卿と卿、その距離の果てに帝国の双璧と謳われる二人の提督、オスカー・フォン・ロイエンタールとウォルフガング・ミッターマイヤーは、長きにわたり互いを支え、時には言葉を超えた絆で結ばれていた。しかし、そんな二人にも些細なきっかけで溝が生まれることがあった。
その日二人は作戦会議の後、些末な意見の相違から口論に発展してしまった。
ロイエンタールは、右目に深い夜を、左目に澄んだ空を宿した金銀妖瞳を鋭く光らせ、精緻な彫刻のような顔に微かな苛立ちを滲ませて言った。
「卿の考えはあまりに慎重すぎるのではないか?」
対するミッターマイヤーは、蜂蜜色の癖毛を軽くかき上げ、苛立ちを隠さずに返した。
「卿こそ、必要以上にリスクを冒そうとするのではないか?」
普段なら互いに一歩引いて笑いものにするような些事だったが、その日は疲れが重なっていたのか、どちらも譲らず、気まずい空気が漂った。
結局、「今日はこれで解散だ」とミッターマイヤーが席を立つと、ロイエンタールも黙って執務室を後にした。いつもならその足で酒場に向かい、杯を傾けながら笑い合う予定だったが、その日はどちらも声をかけなかった。
翌日から、ミッターマイヤーは遠方の星域での演習任務に就くことになっていた。普段なら遠征中も毎日のように個人通信回線でテレビ通話を繋ぎ、互いの顔を見て言葉を交わすのが習慣だった。
しかし、今回は違った。演習初日から三日が経ち、ミッターマイヤーからの連絡は一向に来ない。
軍の定期報告で彼が無事であることは分かっていたが、ロイエンタールは自ら通信をかける勇気が出なかった。
「おれが先に折れるのか?」と自問するたび、胸の奥が締め付けられるような寂しさに襲われた。
ロイエンタールは日に日に元気を失っていった。一見いつものように一部の隙もないように見えるが、長身の美しい立ち姿はどこか儚げに映った。
執務室に籠もり、休憩も取らず書類と向き合うその横顔は、まるで薄暗い光に照らされた肖像画のように憂いを帯びていた。右目には漆黒の静寂、左目には青碧の輝きを湛えた瞳が、疲れと寂しさで曇っていくのは誰の目にも明らかだった。
そんな上官の様子を見かねた一人の部下が、ある決断をした。密かにミッターマイヤーに連絡を取ることにしたのだ。
そのメッセージはこう綴られていた。
「ミッターマイヤー提督へ。ロイエンタール提督は、提督が遠征に出られてから日に日に活力を失っておられます。常なら遠征中は仕事の合間に通信を楽しまれている様子が窺えるのですが、今回は一度もその気配がありません。そのためか休憩を取ることもなく、夜遅くまで執務室に詰めておられます。隠そうとなさっていますが、その姿は見る者の心を締め付けるほどです。どうか、提督の方から連絡をいただけないでしょうか。お願い申し上げます。」
その日の夕方、ロイエンタールの執務室に個人通信の着信が入った。
画面に映る発信元を見て、彼の心臓が一瞬跳ねた。
「ミッターマイヤー……?」
部下たちが意味深な笑みを浮かべつつ、「提督、少し席を外されてはいかがでしょう」と促す。
ロイエンタールはそわそわと立ち上がり、自室へと向かった。部下たちはその背中を暖かく見守りながら、小さく笑い合い、自分の仕事へ戻っていった。
自室で通信を繋ぐと、画面に映ったのは気まずそうな表情のミッターマイヤーだった。蜂蜜色の癖毛が少し乱れ、どこか疲れたような顔つきだ。開口一番、彼は言った。
「おれが悪かった。本当はずっと卿に謝りたくて……あの日のことは忘れてくれないか?」
ロイエンタールは一瞬言葉に詰まった。長いまつ毛が縁取る切れ長の目が揺れ、静かに口を開いた。
「おれの方こそ、意地を張ってしまって悪かった。卿からの連絡がなくて、その……とても、寂しかった。」
その素直な言葉に、ミッターマイヤーの表情がふっと緩んだ。
「そうか。おれも、同じ気持ちだった。卿の顔が見られなくて毎日落ち着かなかったよ。」
二人は同時に小さく笑い、いつもの空気が戻ってきた。
「なあ、ロイエンタール」とミッターマイヤーが少し声を低くして続ける。
「仲直りできたのは嬉しいが、それだけじゃ足りない。今すぐお前に会いたくて堪らない。お前を抱きたいって、正直に言えば笑うか?」
ロイエンタールは一瞬驚いたように目を丸くしたが、やがて雪のような肌がほのかに紅潮し、まるで命を得た大理石像のように柔らかな笑みが浮かんだ。美しい黒曜とサファイアの輝きを宿した瞳が優しく光った
「笑わないさ。おれだって、人目がない今なら素直に言える。おれも早くミッターマイヤーに会いたい。」
ミッターマイヤーが画面越しに目を細め、「お前」と呼びかける声は甘く掠れていた。
「おれが戻ったら、二人でゆっくり酒を飲もう。それから……まあ、後は分かるだろう?」
「お前らしい提案だな。楽しみにしておくよ」とロイエンタールが返すと、二人は互いの顔を見ながら笑い合った。
通信が終わる頃には、ロイエンタールの執務室にいた部下たちも彼の表情が明るさを取り戻したことに気づいていた。
艶やかな黒髪を軽く整え、右目に銀座の空、左目に瑠璃色の清澄を宿した金銀妖瞳に再び光が宿ったその姿は、まるで別人のように活力を取り戻していた。
ミッターマイヤーの遠征が終わる日を、ロイエンタールは静かに、しかし期待を胸に待ち続けるのだった。