昼下がりの米粒帝国暦487年、銀河帝国の首都オーディン。陽光が石畳の街路を照らし、喧騒と静けさが交錯する昼下がり。帝国軍の双璧、ガイエスブルク要塞の司令官オスカー・フォン・ロイエンタールと、その盟友にして「疾風ウォルフ」ことウォルフガング・ミッターマイヤーは、軍務の合間を縫って街中の小さな食堂に腰を下ろしていた。二人は軍服を脱ぎ、普段着に近い軽装で、肩の力を抜いた時間を過ごしていた。
ロイエンタールは、いつものように完璧だった。午前中の会議では、戦略立案から部下への指示まで、一切の隙を見せず、右目が黒、左目が青の異色の瞳で場を支配していた。その姿はまるで戦場を統べる猛禽のようで、ミッターマイヤーさえも一瞬、息をのむほどだった。しかし、今、彼の目の前にいるロイエンタールは、スプーンを手にカレーを静かに口に運ぶ、どこか穏やかな男だった。ミッターマイヤーはその対比に、内心で小さく笑みを浮かべていた。
「ロイエンタール、今日は珍しくカレーにしたんだな」ミッターマイヤーが、テーブル越しに軽い口調で言う。ロイエンタールはちらりと視線を上げ、いつものように少し皮肉めいた笑みを浮かべた。
「たまには気分を変えてみようと思ってな。卿こそ、毎度同じサンドイッチで飽きないのか?」
「これが俺の戦場だ。慣れた味が一番落ち着く」
二人の会話は軽快で、まるで尉官の頃に戻ったかのようだった。ミッターマイヤーはサンドイッチを頬張りながら、ロイエンタールの細かな仕草を観察していた。完璧な男の、完璧でない瞬間を捉えるのが、彼の密かな楽しみだった。
ロイエンタールがカレーを口に運ぶたび、スプーンを持つ手が無駄なく動き、姿勢すら崩れない。だが、ミッターマイヤーの視線は、ふとロイエンタールの口元に留まった。白いライスの粒が、唇の端に小さくくっついている。普段の彼なら決して見せない、些細な綻び。ミッターマイヤーの胸に、いたずら心が湧いた。
「おい、ロイエンタール」ミッターマイヤーがニヤリと笑い、身を乗り出す。ロイエンタールは怪訝そうに眉を寄せたが、ミッターマイヤーは構わず手を伸ばした。親指でそっとその米粒を拭い、まるで当たり前のように自分の口に放り込んだ。
「……!」
ロイエンタールの動きが止まった。いつも冷静で、どんな局面でも揺らがない彼の瞳――黒と青のコントラストが鮮やかなその目が、一瞬、大きく揺れた。ミッターマイヤーはその反応を見逃さなかった。ロイエンタールの耳が、じんわりと赤く染まっていく。まるで熱を持ったように、普段の青白い肌との対比が鮮やかだ。彼はスプーンを持ったまま、固まったように動かない。
「なんだ、その顔」ミッターマイヤーが低く笑う。声にはどこか意地悪な響きが混じる。「完璧なロイエンタール卿が、米粒一つでこんなになるなんてな」
「…ふざけるな、ミッターマイヤー」ロイエンタールはようやく声を絞り出したが、いつもより少し掠れている。視線を逸らし、頬にわずかな紅が差す。ミッターマイヤーはその姿に、胸の奥で熱いものが込み上げるのを感じた。
(こいつ…こんな顔もするのか)
ロイエンタールのこの表情は、戦場でも会議室でも見たことのないものだった。完璧な仮面の下に、こんな無防備な一面が隠れているなんて。ミッターマイヤーの心に、くすぐったいような衝動が広がる。
「ギャップ萌えって、こういうことか」ミッターマイヤーが独り言のようにつぶやく。ロイエンタールが聞きつけて、鋭い視線を向けた。
「何だ、それは?」
「いや、別に。俺の頭の中の話だ」ミッターマイヤーは肩をすくめ、わざとらしく笑った。「ただ、お前がこんな可愛い反応するなんてちょっと予想外だっただけだ」
「可愛い、だと?」ロイエンタールは眉を吊り上げ、いつもの皮肉な口調を取り戻そうとした。だが、耳の赤さはまだ引かず、ミッターマイヤーの視線に耐えきれず、わずかに顔を背けた。
その仕草が子供が拗ねるそれのようで、口の端が上がるのを自覚しつつも止められない。「ほら、またそんな顔する」ミッターマイヤーは楽しげに言うと、テーブルに肘をつき、顎を手に乗せてロイエンタールをじっと見つめた。「仕事中はあんなに完璧なのに、こんなことで動揺するなんて。ちょっと得した気分だな」
「…ミッターマイヤー、卿は本当に性質が悪いな」ロイエンタールはため息をつき、ようやくスプーンを動かし始めた。だが、その動作はどこかぎこちなく、ミッターマイヤーにはそれすら愛おしく見えた。
食堂の窓から差し込む光が、ロイエンタールの艶やかなダークブラウンの髪を柔らかく照らす。ミッターマイヤーは、ふと真剣な気持ちが胸をよぎる。この男は、戦場では誰よりも頼もしく、冷徹な判断を下す。だが、こうして二人きりの時間には、こんな隙を見せる。それが、ミッターマイヤーにはたまらなく魅力的だった。
「おい、ロイエンタール」ミッターマイヤーが再び声をかけると、ロイエンタールは警戒するように視線を上げた。「今度、米粒つけてたら、また俺が取ってやるよ。そのかわり、もっと面白い反応見せてくれ」
「…馬鹿らしい」ロイエンタールは吐き捨てるように言ったが、口元には微かな笑みが浮かんでいた。ミッターマイヤーはその笑みに満足し、サンドイッチを頬張った。
昼下がりの食堂は、二人だけの小さな世界だった。戦場も軍務も遠く、ただ互いの存在だけがそこにあった。ミッターマイヤーは心の中で誓った。この完璧で、けれど愛らしい男を、ずっとそばで見ていたい、と。
そして、きっとまた、こんな瞬間を何度でも作ってやる。ミッターマイヤーはそう思いながら、目の前のロイエンタールに、柔らかな笑みを向けた。