夢想怪奇『邪教封印の儀』理想年歴 1471年
今から150年ほど前の話。
『邪教封印の儀』。
この年、人間たちは初めて御使を封印した。
本来ならば、あってはならないことである。“御使”は神の遣いのこと。彼は成ってすぐではあるものの、立派な御使である。であれば当然、自分が進行する神がいるし、その神の意向に沿って行動しているのが道理である。そんな神の代弁者を、ましてや人間如きが封印するなど。それは明らかな冒涜であった。
だが、それが許された。何故か?
……かの御使が、人間の悪意と疑心暗鬼による理不尽を、慈愛を以て受け入れたからだ。
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……ことの発端は、200年以上前の話になる。
「……きみ、どうしてここに?」
そう声をかけたのは、茶髪の僧侶だった。
声をかけられたのは、みすぼらしい身なりをした、色素が抜けた白髪の少年であった。
見るからに貧乏くさいその少年は、いつの間にかこの御堂の隅でうずくまっていた。音も立てず、僧侶が気づいた時にはそこにいた。
「名前は?」
「…………」
「ご両親は?」
「…………」
「おうちは?」
「…………ここ」
「困ったな、捨て子か……。酷いことをする親もいたモンだ……」
僧侶は頭を掻いてそう愚痴をこぼす。少年は心ここに在らずといった様子で、ただ僧侶を見上げている。
「よければしばらくここに居るといい。……あいにく食事はまともに取れないし、見ての通り御堂もあまり良い出来じゃないから、雨風を凌げる程度なんだけど……」
「…………うん」
少年は頷けば、身を縮めるようにうずくまった。
だが、僧侶は彼の手を取った。
「そんなところに居なくても良いよ。おいで、御堂を見て回ろう」
少年を引っ張り上げ、僧侶は手を繋ぎながら自身の御堂を見せて回った。
……その温かな手の温もりを、忘れたことなどない。
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「………まさか、妖怪だったとは……」
僧侶は頭を抱えた。
捨て子を匿ってはや一年。一向に成長しない少年を不思議に思っていたが、彼を匿ってからというものの僧侶には幸福が度々舞い込んできた。
僧侶が説く宗教形態『幸心教』の信者が増え始めた。最初こそ、『人間と妖怪は平等であり、共に生きることも共に支えることも、時には叱り合うのも大切である』という異質な教えが受け入れられるのに時間がかかったものの、僧侶が実際に妖怪たちと仲良くし、悪さをする妖怪を退治していったことで信用され始め、信者を獲得するに至った。
幸心教信者を得ても慢心せず、僧侶は堅実に信者を集めていった。妖怪退治も引き受け、その腕前が人間たちの間に広まると一躍有名になった。お陰でお金には困らなくなった。
それもこれも、少年……『妖怪:座敷童子』が僧侶の御堂に住み着いてからの出来事である。僧侶は座敷童子に感謝し、誠心誠意育て上げた。
「オサラギ、どう?」
「似合ってるよ、閃。
……でも、お前って女の子だっけ?」
「女の子?」
「性別。分かる?自分が男の子か女の子か」
「男の子?女の子?」
「うーん……座敷童子は女の子の妖怪であることが多いからな……決して男の子の座敷童子がいないという訳ではないけれど……。もしかして、性別の概念が薄いのか?女の子ものの呉服で良かったのかなぁ……」
腕を組んで悩む僧侶のことなど歯牙にも掛けず、座敷童子の閃は純白の着物を纏って嬉しそうに走り回る。
呉服屋の店主が「こんな可愛い子が男の子な訳がない!」と、女の子の着物を用意しまくった結果である。頭に結ばれた大きなリボンが特徴的だ。これでは女の子である。将来性を考えると、幼少期から曲がった性癖を植え付けたくはない。かと言って『本当は女の子でした』だった場合、年相応にお洒落させたいのも事実。
故に、僧侶オサラギは悩んでいた。
「閃ちゃんが気に入ってるんだ。別段気にしなくても良くないかい?」
「いや、まぁ、うーん……。そうなんだけれど……。何ていうのかなぁ、年相応のお洒落を楽しんでもらいたいというかだね……」
「親心だねぇ、オサラギ様」
「かもなぁ」
僧侶オサラギの信用のおかげで、一部の人間たちからも可愛がられた閃。彼が座敷童子である事は隠している。幸心教が広まりつつあるとは言え、人間とは欲深い生き物。幸運を呼び込む座敷童子である閃を利用しようと画策する輩がいては溜まったものではない。
……その優しさを、今後も忘れる事はないだろう。
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閃は、僧侶オサラギが信仰する宗教『幸心教』に興味を持ち始めた。彼のひたむきな姿勢が印象的で、応援したくなると同時に隣で共に修行したいとも思うようになった。
「オサラギ。ぼくも、一緒に修行したい」
最初に閃がそう言うと、オサラギは驚いた表情を見せた。後に軽く笑って「楽しいものじゃないぞ」と諭す。
「知ってるよ。いつもむずかしい言葉を言ってる。妖怪退治もしてるし、妖怪たちの悩みも一人一人聞いてる。ぼくをいじめてくる、意地悪な妖怪も追い払ってくれてる。村の人たちの悩みも聞いてるし、何もしない日もある。
でも、オサラギは楽しそうだった。ぼくはつまらないと思ってたけど、オサラギが楽しいなら、ぼくも嬉しくなる。オサラギはどうしてあんなに頑張るの?ぼくはそれを知りたい」
閃がそう言うと、オサラギがまた驚く。……そして、彼は打ち明ける。
妖怪は決して恐ろしい存在ではないと分かっていたが、それを証明してくれたのは閃であったこと。
人間たちの異常なまでの恐怖心が、妖怪たちとの溝を作っていること。
そのせいで人間と妖怪は、いつまで経っても平和を享受できていないこと。
「私の目標はね、誰一人として心に傷を負う必要のない世界を作ることなんだ。『幸心教』はその目標への布石なんだよ」
「ふせき?」
「『幸心教』が世界に広まれば、きっと人間たちも妖怪たちも、手を取り合う事ができる。食うもの食われるもの、脅かすもの脅かされるもの、退治されるものするもの……。そんな、誰かの心を傷つけるような関係じゃない。鋭い爪をも恐れず柔らかな手で包みあげ、鋭利な牙を前にしても決して臆する事がない。
……そんな、心から手を取り合える関係を築き上げたいんだ」
……今の私たちのようにね。
疲弊したオサラギが、そう言って微笑む。疲れの見える顔だが、それでも彼は心から笑っていた。
……僕は、その世界に感動した。
誰も傷つく必要のない世界。悲しみを背負わなくてもいい世界。オサラギとなら、そんな理想の世界を見る事ができる。
この夢物語に近いような、現実味のない理想を、僕はいつまでもかざすだろう。
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だが、現実はそう甘くはない。
オサラギに認めてもらい、修行僧となった閃は力を蓄え、一歩一歩確実に成長している。
しかしオサラギは衰えを感じていた。
人間である以上、老衰を免れることができない。疲労は溜まるばかり、体力が限界に達するのが早くなってきている。それなのに、それだけ修行を重ねても結果は出ない。
……閃は、成長しているのに。
同じことをしている時に。他者が自分よりも先に進んでいると、人は焦るものである。
オサラギは焦っていた。ただでさえ人間は生きる時間が短い。自分が出来ることにも制限がついてくる。閃が妖怪であること、彼が修行僧となってまだ年月が浅いことが、オサラギを狂わせる要因にもなった。
オサラギは、目に見えてやつれていた。
夕餉しか取らず、その他の時間は全て読経に費やした。
体を動かさなくては筋肉は退化する。
思考を働かさなくては何も考えられない。
……オサラギは、ただ神に縋る何者かに変わり果てていた。
それを、閃は“おかしい”と思わなかった。
“おかしい”が何を表すのかが、分からなかった。オサラギは集中しているだけだと、そう本気で思っていた。集中しすぎて、何も聞こえていないだけだと、本気でそう考え目を逸らした。
……あの時の後悔を、閃は脳の髄まで刻みつけている。
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閃の脳裏に、煌めきが走る。
それは、俯瞰して見る世界。
それは、美しい世界の本質。
自分が他者の心に触れていることを理解した時。
彼は、“御使”となった。
『あぁ、己は悟りの境地へ至ったのだ』と閃は理解した。
そして、御使となった事で他者の心に触れ、その気持ちを共有する事ができるのだと分かった時、咄嗟に思い立った顔がオサラギであった。
今の僕ならば、彼を“救える”。
読経の声が聞こえてくるはずの本堂に入れば、そこにあったのは物言わぬ死体であった。
……これが己の罪だと、自覚した。
無知は罪である。
無関心は罪である。
沈黙は罪である。
あの時、強引にでも言葉を掛けていたら。
あの時、共に歩もうと声を掛けていれば。
あの時、軽率に自分も修行すると言わなければ……。
「…………置いていかないで」
そう呟くと同時、閃はオサラギを忘れまいと顔を変えた。
若きころのオサラギの姿と変わらぬ、美しい美貌と艶やかな金髪を蓄えた、正しく“神がかった”風貌に変化した。
「………大丈夫だよ、オサラギ。僕は貴方を置いて行ったりしない。貴方が望んだ、『誰も心に傷の負うことのない世界』を共に見にいこう」
オサラギの死体が灰になる。
それは御使としての力。弔いの力。未練を持つ魂を、迷わせることなく輪廻へ導く力。
この時を以て、彼は『大仏閃』と名乗った。
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大仏は理想の都を駆け回る。
見にくい風貌で生まれ、見せ物として馬車に轢かれ、憎悪と怨念を持って村に憑いている地縛霊を、大仏は成仏ではなく『土地の解放』を以て救った。
「どうして、オレのような悪霊を成仏させなかった?」
「僕には、君がこの世界を楽しんでいるように見えなかった。だから、君が心の底から『この世界は美しく素晴らしい』と思うまで輪廻に入れたくないなーって。それだけ」
「……我儘な僧侶もいたモンだ」
硝子で作られた筆が『何の役にも立たない』と身勝手に捨てられ、その怨念から付喪神へ昇華した少女を、大仏はただ抱きしめた。
「今までどれだけの人間たちに蔑ろにされたのか、僕には到底想像できない。寂しかったろう、悲しかったろう。人の温もりを知らぬ子よ、こんな御使で良ければ、君の呪いを共に背負わせてほしい。僕が君に新しい道を示そう」
「………そんな言葉で、私の気持ちが、治るとでも……ッ!だって、私、綺麗になりたかった!私で綺麗な絵を描いてくれる人がいるんだって、思ってた!それなのに……それなのにぃ………!」
「置いていかれるのは、もう嫌だろう?今度は僕が君の持ち主になろう」
弱肉強食の世界で命からがら生き残り、努力して獣人となった兎がいた。だが、結局は食われる側の存在。多くの妖怪たちに虐められてきた彼女のはじめての友達になったのは、大仏であった。
「大仏様はどうしてわたしと一緒に居てくださるの?」
「うーん……寂しそうだったから、かな?それに、こんなに傷だらけで痛い思いをしている君を、放っておくことなんて出来ない。僕らは手を取り合える。互いを攻撃するんじゃない、互いを受け入れ合う。それを実現する為でもあるのかなぁ」
「そんな信仰熱心な大仏様も素敵ですわ」
「ふふ、ありがとう」
魔界で起こった最悪の戦争『竜魔戦争』において、魔族の尖兵でありながら命を優先して戦争から逃げ出した脱走兵が居た。彼に理解者など居らず、逃げた先の理想の都でも“悪魔”と言う種族上、誰からも共感されることがなかった。ただ一人、大仏を除いて。
「いくら魔族筆頭に選ばれたからと言ってね?オレとしては命が大事なわけ。しかも聞いた話によれば、あの竜魔戦争で魔族の被害は6割行ったって言うし?生きてりゃ次があるんだから、その“次”に期待してたわけ!それなのにみーんな『へっぽこ』だの『腰抜け』だの行ってくるわけよ!」
「あれま。それは災難だったね。でも君はここにいる。君は間違いなく生きている。逃げる事は恥じゃないんだよ。生きている事が素晴らしい事だと分かっているのなら、僕はそれだけで嬉しいな」
「大仏ぃ〜〜!好き〜〜!オレ悪魔なのに優しくしてくれる〜〜!」
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わずか二日間で4人の心を救った大仏の活躍は瞬く間に広がった。だが、それは良い噂ではなかった。
『幸心教創設者、オサラギ様にとり憑き呪い殺した害悪妖怪が、オサラギ様の容貌を剥ぎ取って成りすましている』。
何の根拠もない、悪意の篭った噂は人間たちの間に瞬く間に広がり、不安は恐怖心を駆り立て、恐怖心は攻撃性を持って、大仏に矛を向けた。
大仏の住処でもある幸心教の本殿に、名高い妖怪退治専門家たちが集まった。彼らの狙いはただ一人。『邪神を信仰する魔の御使』。
大仏に救われた子らがどれだけ弁明しようとも、その子らが人間ではない以上聞く耳を持とうとしない。
結局、人間は人間にのみ信用する生き物であったのだ。
大仏がどれだけ人間に信頼を寄せようとも、人間たちは結局妖怪や魔の存在を邪悪としか見ていなかった。
「………それが、君たち人類の答えか」
悲しげな声音で大仏は呟く。
大仏の周囲に呪詛が敷かれる。包囲陣は大仏を縛り付け、妖怪を封ずる札は大仏の意識を奪う。
大仏は終始、行動を起こさなかった。
彼はただ一言。
「偉大なる僧侶、オサラギを殺めてしまい、済まなかった」
そう言い残し、御堂ごと封印されていった。