HUG!!!「なんでこうなったかな……」
楽屋の隅っこで、小さく一人溜息を吐く。他のメンバーには聞こえなかったようで、こころやはぐみのはしゃぐ声に掻き消された。
あたしの目の前には、まだ一度も袖を通していない下ろし立ての衣装。ミッシェルのものではなくて、あたし専用の衣装。“いつか”の為に、こころたちが用意しておいてくれていたものだ。
少しだけ前に遡る。今日はRiNGでの合同ライブだった。ポピパやAfterglowなどよく知っているバンドの他、初めて顔を合わせるバンドも来るそこそこ規模の大きいライブだ。
ポピパに誘われて参加することになったハロハピも、当然楽屋にやって来た。
だけど、ここでトラブルが発生する。一回ミッシェルに着替えてたものの、まだ慣れないハコの楽屋だったからか、距離感を誤ってドアに思い切り身体をぶつけて転んでしまう。
幸いミッシェルにも中身のあたしにも怪我は無かったものの、その日使うはずだった衣装は大きく裂けてしまった。今日の出番は早めなので、ライブまでに直すのは困難だと言われた。
途方に暮れるあたし(ミッシェル)と対照的に、こころが目を輝かせる。
「そうだわ! 美咲はどこにいるのかしら!」
「……美咲ちゃん? ライブの準備に行くって言ってたけど、なんで?」
「今日は、ミッシェルにはお休みしてもらって美咲にライブに出てもらえばいいのよ! 美咲の衣装はあるもの!」
「え……!?」
その後は賛同するはぐみと薫さんと花音さん。ミッシェルは転んだし調子が悪そうだから休んでてと言われて、黒服さんに引き取られていったミッシェル。みんなの元に戻ったあたしに渡された、ミッシェルとお揃いの衣装。
トントン拍子に事が進んで心の準備ができていない中、今あたしはこうして自分の衣装を見下ろしながら楽屋の隅に立っている。
今日の楽屋は、出番のバンドが多いのでよそのバンドの人たちと合同の楽屋だ。気合いを入れるポピパや、真剣な顔で打ち合わせをするAfterglowの姿も見える。
いつもはキグルミ越しに感じるライブ前特有の緊張感が生身に直に伝わって、思わず衣装を握る手に力が入った。
「みーくん、どうしたの? お腹痛い?」
後ろから突然声を掛けられて、びくりと肩を跳ねさせてしまう。振り返れば、そこには心配そうな顔をしたはぐみが居た。あたしがなかなか着替え始めないのを心配して、声を掛けてくれたようだ。
「あ、ううん、大丈夫。ごめん、すぐ着替えるから」
無理やり笑顔を作って、なんとか着替え始める。はぐみは納得していなさそうな様子だったが、こころや戸山さんに呼ばれるとそちらへ駆け寄っていった。
あたしも急いで衣装に着替える。初めて袖を通す服は落ち着かなくて、あたしは周りを見渡しながら、談笑する花音さんと薫さんの所へと逃げるように駆け寄った。
「あ、美咲ちゃん。着替え終わった?」
「……う、うん。変じゃ、ないかな」
「ん? ああ、襟が曲がっているよ。ほら、此方を向いて」
「いや、そうじゃなくて……、」
襟を正してくれる薫さんへ苦笑いをしつつ、直してくれるのは大人しく受け入れる。ミッシェルの時と違って、直してくれる手が近い。直される感触が直接に伝わってきて、それも違和感を感じる。
服の裾を引っ張って伸ばしてみたり、アクセサリーの位置を微調整してみたり。色々してみるけれど、もちろんそんなことで緊張も慣れない感覚も消えるわけがない。
「大丈夫、すごく似合ってるよ」
「ああ、とても可愛らしいよ、美咲」
「……ど、どうも」
あたしの考えてることは、どうやら二人にはお見通しらしい。向けられる真っ直ぐな言葉はきっと本心で、だからこそあたしは俯いて可愛くない返事を呟くしかできなかった。
大丈夫、あたしだってハロハピの一員なんだ。ステージに立って演奏するのがあたしだって、別に――、
(……大丈夫って、頭では分かってるんだけどな)
遊園地の時と違って、今回はあたしが自分の意志で出たいと言ったわけじゃない。心の準備もできてない。そんなことを考えれば考えるほど頭がぐるぐるして、目の前が真っ白になる。
気付けばステージ袖に立っていた。ここまでの記憶が殆どないけど、どうやって来たんだっけ。自分で歩いて来たんだっけ。
「次、出番だよみーくん。……大丈夫そう?」
「大丈夫」って言うしかないけれど、ちゃんと声になってたかな。ステージに向かおうとするみんなの背中を追いかけようと足を一歩踏み出すけれど、地に足が着いている感じがしなくて。こんなに緊張してしまうなんて、なんだか逆に笑えてくる。初めてミッシェルを着た時だって、きっとこんなに緊張してはいなかった。
遊園地の時は大丈夫だったのに、なんで今更緊張なんて――、
「みーくんっ!!」
どん、と背中に強い衝撃。バランスを崩して転びかけたけど、そこは持ち前の体幹で持ち堪える。
振り向けば、はぐみが背中にくっついていた。お腹に回された腕が、ぎゅっと強く抱き締めてくる。
「……は、ぐみ?」
名前を呼べば、あたしの背中に埋まっていたはぐみの顔が上がる。眉を下げて泣き出しそうな顔をしていた。ああ、もしかして心配させちゃったかも。
あたしと目が合うと、はぐみの目つきが心配そうなものから決意を持った強いものに変わる。
「こうするとね、安心するんだよ!」
「……?」
首を傾げるあたしだけど、はぐみの抱き締める力は余計に強くなるばかり。ライブ前の緊張で高鳴ってるあたしの心音が、はぐみにバレてしまいそうだった。
「はぐみもね、緊張した時はミッシェルに抱き付くんだよ。そうすると安心するんだ」
「……ああ、」
確かに、はぐみはよくミッシェルに抱き付いてくる。それは、安心したいからだけが理由じゃないような気もするけど。
――てことは、もしかして。
「……はぐみは、あたしを安心させようとしてくれてるってこと?」
「うんっ! みーくん、緊張なくなった?」
眩しいくらいの満面の笑みを向けてくるはぐみに、釣られてこちらも笑みが溢れる。あたしが笑ったのを見て、はぐみも他のハロハピメンバーもほっとしたような表情に見えた。みんなにも心配掛けさせちゃったな。
「ライブの時もね、大丈夫だよ! みーくんのDJすっごく上手だし、ライブは始まっちゃえば楽しいし……、それに、みーくんの前にははぐみが居るからね!」
背中から離れたはぐみが、今度はあたしの両手をぎゅっと握る。温かい手から力を貰えたような気がして、思考と視界がクリアになっていく。
「……うん。ありがと、はぐみ。頑張れそう」
「ほんと!?」
そう素直に言えば、はぐみの顔が嬉しそうに華やいだ。私の手を取って、そのままステージへと走り出す。え、急に!?
「えっ、ちょっと、はぐみ!?」
「みーくんが元気になってよかった! はぐみ、みーくんとステージに立てるのほんとに嬉しいんだ!!」
曇りのない真っ直ぐな言葉に、此方も笑顔になってしまう。はぐみの気持ちに釣られて、あたしもステージで一緒にライブをするのが楽しみで堪らなくなってしまう。さっきまであんなに緊張してたのにな。
今はもう、みんなが手を引いてくれるあの眩しいステージに早く立ちたくて仕方ないだけだ。