ブラッドリーと未知のウイルス「あんた、それどうしたんだ?」
「あ?」
それは夕飯の準備をしていた時だった。つまみ食いをしようとする食いしん坊の腕を掴み上げると、手首の裏側に湿疹ができていたのだ。
「なんだこれ…まぁ、すぐ治んだろ」
ブラッドリーも今気付いたようで、不思議そうにしている。だが彼の言う通り、赤子でもあるまいし小さな湿疹など大騒ぎするほどのことでもない。
「ちゃんと野菜食ってビタミン取らねぇから、そんなんできるんだよ」
「げ、やめろ。野菜は食わねぇ!」
なんてやり取りをした翌日、ブラッドリーは部屋から出てこなかった。はじめは、またくしゃみで飛ばされたのかと思い気にしていたかった。が、翌日になっても彼は姿を現さず、悪い予感が脳裏をチラつく。どこかで怪我でもしたのか。部屋から出れない事情があるのか。様々な可能性で頭が埋め尽くされそうになったその時、魔法舎に誰かの指笛が響き渡った。
『ピィーーーーーピッピーーーーーーーーーー』
それは、盗賊団時代に合図として使っていた笛の音だ……意味は「救助要請」
急激に頭が冷えて立ち上がる。一刻も早くブラッドのもとに行かなければ…と条件反射で身体が動き、気付いた時にはブラッドリーの部屋の扉を蹴破っていた。
「……っあ……ね、ネロ」
「どうした!ブラッド!」
ブラッドリーがソファに臥せっている。何があったか分からないが、彼ほどの魔法使いがこれだけ弱っているのは、ただ事ではない。すぐさまそソファの横にしゃがんで、状況を確認する。
「……ッ、うっ。はぁ、ぁ……」
ブラッドリーが苦しそうに呻く。ネロを認識してはいるようだが、会話は難しそうだ。
「少し触るぞ……って、熱ッ!」
その額は、人体には許されない程の高熱をまとっていた。なんだこれ、風邪でこんなになるか?それとも何かの呪い?可能性を探りながら、脈を測るためブラッドリーの手首に触れようとしたその時。
「ッ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」
指先がほんの少し手首に当たった瞬間、ブラッドリーは背中を丸め全身に力を入れながら悶えだした。
「痛むのか!?悪い、見るだけだから。手触るぞ。」
どこに触れると痛むのか分からないため、慎重に指先を手に取り、手首を確認する。するとこそは、爛れた皮膚が赤黒くなって、腕の方まで広がっていた。
「なんだよ、これ。この黒いのが痛むのか?…くそっ、どこまで広がってやがる!」
服を脱がせて素肌を確認すると、その爛れは肘を超えて二の腕辺りまで続いていた。そして、数日前の出来事を思い出す。そうだ、こいつ。この前、手首に変な湿疹が出来てた…あれがこんなになったのか。
「ゼェ………はぁ……、はぁ……」
先程の痛みで体力を消耗したのか、ブラッドリーの呼吸が更に荒くなる。一昨日のあの小さな湿疹から、たった数日でブラッドが助けを求めるほどまで悪化したのだ。一刻の猶予もないと思ったほうが良いだろう。俺にはどうにも出来ない。医者の力を借りなければ。
「ブラッド、必ず助ける。少し待ってろ。」
聞こえているかは分からないが、耳元に声を掛けてブラッドリーの部屋を出た。
*
「フィガロ、俺から呼び出しといて悪いんだが…少しだけ待っててくれないか?」
「構わないけど、症状を聞くかぎり急いだほうがいいよ。」
「わかってる。」
フィガロを連れてブラッドリーの部屋の前に来た。が、ブラッドリーはフィガロを警戒している。たとえ緊急事態であっても、部屋に入れる前に彼の存在を教えておいた方が良いだろうと思った。焦る気持ちを押し込めて、部屋の扉をくぐる。
「ブラッド、聞こえるか?待たせて悪い。」
「っ…………はぁ……」
呼吸が荒く、話すのは難しいようだ。返事の代わりに、こちらへ顔を向けて瞬きをする。意思疎通が取れる確認ができたので、話を続けた。
「今、フィガロを呼んできた。今からあんたを診せる、いいな?」
「………………、………んっ」
顔を顰めたのは、恐らく体調不良のせいではないだろう。きっといつものブラッドリーなら、盛大な舌打ちをしていたに違いない。それでも、自分の状態は分かっているのだろう。小さく顎を動かし、頷いた。
「よし、呼ぶぞ。俺も側にいるから、無理すんなよ。」
声をかけながら、ブラッドリーの髪を軽く整え冷や汗を拭ってやる。腕に触れると痛むため服を着るのは難しそうだった。そのため、腕を出したまま胸元まで毛布をかけてやる。身嗜みと言うにはあまりに簡単すぎるが、彼の自尊心を少しでも守ってやりたかった。
「フィガロ!入ってくれ!」
ブラッドリーの側からは離れずに、大きめの声を出してフィガロを呼ぶ。もし、奴が妙な真似をしようものなら、俺がなんとかしなければならない。身構える俺をよそに、フィガロはゆったり丁寧に入室してきた。
「失礼するよ…っ!……お待たせ、ブラッドリー。フィガロ先生が来たから、もう大丈夫だよ。」
ブラッドリーの腕を見たフィガロは、一瞬表情が固まった。そしてすぐに微笑みを貼り付けると、まるでおこちゃま達に接するかのような態度で話しかけてきた。医者が、患者を落ち着かせるための態度だ。フィガロが医者に徹した……そんなに悪いのか。不安が顔に出てしまったようで、フィガロに肩を叩かれる。
「ネロ、大丈夫。絶対に助けるからね。」
「……当たり前だ。早く診てくれ。」
俺が心配かけてる場合ではない。気を引き締めて、ブラッドリーの方へ視線を促した。
「ブラッドリー、聞こえるかい?フィガロ先生だよ。」
「………ッㇰそ」
「はいはい、無理に話さなくて大丈夫だからね。緊張すると呼吸が苦しくなるから、警戒しないで。まずは手っ取り早く約束をしよう。俺は君の症状が改善するまでは、君に害をなさない。だから安心して。」
「やっ…約束」
驚きすぎて、声が出てしまった。ブラッドリーも同じだったようで、何か言いたそうに口をパクパクしている。
「ははっ、緊急事態だからね。じゃあ、治療を始める。」
そこからは俺にはよく分からなかったが、フィガロはテキパキと手を動かして検査や治療をしていった。点滴に繋げられたブラッドリーは、暫くすると大分落ち着いたようだった。
「フィガロ、もう大丈夫だ。」
「いや、もう少し続けるよ。」
ブラッドリーが言葉を話せるほどに回復して俺は一安心したが、フィガロは相変わらず何か忙しそうにしている。フィガロは手を動かしながら話し始めた。
「ブラッドリー、落ち着いてきたみたいだね。会話ができるようなら、問診をしたいんだけど大丈夫そう?」
「ああ、問題ねぇ。」
「よかった。今、体調はどう?気分が悪かったり、痛みがあったら教えて。」
「さっきよりだいぶマシだ。腕はまだ痛むが、触んなきゃ大した事ねぇ。」
「それは良かった。いつから症状が出てきたのかな?さっきまではどんな感じに辛かったか、説明できるかい?」
「数日前に腕の湿疹を見つけて、昨日はそれが随分と広がっちまってた。そん時は痛みは無かったが、すげぇダルかったから多分熱はあったんじゃねえかな。んで、今朝起きたら、腕も頭も痛えし気持ち悪りぃわ息苦しいわで、死ぬかと思ったぜ。」
「なるほどね。ちなみに、実はまだ死ぬかもしれない状況は変わってないから、絶対に動かないでね。」
「「はぁ???」」
ブラッドリーと二人して、大きな声を出してしまった。こんなに回復してんのに、一体何が悪いのか。
「今は対症療法で症状を落ち着かせてるだけ。点滴で水分と糖分、それから解熱鎮痛剤を入れたから。でも、また薬が切れたらさっきみたいになるし、今も体内はウイルスに蝕まれ続けてる。」
「ウイルスって…風邪とかのアレだろ?薬で治るんじゃねえの?」
「それを今調べてたんだけど、検知されたウイルスが既存のそれに当てはまらなくてね。有効な薬が分からないんだ……まぁ、未知のウイルス、ってやつだね。病の沼とかに落ちると感染することがよくあるんだけど、心当たりはある?」
「………」
ブラッドリーは記憶を探るように黙り込むと、何かに思い当たったようで「あ…」と間抜けな声を出した。
「落ちたわ…病の沼。この前くしゃみで飛んだときに。」
「それだね」
「馬鹿野郎!」
「いや、もう飛んだ先が水面ギリギリだったんだって!気づいた時には水の中だったよ。」
こいつの厄災の傷は本当に気の毒だな…と改めて思った。その未知のウイルスってやつは治るのか?と訪ねたところ、フィガロが治療法を説明し始める。
「基本的には重症過ぎる風邪、って認識でいいよ。だから、風邪引いた時と同じ対処法で治す。症状を緩和する薬の投与を続けながら、栄養をとって暖かくしてしっかり休むこと。そうやってブラッドリー自身の免疫力でウイルスを撃退するしか無い。」
「はっ、俺様がウイルスなんかに負けるかよ。」
「負けたからあんなことになってたんだろうが、馬鹿。」
腕は炎症起こしてるだけみたいだから魔法で治しちゃうね~と、フィガロがあっという間に綺麗にしてしまった。もう今はいつも通りのブラッドリーにしか見えない。
「さっきこの点滴を始めたのが朝の10時で、6時間おきに交換だから…次は夕方の4時かな。とりあえず3日は絶対安静にしてね。じゃあ、また来るよ。」
行ってしまった。仲間に医者がいるってのは便利なもんだ、昔だったらもっと一大事だった。ホっと一息つくと体の力が抜けるのが分かった。ブラッドリーも同じようで、少しうとうとし始めている。魔法で部屋着に着替えさせて、ソファをベッドに変える。
「寝れるなら寝ちまいな。俺は栄養とれそうなもん作ってくるよ。」
「ん………」
返事もそこそこに、穏やかな寝息が聞こえてきた。あれだけ苦しんでいたのだから、そりゃ疲れたのだろう。
「よしっ!」
やるべきことが目の前にあった方が落ち着く。俺は気合を入れてキッチンに向かった。
魔法舎のみんなの分の昼飯と夕飯の仕込みをしつつ、ブラッドリー用の食事を用意する。なるべくブラッドリーの近くにいられるように、今夜以降の炊事はカナリヤに頼んだ。あの馬鹿の事だから、三日もベッドに縛り付けるほうが大変そうだ。なんてこの時は楽観していたが、大間違いだった。
*
「ブラッド、飯持ってきたぞ」
ネロの声だ、もう飯を作ってきたのか。今さっき目を瞑ったばかりなのに、いつの間にか何時間も経っていたようだ。随分ぐっすり眠ってしまったんだな。ネロが部屋に入ってくる気配がしたので、顔を向けようと布団の中で身じろぐと、身体中が恐ろしくダルい事に気付いた。薬で熱を下げているとはいえ、まだ高熱と言ってよいほど発熱している。体調の悪さにうんざりしてため息をつくと、自分で分かるほど吐息が熱かった。
「飯食えそうか?無理しなくていいけど、食える分だけでも…」
「食う……」
ネロの飯を食わないわけがない。ただ、起き上がる気力がなかなか湧いてこない。喉も乾いてるし、一旦起き上がりたいのに。そう思いながら布団の中でモゾモゾしていると、俺の状況を察したのかネロが背中に腕を回して抱き起こそうとしてくれた。が、身体を動かすと全身に強烈な痛みが走った。更に、頭を枕から浮かせたことで、目眩と頭痛も自覚してしまう。
「……くっ」
「どうした!痛むのか?」
一旦ベッドに戻り呼吸を整える。目眩が治まってからネロを見上げると、真剣に俺を案じている顔をしていた。昔もよく、その顔で看病されたな。懐かしい思い出で心を温めていると、少し体調も落ち着いてきた。
「大丈夫か?」
「ああ、だが…起き上がるっのは、難しそうだな…」
普通に喋るつもりだったのに、声を出してみると随分ゆっくりとしか話せなかった。やはりフィガロの前では身構えていたのか、さっきは普通に話せたのに、今は言葉を紡ぐのも一苦労だ。
「めし、食う。」
「…ん、ああ。食わせてやるから、あんたは寝てな。」
そう言って、一口よりも随分小さく掬った匙を、少し冷まして俺の口元に近づける。口を開けると綺麗な角度で匙が滑り込み、口の中に柔らかく温かい甘さが広がった。
「……うまい」
「どうも。ゆっくり食えよ。」
これは、おじやだろうか。鶏の出汁が効いてて、俺好みの味付けだ。元気だったら5秒で食べ尽くしている。俺が飲み込んだのを見計らって、次の一口を差し出してくる。ネロの手付きは慣れたもので、まぁそれは俺のせいとは知りつつも、やっぱりこいつは最高だなと思う。
一口ずつ匙を咥えては、おじやを飲み込む…という作業を繰り返していたが、だんだん疲れてきた。満腹になったわけでは無いが、口を開けると息切れをするようになり、なかなか次の一口が進まない。体力作りにはまず飯を食う、いつもそうやってやってきたのだ。せめてあと一口だけでも…そう思っていたはずなのに、いつの間にか瞼が重たくなっていた。
*
ブラッドリーがまるでおこちゃまのように、飯を食いながら寝てしまった。そろそろ疲れてきているのは察していたが、本人がやめると言うまでは続けようと思っていた。しかし、ブラッドリーの意思より先に、体力のほうが限界を迎えたようだった。
「死にそうな状況は変わってない」と言ったフィガロの言葉を思い出す。こんなに弱ってる彼の姿を見るのは久しぶりだ。すっかり元気になって脱走するんじゃないか、と心配していた自分は大馬鹿者だ。どらどろに煮詰めたおじやすら食うのが精一杯だなんて、思いもしなかった。咀嚼や嚥下にも体力を使うのであれば、夕飯はスープにしたほうが良さそうだ。俺は今後の看病の予定を立てつつ、ブラッドリーに毛布を掛け直した。
その後は穏やかに時間が流れていった。ブラッドリーは眠り続けていたので、俺は時々額のタオルを変えたり汗を拭いたりしながら、彼の側で過ごした。宣言通り4時にフィガロが点滴を替えに来たので、ブラッドリーを起こしたものの、意識が朦朧としている様子でフィガロが帰るとまたすぐに寝てしまった。
一応今までの容態をフィガロに伝えたところ、「ご飯食べれただけでも凄いって」と笑われた。フィガロ曰く、ブラッドリーは今体内でウイルスと戦ってる最中だから、そこに一番エネルギーを費やしている、と。しかも、既に満身創痍にも関わらずまだ戦いは続くので、夜にかけてもっと悪化するかもしれない、と言われた。一刻も早く楽にしてやりたいが、俺にはどうすることも出来ない。ブラッドリー自身が打ち勝つしか無いのだ。応援する気持ちを込めてブラッドリーの手を握る。意識がないのは分かっていたが、そうせずにはいられなかった。
*
結局フィガロの言った通り、宵闇に大いなる厄災が浮かび上がる頃、ブラッドリーの体調は眠れない程に悪化していた。
「っあ、はぁ……はぁ……っ、ぅあ」
「ブラッド。はぁはぁすると余計に苦しいから…ゆっくり息して。ブラッド、はぁ〜〜〜、はぁ〜〜〜って。」
「っあ…………はっあ……、は…………」
「そう、はぁ〜〜〜〜。はぁ〜〜〜〜。」
熱が高過ぎる。痛みも強く出ているようで、こんなの苦しいにきまってる。せめて、呼吸が疎かにならないよう、背を撫でたり声掛けをしているが、あまりに辛そうでフィガロを呼んだほうが良い気がしてきた。点滴の交換にはまだ早いが、少しでも楽にしてやりたい。
「ぅ……ね、ぉ」
「っ!どうした?」
「…………んっ」
何かを伝えようとしてる。慌てて様子を確認すると、真っ青な顔を歪めて口元に手をあてがった。どうやら吐き気も出てきたようだ。
「気持ち悪いんだな!ちょっと待ってろ!」
魔法で桶と袋を取り出し、ブラッドリーの口元にあてる。
「いつでも出して良いから、我慢するなよ。」
「ぜぇ…はぁ……んっう、はぁ……」
どうしよう、目が離せない。フィガロを呼びたい、吐き気もあるなら何か薬をもらえたらいいのに。
「っおえ、あ………んぇ、げほっ、ゲホッ」
「苦しいな、ゆっくり息して」
ついに戻してしまった。ブラッドリーが生理的な涙を流しながら息を切らしている。幸い、胃の中の食べ物は吸収されていたようで、大した量は出なかった。しかし、出すものがないのに吐き気が続く状況に陥っていて、逆に苦しさが続いてしまっている。熱い背中を擦ることしかできない自分が不甲斐ない。パニックになりそうな頭をなんとか冷静に保ち、今できることを探す。
とにかくフィガロを呼ぼう。普段フィガロに用事など殆どないため試したことはないが、魔法で式神を作って伝言を授けてフィガロのもとへ送る。上手くいってくれ、と祈りを込めて呪文を唱えた。
*
あまりの息苦しさに目が覚めた。自分の呼吸が異常なほど荒くなっているのが分かる。なんとか落ち着かせようと試みたものの、呼吸を意識すると吐き気が迫り上がってきて、とてもじゃないが耐えられなかった。仕方無く、荒い呼吸で必死に酸素を取り込むが、とにかく苦しい。楽な姿勢を探そうと身動ぐと、全身に痛みが走った。
「ッア…ぐ、うぅ……」
思わず唸り声わ上げる。苦しい。痛い。熱い。辛い。こんなことで音を上げる質ではないが、身体が全く言うことをきかない。頭がずっとグラグラして意識が朦朧とするのに、痛みや吐き気を感じる度に無理矢理覚醒させられ眠ることも出来ない。永遠にも感じる苦しいみが続き、一度戻したような気もするが、もう何がなんだか分からない。
ふと、ネロに強く肩を叩かれる。何か大声を出している、伝えたいことがあるみたいだ。必死に意識を集中させて、どうにか言葉の意味を理解しようと努める。
「…ッド、ブラッド!今、フィガロを呼んだ。今から部屋に入れるぞ!ブラッド!聞こえてるか?フィガロにあんたを診せるから!部屋に入れていいか?」
こんな時でも、俺の矜持を気遣って同意を取ろうとしている。そうゆうところが好きだ。朦朧としていた意識に気合を入れ直す。
「…はぁ…っあ、はっ……」
声は出なかったが、呼吸の合間にしっかりと頷いた。肯定がネロに伝わったようで、フィガロが部屋に招き入れられた。
「失礼、ブラッドリー。ちょっと診るよ。」
こいつの前でこんなに無防備な姿を晒すのは危険すぎると分かっているが、今は先程の約束を信じるしか無い。目先の屈辱よりも、生き延びて強くなっていつか報復する。今までもずっとそうやって、這いつくばって生きてきた。
「吐き気は高熱と痛みのせいみたいだね。これなら吐き気止め使って大丈夫だから、点滴に追加するよ。すぐによくなる。」
「本当か!良かった。あと、痛みもあるみたいなんだ。さっきの解熱鎮痛剤も使ってくれないか?」
「たしかに、鎮痛の効果が切れかけてるみたいだね。でも、この薬は最低6時間はあけないと過剰摂取になってしまうんだ。残念だけど、あと2時間は新しく入れることが出来ない。熱と痛みはブラッドリーに耐えてもらうしか無いね。」
「…そんなっ」
「出来る限りのことをしよう。氷袋を沢山作って。脇や足の付根に当てると楽になるはずだよ。」
「っ……わかった!」
フィガロの指示でネロも何やら忙しそうにしている。フィガロとネロの会話は半分くらいしか聞き取れなかったが、今すぐ楽になるものではないって事は分かった。
「ブラッドリー、ひやっとするよ~」
「っ……」
身体中に冷たい何かが当てられていく。すーっと熱を吸い取られるような感覚がして、気持ちいい。
「ブラッドリー、2時間経ったら解熱鎮痛剤を入れるから、それまで頑張ろう。今、一番痛いところはどこか分かる?」
一番、痛いところ…頭も痛いし関節も痛い。目の奥や首周りも痛いが、一番と言われると何処だろうか。全身が痛いと感じていたため、改めて感覚を研ぎ澄ましてみる。
「っ…う、で。」
「湿疹が出てたところだね。肌は治したけど、やっぱりまだ痛むか…ネロ。ブラッドリーの腕を擦って。」
「わ、わかった。」
「俺からは祝福の魔法を《ポッシデオ》。じゃあ、俺が居たら休まらないだろうから、一旦席を外すね。時間になったらまた来るよ。ネロは気が紛れるような話をしてあげて。」
お大事に、と言ってフィガロは部屋を出ていった。あいつ、患者相手ならそうゆう気の利かせ方できんのかよ…と心の中で思う。吐き気止めが効いてきたのか、考え事をする余裕が出てきたみたいだ。ホッと一息つく。
「おつかれさん。」
何に対しての「おつかれ」かは分からないが、ネロが俺の腕を擦りながらねぎらいの言葉をかけてきた。「お前もな」と思ったが、まだまだ世話になりそうなので、きちんと体調が戻ったあと詫びの贈り物でもしてやろう。
「気が紛れる話って、何話せばいいんだろうな。あ、いや。返事はしなくて良いからな。そうだな……そういえば、この前リケが…」
ネロが寝物語など覚えているはずもなく、懸命に自分の記憶を辿って雑談をし始める。最初のうちは耳を傾けていたが、ネロの話があまりにもつまらなくて、だんだん眠くなってきた。そういえば、いつの間にか呼吸も落ち着いてるし、腕の痛みも和らいでいる。
「眠いんなら寝ちまいな。」
ネロはそれだけ言うと、また中身のない話の続きを語り始めた。瞼の重みに逆らわずに目を閉じる。もう内容は頭に入ってこないが、ネロの声音に身を委ねていると、とても安心する。ずっと隣りにいてほしいと、今でも強く願ってる。でも、もう俺達は…相棒だったあの頃とは違う。分かっているが、せめて…今だけは。
次に目が覚めた時は、ネロと話せるくらい回復していたら良いな。そしたら、お前の独り言つまんねぇよと言ってやろう。意識が落ちる寸前、優しい手付きで頭を撫でられたような気がした。