酒に呑まれるもの、雰囲気に呑まれないもの 炭酸の抜けた缶チューハイに、空の鞘だらけになった枝豆の皿。テレビではドラマが終わり、丁度夜のニュース番組が流れ始める。淡々とニュースを読み上げるアナウンサーの声をBGMに、白鷺千聖は溶けかけの氷が入ったグラスを傾けた。
ぴんぽん、と。間の抜けたチャイムの音が部屋に届いたのは丁度そんな時だった。三人分の視線が玄関へと向く。
「来たみたいね」
「うん、じゃあ私出て来るね」
立ち上がったのは家主である松原花音だ。炬燵から出ると、インターホンのカメラで来訪者を確認してから玄関へと向かう。
ドアを開ければ、マフラーに顔を埋めた奥沢美咲が立っていた。外は寒いようで、半分隠れている顔も赤くなってしまっているのが分かる。
「ごめんね美咲ちゃん、寒かったでしょ」
「いや、こちらこそすみませんというか……」
苦笑いをする美咲を家の中に上げる。奥へ進んで炬燵のある部屋に入れば、千聖が申し訳なさそうな顔をして出迎えた。隣には大和麻弥も座っていて、最後の一つだった枝豆を手に取っていた。
「わざわざごめんなさいね、美咲ちゃん」
「夜遅くで寒かったですよね、お手数お掛けします」
「いえ、あの……、それで本人は……?」
先輩二人の謝罪に首を振った美咲が、目的の人物を探して部屋を見渡す。そもそも同級生四人で宅飲みしているところに未成年の美咲がやって来たのは、その人物に呼ばれたからであった。
千聖は肩をすくめて溜息を吐くと、床を指差す。
「……ここよ」
「ここって……? ……あ、」
千聖が指差した先を美咲の視線が辿れば、そこには床に転がっている瀬田薫の姿があった。
顔を真っ赤にした薫は、クラゲのクッションを抱えながらすやすやと気持ちよさそうに眠っている。足以外は炬燵からはみ出している身体には、タオルケットが掛けられていた。
久々に高校時代の同級生同士で気兼ねなく飲んでくる、と家を出た薫を送り出したのは夕方のことだった。目的地である一人暮らしの花音のアパートへは、徒歩と電車で行けるので送り迎えは特に必要ないと美咲は聞いていたのだが、夜に花音から連絡が入る。
薫が美咲が居ないと駄々を捏ねているから迎えに来てくれないか、と。
もうすぐ終電もなくなる午後11時過ぎ、車を走らせて今に至る。
「えー……これ潰れてるんですか……? どれだけ飲んだのさ……」
「元々弱いからそんなに飲んではいないのですが、今日はちょっと話が盛り上がった勢いで進んでしまったみたいで」
自分が飲んだビールの缶を片付けながら、麻弥は苦笑いする。
未成年の美咲と一緒に暮らしているからか、薫が家で飲むことはほとんど無く、飲んでくると言った日もほろ酔い程度しか見たことがなかった。駄々をこねるなど以ての外。故に、こんな風に潰れて寝こけているのを見るのは初めてであった。
バンドメンバーに幼馴染に高校からの部活仲間。勝手知ったるメンバーの中とは言え、こんな風になってしまうとは。美咲は呆れつつも本人の息抜きになったのなら、と微笑んで。その肩を小さく叩いて声を掛ける。
「薫さーん。起きれる? 迎えに来たんだけど」
薫は起きない。それでも声を掛け続けていると、やがてゆっくりと瞼が開いた。ぼんやりとしたルビーの瞳が美咲を映して、その身体がゆっくりと起き上がる。
「……みさき?」
「はーい、そうです美咲です。こんなところで寝てると先輩方の迷惑になっちゃうので、帰」
「美咲っ……!」
言い終わらないうちに、ふにゃりと笑った薫が美咲を抱き締める。いや、飛び掛かると言った方が正しい表現かもしれない。戯れる大型犬のように、美咲へ全体重が掛かる。
「ちょ、薫さん……!? 待って、流石に重……っ、」
どたん。酔いと眠気で力の抜けた薫の身体を支えきれる筈もなく、美咲は床に押し倒される形で床に倒れる。のし掛かる身体は重たい。
「薫さん! あーもう、どいてってば! 花音さん助けて……!」
珍しい二人の姿をもう少しだけ眺めていたかった花音だったが、助けを求められたので麻弥と共に薫の身体を起こす。二人に支えられて床に座り込んだ薫にほっと息を吐いて、美咲も起き上がってその正面に座った。
「……薫さんがこんなんになってるの、初めて見た」
「ジブンたちも初めて見ましたよ。まあ、そもそもこんな風に家でゆっくり飲むっていうのが初めてでしたから」
「これもう、花音さんさえ良ければ泊まらせてもらった方がいいんじゃ……?」
正直、こんな風になってしまった薫を一人で連れ帰る自身は無い。再び抱き着いてきた薫を、美咲は仕方なく真正面から受け止める。今度は体重を掛けられることはなかったので、一緒に倒れることもない。
「……みさきと帰る」
「いや……だって薫さん立てる? 眠そうだし……」
「いや……ちょっと待っててくれ。30分。いや20分」
「何する気ですか……?」
「花音、少しだけシャワーを貸してくれるかい?」
「絶対やめてくださいよね」
ぴしゃりと言い放った美咲が、立ち上がろうとした薫の腕を掴んで止める。飲酒後の入浴及びシャワーは控えましょう。
ふらつく薫はまともに立てる訳もなく、腕を掴まれてしまったことで力無く床に座り込んだ。こんな状態でよくシャワーを浴びる気でいたな。
「……花音さん。やっぱり、薫さんのことお願いしてもいいですか。このまま寝かしといて大丈夫なので」
「えっ、うん、私は平気だけど……」
「みさきーーーーーーー」
溜息を吐く美咲に花音が頷けば、その会話を聞いた薫が縋るように再び美咲へと抱き着いた。着たままだったコートの裾を握り締めて、駄々を捏ねる子供のように首を振る。
「はいはい、また朝迎えに来るから。おやすみ薫さん」
軽くいなすだけの美咲は、きゅっと握られたコートを脱いでそのまま薫に渡すと、その身体を床に転がした。タオルケットを掛けてやると立ち上がり、代わりにハンガーに掛けられていた薫のコートを羽織る。
「白鷺先輩と大和さんは、泊まっていくんですか?」
「いえ、ジブン達は午前から仕事なのでタクシーを呼ぼうと思ってて……」
「あ、じゃああたし車で来てるので送って行きますよ」
「えっでも、薫さんは、」
「あら、悪いわね美咲ちゃん」
何事も無かったかのように話を進める美咲に、同じく今までのやり取りに全く動じる様子なく微笑む千聖。手を振る花音にお辞儀をしながら、麻弥はそんな二人の背中を追い掛けようと上着を羽織った。
部屋を出る直前に床に転がった薫を見れば、彼女は美咲のコートを抱えたまま幸せそうにすやすやと眠っていたのだった。