その灰を拭い去って 鴇羽・リリバレーは困っていた。
「だ〜か〜ら〜! キミたちとは遊ばないってば!」
「いーじゃん、そう冷たいこと言わずにさー」
可愛いね、と声をかけられたものだから応じてしまったのがいけなかった。お陰で五分は無駄にしている。まさか校内でここまでしつこい輩に絡まれるとは、流石の鴇羽も予想していなかった。
どうやって逃げ出してやろうかと思案を巡らせていると、ひとつの足音が鴇羽たちの前で止まる。
「そこの君たち。何をしている?」
凛とした涼やかな声。
「げっ」
「風紀委員だ、ついてねえな」
それを聞いた不良たちは一目散に逃げていく。鴇羽が声のした方を向くと、水色の髪をした少年と目が合った。
「……また君か、リリバレーくん」
「零治先輩! ありがと〜、助かったよ」
彼は零治・コールドウェル、この学校で風紀委員を務める二年生である。
「君は……なんというか、本当に目立つな」
零治は呆れたように溜息をつく。確かに鴇羽とその格好はよく目立つし、こうして声をかけられることもあった。
「ボクがかわいいばっかりに……。あ、でも校則には違反してないからね?」
「だから困ってるんだ。服装を改めろと言う訳にもいかないし」
零治の視線が鴇羽のリボンに集中する。このゼニス魔法学校に“男子がリボンを着用してはいけない”などという校則はないし、現に零治の胸元に結ばれているのだってリボンタイだ。
「先輩、もしかしてボクのこと心配してくれてるの?」
「うーん、まあ……そうだな。僕たちの仕事を増やさないためにも、君が妙な輩に絡まれないことを祈る」
「ひどーい!ボク悪くないもん!」
ぷんすこと頬を膨らませて抗議していると、ちょうど予鈴が鳴った。
「やば、遅刻したら怒られちゃう!じゃあね、零治先輩!」
「ああ、気をつけて」
廊下を走ると零治に注意されてしまう。鴇羽はなるべく早足でその場を去った。
───角を曲がる瞬間、零治がこちらを見つめていたのは見間違いかなにかだろうか。
□□□
放課後。
「な〜んか変じゃない?」
「知らねえよ……」
「零治先輩、たまにボクのこと見てる気がするんだよねぇ」
「だから知らねえって。気のせいだろ」
ズコ、と桃華が残り少ないジュースを啜る。なんで私が……とでも言いたそうな、不満気な視線が突き刺さった。まあ鴇羽としては誰でもよかったのだが、彼女がたまたま近くにいたので。
「天下の風紀委員様がお前のストーカーしてたら面白ぇんだけどなぁ」
「先輩はそんな人じゃないよ〜」
「冗談だって。まー多分あれだ、しょっちゅう絡まれるからマークされてんだよ」
「……経験談?」
「うるせ」
図星なのだろう。喧嘩っ早い彼女が風紀委員に目をつけられていたとて、何も不思議ではない。
「つか気になんなら本人に聞けばいいだろ、突撃あるのみだって」
「そうするしかないかなぁ……」
「おー、行ってこい行ってこい」
そろそろ飽きてきた様子で桃華が手を振る。本当に気のせいだったらと思うと気は進まなかったが、鴇羽は一年六組の教室を出て零治のクラスへと向かった。
教室の入口から覗いてみると、零治はまだ中にいるようだった。
「お、一年のかわいい子じゃん。どしたの」
「えと、零治先輩に用があって」
「おっけ、待ってて。……零治ー!! 零治・コールドウェルー!!かわい子ちゃんがお呼びだよー!!」
入口のところにいた生徒が突然声を張り上げるものだから、鴇羽は驚いて固まってしまう。すぐに零治がやってきて、件の生徒をやかましいと叱った。
「そんなに叫ばなくても聞こえる」
「やー、ごめんごめん。じゃね」
生徒は自分の鞄を持ってすたこらと去っていった。
「はぁ……驚かせてしまったな。悪いやつじゃないんだが……それで、僕に何の用かな」
「ん〜、ちょっと来て!」
零治の腕を引っ張って廊下の端まで連れていく。辺りに人がいないことを確認したのち、鴇羽は声を潜めて「ボクの気のせいだったらごめんね?」と前置きした。
「零治先輩はよくボクのこと見つめてるなぁ、って気になってたんだけど」
期待を込めて、その疑問を口にする。
「先輩が見てるのはボクの可愛さじゃなくて、ボクの服だよね? もしかして先輩も可愛いもの好きなの?」
新しい仲間を見つけたと思ったのだ。
「……ッ、」
しかし、残念なことに零治の反応は芳しくなかった。
「……そうだと、言ったら。君はどうするんだ」
色素の薄い睫毛を震わせて、苦痛に耐えるような顔をして、辛うじて声を絞り出しているようだった。
「零治先輩ともっと仲良くなって、お揃いの服とか着てお出かけしたいな〜って……」
「それはできない」
その苦々しい表情を見てまだ希望を持てるほど、鴇羽も能天気ではない。案の定提案は却下された。
「……君の質問に答えよう。確かに僕は可愛いものが好きだ。……好きだった」
「嫌いになっちゃったの?」
「なっていない」
じゃあどうして。詰め寄ろうとした鴇羽を、零治の言葉が遮る。
「……君は」
「?」
「お気に入りのぬいぐるみの手足を捥がれたことはあるか? それを暖炉に放り込まれたことは」
「ない、よ」
零治の押し殺したような声に、胸がきゅうと苦しくなる。
鴇羽は家族に大変可愛がられて育った。当然そんな恐ろしいことをする人間も周りにはいない。それでも、例えば自分の好きな服を誰かに意図して傷付けられたら、と思うと寒気がした。
「僕はあるんだ。ぬいぐるみだけじゃない。……それ以来僕は、可愛らしい服を着なくなった。また僕を否定されるのは御免だからな」
「先輩……」
───そこではたと気付く。目に入ったのは、零治のシャツの上に結ばれたリボンタイ。
「ねぇ、零治先輩」
「……どうした?」
鴇羽の視線がリボンタイを掠めたことに気付いたのか、零治の顔色が変わる。
「何を、」
「ボクは否定しないよ」
す、と零治の手を取って両手で包み込む。冷たかった。鴇羽の真っ直ぐな目に気圧されたのか、零治は微かに息を詰める。
「それと、ボクの家族も」
「……待ってくれ、どういうことだ。君のご家族?」
「可愛いもの、まだ好きなんでしょ? だからさ、零治先輩」
零治は知らない。鴇羽は意外と強引だということを。
「今度、ボクん家来てみない?」
「…………なんだって?」
■■■
(少し早かったか……)
あれから数日。結局、零治は鴇羽に押し切られる形で彼の家にお邪魔することになってしまった。「もうお姉ちゃんたちにも伝えてあるから!」などと輝く笑顔で言われてしまっては敵わない。
どうやら鴇羽はこの日をたいそう楽しみにしているようだったので、その想いを無下にすることもできずに今こうして噴水のある広場で鴇羽を待っている次第だ。休日であるためか、広場は露店なんかも出てそこそこ賑わっていた。
「あ、いたいた。零治せんぱ〜い!」
ぼんやりと辺りを眺めていると、今日も今日とて可愛らしい服に身を包んだ鴇羽が駆け寄ってくる。
「ごめんね、待たせちゃった」
「遅刻したわけでもないんだ。気にしなくていい」
「は〜い。じゃ、しゅっぱーつ!」
鴇羽の家に着くと、出迎えてくれたのは真鶸と名乗る若い女性だった。鴇羽たち姉弟の一番上の姉らしい。
「上で帆鷹が待ってるわ。鴇羽、案内お願いね」
「うん。先輩、行こ!」
「……ああ」
ぺこりと真鶸に会釈をして、鴇羽の後をついていく。楽しんでおいで、とその背に声が掛けられた。
「ここだよ」
鴇羽が階段を上がって二つ目の部屋を示す。ノックをして扉を開けると───
「よく来たな! 君が鴇羽の友達か!!」
「…………!?」
部屋の中にいた青年の快活な笑い声に思わず面食らう。彼が先程真鶸の言っていた帆鷹とやらだろうか。
「も〜、零治先輩びっくりしちゃったじゃん。帆鷹兄ってば」
「ん? ああ、すまん。気合いが入りすぎた。……じゃあ改めて、俺は帆鷹。鴇羽の兄だ」
「零治・コールドウェルです。リリ……鴇羽くんとは親しくさせてもらっています」
差し出された手を軽く握り返す。親しく、というほど密接な関係ではないのだが、鴇羽が友達として紹介したらしいのでここはそれに合わせておく。
「よ〜し、それじゃ早速始めようか!」
「そうだな! コールドウェルくん、何から試す?」
部屋に入った時は帆鷹に気を取られて気付かなかったが、よくよく見ればそこらじゅうに服が山と積まれていた。零治とそこそこ背格好が似ている帆鷹のもの───だと思いたい。もし真鶸や、もう一人いるという鴇羽の姉のものであれば気まずいことこの上ない。
「俺が昔着ていた服だ、姉さんたちのじゃない。ちゃんと綺麗にしてあるから安心してくれ」
零治の心配を察したらしい帆鷹の発言に、内心ほっと溜息をつく。
「あ、見て見て。これとかどう?」
鴇羽が楽しげに広げてみせたのは大量のフリルがあしらわれたシャツ。
「……僕には派手じゃないか?」
「え〜、似合うと思うんだけどなぁ」
「同感だ」
一瞬の葛藤。けれど着てみたいという欲求が勝った。
「……分かった。着てみるよ」
「じゃ、ボクたちは外に出てるね!」
鴇羽の持ったシャツを受け取り、二人が部屋を出たのを確認してから着ている服に手をかける。服を脱いで、ひとつ息を吐いた。
シャツのボタンを外し、ゆっくりと袖を通す。サイズはぴったりだった。ボタンを留めて、襟を整える。恐る恐る近くの姿見を覗き込むと、見慣れない格好の自分が映っていた。
「…………」
悪くはない、ような気がする。似合っているかどうかまでは分からなかった。
鏡像に触れてみる。
当然、鏡の表面が指先の温度を奪っただけで何も起きなかった。鏡像は口を閉ざしたまま、零治が鏡像を見るのと同じように零治を見つめている。
「零治先輩〜? そろそろ着替え終わったよね……?」
「……っ」
しばらくそうしていると、扉の向こうから鴇羽の心配そうな声が聞こえてきて零治は我に返った。
「……すまない。着替えは済んだ」
扉が開いて、鴇羽と帆鷹が戻ってくる。
「わ〜! やっぱり似合ってる、すっごいかわいいよ!! ね、帆鷹兄!」
零治の姿が目に入ったその瞬間、鴇羽が歓声を上げた。零治の手を掴んで上下にブンブンと振っている。
「本当に……どこもおかしくはないか?」
「ああ、よく似合っているさ。鴇羽の見立ては正しかったみたいだな!」
鴇羽のはしゃぎっぷりと帆鷹の反応からして、二人の言葉は本心らしかった。安堵の溜息が漏れる。数日前、鴇羽は零治の好みを否定しないと言っていたが、それでもきっと怖かったのだ。あんまり似合わないかも、などと言われるのが。
「……そう、か。良かった。帆鷹さんも、ありがとうございます」
「なに、元々もう着るつもりのなかった服だからな。君の役に立ったようで何よりだ」
「ねぇねぇ零治先輩、次は何着る?」
鴇羽は既に別の服をいくつか手に取っていた。
「こら鴇羽。あまりコールドウェルくんを急かすんじゃない」
「リ……鴇羽くん、君が見て僕に似合うと思うのを選んでくれないか。……それから帆鷹さん、僕のことは零治で構いません」
じゃあこれにしよう、と鴇羽が選んだのはやっぱりたくさんのフリルと、おまけにリボンまでついたシャツだったけれど。それを身に纏うことへの恐れは、少しだけ薄れていた。
鴇羽が満足した辺りで試着会を切り上げ、零治が帰ろうとする頃にはすっかり空が赤くなっていた。
「今日は世話になったな、リリバレーくん。ご家族にもよろしく伝えておいてくれ。……本当にありがとう」
「いーのいーの、ボクがやりたかったんだから気にしないで! あ、それとね、先輩」
「?」
「これ……」
手渡されたのは、丁寧にラッピングされた小さな袋。確認をとってから開けてみると、中にはリボンタイが入っていた。普段零治が身につけているものより華やかなデザインをしている。
「美隼姉と一緒に選んだんだ。気が向いたらつけてほしいな」
「……ああ。近いうちに、必ず。それじゃあまた学校で」
「うん! またね、零治先輩」
簡潔に別れを告げ、零治は帰路につく。零治が道の先の角を曲がるまで鴇羽は手を振っていた。
新しいリボンタイをつける日が楽しみだ。
■■■
「あれ!今日なんかリボン豪華じゃん。どしたのそれ」
ある日の始業前。声をかけてきたのは、以前鴇羽が教室に来た時に零治を大声で呼んだ彼であった。
「ちょっとした気分転換だ。……似合わないか?」
「いや? 似合いすぎてる」
不安になって尋ねたが、彼はけろりとして親指を立ててくれた。
「そうか」
思わず口元が緩む。次は自分で選んでみるのも、悪くないかもしれない。
(終)