「ただいまー、ん? マリオン、寝てるのか?」
「ガストちゃま! おかえりなさいナノ!」
ソファで腕を組むマリオンの向こうから、ジャクリーンがぴょんと顔を出した。
マリオンがリビングで寝ているなんて珍しい、と思ってガストが訊ねると、マリオンは昼食後に注射を一本打たれたそうだ。
注射を打った日のマリオンは気疲れして、ぐっすり眠ってしまうとドクターが言っていた。まだ昼間だがリビングで話しているうち、マリオンはうとうとし始めてジャクリーンが気づいたときには眠っていたらしい。
「へぇ。まだ昼休みだし、そっとしておくか」
「ガストちゃま、見てみてナノ! マリオンちゃまの髪を三つ編みに……あっ」
ガストのことを呼ぶ間に、ジャクリーンの丸みを帯びた手から赤い三つ編みがほどけていった。
ジャクリーンがドクターの髪を三つ編みにしているのをガストはよく見掛けた。ドクターは髪が長いから、三つ編みにもしやすいんだろう。短めのマリオンの髪では上手くいかないみたいだ。
「残念ナノ、マリオンちゃまをかわいくしてあげたかったノ……」
「えっと、マリオンならそのままでも、もう十分かわいいんじゃないか?」
「もっとかわいくしたかったノ」
落ち込むジャクリーンが可哀想に見えてきてしまって、ガストは少し悩んだ。思いついたことを実行したら最悪ガストはマリオンに怒られるが、ジャクリーンを喜ばせるためだったら、マリオンの怒りもひどくはならないんじゃないか?
慎重に考えた結果、「ちょっと、やってみるか」とガストはそうっとマリオンの髪へ手を伸ばした。
幼く落ち込むジャクリーンをガストは放っておけなかったのだ。眠り込んで俯くマリオンの顔周りから、髪を指に取って耳の方へ編み込んでいく。妹にねだられて、昔少しだけ妹の髪をいじってやった記憶を何とか呼び起こす。
マリオンはときどき小さく声をあげるが、まだ目は覚まさなかった。髪をいじられるのが心地良いのか、マリオンの表情は最初より和らいでさえ見える。編み込みが耳の後ろまで到達したところで、嬉しそうにするジャクリーンがガストにヘアピンを差し出した。リボンのついたかわいいヘアピンだ。
「後ろで留めて――っ、よし。こんなとこか?」
「ガストちゃま、すごいノ!! マリオンちゃま、とーってもかわいいノ!」
「ん、ぅ……なに?」
突然マリオンが目を覚ましたものだから、ガストは悲鳴をあげて仰け反った。拍子に脚がテーブルにぶつかった。ひどく痛む。
「ガスト、うるさい」
「マリオンちゃま! リボンがジャクリーンとおそろいナノ! かわいいノ!」
「どうしたんだ、ジャクリーン。『おそろい』?」
ガストはひやひやしながらソファに座り直した。
はしゃぐジャクリーンを寝起きで目にしたマリオンは、まだ眠そうながら優しく微笑んでいた。ジャクリーンの嬉しすぎて要領を得ない言葉に、マリオンは笑みを浮かべながら首を傾げている。
「ガストちゃまがやってくれたノ!」
「ガストが? おいガスト。オマエ、何やったんだ」
態度が違いすぎやしないか。
「何って、その、ちょっとした手伝いをだな」
「は? 手伝い? 要領を得ないヤツだな」
言いながら、マリオンは自分の髪には気づかずに部屋の時計を確認した。「紅茶を淹れよう。ジャクリーンも飲むか?」とキッチンへ向かう。
先に考えたように、ガストはジャクリーンを思って手伝いをしたのだから、マリオンからひどい怒られ方はしないはずだ。かといって勝手に髪を触り、かわいく飾りつけてしまったことにマリオンが腹を立てない保証はない。いいや、かわいくなってしまっているのをガストが教えなかったからと怒るだろうか。
ガストが考えて黙り込むこと数秒、結論を出せずいるうちにメンター部屋からドクターが現れた。「おや?」と呟いている。
「オマエの分の紅茶はないぞ、ヴィクター。飲みたいなら自分で淹れろ」
「私はコーヒーを淹れに来たので、紅茶はいりません。それよりも――ガスト。おかしな動きをして、どうしたのですか」
ドクターはジェスチャーするガストを眺めて言った。
マリオンの髪型には触れてくれるな、と身振りで伝えるはずがドクターはガストの動きの方へ興味を持ってしまった。何かの真似ですか?と小首を傾げている。違う、がドクターの意識がマリオンから逸れたようなのでガストはよしとした。
「そういえば、マリオン」
「あ、あぁーっと!! どうしたんだドクター!」
「なんでオマエが答えるんだ」
「私のものでないタオルが、部屋に届いていました。お掃除ロボさんが間違ったのでしょう」
部屋の何処どこに置いておいた、とドクターはマリオンに向かって続けた。
髪型への指摘ではなくてガストはホッとした。ホッとしたのと同時に、このままでは自身の身が持たないことに考えが至る。どうにか隙を見て、マリオンの髪をほどいてしまうことはできまいか。
ドクターは自分の分のコーヒーを淹れて、さっさと部屋へ戻っていった。マリオンがドクターに突っかかかっていくことはあっても、ドクターはマリオンにさして興味がないんだろうか。ガストは余計なことを考えながらキッチンへ近づく。
「オマエも紅茶がほしいのか、ガスト」
「えっ、あぁいや」
「何かジャクリーンを手伝ってくれたみたいだから、ついでに淹れてやってもいい。ありがたく思えよ」
「はは、ありがとよ……」
手元でティーポットに湯通しするマリオンの髪へ、ガストはそうっと手を伸ばした。マリオンはカップにも湯を当てて温めている。
ガストがさっとヘアピンを抜いて、「ゴミがついてたぜ!」とでも言えば編んだところをほどきやっても叱られないだろうか。しかしガストは今になって、ジャクリーンの目があることに気づいてしまった。"おそろい"が解けたらジャクリーンが悲しむかもしれない。ガストが焦って考え込んでいたら、知らないうちに廊下から部屋へ二人入ってきていた。
誰かを引き連れたジャックだ。
「ガスト、お客さんデスヨ。部屋へ入るかどうカ、廊下で迷っていたようなのデ連れてきマシタ」
「マッ、ママママリオン!!」
「ジュニア? いや俺に用事じゃねぇのかよ」
ガストは自分よりもずっと焦っているジュニアを見て、思わず苦笑いが出た。
たしかCDを借りる約束をしていたから、ジュニアはそれをガストへ届けに来たんだろう。来たはいいが、憧れのマリオンがいるかもしれないと思って部屋へ入るのを躊躇っていたのだ。
「落ち着けって。CDがミシミシいってんぞ」
「おい、騒がしいぞ」
「ごめんマリオン!! いやあのっ、マリオンってさ、そういう髪型も似合うな!」
「髪型?」
マリオンはジュニアの視線をたどって、自分の髪へ手をやった。
編み込んだ部分を指が撫でて、怪訝な顔でヘアピンのリボンまで触れている。マリオンの視線がガストを向いた。
「ジャクリーンとリボンでおそろいナノ! ……マリオンちゃまは、嫌だった?」
「ううん、嫌じゃない。ガストが、やったんだな? そうか。ガスト。ボクに対するイタズラのつもりだったなら、覚悟しておけ」
「いっ、イタズラじゃねぇって! ジャクリーンが困ってたから、俺は手伝っただけで!!」
マリオンはジャクリーンに真偽を確かめ、まぁそういうことなら、と不服そうにして受け入れた。ジュニアはといえば、遠巻きにマリオンのことをじっと見ている。呼んでも近くへ来ないのだ。マリオンを見ていられるだけで嬉しいらしく、ジュニアの目は輝いている。
「……ジャクリーン。ボクたちだけじゃなくて、ガストにもしてやったらいいんじゃないか」
「っ!? い、いいよ、俺は」
「ほら、あの鬱陶しい前髪を編んでやるといい」
ジュニア以上に目を輝かせたジャクリーンが、ガストへ駆け寄った。
こうなってしまっては受け入れる以外ない。リビングでマリオンに紅茶を出してもらいながら、ガストはカチューシャを外したのだった。
ドクターどころかマリオンほどもガストの髪はまとまった長さがなく、ジャクリーンは苦戦しているようだったが。
「マリオンちゃま、どうしてもバラバラになっちゃうノ……」
「え? こんなものは、こう」
「痛って!! マリオン!? ちょっ、後ろに向かって編むなら、この辺りを」
「うるさい黙れ」
ガストの前髪は最終的に、力技で後ろへねじるようにされたみたいだ。ジャクリーンの、おそらくまたリボンのついたヘアピンをガストの頭のてっぺん近くへマリオンが突き差す。
離れたところでジュニアが吹き出した。
「ガ、ガストっ、く、ぶふっ! ……あ? あぁっ! それ、マリオンとおそろいってことじゃねーか!」
「ジュニアがやりてぇなら譲るぜ」
「いやっそれは、いやでも……」
「おそろい嬉しいノ!」
たぶん自分の髪はちょんまげみたいになっているのだろうな、と思いながらガストはマリオンへ目を向けた。ちょんまげを作った張本人は、優雅にカップを傾けている。
ガストはイタズラのつもりではなかったはずが、しっかりと報復する如くマリオンにイタズラし返されてしまったようだ。カップを置いたマリオンがガストを見やる。マリオンは笑うのを我慢するみたいに唇をゆがめた。
了