小話いろいろ①『雲に梯』
(お題:ビ芥敦でおでここつん)
ーーーー芥川は優しい。
苛烈で独断的な所はあるけれど、其れ以上に気遣ってくれるし安心させてくれる事が多い。総じて優しい男なのだ。
芥川の大切な妹である銀さんを隠したポートマフィアの一員で、本気の殺し合いをした僕なんかにも其の優しさを向けてくれる。其の事は正直、とても嬉しい。でも同時に同じ優しさを他者にも向けているのだろうと考えるとーーーーとてもドロドロとした暗くて濁った感情を抱いてしまう。
嗚呼、僕はなんて愚かで醜いのだろうか。
「僕が此処まで心を砕くのは貴殿のみだ、虎よ」
「ーーーーーーーーーーーーえ?」
一等星が瞬く芥川の双眸が、僕を見る。強く熱い双眸が、僕を射抜く。
「虎の目を僕に向けたいが故の、打算に満ちた行動だ」
其れは……つまり……えぇぇっ!?
ボンッと爆発する様な音が脳内に響いた。次いで全身が燃える様に熱くなる。
「虎……? 如何した?」
「あ、否……えっ、と、その……」
「赤いな、熱でもあるのか?」
どれ、と呟いたかと思ったら芥川の端麗な顔が目の前にあって、僕の額に芥川の額がくっ付けられた。
其れからの事はよく覚えていない。僅かに残っている最後の記憶は、初めて聞く程にかなり焦った芥川の声だった。
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②『望みは遠く、果てしなく? 』
(お題:声を抑える敦VS声を出させたい芥川)
「おい、人虎。貴様、如何云う心算だ?」
「…………出会い頭に何なんだよ、お前」
左手で口元を抑え、右手は衣嚢に突っ込んだ、通常運転な尊大な姿勢で芥川は敦を睨みつつ問い掛けとも思えない問い掛けをしてきた。
「如何云う心算」とは一体何の事を言っているのだろうか? 分からないなりに面倒臭そうな空気はプンプン漂っているが、此処で躱したり逃げたりしたらより一層面倒臭くなるのは日を見るよりも明らか。渋々、仕方が無し、と云う態度を前面に出して、敦は一応話を聞いてやる事にした。
「はぁ……で? 何の話なんだ?」
「知れた事。閨での貴様の態度だ」
「…………ん?」
「貴様と閨を共にする様になって其れなりの時間が経つが、未だに貴様は声を出さぬ。快楽を得ているのは表情や身体中の反応で明白。だと言うのに寝具や衣服、果ては己の腕や指に啼き声を吸わせる始末。全て剥ぎ取り、『羅生門』で四肢を寝台に縫い留めても、唇を噛み締めて頑なに声を上げぬ」
「なっ……! ちょっ……!」
「ならばと思い様々な体位や趣向を試してみたが、貴様の強情さには呆れる程だ。羞恥を覚えている様を初めの頃こそ一興と思い好きにさせていたが、そろそろ飽きてきた。僕は快楽で善がり、身も世も無く啼く貴様を所望する故、次は其の心算でいろ」
「スッ、ススス、スト――――ップッッッ!! あっ、あああ、芥川っ、お前もう黙れっっっ!!」
口元を抑えている左手の上から、敦は自分の両手を重ねて芥川の口を塞ぐ。何故ならば、芥川と敦がいるのは路地裏や何処かの室内では無いからだ。
今、二人がいるのはポートマフィアと武装探偵社が合同会議を行う為の広い一室。其処には二人の先達たる太宰と中也は勿論、国木田・鏡花・谷崎らに樋口や広津たち黒蜥蜴の面々が勢揃いしている。更に悪い事に今日に限って福沢と森も来ているのだ。
芥川と敦の関係は特段隠している訳では無いが、かと言って触れ回るものでも無い。どんな事をしているかなんて、察しはしても態々聞かれる事も(ごく一部の人を除いて)無い。だと言うのに芥川の赤裸々かつ独断専行癖によって盛大にバレてしまった。
敦は言うまでも無く、此の場にいる者達の心情や空気感が何とも言い難い、様々なものが入り混じったものになってしまった。もう合同会議どころでは無いのかもしない。だが其処は百戦錬磨の猛者たち。各々で自力で立て直し、敢えて何も触れずに合同会議を始めた。
「ぁ、あう……あうぅ……もう、もう此奴、ヤダ……」
敦一人を除いて、だが。
――――羞恥と憤慨で地面に埋まりたい敦と敦のセコムでもある探偵社の面々によって、芥川に『次』が訪れるのがかなり遠のいたのは言う迄も無い。
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③『Crimson Disease~故に不完全な……Said:罹患者』
(お題:芥川の花吐き病)
ゆらゆらと揺れる、緋色。
隠すように被さる、白煙。
はらはらと崩れる、灰色。
只管に睨み付ける、夜闇。
夜闇の視線の先は赤、深紅、緋、茜、真朱、丹、赭、臙脂、赫。
――――嗚呼、何とも忌々しい。目の前で揺れる火も、此の時間も作業も、何よりも此の赤色を生み出しているのが己だと云う事実が!
芥川龍之介の此の苛立ちは少し前から始まった。
喉の奥が乾燥するような、詰まるような感覚を覚え、いつもと同じように手を当てて咳き込んだ。違和感は其の時。気管に異物が這い上がってくる気持ち悪さに眉を顰める。心持ち長く咳き込みの後、当てていた手の中には小さな赤い花が数輪。
一瞬の驚愕。次いで血が逆流するかのような憤怒、周囲へ当たり散らしたいほどの焦慮、赤い花を吐き出した事実への嫌悪が芥川を支配した。
体内から花を吐く現象は聞いた事がある――――『嘔吐中枢花被性疾患』、通称『花吐き病』――――遙か昔から潜伏と流行を繰り返してきたらしく、片想いを拗らせると口から花を吐いてしまう病。 吐かれた花に接触することで他者に感染するが、花を吐く以外の症状は確認されていない。根本的な治療法は未だ見つかっていないが、両思いになると白銀の百合を吐き出して完治する。
芥川は知識として知っているし、花吐き病の罹患者も見た事がある。但し恋慕の情も病も拗らせ衰弱死した遺体だが。
「……巫山戯るなっ」
怨嗟の言葉と共に赤い花を握り潰す。自分は彼の御方に認めてもらわなければならぬのだ。残された時間は長く無く、恋愛事等と云う軽薄な行為に割く時間は皆無。何より此の病に罹る心当たりが微塵も無い。
無残に潰された花を『羅生門』の中へと投げ捨て、芥川は其の場を後にした。握り締めた手には花にも劣らない赤い血が滲んでいた。
だが芥川の事情と感情を無視して、花を吐く症状は続いた。
最初は小さな、小さな赤い花を二、三輪。吐き出した花は全て『羅生門』に喰わせた。
――――霞草カスミソウ
――――姫金魚草リナリア
軈て少しだけ大きな赤い花が五、六輪ほどに。頻度も少しだけ増えた。
――――撫子ナデシコ
――――翁草オキナグサ
少しだけ大きな赤い花はまた大きくなり、数も十輪に。頻度もまた少しだけ増えた。
『羅生門』に喰わせるのも癪に感じ、紙袋に纏めて捨てるようにした。
――――松明草モナルダ
――――団子菊ヘレニウム
――――紅花翁草アネモネ
一度に吐き出す花は大きく、両掌からポロポロと零れ落ちていく。数も頻度も増えていき、紙袋はあっという間に満杯になる。
小さな花も、少しだけ大きな花も、大きな花も入り混じる。種類や数は増えても、一向に減る気配は無い。
――――三色菫パンジー
――――松笠菊ルドベキア
――――朝顔アサガオ
――――緋衣草サルビア
芥川は頻繁に路地裏へ赴き、紙袋を中身ごと燃やす。週に一度が数日おきに、数日おきが一日ごとに、一日ごとが毎日に。そうして今は一日に数回燃やす日もあった。
今日も既に三度目だ。周囲に悟られぬよう細心の注意を払って吐き出した花を紙袋に回収し、人気が無い事を確信してから焼却している。
ジリジリと燃える花は、だが普通の花とは異なり乾燥するのが遅い。故に中々火が回らない。つまり芥川にとって苛立たしい時間が長いのだ。
「ちっ、実に……実に、忌々しい」
暗黒の双眸に花を燃やす緋色が映り込む。万が一燃え残りがあり、其れに他者が触れる事があれば更に面倒になる可能性もある。腹立たしいが全て燃え尽きる迄見張っていなければならず、其れがまた芥川の感情をささくれさせるのだ。
「(…………今夜は殲滅任務がある故、少し気を静めなければ)」
意識して深く呼吸をし、路地裏の狭い隙間から空を見上げる。秋は日が暮れるのが早く、未だ夕刻の始めだと云うのに既に夜の帳が掛かっている。そして東と南の夜空の中程に、上弦よりやや満ちている月が見えた。
清秋の空気で煌々と輝く、淡い金色を帯びた月白。
「――――ぐっ!?」
途端、慣れてきた違和感が込み上げてくる。
肺と気道を逆流する異物感、誤嚥を防ぐ為の弁も役には立たず。只々ズッ、ズッ、と這い上がっている物は気道をミチミチと圧迫し、息苦しさと喉を潰されそうな気持ちの悪さで生理的な涙が滲んできた。
「ふ、ぅ……っ、ぁ……」
異物が喉に近くなると、次いで嘔吐感もやって来る。
「ぅ、うぐっ……っ、ぁ、が、あ、ぁ……ぁぐ、ぅっ」
ズッ、ズズッ、ズッ、と止まりはせずゆっくりと競り上がる不快。
気道を傷付けるのでは、と危惧しそうな大きさの込み上げる塊体。
水分はあれど滑り気の無い塊はカサカサと音を立てているようで。
其の異物がやっと喉を通過し、口腔内へと姿を見せ始める。
「っ、お、ぉ、ぁ……ぁ、がぁぁ……ぐっ!? っ、ゴホッ……ゴホッ、ケホッ……!」
ビシャァ、と吐き出され地面に叩き付けられた、大きな赤い塊体。酸欠の肺に急に酸素が取り込まれたせいで芥川は大きく咳き込む。長く異物が居座っていたせいでかさつく喉を抑え、肩で息をする。漸く呼吸が整ってきた頃、口元に垂れていた唾液を手の甲で無造作に拭い取り、地面に転がった儘の異物を見る。
「くっ、また、大きくなったのか……」
今、吐き出した花は此れ迄の花よりも一段と大きい。花弁は多く、こんもりと丸みを帯びている。
――――菊キク
「ちぃっ!」
何時に無く険しい声と表情で睨み付け、グシャリと花を踏み潰す。だけでなく恨みも苛立ちも、何もかもを怨嗟するように念入りにグリ、ゴリゴリと擦り潰す。そうして押し付けられた地面ごと久々に『羅生門』に喰わせ、灰燼と成り果ててしまった花を置き去りにして芥川は其の場を去って行った。
灰燼すら舞わぬ微風の夜。
月明りだけが物言いたげに路地裏を照らしていた。
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④『Crimson Disease~故に不完全な……Said:目撃者』
(お題:芥川の花吐き病)
気持ち程度に吹いている微風。其れでも秋と云う季節のお陰か、暑さも不快さも感じない日没の時刻。
心成しか帰り道を急ぐ人々と同じように、中島敦もまた帰路に着いていた。
街中の至る所から漂う食べ物の匂い、自動車の排気や人々の生活の匂い、港から流れる潮の匂い。特に変化の無い、平和な日常の匂いで溢れている。
と、思った其の時。『月下獣』の影響で鋭敏な敦の嗅覚は、日常に無い匂いに気付いた。限り無く細く、小さな、かき消されそうな程の非日常の匂い。
「(何処からだろう?)」
もし、何か悪い事が起こっていれば一刻も早く駆け付けなければ。元々多少なりとも持っていたものに加えて、武装探偵社の社員としての正義感と使命感が敦を動かす。
スンスン、と空気を鼻孔に取り込む。賑やかな表通りから続く横道から来ているらしい。薄い、あっと言う間に空気に溶けてしまいそうな其の匂いを、敦は辿って行く。
スンスン、スンスン、と嗅ぎながら歩いて行くと、段々匂いが強くなっていく。此処まで来てやっと何かを燃やしている匂いだと分かった。賑やかな表通りから角を幾つも曲がり、建物や狭い空き地を抜けて行く。
「此の先の角だ」
匂いが最も強くなる。只の失火なら直ぐに火を消せばいいだけだが、万が一放火の類ならばいけない。もしかしたら放火犯も未だ其処にいるかもしれない。念の為に敦は角を曲がる直前の建物の陰に身を隠し、悟られないように慎重にゆっくりと顔を覗かせる。
「――――!!??」
果たして其処にいたのは敦が見慣れた黒・芥川だった。
「(彼奴、こんな所で何をしているんだ……?)」
じっくりと見てみると、芥川の足元には何か紙袋らしきものが燃えていた。ちりちりと小さな緋色と、もくもくと上がる白煙。如何やら敦が嗅ぎ付けた匂いは其処かららしい。
匂いの源が分かった処で、次は芥川が此処にいる事に疑問が浮かぶ。路地裏は普段から芥川がよく通る場所だから、いても驚きはしない。だが“何かを燃やしている”点が謎なのだ。
「(昼間から堂々と交番を爆破する芥川が、放火なんてちゃちな事はしないだろうし……抑々周囲には他に燃えそうなものも無いしなぁ)」
ジッと虎の目で紙袋を注視してみると、火と煙の隙間から花が見えた。燃やされている花は妙な事に葉や茎が見当たらない。本当に花の部分だけなのだ。
「(何か、変な花だな……っ!?)」
突然芥川が激しく咳き込み始めた。気管支が弱い芥川は常に咳をしているが、手が口元だけでなく、胸や喉の辺りも苦しそうに当てられている。
「っ、お、ぉ、ぁ……ぁ、がぁぁ、ぁ……」
潜める様な呻き声、咳の合間に時折嘔吐く(えずく)音も聞こえてくる。芥川の余りの苦しみ様に、敦は思わず建物の陰から飛び出そうとした。
「ぐっ!? っ、ゴホッ……ゴホッ、ケホッ……!」
が、飛び出す一瞬前に芥川が何かを吐き出し、即座に其れを憎々し気に踏み潰した。其れが何かを見止めた途端、敦の足が地面に縫い付けられたようにびくとも動かなくなる。
「(あ、あれは、まさか……そんな、芥川に限って……でも……)」
芥川は血のように真っ赤な大きな花を吐き出したのだ。――――『嘔吐中枢花被性疾患』、通称『花吐き病』。敦も聞いた事くらいはある。片思いを拗らせた者が発症する病、つまり……
「(……芥川は誰かを想っている)」
驚愕以上に、嘗てない程の動揺が敦を襲った。耳の直ぐ隣で心臓の音がしている位に音が大きい。体温が急激に下がっていそうなのに、熱くも感じる。足の甲に釘が打たれたように、地面に張り付いて動けない。
「まさか」と「でも」が交互に目まぐるしく脳内に浮かんでは消えていく。
「(何でっ、如何してっ! 僕は、僕は如何すれば……!)」
どれ程の時間が経ったのだろうか。敦が漸く動けるようになった頃には、芥川は既に影も形も無く去っていた。敦が見たものが夢では無かった証は、此の路地裏に微かに籠っている花が燃えた匂いだけ。
敦はフラフラと覚束無い足取りで、芥川がいた場所へ向かう。
「ははっ、何にも残ってないや……」
芥川らしく灰も、焼け残りも、焼け跡も。此処には何も残していない。残っているのは真新しい地面が抉られた小さな跡だけ。しゃがんだ敦は其の跡を指先でソッとなぞる。
「良いなぁ……」
無意識に呟いて、呟きが耳に届いてからはた、と気付く。
「……って、あれ? 何で羨ましいって思うんだろう?」
芥川の秘密(多分だが)を知ってしまったのは、自分の安否が掛かっていて正直マズイと思う。だから知ってしまった時はあんなに動揺したのだろうし。だが何故「羨ましい」なのだろうか?
暫く云々と考えてみたが、明確な答えは出て来ない。
「う~ん、花吐き病になる位に誰かを想える芥川が羨ましい……とかかな?」
だから無理矢理にでも納得出来そうな理由を出してみる。苦し紛れのように出した理由だが、口にしてみると合っている気がしてきた。
「そうだな……うん! 僕は其処が羨ましいって思ったんだ!」
胸の奥底にささくれのような引っ掛りがある事に気付かぬ振りをして、敦は上弦よりやや満ちている月の明かりが照らす路地裏から、日常の匂いに溢れている表通りへと戻って行った。
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*霞草カスミソウ
「無垢の愛」「感謝」「幸福」赤「感激」
*姫金魚草リナリア
「この恋に気付いて」
*撫子ナデシコ
「無邪気」「純愛」赤は「純粋で燃えるような愛」
*翁草オキナグサ
「清純な心」「告げられぬ恋」「何も求めない」「裏切りの恋」
*松明草(タイマツソウ)モナルダ
「安らぎ」「感受性豊か」「野性的」「燃える思い」「燃え続ける想い」
*団子菊ヘレニウム
「涙」「上機嫌」「寛容」「恋の望み」「絶望の恋」
*紅花翁草アネモネ
「あなたを愛します」「はかない恋」「恋の苦しみ」「見放された・見捨てられた恋」赤は「君を愛す」
*三色菫パンジー
「私を思って」
*松笠菊ルドベキア
「あなたを見つめる」
*朝顔アサガオ
「愛情」「結束」赤は「はかない情熱的な愛」
*緋衣草サルビア
「知恵」「尊敬」「家族愛」赤は「燃える思い」
*菊キク
「信頼」「高貴」「高潔」「高尚」赤は「愛しています」
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⑤『傘の内』
「お前がそんな色を着るって珍しいな」
そう声を掛けてきたのは武装探偵社の中島敦だ。声を掛けられたポートマフィアの芥川龍之介は胡乱げな顔をして振り返る。
「依頼主の趣向だ。僕が選んだ訳では無い」
「ふーん」
芥川は中原やQと共に依頼された企業に来ていた。其処に探偵社の名探偵と其の友人とやらと同行していたのが敦だ。敦本人は依頼されていないので着替えも無く、手持ち無沙汰。探偵社と友人の話に付いていけないので、芥川の元に来たらしい。部屋のパイプ椅子に座ってプラプラと足を遊ばせている。
芥川は姿見の前で衣服の最終確認をしていた。
「芥川の衣装って黒や濃灰って感じだけどな。紫もこんな明るいのじゃなくて、もっと暗かったり赤みが強そうなさ」
「そうか」
「こういう紫も、使うなら差し色が多かったような……花もお前のイメージ花は黄色のラッパ水仙だろ? なのに今回は白だし」
「黄はQに使った故」
「袖口だって。白い袖飾とかあるのお前だけじゃん。まぁ其処は普段の服が服だから、あまり違和感無いけどな」
衣装の和服に乱れは無さそうだ。適当に敦の相手をしながら、芥川は今回の小道具である赫い和傘を手に取る。
「帯だって黄色を締めてる、し…………」
滔々と芥川の衣装について自分なりに語っていた敦が、途中から歯切れが悪くなる。暫し黙ったかと思えば、視線を右往左往させていて芥川を見ない様にしているのだ。
「あの、芥川? 今回の衣装って依頼主が決めたんだよな? その色味も選んだのは依頼主だよな?」
「是、確かに最終的に決定したのは依頼主だ。だが……僕らも多少なりとも具申はした」
「え……?」
敦は変わらず視線は右に左に忙しなく動かした儘、高さが徐々に下がっていく。ゆっくりと滑る様に長靴の芥川の足音が近付いて来る。
「如何した? 顔が赤くなっているぞ、人虎」
「ぅあ……な、なら……其の色を、紫と黄色を選んだのって……もしかして……」
「さて、貴様は如何思う?」
「……嫌いだ、お前」
ムスッと拗ねた様な、照れ臭さを隠している様な何とも言えない表情。そんな情人が好ましく、くつくつと芥川が喉の奥で笑う。そして手にしていた赫い和傘を開くと、敦に無理矢理持たせた。
「うわっ! え、ちょっ、芥川?」
「落とすな。其の和傘は撮影の小物だ」
「っ、う、うん……でも何で僕に持たせ、るん……」
敦の瞳の色をした和服を纏った芥川の顔が敦の視界いっぱいに迫ったと思った時には、既に唇に自分以外の温度と感触がした。ビクッと和傘が微かに揺れる。
「ん……ふ、ぁ……なぁ、此処って鍵は掛からないよな?」
「是」
「誰か来たら如何するんだ」
「故に和傘があるのであろう?」
「……やっぱり嫌いだ、お前」
「くくっ……重畳」
開かれた傘の内は、二人だけの空間。
何を言おうが、されようが、余人には預かり知らぬ世界。
依頼主側が呼びに来る迄、赫い和傘の内の秘められた世界が閉じられる事は無かった。