ホロウ・シェイプ「――王馬! ……居るか!?」
パタパタと足早なつっかけの音が、木材の床を通じて室内に響く。古いインクと紙の匂いが漂う中を、百田は急ぐように抜けていく。彼の周囲には幾つもの古めかしく仰々しい本棚が立ち並び、まるで迷路のようだった。その一角、光が零れる場所に出ると、百田は一度その歩みを止めた。
開けたその場所には、壁一面、二階まで突き抜けるような、ゴシック様式の大きな尖頭窓が取り付けられていた。採光の機能を十分に果たしており、同時にこの空間の印象を決定付けていた。光の先には木製の机と椅子が並べられており、推測するまでもなく用途は読み取れた。
「……。図書館、でいいんだよな、これ」
ただ、利用する人の気配は、見当たらなかった。
「……くそ。王馬、おい、居るんだろ! 何とか言ったらどうだ!」
荘厳な場に似つかわしくなく、百田は声を荒げて周囲を見渡す。この場所からなら、部屋の全体像をある程度把握出来た。二階まで続く本棚と、格子状に組まれた木の天井。窓の印象と相俟って、ヨーロッパの古い建築を思わせる。百田の声は、その無人の空間にやたらと響く。
暫く待った所で、反応は無く。百田は頭を掻きむしりながら、来た道に踵を返そうとして、振り返り。
「はいはい図書館ではお静かにお願いしま〜す」
「うぉおおおおあああ!!!???」
天井からぶら下がる、意地の悪い能面に相対した。
「全く、最低限のマナーすら守れないとか困っちゃうよねー。どうせ誰も居ないんだけどさー。さすがにそんな熱烈に呼ばれたら恥ずかしくもなるよ」
明け透けと文句を言う男――王馬は、今しがた百田の前で浮かべていた、中身の抜けたフェイスマスクのような顔を、けろりと切り替えて、わざとらしく唸っている。そのくせ、床に尻餅をついて青い顔をする百田には目もくれない。苦虫を噛み潰したような顔をして、百田は言葉を吐き出す。
「……ち、ちったあ登場の仕方考えろ!」
「失礼だなー、考えた結果だよ!」
「だろうな! 何でこんな言い方したんだろーなオレは!」
間髪入れない返答に百田は観念した。のろのろと起き上がり、尻についた煤汚れを払う。王馬は大袈裟に溜息を吐いた。
「別に呼ばなくてもその辺に居るよ、キミに対する地縛霊みたいなもんだし。いや、人に憑いてるんだから地縛霊じゃないか。単に霊障?」
「つつつつ憑いてるわけじゃねーだろ!?」
「なんで未だにそんなピュアな反応してこれんの……? 毎朝産まれ直してる?」
百田の必死の形相に、王馬は一瞬だけ逆に怯えた目をしてから、また何でも無い事のように、ころりと表情を戻す。天井から垂れ下がった状態からくるりと一回転して、タン、と床に降りた。長い本棚の通路の端で向き合う形になり、王馬が百田を見上げる。
その薄笑いのような表情は、棘を隠せていなかったし、隠すつもりもなかった。
「だってさあ。――オレってキミに潰されたじゃん?」
再確認のような声色だったが、百田はそれを受けて、僅かに息を呑む。二、三度瞬きをしてから、すう、と表情を引き締めた。王馬は音も無く笑う。
「……まあ、そう怯えないでよ。だからさ、キミに封じられたようなもんだから。多分それに引き摺られてるんだよね。何回か試しにキミから離れた場所に行ってみようとしたんだけど、途中から進めなくて」
独自の見解を述べながら、王馬はするりと百田の横を通る。ついでのように本棚に手を伸ばし、一冊本を取り出した。その言葉の合間に、百田は僅かに眉を動かしたが、王馬は背を向けて気にせず、本をパラパラと捲っている。
「キミ、もしかしてビーコンみたいな立ち位置なのかもね。不便だけど、今更か。……あ、もしくはオレがキミのおまけ、景品とか? 宝箱とかのさ。自分で用意したんだから、責任持って片付けるべきだと思うんだよねー」
そう言って王馬は笑い、百田の目の前で、本を横にしてパタン、と閉じてみせる。それと似たような動作をする機械については、百田は十二分に知っていた。
眉は顰めるものの、百田は特に文句を言ってこない。王馬はそれを暫く眺め、長い溜息を吐いたかと思うと、本を小脇に抱えたまま通路の先へ出る。陽光が王馬の後ろ姿を照らし、外側に跳ねた髪を煌めかせた。それを見送る百田は、僅かに目を細める。
「……あのさー。その顔、どうにかなんない?」
そう言って王馬は振り返る。
「……んだよ。別にもう怒っちゃいな」
「夢見が悪い時の顔。――してるよ」
百田は押し黙る。こちらを向く王馬の瞳は丸く澄んでいて、いっそ底の知れないくらいに奥まで見据えられている感覚に陥る。だから、百田は少しだけ、目を逸らす。実の所、先程の明らかに脅かそうとしている時の昏い瞳よりも、こちらの方が末恐ろしい。百田のその胸の内を知ってか知らずか、王馬は大袈裟に肩を竦めて、開けた場所の椅子に腰掛ける。
「取り繕い方下手クソになった? 天下の百田解斗が呆れたもんだね」
「言ってろ」
捨て台詞のように零しながら、百田も適当に、本棚近くの椅子に座る。まだ、日に当たりたい気分では無かった。
「で? なんの夢見たんだか。幽霊に取り憑かれる? ゾンビに追い掛けられる? それとも殺人鬼にチェーンソーで襲い掛かられるとか?」
ぺらぺらと上機嫌に王馬は仮説を並べ立てる。百田は眉間に手を当てる。
「…………」
「……何か言いなよ。どんだけくっだらなくてもいいからさー、話してみなって! 話してみたらスッキリする事、あるかもね!」
気さくな友人風の語りは、上っ面だけを滑って行く。王馬の振る舞いに詳しくなくても、全くそんな事は思ってはいないトーンなのは感じ取れた。散々それを叩き込まれた百田は、一度だけ目を閉じる。眉間の皺が深くなる。揶揄われて耳が痛いせいか。それも大きい。ただ、それよりも。
――これを口にすれば。その上機嫌を、地面に叩き落とすのが、見えていたからだ。
「………………。裁判の夢だ」
それでも、観念して言葉にした。
「いつの?」
「最後のだ。……オレ達の」
「へー。……あ、やらかした時の記憶が蘇って叫び出したくなっちゃうやつ?」
興味無さげな返答に加えて、また揶揄が飛ぶ。
「……記憶じゃねー。……夢だ。そうはならなかった夢だ」
臆せずに百田は、はっきりそう告げる。机に頬杖をつきながら聞いていた王馬は、薄ら笑いを浮かべたまま。
「――――そうなんだ。続けてよ」
口元だけを、そう動かす。それに背筋を撫でられる感覚を覚える頃には百田は、覚悟を決めていた。
百田は、今朝の夢を回想する。死んでからも人は夢を見るのだと知ったのは、いつだっただろう。
赤い緞帳が下がる裁判場。遺影の数の方が多くなった証言台。
そして場違いに仰々しい機体が一つ。
「……途中までは、同じだった。オレも見覚えがあった。でも」
「でも?」
訥々と、百田は言葉にする。夢で見た光景を振り返る。
「……でも、多分、証拠が足りなかった。あとは、議論がどこかから間違ったのか……。
――――オレに、辿り着かなかった」
ありありと思い出されるのは、髪を掻き毟りながら苦しむ、探偵の姿。
「……終一が、気付かないはずがねー。だからありえねーのは分かってる。ちっとしたボタンのかけ違いだ」
日陰に座りながら口を開く百田を、王馬は日なたから眺めている。そうこうしているうちに太陽が雲に隠れたのか、少し部屋が暗くなる。いったいこの世界の天気とは何なのか、という問題も見え隠れするが、それは今は主題ではない。なので王馬は気にせず口を挟む。
「なるほど。作戦が成功したケースって事だね。いいじゃん、そうやって撹乱出来た可能性もあったって事! そうはならなかったわけだけど!」
「……だからそのまま、裁判が終わりそうになって――――それで。そこで」
野次も気にせずに紡いでいた百田の言葉が、途切れる。
クロが王馬だという事になれば。必然的に、被害者が百田になる。
この場合、春川に嫌疑が向く可能性はある。何故なら百田の死が、彼女が撃った毒によるものである事の否定が出来ないからだ。だがそうなると、王馬が敢えてプレス機を行使した理由付けが薄くなる。だから春川ではない。だが、王馬が敢えて自分の手を汚した理由は――――要するに。
肝心なホワイダニットが曖昧なまま、核心が掴めないまま。ただ、死んだのは百田だ、という、間違った帰結のまま、時間切れになる。例えば探偵の嗅覚が「そうではない」と分かっていたとしても、証拠がなければどうにもならない。
――だが、それで何が悪いのか。
そうなった時の百田の役目は、判決が出たそのタイミングで機体のコックピットを開ける事だ。裁判を台無しにして、あの常に嘲笑ってくる裁判長らしきものを地面に叩き落とすだけだ。
あのプレス機の下に居るのは百田ではない。百田はここに居る。あれは、百田の墓標ではない。そう、百田自身が言えば、何も問題は無く――――
――言えば、の話だ。
そこで、思ってしまった。仮説が頭を過ぎってしまった。
(じゃあ、オレがもし、言わなかったら。言えなかったら)
(――――――あいつは、一体どこで、弔われるんだ?)
百田は、そこでひどく寒気を感じて、目を覚ましたのだった。
「……――――は?」
低い、率直な返答。頬杖をついていた王馬の手は、王馬が顔を上げたので、支えるものを無くし、空虚に佇んでいる。
「……は、あはは! うっそだろ百田ちゃん、ポンコツだった!? ――――知ってたけど」
一瞬からりと鈴のように鳴った王馬の声は、耐え切れなくなったかのように、再度大きくトーンが下がる。日差しが途絶えた室内は、体感温度も低くなる。
「机上の空論だよ。――裁判が終わったらネタバラシする所までが指示した内容でしょ。だから、そういう状況自体がありえない。……何言ってんの?」
その瞳は半月のように鋭利で、睨みつけてくる光が露骨に不快感を滲ませている。百田は、予想していた反応だったものの、背筋を冷たいものが駆け抜ける感覚は否定出来なかった。だが、今度は目を逸らさない。悪寒を振り払うように一つ息を吐いてから、王馬を見据える。こんな寒気、夢見の悪さに比べたらまだ受け入れられた。
「……んな事は、分かってる」
――撹乱出来ればよかった。観測されなかった事実を晒すとどうなるか、というシステムのデバッグをしていたようなものだ。その大前提が、王馬が言ったように、首謀者の鼻を明かすためという目的にある。だから種明かしは絶対に発生する。
だが、仮に。王馬が死んだことが誰にも知られないままだったら。勘違いされたままだったら。誰にも、供養されないままだったら。
例えば、百田死亡説が優勢のまま、先に百田の限界が来てしまったら。そうなれば、何が起きたのかを語れる者は誰もいない。そういう事なら、あのプレス機の下に、居るのは――という推測しか生まれない。ましてや、コックピットすら開かなかったら。
「……もしもの話はやりすぎても嫌われるよ! あっ今更か、キミってば十割大ボラだもんね!」
常に嘘を謳う口で、けたけたと罵倒してみせる。だが百田が怯まないのを見て、すっと表情を落とした。だが、今度は冷たい侮蔑の色ではなく、諦観の色をしていた。
「……はあ。ま、分かったよ。そういう仮定の話ね。オレももう立派な大人だからさぁ、そこまでいちいちつっかかってやらないよ」
王馬は椅子にどかっと座り直す。百田の方に体を向けて、諭すように言葉にする。
「それはさ、百田ちゃん。人次第ってやつだよ。当たり前だけどね。分かってるでしょ?
――オレは、供養されて区切りつけられたくない。それで忘れられるくらいなら、滅茶苦茶に傷つけて、そいつの中に居座ってやるよ」
王馬の瞳は瞳孔が開いていて、それが珍しく、嘘偽りのない言葉である事を物語っている。端的に言って、性格の悪い返答。王馬がそういう考え方である事も、「そいつ」が具体的に誰を示しているかも、長い事共にあった百田は把握出来ていた。もう生きているより、この状態で一緒に居る時間の方が長い。だからこそ。
「……傷つけるには、情報が必要だろ」
一歩、踏み込む。王馬が眉を上げる。
「――そうだね、その通り! 最低限の情報の出し方ってもんはあるよね。タイミングも大事」
王馬はそう言って、大きな窓に視線を向ける。雲がゆったりと流れていく。……この世界の時間の流れは二人には緩慢過ぎる。いつか首を切り落とされるまでの、二度目の死刑執行を待つような旅路。
「……実際に裁判のあの局面じゃ、オレの死なんて二の次だったでしょ、皆。"品行方正"なキミが殺人を犯した、という現実の前に霞んでスルーされるのが関の山だったもんね、それは予想出来てたよ。全く酷い話だよオレが何したって言うんだよ! ……ってのは、置いといて」
自分で玩具の積み木を組み上げて、自分で嬉々として壊すような喋り方だった。王馬の振る舞いはあっけらかんとしていて、賽の河原と呼ぶには、ここには水の冷たさは無い。それをどう捉えるべきか、百田は眉を顰める。
「だから。……後になって、何か引っ掛かりを持たせるとしたら、それは最早『結末』じゃない。そこに至るまでに何があったのか。こいつはどういうヤツだったのか。――この本には何が書かれていたのか、って事だね」
机の上に、先程王馬が本棚から抜き取った本が、百田の方を向けて立てられた。
金の箔押しの表紙のタイトルは英語で書かれていたが、シリーズ物の一部である事は読み取れた。百田はそれを見て、自然と、それがあったはずの本棚に目を向ける。みっちりと詰まった本棚に、ぽっかりと開いた穴。百田はゆっくり立ち上がり、本棚の傍に寄る。
シリーズは全六巻。そのうちの四と六の間が空いている。つまり、王馬が手にしているのは。
「――だから、隠すんだよ。隠された事が分かるように、ね」
ニタリとした笑いを浮かべながら、王馬が歌うように言葉にした。
「本屋でもさあ、途中の巻だけ無いとか困っちゃうよねー。オレは本屋巡りして、そうやってシリーズ途中の巻だけ順番に買っていく遊びとかもしちゃうけど!」
「……だろーな。そういうみみっちい悪戯もやりかねねー」
「はー? スケールが小さいって? 塵も積もれば山となる事もあるんだよ、たまにはね! それともレモン置いてみよっか?」
「オメーはそういう悪戯はしねーだろ」
「は、つまんない返答」
百田の指先が、その空洞を、する、となぞる。
本屋を巡れば辿り着けるなら、まだ救いがある。問題は、”絶版”になってしまって、どこを探しても見つからない時だ。
その場合、この空虚は永遠に埋まらない。そこにあった筈の何かは、もう知り得ない。あったという事実だけが残る。
それは、失って初めてわかる哀しみ、に少しだけ似ている。
「――そうだ、キミに言った事あったっけ。オレさ、遺書、書いて置いといたんだよね。皆が見つけてくれたか分かんないけど」
「…………そうか。中身は」
「知りたい? プライバシーの侵害だな〜」
「……いや、いい。この文脈で出てくる代物なんて、その名の通りなわけねーしな」
王馬は曖昧に笑う。明かすつもりのない事を取り立てて探る必要性も、百田には感じられなかった。
ただ、――すこし、パズルのピースがカチリとはまった感覚を、百田は覚えた。まだ幾つも穴だらけであったとしても。
それを百田がよく知るクラスメイト達が見つけてくれているならいいと、素直に思えたのだ。中身がどうであれ、そこに痕跡があるのなら。それは、手掛かりになるだろうから。
……そこまで考えて百田は、やはり、言葉にするのは、思考の整理には必要だな、と実感した。王馬の上滑りの言葉より以前に、既に百田はずっと前から知っている事だったが。
不意に、部屋が少し明るくなる。雲の切れ目から太陽が顔を覗かせていた。
「……あれ、なに、気済んじゃったの? ……全く、オレの何を心配してんだか。そんなんで気を緩めて負けたかもしんないって事? あーやだやだ、誰だよコイツ選んだの。目腐ってんのかな」
「だから夢の話だっての。……おい、本当に自分の目潰そうとすんな、バカ!」
王馬がわざとらしく捲し立てながら己の目に手を掛けようとするので、百田は慌てて駆け寄る。手を掴んだ所で、――ぐっと、逆に掴み返された。はっと百田が気づいた時には、王馬の口の端は釣り上がっていた。
「……その点、キミは狡いやり方、したよね。彼女の枷になりたくなかったんだろうけど。そこはオレと逆か」
「……」
その目に光る、わずかな棘。不快感を覚えさせる発言をした事への意趣返しに他ならなかった。それは王馬が常々口にする事なので、百田も聞き返す事はしなかった。それは百田がこの意識が潰えるまで抱えるだろう、罪の意識。
どちらにしろ、明かすものと明かさないものの塩梅は、己の目的に従って考えなければいけない、という結論に着地するのだ。
「あーあ、目ん玉片方取り替えてオッドアイにでもなろうかな。ミステリアスな雰囲気の総統ってのも箔が付くよね」
「……テメーはさっきの顔で十分ホラーだろ」
「ミステリアスとホラーは別ジャンルでしょ。ホラー嫌いすぎて変な物差しで見てない?」
「んだと!?」
「っていうかそろそろ手離してよ」
「あ、わりー……?」
つい強めに掴んでいたかと、百田が手を離した所で、距離は離れない。王馬の方が掴んだままだからだ。
「……何を」
「――ちなみにさ。キミなら出来るんじゃないの。オレを曝すのくらい」
低い、意図的に僅かな湿度を含ませたトーン。その色だけで、百田は察してしまった。
何度でも聞いた、こうなったら引き返せない。これも意趣返しかよどこが「大人になった」だ、と頭の中で愚痴を溢しながら、百田は倫理観の物差しを念頭に置いて思考を回す。
どことも知れない異空間、無人の図書館、頑丈そうな木の机と椅子。……せめて、本を汚してはいけないと、先程見立てられた本は引き寄せて、机の端に退避させる。本来なら本棚に戻すべきだが、この手が離してくれない。
最後の抵抗として、百田は言葉を吐き出す。
「……曝す、だって? ……その気もねーくせに」
「どうだろうね。何、怖がりが出ちゃってる? ざまあないね。――やってみなよ、お前が」
菫色の瞳が、その正円が、百田の首にナイフを突きつけた気がして。百田はそのまま、机の上に王馬の体をがたんと押し倒す。王馬がそれでいいと嗤う。だが、それでも百田の中で、葛藤はある。きっと永遠に消えない、心の痼り。
――隠すのは、いい。目的に沿ってやればいい。
では、優先順位はどちらが上だったのか。傷をつける事か、鼻を明かす事か。
……その命は、その勘定よりも軽かったのか。墓標を捨てる事になったとしても。
「……思う所ありそうな顔だね。図書館では静かにしないといけないもんね?」
「……そうじゃねーよ」
言葉は仕舞い込む。王馬は答えないだろうし、百田も聞くつもりがないものだった。自分が持っている王馬の情報も、全て開示する事をしなかった百田だからこそ。伏せたままの事実を、許容した。
「そっか。ともかく、最初の目的は忘れないようにね」
念押しのような王馬の言葉。こちらが黙っていれば、嘘も本当も混ぜて騙り続けるその口を封じる為に、百田は体を屈めて目を閉じた。