ゲ謎 水木! 水木! 久々というほどではないがそれでも友との再会に心が弾んだ。あまりにも嬉しくてつい水木の体を持ち上げるほど。妻も蛙の目玉を出すぐらいに歓喜していた。だが、友の反応は違った。
怯えた表情を浮かべ、走り去っていく背広の男。みずき。背広の男の名を呼んだが男の足は止まらず、姿が小さくなっていく。枝垂れ柳のところで自分は足を止めた。これ以上進めば、人の往来がある通りに出てしまう。人間に見つかる恐れがある。この、今の姿で見つかれば厄介なことが起こる。身重の妻をなんとかあの廃寺まで運んだ徒労が、なくなる。名残惜しい思いで目を凝らす。遠く消えていく背広の男の背中を見詰め、踵を返そうとしたその時。大きな何か踏んでしまい、上半身がぐわっと前へ傾き、地面に顔面から落ちた。
削れたかと手を伸ばす。鼻のところに触れても突起がない。鼻が削れてしまった! そう驚きそうになったがとうに鼻など取れてしまっていたことを思い出す。そうだ。そうだった。何かを踏んだ左足の裏を見遣ると、爛れた肌が大きく抉れているだけ。皮膚を突き破って流れるであろう血すら見えない。そうか。水木が逃げてしまったのもこんな見た目となってしまったからだ。
手も、顔も、足も。ぐるぐるに巻かれた包帯の隙間から見える爛れた肌。かつてともにあの村で戦った姿からかけ離れすぎている。そう頭で分かっているが、それでもと思う心が張り裂けそうでつらかった。すっかり涙腺が緩んでしまい、ぺしょぺしょと涙をこぼしながら廃寺へ帰った。
戻って、水木のことを伝えようとする前に、べしょべしょに濡れた顔を見た妻が驚きつつ少し間を置き、曇った表情を浮かべ「水木さんは」と切り出す。
水木さんは、忘れてしまったのでしょう、と。
忘れた? てっきり姿形が変わってしまったから気づかれなかったと考えていた。しかし、妻が思ったことは違うようだ。それはより残酷なことであった。
ええ。おそらく狂骨に襲われて。あの人よりは頭髪が白くないようですがそうではないかしら。
妻の言葉にはっと思い出す。龍賀孝三のことを。あの男は狂骨に襲われ、白髪となり心を失っていた。妻が言った“あの人”とは龍賀孝三に違いない。岩子、と龍賀孝三のことについて聞こうと思ったがやめた。今さらあの村のことを掘り返しても意味はない。もうあの村は朽ちている。そこにいた人間も含め。そうかと、返すだけにした。そして、水木のことを思う。水木に着せたちゃんちゃんこは妻の元にあった。自ら戻ってきたのか。あるいは。あの男の性根は甘い。だから、おそらくそうなのだろう。みずき、とすっかり短くなった舌で溶かすように大切に名を呼ぶ。
でも、心までなくさないでよかった。妻が膨らんだ腹を撫でながら。光を見失っていない芯が通った声が暗がりでひびく。あんなにはっきりと元気に叫んでいらっしゃったから。それに髪も真っ白けじゃなかったから。もしかしたら思い出してくれるかもしれないわ。水木さんはまた来てくれますよ。そうほほえみを傾けた。
妻は、岩子はつよくうつくしい女だ。
そうじゃな。おまえがいうならそうだろうな。撫でていた手を重ねる。手の甲にぽたぽた、雫が落ちた。泣き虫ね。昔と変わらないやわらかな声に涙が止まらなくなる。また来たらごちそうをっ。ええ。蛙の目玉をたくさんな。
二人で未来を夢見る。水木が来て三人。子が生まれて四人。幸せな未来を。
次に水木がここを訪れたのは、岩子と子を残してもうくたばった後だった。岩子は一人で耐えていた。子を産むために。しかし、岩子も事切れてしまった。その後に水木が再び廃寺を訪れた。まだ腐って溶けていない岩子はせめてもと思ったのか、水木は墓穴を掘り、岩子を埋葬した。そして三日後。墓場から赤子の産声に駆けつけた水木は、墓場から生まれた子を大事そうに抱きしめていた。
それをワシは、目玉で見ていた。
赤子の名は鬼太郎と名付けられた。