
    「そうですね。でも、頼れる人が貴方しかいないのも本当なんです。今江戸に居る人間の大半は一度ウィルスに感染して、たまさんの作ったワクチンによって目覚めています。ワクチンの効果は暫く続くそうなので、新しく作ったそれをすぐには使えないんですよ。使ったところで、前の効果が残っている間は銀さんの中に居るウィルスのネットワークの中に入り込む事は出来ないでしょう。待っている時間はありませんし、代わりの人間を探そうにもこの状況では難しいです」
     高杉は鼻を鳴らした。
    「まあいい。一つ目がそれなら、二つ目は何だ」
     促されて、新八は僅かに躊躇うような視線を足元に彷徨わせた。
     そして口にしたのが冒頭の台詞である。


    ◇◇◇

     銀魂高校の側には繁華街がある。この辺りでは一番賑わっている場所で、銀魂高校の生徒が放課後に遊ぶ店も、教員達が飲み会をする時に使う店も大体全部この周辺に固まっている。御用達と言う訳である。
     その路地裏で、銀八はやれやれと深い溜息を吐いた。
    「お前なあ……」
     帰り道、校内で羽織っているいつもの白衣を脱いで、緩めのスラックスとワイシャツ姿になっている銀八の前には、生徒の下校時間からはとっくに何時間も経っているのに、まだ制服姿の高杉が両の手をポケットに突っ込み、ふてくされたような姿で立っている。
     たった今まで、高杉はこの路地裏で他校の不良に取り囲まれていた。端的に言えば、喧嘩の真っ最中であった。完全に多勢に無勢。十数人は居ようかという敵の中、たった一人で拳を握っていた高杉の姿に、放課後のパトロールという名目で町をそぞろ歩いていた銀八が見慣れた制服と紫がかった黒髪を視界の端に捉えて気付いた。気付いてしまったからには放っておく事も出来ず、仕方なく介入したものである。
     勿論、暴力をふるった訳ではない。至って平和的に、携帯電話のディスプレイをこれ見よがしに光らせて、警察へ通報済みである事を声高に主張しながら割って入って行ったのだ。実際には通報などしていなければするつもりもなかった訳だが効果は覿面で、不良達はそれぞれ漫画のような捨て台詞を吐きながら散り散りに夜の繁華街の闇の中へと逃げ去って行き、後には高杉だけが残ったのだった。
     台無しじゃねえか、と言うのが銀八の率直な心情である。
     あれから、高杉とはいくつかの取引をして、二、三の細かい質問に答えていた。本当に些細な事だ。好きな食べ物だの、休日の過ごし方だの。最初こそ何を要求されるのかと身構え難しい課題を与えた銀八だったが、高杉の方にまるで含んだ様子や裏がないのですっかり毒気を抜かれ、今は一週間ごとに毎日遅刻せず登校してくる事だとか、授業やホームルームの前後に荷物運びを任せるだとか、銀八の方からもささいな物事を要求としている。
     結局は子供と言う事なのだろう。やけに大人びた視線と不遜な態度、強気な物言いの所為で勘違いしそうになっていたが、そもそも好きだ好きだと一方的に押しかけて来ていた時点で、駄々を捏ねる子供そのものだった事を思い返せば、ともすればキスや、それ以上の事を対価として求められる事があったらどうしようなどと、密かに身構えてしまっていた自分をこそ、銀八は少しばかり恥じさえした。
     何にしろ、多少の煩わしさは残しつつも、約束通りむやみやたらに高杉が押しかけてくる事が無くなった事で、銀八の生活は元通りになっていた。むしろ銀八が課した事を本当に何でもこなして見せる高杉のお陰で、その好成績と生活態度に引っ張られてクラスの成績も平均値が上がり、今のところ校長の機嫌はかなり上向きで、これならば夏のボーナスは期待できそうだと皮算用まで始める程に、それは快適と言っても良かった。
     そんな矢先の事である。
     銀八はうーん、と悩んだ。子供は元気な方が良い、とは言うが、物には限度と言う物がある。まして高杉は既に停学処分を受けて、その期間が明けたばかりなのだ。次があれば停学程度で済むとは思えない。かと言って、そんな事をわざわざ指摘しなければ分からない程子供でもないだろう。
    「……一応聞くけど」
     銀八はすっかり不機嫌な様子になって言った。仕事を終えた後と言う事もあって、疲れていつもよりも一段低くなった声が路地裏の湿った空気の中にぼそぼそと落ちる。
    「お前から吹っ掛けた訳じゃねえな?」
     高杉は頷いた。銀八としても当然、それは殆ど確信の上での問いかけだった。二人、三人程度であればまだしもだ。どんなに腕に自信があるとしても、わざわざあんなに大勢を相手に自分から挑もうと言う者はただの馬鹿か、余程の自殺願望を持っている者のどちらかだろう。
    「つっても、ただ絡まれたにしちゃあちらさんは随分殺気立ってるみたいだったけど、何かそんな恨まれるような事したの」
    「……さァな」
    「俺が喧嘩すんなっつったらしないでくれたりする?」
    「無理だ」
    「……ちょっとは悪びれたりしねえのかよ」
     はあ。と溜息を吐いて、銀八はばりばりと頭を掻いた。だがそれも分かっていて訊いた。
    「まあ……じゃあ、せめてバレないようにやれよ」
     そう言いながら、踵を返して路地裏を去ろうとする。高杉は少しだけ意外そうな顔をした。
    「良いのか」
     銀八は首だけ振り返ってもう一度溜息を吐いて見せた。
    「だって駄目っつっても無駄なんだろ。なら俺に出来ンのは見なかった事にするくれェだよ。先生助けて、って感じでもねえし。それとも言ってみるか?」
    「死んでも言わねェ」
    「ほらな。お前みたいなやつはそうなんだよなあ。ま、どうにもなんなくなったら相談くらいは乗ってやるから、死ぬ前には来い」
    「あァ」
    「じゃあな。マジでお前もうさっさと帰れよ。あ、あとこれやるわ」
     ごそごそ、とポケットを探っていた銀八は、少し折れた絆創膏を指先で摘まんで取り出すと、それを高杉の制服のポケットに有無を言わさずに押し込む。
    「口の端。切れてンぞ。あと手。帰ったら消毒しろよな。おやすみ」
     ひらりと手を振って、銀八はもう振り返らなかった。


     さて、と、銀八は頬杖をついて教室を見渡しながら、一度は無くなった筈の悩みで頭を悩ませていた。頭が痛い。
     一度気付いてしまうとどうしても目についた。あの日だけでなく、高杉はしょっちゅう喧嘩をしているようだった。あんな多勢に逃げずに立ち向かっていた時点で分かってはいたが、高杉自身は相当強くはあるようであからさまな怪我を負っている事は今のところは無く、よくよく観察すれば唇が切れていたり、頬や顎先、拳などに擦り傷があったりする程度ではある。だが治ったかと思えばすぐにまた別の場所に新しく傷が増えている為、もしかしたら殆ど毎日、あんな事があるのかも知れなかった。それは尋常な事だとは思えない。
     知らないフリをするしかない、と口では言ったが、銀八は教師である。知らない子供であればまだしも、自分の担当するクラスの生徒が危険に巻き込まれていると知っていて、まさか本当に放置し続ける訳にも行かない。責任がある。
     しかし、一体どこまで踏み込んで行くべきなのだろうか。銀八にしては珍しく、距離感を測りかねていた。理由の一つとしては、やはり高杉に想いを寄せられていると銀八自身が知っているという事が大きい。下手に手を出して、それが期待を持たせる事になってはいけないと思うからこそだった。いっそ嫌われている方が、こういう場合は逆にズケズケと入って行きやすくて良いのにとさえ思う。
    (どうしたもんかなあ……)
     答えを探すように巡らせた窓の外では、しとしとと雨が降っていた。
     長く伸びた梅雨前線は天気図の上から頑として動かず、この辺りではもう一週間も太陽が姿を見せていない。じめじめとした空気のせいで、銀八の天然パーマの髪はいつも以上にぼわぼわと膨らんでまとまりがなく、銀八は余計に憂鬱な気分だった。もしかしたら頭痛の理由はそっちかもしれない。
     教室は静かだった。生徒達は皆頭を下げて、銀八作の小テストに向かって真剣に取り組んでいる。カリカリと鉛筆やシャープペンシルの先が藁半紙を引っ掻く音と、時々誰かが姿勢を変えて、椅子の足が床を擦る音だけが蒸し暑い空気の中に満ちている。
     その中には勿論高杉も居る。窓際の、一番後ろの席。艶やかな黒髪は銀八の白い髪とは違って湿度になど煩わされはしないようで、いつも通りさらさらと、僅かな動きにも従って流れている。羨ましい事だと銀八は思った。銀八自身は毎朝どんなに鏡の前で奮闘したところで、登校してきた生徒達に「先生また寝癖」と笑われるので、最近では完全に髪型をどうこうするのは諦めてしまっている。頑張ってもどうしようもない事は、どうしたってあるものだ。
     ぼんやりと考えている内に、銀八は高杉の事をずっと見てしまっていたようだった。
     ふいに顔を上げた高杉と目が合って、銀八は不自然には見えないように、ゆっくりと視線を逸らした。そのまま暫く横顔に視線が突き刺さって来るのを感じていたが、無心で落ちて行く雨の行方を追い、分厚く空を覆った雲の僅かな切れ目を辿っているとやがて諦めたのか感じなくなり、横目で見やれば高杉も窓の外を見ていた。どうやらテストの問題は既に解き終わっているらしい。
     その表情からは、何を考えているのか読み取る事は出来ない。澄ました横顔には、悩みの影さえ見当たらず、銀八はなんだか面白くない気分になった。
    (そもそもお前が、好きだなんて言うから)
     考えなくてもいい余計な悩みが増えてしまった。自分ばかり悩まされて、と、子供相手に恨めしい感情が湧く。それでも卒業するまではどうにかして面倒を見てやらなければならないのだから、教師というのは全く、損な職業である。
     チャイムが鳴り、プリントを集め終わると銀八は高杉を呼んだ。
    「高杉、この後ちょっと来い」


    ◇◇◇

     あれから四年経っている。
     表向きには、とある宗教団体の起こしたテロと言う事になっているあのターミナル襲撃事件──実際には、この星のアルタナの化身として生まれ、不死の我が身と人間に絶望した虚なる怪物が無理心中を図ったとも言える一件の事である。
     新八が言っているのはその時の事だ。
     その時、高杉は一度死んでいる。銀時と共にかつて助けたかった師と表裏一体の存在に立ち向かい、刺し違えるようにして。銀時の腕の中で息を引き取り、最後は崩れゆくターミナルからアルタナの奔流の中へその身を呑まれて行った。
     それが何の因果か。──それとも、誰か意思ある者の采配だったのか。ただの人の身でありながら不死の因子を一度はその身に取り入れた事は、果たして何か関係があっただろうか。一年後、高杉はアルタナの流れの中から再びこの世に生まれ出た。更にその数年前、虚が地球壊滅を目論んだ一度目の事件。立ち向かった銀時達かぶき町の面々との戦いの末、自らアルタナの中に身を投じた虚……あるいは師と同じように、赤子の姿で。
     高杉のかつての部下達が、ある龍脈でその赤子を保護したのは奇しくも一度目の生の始まりと同じ、真っ青に空の晴れ上がった夏の盛りの日であったと言うが、高杉自身は当初自我を持たなかった。高杉晋助としての意識と記憶を取り戻したのはそれから次の一年が経って、尋常ならざる速度で見た目上では七、八つの頃の子供の姿へと成長してからの事だ。
     故に、高杉本人の感覚としてはあれからはまだ二年程しか経っていない事になる。ただ、死んだ(・・・)という事を高杉自身が強く認識している所為なのか、それは言葉で言うよりももっとずっと、高杉の意識にある種の隔絶を起こしていた。出来事は遠く、とっくに十年や二十年は過ぎた昔の事であるような。確かに自分自身の事だと言う実感はあるのだが、死の前と後とでは、違う存在になったかのような。
     それでも、高杉は二度目の生を得た事をありがたく思っている。きっと師の差配であろう。それは温情を与えられたという訳ではなく、やり残した事がまだあるだろう、という事だと解釈している。その為に師は、自分を地獄から追い返したのだろうと。
     実際に、気に掛かっていた事はあった。四年前、天導衆の残党が地球へ向かったと聞いて急遽地球に引き返して来た時、その時点で各地に散らばった虚の欠片を全て探し出す事が出来ていたのかどうか、まだはっきりとは確認出来ていなかったからだ。
     アルタナについてはまだ分からない事が多い。他星のアルタナと相容れる事はないらしいので、恐らくは本体である虚の消滅を持ってその因子は消滅したか、あるいはいずれ消滅して行く物だと思われはするが、その予測を決して過信は出来ない。加えて、今後同じような存在が生まれないとは誰にも断言は出来ないだろう。もしまたそんな存在が生まれて来たとして、師の悲しみを繰り返させたくはなかった。そうさせない為に今出来る事はあるはずで、それを成すべきは彼の人の弟子である自分の責務であろうと、高杉は思っている。

     だから高杉は、訝しげに首を傾げて新八に問い返した。
    「先生の事、聞いてねえのか?」
     新八が訥々と語る、その後(・・・)の銀時の様子については、高杉にも理解は出来る。
     曰く、見ているのも辛い程に銀時は落ち込み、憔悴していたと。「あの銀時が」と新八が強調して言うのも良く分かる。高杉も銀時の正確の事は知っている。少なくともそう思ってはいる。とにかくあの男は自分を見せたがらないのだ。感情はいつも、気怠げで、だらしなく見せようとする仮面の下に押し込められて。
     そんな銀時が端から見て分かる程落ち込んでいるというのは、確かに異常事態だと言えるだろう。だが当然の状態だとも言える。あの時銀時は、自分を拾い上げ、育ててくれた親であり師であるあの人を──吉田松陽という、銀時の人生の始まりに立っていたその人を失ったのだから。その人自身が自らの生の終わりを願っていたとしてもだ。それはどれだけ銀時を傷つけただろう。抱いた喪失感は計り知れない。平静であれと言う方が無理な話である。
     だと言うのに、新八はまるで高杉の事だけを指して話しているようなのが、高杉には分からなかった。
     高杉は決して、己の存在を軽んじている訳ではない。銀時が抱えたものを大事にする男だと言う事は身を持って知っている。銀時から平穏な暮らしを奪い、師さえその手に掛けさせて敵(かたき)となり、一度は、己は二度と銀時の構えるその剣の内へ立ち入る事さえ許されはしないだろうと思っていた事もある高杉であったが、今となっては何かを問い確かめる必要も無い。
     あのターミナルで。最後に銀時は、引き留めるかのように高杉の肩を抱いた。
     その手の力強さを、高杉は覚えている。強いのに震えていた弱々しさを、今でも鮮明に思い出せる。掠れていく視界に映った、泣き出しそうな、それでも高杉が願ったから。懸命に作って見せた笑みを浮かべた顔を。音を拾わなくなっていく鼓膜に届いた、約束の言葉を。
     あの瞬間を体験して尚、銀時にとって自分がどうでもいい存在であるだろうなどとは、どんなに愚かな男でも、例え謙遜でも言えはしまい。
     確かに銀時はあの時、死に行く高杉を惜しんでくれていた。
     つまり、師である松陽と、友──と言うには剣呑過ぎたが、自分達の関係を形だけでも人に伝わるように言葉を選ぶのであれば、一先ずそう言ってはみるしかない──である自分の二人を一度に失くしてしまったから、と言うのであれば、新八の言いようも分からなくはないのだが。
     そう考えて、高杉が思い至ったのが、銀時はもしかしたら師の事を子供達に話していないのではないかと言う事だった。普通なら、あんな事があれば長く共に暮らしている子供達にくらいは事情を話すものだと思うだろうが、そう言った普通(・・)が通用しないのも銀時と言う男だった。ありえなくはない。
     しかし新八は首を振る。
    「いいえ。松陽先生の事は、勿論僕達も知ってます。最後は一緒にお見送りしましたから」
    「じゃあ」
    「いいえ」
     新八の語気は激しかった。
    「いいえ」
     そう言って俯いていた視線を上げ、高杉を見据えた顔には怒りがあって、高杉はとうとう話の行方を本当に見失った。新八の怒りの理由が分からないからではない。その理由なら、わざわざ考えなくてもいくらでも思いつく。高杉は彼らの敵だった。彼らに刃を向け、銀時を傷つけ、町を焼こうとした。憎まれない理由の方が無い。
     だが、彼らがいつかは高杉のその罪を糾弾したいと思っているとしても、今ではないだろう。それは分かっている。そんな相手にさえ頼らなければならない程、銀時が窮地に陥っている時にそんな事をしても意味がない。
     勿論、なんであれ、高杉は銀時を助けるつもりではいる。そうでなければ最初から来ない。
     ただ、その為にはやはり事情を知っておく必要があると思うからこそ、高杉は新八の話にじっと耳を傾けているのだった。

     一瞬、憤りの色を見せた新八は、すぐに少しだけ申し訳無さそうな顔をしていた。
    「本当は、僕もはじめは、そう思っていたんです。先生もあなたも居なくなって……寂しくない訳がない。僕も父上を早くに亡くして、兄のようだった人もいなくなった事があるので、大事な人が居なくなるって気持ち、少しは分かるつもりです。それでも何て声をかけたらいいのかは分からなくて……。いつも通りに振る舞おうとする銀さんに、せめて気を遣わせないようにって、僕もいつも通りにしている事くらいしか、結局出来ませんでした。その内、本当に、静かに銀さんは立ち直って行って……そういう風に見えました」
     今思うと、と、新八は振り返るように言う。
    「あれはあなたが生き返ったって──……って、言うのかどうかは分からないんですけど。生まれ変わったって言う方が正しいんでしょうか。それを知ったからだったんですね。僕は今回の事があるまで、貴方が生きていた事さえ知らなかったんですけど、桂さんが教えてくれて。銀さんにはその時に坂本さんが手紙を送って知らせた筈だって、桂さんは言ってました」
     高杉は何も言わなかった。
    「でも、もしかしたら違ったのかなって思ったのも、今回の事があったからです。いえ、全く違っていたって事は無いと思うんですけど……。寂しかったのは、確かにそうだったと思うんですけど。……ええと、ナノマシンが、夢を見ている人間の脳波で増殖するって話はしましたよね。その為にとりついた人間に凄くリアリティのある夢を見せるって」
    「ああ」
    「それで、これは……後から気付いた事なんですけど。銀さんが目を覚まさなくなってから、どうしてだろうって、皆で考えて。眠り病のウィルスは、もしかしたら僕達の思考を読み取っていたかもしれません。夢の中で願望を具現化する事で、宿主を夢に依存させようとしているって言うか。もっとここに居たい。目を覚ましたくないって……まあ、そもそも夢だと認識する事すら難しいみたいなんですけどね、本当は。脳は自分が覚醒していると思い込んでいる訳ですから、不安や疑いがなければ余計そうでしょう」
     高杉はガラスの容器の中の銀時を見た。穏やかな寝顔からは確かに何の苦悩も感じられない。無骨な装置が醸し出す物々しい雰囲気といかにも真面目そうな青年である新八の浮かべた深刻な表情がなければ、今その身が死の淵に居ると言われても信じられなかっただろう。折角気持ち良さそうに寝ているのだから、好きなだけ寝かせておいてやれば良いとすら思ってしまいそうだった。
    「実際……夢だって言う事に気付かなければ、素晴らしい世界だったと思います。平和で、命のやりとりを日常でする事なんてなくて、皆楽しそうにしてて。でも、」
     新八が言葉を切って、今度は高杉が落としていた視線を上げた。
    「何て言えば良いんでしょう。うまく説明出来ないんですけど、行きすぎだと思うんです。ウィルスは僕達の思考を読み取りはしても、感情までは理解してないというか」
     新八は困ったように眉を八の字にした。それから、「あ」と声を上げて、何か思いついたという顔をする。
    「例えばなんですが、僕はアイドルの寺門お通ちゃんのファンなんです。僕はずっと、彼女が路上で歌っていた頃から応援していました。どんどん人気が出て、大きな会場でライブをするようになって。これからもずっと応援していくつもりです。もっと皆にお通ちゃんの素晴らしさを知ってもらいたい。そうだったらいいのになって思ってるんです。だからでしょう。夢の世界でもお通ちゃんはアイドルで、それも物凄い大スターで、知らない人の方が珍しいような、世界の歌姫って感じの存在になっていました」
    「それが……?」
    「ええ、そこまでなら良いんです。実現したら凄く嬉しいです。あ、眠り病が発生した日はお通ちゃんは地方でライブがあって江戸には居なかったので、本人の願望が、って事は無いのは確認してあります。だから、夢の中のお通ちゃんは、ウィルスが僕の思考を読み取って具現化した存在だったと思うんです。多分ですけどね。それでですね、僕が違うんじゃないかって言うのは、そのお通ちゃんが、僕達と同じ学校に通っていたからなんです。クラスメイトでした。人気絶頂のアイドルでありながら、僕達と机を並べて、すごく、近くにいました。でもね、実際の僕はそんな事望んでなんて無いんです。そりゃ、全く憧れないって言ったら嘘になりますよ。大好きなアイドルとクラスメイトだなんて、実際そんな事があったら舞い上がっちゃうとは思います。僕も男なんで。でも、違うんです。僕はアイドルの寺門通のファンであって、そういう風にお通ちゃんとお近づきになりたい訳じゃない。僕の想いは、そういうものじゃないんです。……なんて、恥ずかしいですけど」
     話している内に段々と口調に熱を帯びていた新八は、そこではっとしたように照れて笑った。一方で高杉はますます難しい顔をする。
    「随分と回りくどいじゃねェか。要するに、銀時は何かしらを餌にそのウィルスに囚われっぱなしになってるって話なんだろ?で、ソイツを俺にどうにかして欲しいって訳だ。それァ構わねえよ。今更コイツがンな訳のわからねえモンに殺されたとあっちゃ寝覚めも悪ィ。折角来たしな、手は貸してやる。だからさっさと、ソイツがなんなのかって話をしな。敵が分からねえんじゃ戦いようがねェだろ」
     そう苛立ったように言う。行き着く先の分からない話を聞き続けるのもいい加減に飽きて来ていた。この話はやめだ、とでも言うように懐から出した手をぞんざいな仕草で振れば、滲んだ怒気が冷たく部屋の中へと拡散し、新八の肌をぷつぷつと粟立たせる。新八は少し慌てたように、それでもかつての最凶の敵だった男を前にして退け腰になる事もなく、しっかりとした口調で高杉に反論した。
    「ええ、だから、その話をする為の、前提をお話ししているんです。つまりですね、ウィルスの見せている夢は、その人の真の望みからはかけ離れている可能性があるんです。先ずそれを分かって欲しくて」
    「分かった分かった、で?」
    「はい。それで僕達も気付いたんです。そうやって仮想世界には、現実には居ない人物も存在していました。誰かが憧れる人、会いたい人……。松陽先生も」
    「そりゃア、不思議はねェな」
    「そうですね。銀さんはきっと会いたいと思っていたんでしょう。松陽先生が僕達と一緒に笑って、くだらないことして、騒いで。そういう日常を見たいって。だから逆に変だと思ったんですよ。貴方が、居なかった事が」
     高杉は長い前髪の下で鋭い目を眇め、値踏みするような目付きで新八を見た。
    「それも、おかしくはねェだろ」
    「なんでです?」
    「てめェらまさか、俺が何したのか……俺に、何されたのか忘れた訳じゃねえだろう。俺はてめェら全員の敵なんだぜ。楽しいままごとすんのに、悪役なんてのは余計だろうよ」
     ふん、と鼻を鳴らして吐き捨てられた言葉に、溜息を吐いたのは新八の方だった。
    「全然分かってくれてないじゃないですか。だから説明したんです。本人の本当の願望を、ウィルスは曲解して肥大化している部分があるんじゃないかって。だってそうじゃないですか。僕には、あなたがた二人が憎み合っているようには見えませんでした。銀さんがあなたに会いたくないと思っていたなんて、そんな風には絶対に」
    「だが、先生は居たんだろ」
    「はい。でも、銀さんが貴方と先生へ抱いていた気持ちは、多分別の物なんじゃないかって……。えっと、そう言ったのは僕じゃなくて、神楽ちゃんなんですけど。お恥ずかしながら、僕にはまだ、そう言う人が居た事はなくて。女の子って凄いですね。言われてみれば、そうなのかも、って思える事が一杯あって」
    「何の話だ」
    「ええと……だから……」
     新八はまだごくりと喉を鳴らした。ここまで来てまだ何を言いづらい事があるのだろうと、高杉は形の良い眉を顰めて新八を見ている。
    「さっさと言いな」
    「あの、怒らないで下さいね」
    「あァ……?」
    「いえ、すみません。本当に僕の口から言っちゃっていいのかなって……」
    「訳が分からねえ。いい加減にしねェと本当に斬るぜ。案外本気で殺そうとしてみりゃコイツも慌ててあっさり目ェ覚ますんじゃねえのか」
    「ちょっ……やめてくださいよ。すみません、だから。そのですね、銀さんは……貴方のことが、好きだったんじゃないのかなって。そしてもしかしたら貴方も……高杉さんも、銀さんの事、そう思っていたんじゃないんですか」


     青白い光に照らされて、浮かび上がる二人分の影は微動だにしなかった。ただこぽり、こぽり、と銀時の口元から立ち上っていく小さな気泡だけが時の経過を物語る中、一度口を噤んだ新八は、高杉が何も言わない事に焦れたように、あるいは、今こそが勝機である事を悟った将兵のように、畳みかけるように話を続けた。高杉が僅かに目を瞠り、息を呑んだ瞬間を、新八は見逃してはいなかった。
    「多分ですけど、それを、忘れられたら楽だろうなって、思った事はあるんでしょうね。お二人に何があったのか、僕は全部を知ってる訳じゃないですけど……。言わないじゃないですか、銀さんは、何も。もっと頼ってくれたらいいのになって、思う事もあります。でも、銀さんはいつもはチャランポランに見えるけれど、すごく自分を責めるっていうか……責任を感じる人だから……。それに言葉の重みを良く知っていて。だから、本当は貴方に会いたくても言えなくて、もしかしたら、そう思う事すらいけない事だって思っていたかもしれないって、思うんです。それはどれだけ苦しい事だったでしょうか。僕には想像もつかないけど……」
     新八はぎゅ、と握った拳を胸の前に当てた。高杉は薄い唇を開き、一旦何かを言いかけたが言わないままで閉じた。真っ直ぐに引き結ばれた唇は、いっそ不自然な程何の感情も乗せていない。
     また言葉を発したのは新八になった。
    「ナノマシンウィルスの話を先にさせて貰ったのは、だからなんです。眠り病のウィルスは、銀さんのその感情を、間違って捉えて増幅させたんだと思うんです。忘れた方が楽だって。じゃあいっそ全部、無かった事にすれば、何も考えなくていいのにって。でも、そんなの銀さんの本当の望みな訳がない。だって、銀さんは一度拾った物を自ら捨てるような人じゃないんですよ。それが例え、辛くても、苦しくても。あなたは……知ってると、思いますけど」
     二人の間に度々落ちる沈黙は、今度は随分と長く続いた。
     銀時を収めた装置の駆動音が低く鳴る中、こぽり、と、銀時の唇の端からまた気泡が溢れて、青白い光の中をゆらゆらと上っていく。高杉も新八も、その行方を目で追っていた。勿論こうしていても、銀時が目を開けることはない。
     やがて、根負けしたように高杉が長い溜息を吐いて言った。
    「……コイツが、何を思ってたのかは俺も知らねェよ。だが、そうだな。意地汚ねェってとこだけは、そうなンじゃねえか」
    「そうでしょう」
     新八は満足気な顔をした。
    「だから貴方を呼んだんです。銀さんが今どんな夢を見ているのかは分かりませんけど……、でも、それは絶対に銀さんの本当の望みではないと思うんです。間違った解釈で作り上げられた夢の世界に閉じ込められて、そのまま殺されそうになってるなんて、そんなの、あんまりじゃないですか。でも貴方ならきっと、銀さんがどんな夢を見ていても本当の事を思い出させてくれるんじゃないかって、そう思います。銀さんが、忘れたい程会いたいと思っていた貴方なら。だから高杉さん、お願いします。銀さんを……迎えに行ってあげてくれませんか。本当はこんな風に、僕が口を出して良い話じゃないのは分かってます。危険な事をお願いしているという事も。でも、僕は嫌なんです。このまま銀さんが死んで行くのを見ていたくはありませんし、出来れば銀さんには笑っていて欲しいから。それは、僕らが……この町の皆が思っている事です。今はここには僕しかいませんけど、これは僕らからのお願いなんです。貴方を呼んだのが、こんな状況になったからって言うのは否定しません。余裕さえあるなら、僕達だけで解決しようとしたと思います。でも、元から僕達は、貴方を恨んだりしてないんです。高杉さん。だからもしその事が気に掛かってるって事なら気にしないで下さい。その上で、どうか、引き受けてはくれませんか?」
     真摯な瞳で新八は高杉を見た。高杉はまだ銀時を見つめながら、ぽつり、と返事をする。
    「無事に連れ帰ると、保証は出来ねェ」
    「はい」
     新八は頷く。
    「それでも、俺に任せて構わねえんだな」
    「高杉さんに無理なら、きっと誰にも出来ないですから」
    「は、そりゃァ随分な買いかぶられようじゃねェか」
    「銀さんがね、前に言ってたんです。高杉さんは、やると決めたら絶対にやり遂げる人だって」
    「そうかい」
     高杉は唇を歪めた。その横顔を新八は見ていた。

     何をするにしても、追われている状態でこの場所に留まり続ける事は危険であると言う事で話はまとまり、自分達だけならなんとかなるという新八から、高杉は銀時の身柄だけを引き受ける事になった。鬼兵隊とその段取りをつける為に一旦戻るその去り際、高杉は地下室の出口でふと足を止め、振り返って言った。
    「オイ、眼鏡」
     目立つ動きは出来ないという事情もあり、たった一人でかつてのラスボスに対峙しなければならなかった所為で相当緊張していたのか、高杉が踵を返した瞬間どっと噴き出した汗を拭い、その場に崩れ落ちかけていた新八は、慌てて身構える。
     しかし高杉の放った言葉にぽかんとした後で、すぐににこりと笑った。
    「言っとくが、俺ァ、てめェの言葉を肯定したつもりはねえからな」
     などと言われたからだ。
    「桂さんがね、言ってたんですけど」
     唐突にもう一人の幼馴染みの名を出されて高杉が顔を顰めるのを見て、新八は益々緩む頬を抑えられなくなる。
    「アイツらは似た者同士だからって。僕、貴方の事はまだあんまり知らないですけど、今すごく良く分かった気がします。桂さんの名前を出すとする顔も、本当に銀さんとそっくりですね、高杉さん」



    02

     坂田銀八は教師ではあるが、生まれた時からそうだった訳では、勿論ない。
     教師という仕事は基本的に激務になりがちであり、生徒からしてみればいつ何処で遭おうとも彼という存在は『教師』である為、仕事場と住居が近いと尚更仕事と私生活とを切り離す事は難しいのだが、それでも彼にも、彼自身の、ただ一人の男としての人生があって、日常がある。
     毎週ジャンプを楽しみにしている以外特に趣味がある訳でもなく、公私の別というものにあまり拘りも無い銀八は、四六時中自分が教師である事に特に不便を感じてはいないし、そもそも、どうせ付き合いのある人間といえば教師としての同僚と教え子達、それに近所の行きつけの商店の店員達くらいで、彼らもまた銀八が教師であるという事を知っているので敢えて気分を切り替えたりする事もない。しかし今日は珍しく、その『個人』である坂田銀八として、とある居酒屋で杯を掲げていた。
    「かんぱーい」
     と、そこは相変わらず気怠げな口ぶりで言う銀八の向かいには一人の男が座って、銀八の掲げたビールジョッキに日本酒を注いだ猪口をカチン、と音を立ててぶつけた。
    「あー、美味ェ。やっぱ夏はビールだよな。お前はいっつも日本酒しか飲まねえけど」
     泡立つ黄金色の液体をごくごくと美味そうな顔をして飲み干した銀八は、ジョッキを下ろすとぷはあ、と息を吐いてその指で男を指した。銀八のように一気飲みをしなかった男は、口元でゆったりと猪口を傾けながら、要するに「一杯目くらいは合わせろよ」と文句を言うように唇を突き出した銀八に向かって、薄い唇で緩やかに弧を描いて笑う。
    「俺ァ、あんまりソイツは好かねェ」
    「知ってるよ。けどたまになんだからさァ」
    「俺とてめェで、今更ンな気ィ使う必要も感じねえ」
    「今更も何も、いつテメーが俺に気ィ使ったってんだ」
    「さァな。覚えがねェ」
    「ほらァ」
     銀八は嫌そうに顔を顰めて男に向けて差した指を上下に振った。ただ、実際には作った表情ほど気分を害している訳ではない。男の方が薄く笑ったまま、男の席の側にあった箸入れから箸を一膳抜き出して銀時に渡し、小皿には醤油を注いでやると、一転してにやにや笑うようになった。
    「晋ちゃん気は利くようになったじゃん」
    「誰が晋ちゃんだ。良いからさっさと食えよ」
    「へいへい。いただきまァす」
     胸の前で軽く手を会わせた銀八は、刺身の盛られた皿へ箸を伸ばす。魚介が売りの店と言うだけあって、刺身はどれもつやつやと輝いていて、どれから手をつけるか少しだけ迷った。その隙に、男の手が横から今が旬の鰹を一切れ攫って行く。銀八は慌てて各種二切れずつしかないそのもう片方を確保して口へ運んだ。
    「てめェ」
     もぐもぐと口を動かしながら睨み付ければ、「早いモン勝ちだろ」と男は澄ました顔で言う。

     この男というのは、一言で言えば銀八の幼馴染みである。
     所謂腐れ縁と呼ばれる類いの関係性だろうか。小、中、高と同じ学校に通い、恐らく過去の二人を知る誰に聞いても「仲が良かった」などとは言わないであろうし本人達もそう思った事はないが、気付けばいつも隣にいて、二人で一つのように扱われる事に何の疑問も持たずに育った。互いの事なら何でも知っていた。好きな食べ物、得意なゲーム、テストで取った点数から、精通した日の事まで、何でも。
     ただ、二人が高校三年生の時、孤児であった銀八を幼い頃に引き取って育てていた養父が事故で亡くなって、その養父のツテのツテを頼って銀八が遠くの施設へ移った事を切っ掛けに、その後二人は長く音信不通になっていた。
     それが急に、「会わないか」などと男の方から連絡を寄越して来たのはつい先月の事。
     最初銀八は身構えた。十年以上も離れていて今更一体何の用かと、恐る恐るの再会であった。言い換えれば緊張していた。しかし一度会えば、離れていた時間などまるで無かったかのように二人の空気は良く馴染み、それから度々会って飲んでいる。
    「で、例の奴はどうなってんだ」
    「あー」
     タッチパネル式のメニューに指を滑らせて、次に注文する物を吟味しているところに声を掛けられて、銀八は今度は本当に嫌そうに顔を顰めた。早くも赤くなりつつある眦の向こうからちらりと男に瞳を向け、はあ、と溜息を吐く。
    「まあ……相変わらずっつーか、なんつーか……」
     と言うのは、最近の銀八の悩みである仕事での事──つまりあの男子生徒、高杉晋助の事である。
     何故その事を男が知っているのかと言えば、当然銀八自身が話したからではあるのだが、銀八は男にその話をしてしまった事を少し後悔している。
     別に相談などしたかった訳ではない。愚痴を言いたかった訳でもない。給料が安いとか、校長が横暴だとか、そういう事で管を巻くのであればともかく、普段の銀八であれば、教師としての仕事で接している子供の事を、全く関係の無い相手に話したりはしなかった。余り仕事と私生活とを分けてはいない銀八ではあるが、社会人として最低限のモラルというものはあるつもりだし、私生活の方に仕事を持ち込みたくないという気持ちも勿論ある。
     ただ、余りにも似すぎていた所為だ。男と、あの少年とが。
     紫がかった光沢の、艶やかに流れる黒髪。少し長くした前髪から覗く緑色の瞳は涼やかに切れ上がっていて、睫が長い。すっと通った鼻梁。形の良い薄い唇。その一つ一つが整ったパーツが合わさって、最終に作り上げる顔立ちの相似。
     確かに、差異はある。男の方が声に深みがあって低く、輪郭も、少年にはまだ幼い柔らかさが残っている。だがどれも、年齢が違うと言う事を考えればその違いには逆に納得しかない。写真を撮って並べれば、親子どころか、同一人物の過去と現在の物だと言われても疑う者はいないだろう。それくらい、似ている。
     何より──男の名もまた、高杉晋助と言う。

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    recommended works