いらない心配より君のとなりが欲しい 扉を開く。
隙間から顔を出して右を見る。左を見る。
よし――誰もいない。
無人を確認し、グランは一歩通路へ足を踏み出したその時――
「――よォ、グランサン?」
「……っ!?」
突然エルモートから声をかけられ、持っていた剣を落としてしまった。
金属の鞘が床を叩き、薄暗闇に静まりかえった通路に響き渡った。
グランは慌てて剣を拾いあげ、周囲を見まわす。
よかった。強引に団員の眠気を覚ますまでには至らなかったようだ。ほっと胸を撫で下ろすのもつかの間、横から容赦ない指摘が突き刺さる。
「夜中に部屋を抜け出そうとして、訓練かァ?」
「ち、違うよぉ?」
うわずった声が、咄嗟に出た言葉の信憑性を薄めていく。
エルモートの眼差しが鋭くなり、グランは通路に出していた足を引っこめた。
「……おやすみなさい」
うつむいて、エルモートの顔を見ないまま扉を閉めようとする。
「オイオイ、ちょっと待てよ」
だが、エルモートが扉に手をかけ、グランを阻んだ。
「話がある。少しばかり顔かせや」
そう言ってエルモートは扉から手を離した。グランに手招きをし、そのまま踵をかえして歩き出す。
ついてきてくれると信頼されているんだろう。グランを振りかえったりはしなかった。
上着の裾がエルモートの歩みにあわせてひるがえり、そして通路の角へと消えていく。
イヤだと突っぱねて、そのまま部屋に閉じこもる可能性だってあるかもしれないのに。
悔しげに唇を噛み、グランは部屋を出た。
「まってよエルモート」
小声で呼びながら、エルモートの背中を追いかける。
到着したのは厨房だった。
朝に備えてるのだろう。ゆでた野菜のほのかな甘い匂いがする。明日の朝、起きたら温かなスープが待っているに違いない。
エルモートはテーブルの上で山盛りになっているコッレガーレを、カゴから一つ取った。
手の中に収まった果実を、エルモートはじいっと見つめている。
「エルモート……?」
おそるおそるグランは話しかけた。てっきり小言をもらうと推測していたグランからすれば、沈黙が妙に怖い。
「オマエ、俺に遠慮してるだろ」
「えっ」
エルモートに言われたグランの肩がはねあがった。
「な……なんの話かなあ? 僕はいつだってエルモートに全力で飛びついてるじゃん。ほらこんな風にさ」
グランは両腕を広げて、エルモートに後ろから抱きついた。
「ハッ、どさくさに紛れて顔を隠したつもりだほうが……見なくてもわかるぜ。目が思いっきり泳いでるだろってなァ」
全くもってその通り。的確な指摘に、グランの身体がびくつく。
「遠慮ってなんのことかなあ?」
いちおう抵抗を試みる。
「ボスコの墓参りをした後から、露骨に俺の言うことを聞くようになっただろ」
「……」
そのものずばりを言い当てられ、グランは沈黙するしかない。
「ハッ、ガキがそンな気づかいするンじゃねェ。やめろやめろ。逆に調子が狂うンだよ」
「でも……僕の無茶とか止めるのはボスコさんのことがあったからでしょ?」
エルモートの恩人であるボスコ。忌み子として村から蔑まれ疎まれてきたエルモートが、それでもまっすぐな性根に育ったのは彼と過ごした時間があったからだ。
ボスコはエルモートと出会った時から、手の施しようがない病におかされていた。彼を喪うまでの間、エルモートは手伝いをしながら、体調の変化をつぶさに見てきたのだろう。
グランはエルモートから手を離した。背中に額をこつりと当てる。
「まァな」
エルモートはあっさり認めた。グランをふりかえり、ニッと歯を見せて笑う。
「ボスコはコッレガーレのためなら、平気で無茶をするヤツだった。仲間のためなら平気で無茶無謀する誰かさんを見て、似てるモンだと思ったもンさ」
「うう……だから自分をかえりみて無茶はしないように……」
「しようとしたが、どうしても我慢出来ずに、訓練しようと真夜中に部屋を出たってところだろ。やることが極端なんだよ、オマエは。
ボスコもそうだった。ちったァ休めって口酸っぱく言ったところで聞きやしねえ。
そういうヤツらの面倒見てきたからなァ、わかンだよ。我慢は一時的なもんで無理して抑えつけた分、反動もヤバくなるってな」
「ううう……」
言い返せないグランは呻く。エルモートに心配させるまいと、過剰な訓練や仕事は控えてきた。
だけど、物足りないと全身がグランを急かす。もっと強くなりたい。イスタルシアまでの道中、ふりかかる災難をはねのける力がほしい。
「……まァ、心配させたくない。その心意気は買ってやる」
エルモートは腹に巻きついたグランの手を、ぽんぽんと叩いた。
静かに解放され、エルモートはグランと向きああ。
「ホラよ」
エルモートはグランの手を取り、そこに持っていたコッレガーレを乗せた。
甘い匂いのする果実を見つめていたグランは、エルモートを見上げる。
彼の、不器用だけど暖かく優しい眼差しが、そこにあった。
「確かに無茶はしてほしくねェ。だが……俺のためにやりてェことを我慢する必要もねェ」
エルモートはグランの手に収まったコッレガーレを見下ろす。
そして、小さく笑った。
「ガキの面倒を見ンのは大人の役目だ。それはいつだって変わらねェ。やりたいことをやりゃあいい」
「……そんなことを言ったら、飛び出したまま帰ってこないかもしれないよ?」
揶揄めいた言葉に対し、エルモートは挑発的に返す。
「ハッ、つきあってやるさ。で、危なくなったら首根っこ掴んで引きずり戻してきてやる。だからグラン」
エルモートはグランの頭に手を置いた。
「オマエはオマエらしく生きりゃいい。しおらしくおとなしいだなンてらしくねェ」
「それは褒めてるの?」
首をかしげるグランに、エルモートは愉快げに笑った。
「褒めてるに決まってンだろォ」
「……そんな風に言われたら、前よりも無茶しちゃうよ?」
「受けてたってやる。
……俺がいる限り、オマエを危険な目にあわせたりしねェ。目の前にいる危ねェもん全てを焼き尽くしてやるよ」
「……なんだかプロポーズみたい」
「どうしてそこに着地すンだよ」
顔をしかめるエルモートに、グランは大真面目でこたえた。
「僕の行くところ全部に付き合ってくれるんでしょ?」
コッレガーレを両手で包みもち、グランはエルモートを見上げた。不安と期待が入り混じる視線に、エルモートは「オマエの好きに解釈しな」とあえて曖昧な答えを言った。
「ズルい。はぐらかさないでよ」
グランは口をへの字に曲げる。
「生憎、性根が曲がってるもンでなァ」
「もー! ひねくれ小僧のエルモートには、これから僕に付き合ってもらいます! 訓練! 明日はティアマトからナタクさんまでの手合わせにも!」
無茶しても守ってくれるんでしょ、と膨れっ面をするグランに「しょうがねェなァ」とエルモートは破顔した。
ボスコの墓参りからずっとグランを包んでいたしおらしさが消えた。やっぱコイツはこうでないと。
「あー、はいはい。付き合ってやるるよ」
「よし、じゃあ行こうすぐ行こう」
待ちきれないグランは、エルモートの手を引いて急かす。
「……わかったわかった。まァ、その前に」
エルモートはカゴからもう一つコッレガーレを手に取った。
「きちんと休憩も必要だからな。言ったからにはキチンと見はっててやるよ」
「もー、口の減らない大人だなあ」
「昔っからのモンは、そう直らねェもンだ」
――無茶をするヤツの面倒を見るのだってな。
「オラ、行くぞ」
エルモートはすれ違い際にグランの背中を叩いた。そのままさっさと厨房を出て、甲板へと向かう。
「待ってよエルモート!」
後ろから追いかけてくるグランの声に、エルモートは小さく笑う。
手にしたコッレガーレから甘い匂いがする。
世界ってのは広いモンだぜ、ボスコ。アンタ以上に無茶するヤツがいるンだからよ。
ま、ソイツの手を何も考えずに取った俺も、同類かもしれねェがな。
エルモートは足を止める。
追いついたグランが隣に並ぶのを確認して、また歩き出した。
歩調が違っていても、まっすぐ同じ道を。