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    まだ付き合っていない両片思いの魚仙。
    インターハイ予選、海南との試合の数日前の2人。

    2月に出す予定だった2冊目の魚仙本に収録予定だったものです。けっこう前に書いたものなのでおかしな箇所や誤字脱字あるかもしれません‥

    #魚仙
    fishesAndHerringRoe

    天気雨のち虹(わっ‥マジかぁ‥)
    自主練習を終え体育館を出た途端に聞こえ始めた音に思わず眉を寄せた。雨だ。これから帰ろうかと思っていたタイミングになんと運の悪い。いや、地面の濡れ具合から考えればおそらくずっと前から降っていたんだろう。ボールの弾む音とバッシュが鳴らすスキーム音にかき消されていただけで。
    徐にその場にしゃがみ込み、ザァザァと雨が降っている割に明るい空を見上げた。空には薄い雲しかかかっておらず隙間から日差しも差し込んでいる、おかしな天気だ。こういうのを天気雨と言うんだったか。
    しかしどうしたものか。東京からやって来たオレは今神奈川のアパートに1人下宿をしており、家にテレビがなく天気予報を見ることがない(テレビがあったら見るのかと言われれば微妙なところだが)ため翌日の天気の情報源といえば友人やチームメイトとの世間話くらいだ。彦一と魚住さんは気を使ってわざわざ教えてくれたりもするけど。ありがたいことに。しかし昨日は今日と同じく遅くまで残って自主練習をしていて1人で下校したため、誰からも天気の話を聞くことがなかったのだ。まさか雨の予報だったなんて。頼みの綱の置き傘もこの間使って家に置いたまま。仕方がない、今日は走って帰るか。
    「おい仙道、まだいたのか」
    「魚住さん」
    少しでも被害を抑えるためカバンを雨避けにしようと掲げたところに声をかけられた。聞き慣れた、少し掠れた低い声が鼓膜を震わす。魚住さんだ。マズい、最悪のタイミングに最悪の人選。池上さんや福田ならまだしも、この人はこういったことを良しとはしない。その証拠に魚住さんの視線はオレの頭上にあるカバンに固定されていて、今すぐにでもお小言が飛んできそうだ。
    「何してんだ」
    「あー、いや‥晴れてると思ったら雨降ってて。ほら、変な天気」
    「ん?あぁほんとだな。狐の嫁入りってやつか」
    「狐の嫁入り?天気雨じゃなくて?」
    案の定魚住さんが顔を顰めて問い詰めてきて、慌てて目の前に広がるヘンテコな空を指差し話題をそらそうと試みる。実際変な天気だし。作戦は成功でうまいこと追求から逃げることができた。よし。また後でほじくり返されないよう、魚住さんが空を見上げている隙にさりげなくカバンを頭上からおろしておいた。
    しかし魚住さんの言う狐の嫁入りとは何のことだろう。聞き馴染みのない言葉にオレは思わず首を傾げた。今日のように空が晴れているにも関わらず降ってくる雨のことを天気雨と言う。少なくともオレは母親からそう教わったし、周りの人たちだって皆そう言っていたはずだ。それなのに魚住さんはこの空をみて狐の嫁入りだと言った。狐も、嫁入りも、天気には関係のない言葉なのに。
    「同じ意味だ。関西の方じゃあ天気雨のことをそうやって言うらしい」
    「なるほど。詳しいんすね」
    「うちに出入りしている業者で関西の生まれの人がいてな」
    うちに出入りしている業者。男子高校生からは普通出てくることのない言葉だけど、魚住さんが言うと不思議と違和感を感じさせない。こんなこと思っているのがバレようものなら「誰が老け顔だ」といらぬ怒りを買ってしまいそうだけど。
    本人に直接確認したことはないけどたぶん魚住さんの実家は飲食店なんだと思う。しかも普通の飲食店じゃなくて割烹とか料亭とかちょっと敷居の高いお店。何故そう思うかというと、魚住さんが毎日持ってきている弁当が一般家庭で用意されたものとは思えないような手の込んだものだからだ。オレもおかずを食べさせてもらったことがあるけど飾り切りされた野菜たちは出汁がしっかり染みていて、まるで料亭で出てくる料理のように繊細な味わいだった。料亭なんて行ったことはないから想像でしかないけれど。
    「仙道、傘はないのか」
    「え。あー‥ははは、忘れちゃって」
    まさかほじくり返されるなんて思っていなかったから、話を逸らす術が思いつかず馬鹿正直に答えてしまった。途端に魚住さんの眉間にグッと皺が寄る。あんまり眉間に皺寄せてたら痕になりますよ、とは流石に言えなかった。寝坊や赤点で魚住さんにこんな顔をさせてばかりのオレが言えた台詞ではないだろうと思ったからだ。
    「まったく‥‥ほら、入っていけ」
    「え」
    そらみたことか、この人はこういう人なのだ。だからバレたくなかった。だから誤魔化したのに。まあ彦一の場合は『一緒にどうぞ』ではなくて『貸します』となるだろうから、それに比べれば多少はマシかもしれないけど。
    バンッと音をたてて広げられた黒い傘は魚住さんが使うに相応しい大きさで、確かにオレたち2人入っても問題なさそうだ。でも2メートル級の大男2人が相合傘ってのはいかがなものなのか、絵面的に。流石にちょっとキツくないか。でも魚住さんはそんなことちっとも気にしてもいないのか「ほら、早くこっち来い」と言っていて、なんだかオレが気にしいみたいだ。それはちょっと面白くない。
    「でもオレ、魚住さんと家の方向真逆ですから」
    「気にするな」
    「いやいや、悪いですって。オレん家、そんなに距離ねえから走っていけば大丈夫です」
    「お前に、エースに風邪を引かれたら困る。ほら、入れ」
    狡い人だ、そんな言い方をされたらオレにはもう断りようがない。とはいえ魚住さんに見つかった時点でこうなることは決まっていたのかもしれないけど。譲る気なんてさらさらないぞと言いたげな表情でオレを待つ魚住さんに小さくため息をつき、「じゃあお言葉に甘えて。魚住さん、ありがとうございます」と言ってから傘の中へお邪魔させてもらった。ほんと、頑固なんだから。
    せめて傘を持とうと手を伸ばすも「さっきまでずっと練習していたんだろう。甘えておけ」とあえなく断られ、行き場のなくなった手をぷらぷらと体の横で揺らす。それにしても魚住さんはこんな時間まで何をしていたんだろう。もう全体練習が終わってから1時間近く経過しているというのに。
    「魚住さんはなんでこんな時間まで残ってたんすか?」
    「先生と少しな。今後の練習メニューや次の試合相手について、まぁ色々と話していた」
    「へぇ。主将はそういうこともしないといけないんすね」
    「お前もそのうちやることになる」
    うわぁ、マジか。そう思ったのがそのまま顔に出ていたんだろう、肘で軽く小突かれる。まだ正式に決まったわけではないが、県予選が始まる少し前くらいにオレを次期主将に推薦したいと先生と魚住さんから打診があった。2人に熱弁されてつい「考えてみます」なんて返してしまったけど、正直言ってオレなんかよりも越野や植草の方がよっぽど向いていると思う。チーム全体や後輩たちの様子に気を配ったり、書類や日誌を書いたり、先生とミーティングをしたり、どれも自分がうまくこなせるとはとても思えないのだ。それに自分で言うのもアレだけど主将がサボり魔というのはいかがなものなのか。治せと言われればそれまでで何も言い返せないが。
    それにしても魚住さんが主将ではなくなるというのが不思議でたまらない。と言うよりしっくりこない。自分が主将になるというよりもよっぽど。オレが入部したとき当たり前だけど魚住さんはまだ2年生の平部員で、主将じゃない魚住さんも知っているはずなのにオレにとっては主将といえば魚住さんだし、魚住さんといえば主将なのだ。頼れる主将、チームの大黒柱、ゴール下の守護神、それがオレにとっての魚住さんで、オレが主将になればその内の一角が崩れてしまう。いや、そもそもオレが主将となったそのとき、魚住さんは部に残っているのだろうか。魚住さんほどの実力があれば大学から声がかかりそうだし、冬の選抜までいてくれたらいいんだけど。夏以降のことも将来のことも、魚住さんとは話したことないから判断のしようがない。
    バラバラと先ほどから変わらず、いや先ほど以上の強さで傘を叩く雨粒に空を見上げてみる。相変わらず雲は薄くて日も差しているのになぜだか雨が止む気配はない。明日も雨だろうか。こういうとき、バスケが室内競技で良かったと強く思う。海南との試合までもう1週間もないのに天気のせいで練習ができないなんてたまったもんじゃない。
    「明日も雨ですかね」
    「予報ではな」
    そうか。それなら明日こそは傘を持ってこないと。ついでに置き傘も持ってきてロッカーに置いておこう。そうすれば魚住さんの眉間に皺が寄ることも、魚住さんの手を煩わせることもない。
    「全国大会の頃には梅雨明けてますかね?」
    「明けてるんじゃないか」
    「そしたらもう夏か‥。暑いと汗で滑るからあんま好きじゃねえんすよね。釣りしてても焼けて痛えし。まあ冬も苦手なんすけど」
    「そうだな‥」
    「浜ダッシュはすっげえキツいし」
    「あぁ‥」
    「あ、でも去年先生が珍しくアイス差し入れしてくれましたよね。あのときだけは暑くて良かったって思いました」
    「‥‥」
    「今年も差し入れしてくんねえかな‥。魚住さんたちが1年の頃はどうだったんですか?」
    返事は返ってこない。それにさっきから自分ばかりが喋っている。魚住さんはというと神妙な顔つきでただただ濡れた地面をジッと見据えていて、こちらの話を聞いているのかいないのか。俯いているからだろう、陽の当たり方で表情を変える美しいヘーゼルの瞳が今は色を失い黒く塗りつぶされていた。
    理由は分かっている。魚住さんがもし冬の選抜まで残るつもりがないのなら、全国へ行けなかった場合27日の湘北戦が引退試合となる。つまり夏にはもうバスケをしていないということだ。暑い中汗で足を滑らすことも、吐くほどキツい浜ダッシュも、先生が持ってきた溶けかけのアイスに急いで齧り付くことも、もうない。でも勝てばいいだけだ、何を弱気になっているのだ。思い詰めた顔で背を丸めて歩く魚住さんに、今度はオレが肘で小突いてやるとハッと魚住さんの顔が上がった。
    「大丈夫。嫌かもしんねえけど魚住さんは今年の夏もくそあちい体育館で練習してもらうし、浜ダッシュだって一緒にしてもらいますから」
    「っっ‥‥仙道‥」
    「次の試合からは福田も戻ってくる。魚住さんがゴール下を守って、オレがボールを繋いで、福田が点を決める。絶対勝てる。オレが勝たせてみせるから」
    本当はオレの力でチームを勝たせているなんて、そんな傲慢なこと1度も考えたことはない。バスケは1人が強ければ勝てるような単純なスポーツじゃない、5人でするスポーツだから。いや、コートに立っている5人だけじゃない。控えめの選手も応援してくれるチームメイトと監督も、皆の力で勝つスポーツだ。魚住さんがゴール下を守ってくれるから、越野や植草がボールを運んでくれるから、皆の献身があるからオレはのびのびとプレイができてその結果試合に勝てているだけにすぎない。それでも今はこう言うのが正解な気がした。この人を奮い立たせられるのなら今は傲慢だって別に構わない。
    「‥‥すまんな、仙道。気を使わせた」
    「いーえ。絶対全国行きましょうね」
    これも少しばかりの嘘だ。オレにとっては全国へ行くことよりも試合に、対戦相手に勝つことの方が何百倍も重要だ。バスケは勝つから楽しいのであって、全国進出はあくまでその結果得られる副産物だと思ってる。言ってしまえば試合に勝てるなら全国に行けなくたって構わないし、逆に全国に行けたって試合に負けてしまえば面白くない。それでも魚住さんの全国へかける思いの強さは知っていたからここでは言うべきではないと思った。
    「おう。頼んだぞ」
    「はい、任せてください」
    どうやらオレがついた嘘はうまく作用してくれたみたいで魚住さんの淡いヘーゼルに光りが戻った。あぁ、良かった。こんなに大きくてカッコいいんだから俯いているよりも堂々と胸を張っている方がずっと似合っている。それにピンと伸びた背筋は魚住さんの真面目で高潔な人柄を表しているようでオレは好きだ。だから試合前や試合後に整列するときの魚住さんの後ろ姿をついまじまじと見てしまって、その度に越野や先生に早く整列しろと怒られてしまうのだ。
    それにしても魚住さんとこんな近くでじっくり話すことなんて中々ないからなんだか変に緊張してしまう。別に不仲なわけじゃないけど、特別仲良しなわけでもないしお互いお喋りな方でもない。こんな風に肩を寄せ合って話すなんてきっと今後もそうそうないだろう。そう思いながら県下No.1センターの座を争う男らしくて逞しい体を見上げてみる。相変わらず惚れ惚れするような体だ。背丈は勿論だけど、まず厚みが全然違う。オレだってそれなりに鍛えてるけど、こんなに筋肉を大きくできないから正直羨ましい。勿論生まれ持った素質だけじゃなくて魚住さんの努力の賜物だとは分かってるけど。
    しかしよく見てみると魚住さんの肩のところが濡れて制服が変色してしまっているではないか。もしかするとオレに気遣ってこっちに傘を寄せてくれていたのかもしれない。それはダメだ。これは魚住さんの傘であくまでオレは入れてもらっているだけなのだから、オレのせいで魚住さんが濡れるなんてことがあってはいけない。
    「魚住さん、肩濡れてる。もっとそっちに傘向けてください」
    「いや、お前の肩も濡れてる」
    「いやいや、これは魚住さんの傘なんだし」
    普段は穏やかな者同士喧嘩なんてすることないというのに、今日に限っては互いに引かず傘の押し付け合いがヒートアップしていく。こういうとき本来は後輩のオレが譲るべきなんだろうけど、今回の場合譲ってしまえば先輩を濡らしてしまうことになるわけで。だから決して譲れない。
    しかし魚住さんはけっこう頑固だし、オレもこんなときにまで負けず嫌いが発動してしまっていつまで経っても終着点が見えない。それどころか傘を揺らしたせいで雫が飛び散って、2人揃って先ほど以上にびしょびしょになってしまった。これじゃ本末転倒だ。それに冷静になってみるとこんな道のど真ん中で大男2人が傘の押し付け合いをしているなんて、側から見ればひどく滑稽に映ることだろう。そう思ったらこの状況がなんだか馬鹿馬鹿しくて、ついでに言えば試合のときみたいな真剣な顔の魚住さんがおかしくてたまらない。
    「な、なに笑ってんだ」
    「いや、喧嘩したせいでオレら2人ともびしょびしょっすよ。これで2人とも風邪引いたら先生カンカンだ。やめましょう」
    「むぅ‥そ、そうだな」
    「濡れないようもう少しくっついときましょうよ。魚住さんの傘大きいし、なんとかなんねえかな」
    そう言って魚住さんの体にピタリとくっついた。途端にドックンドックンと心臓が喧しく騒ぎ始める。いや、正確に言うならばそれは嘘だ。なぜなら本当はさっきから十二分にうるさかったから。気にしないように努めていただけで。
    オレは魚住さんが好きだ、それこそ去年の秋からずっと。勿論そういう意味で。だから今だって申し訳ないなとは思いつつも一緒に帰れるのが嬉しくて、なんだかラッキーだななんて、たまには雨もいいななんて思ってしまっている。
    それでも、絶対にこの恋心を悟らせてはいけない。3年間の集大成に、そしてライバル赤木との再戦に向けて燃えている魚住さんの邪魔だけはしたくないから。だから全神経をフル稼働させて必死に平静を装う。大丈夫、嘘をつくのもポーカーフェイスも得意だ、きっとバレることはない。それでも流石に体温まではコントロールできなくて、魚住さんに触れた肩は雨で濡れているはずなのに燃えるように熱かった。
    それから魚住さんと2人、歩きながらたくさん話をした。雨ばかりで洗濯物が全然乾かないとか、雨のおかげで体育がグラウンドから体育館に変更になりバスケができたとか、授業中に雨の音を聞くのは好きだけど眠くなってしまうとか。そしたらちゃんと授業は聞けと怒られて。オレばかりが話していたけれど魚住さんも楽しそうにしていた、と思う。距離が近すぎて見上げられないから、顔が見られないから魚住さんがどんな顔をしていたのかは分からない。それでも相槌を打ってくれる低くてずっしりした声がいつもより、少しだけ、弾んでいるように感じた。
    魚住さんの大きな傘に2人で体を縮こまらせて入って、雨の音と2人の声以外は何も聞こえない。2人っきりの世界だ。このままずっと家に着かなければいいなんて、そんなことを無意味にも願ったりした。
    「魚住さん。魚住さんって」
    インターハイが終わったら引退するんですか。そう聞こうとして、しかし聞けなくて口を噤む。それは今、聞かない方がいい気がした。魚住さんにとっても、オレにとっても。聞いてしまえばらしくもなく、試合に特別な意味を持たせてしまう気がしたのだ。
    しかし突然黙り込んだオレのことを不審に思ったのか、どうしたと、魚住さんの目が続きを催促してくる。こういうときも魚住さんは引かない。それは分かっていたから今度はうまく誤魔化せる。魚住さんに向かってニコッと笑顔を作り口を開いた。
    「魚住さんって、どんな子がタイプなんすか?」
    「なっっ‥」
    「彦一が知りたがってたから」
    ごめん彦一、心の中でそう謝った。でも彦一は気のいい奴だからきっと「気にせんといてください」と言ってくれるだろうし、もしかしたら本当に気になっているという可能性も捨てきれない。あいつがいつも熱心に書き込んでいるマル秘ノートにはプライベートな内容も書いてあると言っていたから。硬派な主将の恋バナに目を爛々と輝かせ「要チェックや!」とメモをとる可愛い後輩の姿が目に浮かぶ。
    「‥‥‥笑顔が可愛い奴、だな‥」
    「へぇ‥なんか意外です」
    「な、なんだ意外って」
    魚住さんのことだから真面目な人だとか、自立した人だとか、そういうことを言うと思っていた。まさか外見のことが出てくるとは。いや、実は好きな人がいてその人の笑顔が好きだという可能性もあるか。うん、そっちの方が魚住さんらしい。とはいえ、そうだとしたら女の子のことを『奴』なんて言うのはやめた方がいいと思うけど。
    それにしても笑顔が可愛い人か。そりゃあ小柄な人がタイプだと言われるよりは幾分かマシだけど、これは完全な脈なしだな。分かりきっていたことだけどショックはショックで、聞くんじゃなかったと少しだけ後悔した。
    「そういうお前はどうなんだ」
    「えっ、気になるんすか?」
    「オレだけ言わされるのは、その‥フェアじゃないだろ」
    「あはは、それもそうですね。そうだなぁ‥‥一生懸命な人、ですかね」
    「ふっ、お前らしいな」
    あなたのことなんですよ。そう言いたい気持ちをグッと抑えて、胸の奥深くに大事に大事にしまい込む。この恋心がこれからどうなっていくのかオレ自身も分かっていない。魚住さんが引退したら伝えてしまうのか、それともこのまましまい込み続けるのか、そのときになってみなければ分からない。ただ今ではない。それだけは分かっている。
    ふと会話が途切れて2人の間に沈黙が流れる。パラパラと雨が傘に当たる音のみが響き渡り、それなのにちっとも気まずくなんてなくてむしろ少し心地いい。しかしこうも静かだとオレの激しい鼓動が魚住さんに伝わってしまわないか、それだけが心配だ。
    目を閉じて雨音に聞き入っているとなんだか少し眠たくなってくる。授業中もいつもこんな風にうとうとしてきて、終いには寝てしまうのだ。先生も初めの頃は怒っていたけどもう諦めてしまったのかあまり口煩く言われなくなってしまった。欠伸をひとつ噛み殺し、ぼんやりと歩いていると突然グンと腕を引かれ、踏ん張りきれなかった体が魚住さんの分厚い胸板へぶつかった。
    「危ないっっ‥!」
    「わっ‥」
    「す、すまん、車が来ていたから‥。大丈夫か?」
    「だ、いじょうぶ、です‥。すみません、ありがとうございます」
    どうやら後ろから車が来ていたらしい。おそらく違反だろう猛スピードで、もう随分と遠くまで行ってしまっている。魚住さんが腕を引いてくれなかったら怪我をしていたかもしれないし、そうでなくてもきっと水をかぶってしまっていただろう。
    感謝を述べつつ、ふと魚住さんを見るとくっついて傘に入っていたはずなのに肩のところがさっきよりも濡れていた。歩くうちに少しずつ離れていって、それでもオレが濡れないようにこちら側へ寄せてくれていたのだろうか。『相合傘、濡れた方が惚れている』なんて言うけれど、本当にそうだったら良いのにな、なんて少しだけ魚住さんの胸板に頭をあずけた。今ならこの逸る胸の高鳴りが伝わってしまっても、先ほど驚いた名残だと勘違いしてくれるはずだ。
    「どうした?」
    「んーん、なんでもないです。ただもう少しだけこうしてていいですか」
    分厚い胸板。周囲と比べると随分大きな部類に入るオレよりも更に10センチ以上も大きな体。どんなに強く当たられてもブレない、まるでバスケをするために生まれてきたかのような、そんな。少なくともオレはそう思っている。
    それでもこの夏が終わればこの大きな体はバスケのための体ではなくなったりするのだろうか。そのときオレと魚住さんの関係はどうなっているんだろう。後輩という肩書きもなくなってただの他人になっているのか、はたまた友人になっているのか。
    分かんねえことは面白え、結果が分かりきってることなんてつまんねえ。そう思っていたのに、魚住さんのことになるとその理屈が通用しない。先の見えない、分からないことが不安でこのまま今の関係に甘えていたくなる。まるで自分らしくもない。しかし自分が自分でなくなるような、ままならない、そんな感覚が恋なのだとしたらこれは間違いなく恋なのだろう。バスケのことならともかくオレは恋愛面においてはズブの素人だから分からないけれど。
    「あっ、魚住さん見て。雨、止んでますよ」
    雨の音がしないことに気がついて空を見上げると雨はすっかり止んでいて、代わりにうっすらと虹がかかっていた。ぼやっとしていて7色全部は見えないけれど。
    今日は魚住さんと相合傘して一緒に帰れて、虹まで見れて、なんだかついてるなと嬉しくなって「虹、出てますね」なんて魚住さんに笑いかけた。これは嘘でも作りものでもない、心からの笑顔で紛れもない本心だ。短い時間で、何気ないやり取りだったけど、それでも本当に嬉しかったから。魚住さんとの関係がこれからどうなるかなんて今は分からないけど、きっと今日のことはこれからもずっとオレの心に残り続ける、それだけは確かだ。今はそれだけで十分だ。
    魚住さんは目を丸くしてパチパチと数回瞬いて、それから「そうだな」とはにかんだ。その声音も細められた柔らかなヘーゼルも優しくてたまらなくて、離れ難い。それでも今日はここまでだ。もう雨はあがってしまったから。
    「送ってくれてありがとうございました」
    「いや、せっかくここまで来たんだ、家まで送らせてくれ」
    「え、悪いですよ」
    「いいから」
    先ほどまでの穏やかな空気はどこへ行ったのやら、またしても押し問答が始まってしまった。自分のことを棚に上げて言うのはアレだけど魚住さんの頑固さには困ったものだ。雨はもう止んだのに送っていく必要がどこにあるのだ。か弱い女の子ならまだしもオレは男で、それも190の大男なのに。
    送る、いや大丈夫だと、押し問答しているとオレたちのすぐ隣の水たまりを猛スピードのトラックが通り抜け、タイヤが跳ね上げた水を思いきりかぶってしまった。それはもう頭から足先までずぶ濡れで、汚くて冷たい泥水に血がのぼっていた頭は一瞬で冷えてついでに体も冷えていく。さっきまでの相手の肩が濡れないように、なんてささやかな気遣いもすっかり水の泡で2人揃って濡れ鼠だ。
    「‥‥ふっ、ふふふ」
    「なっ、なに笑っとるんだっ‥!」
    「あははは!いや、結局2人ともずぶ濡れだなって。はぁー冷てっ。ねえ魚住さん、うちでシャワー浴びてってくださいよ。狭いですけど」
    「おう‥」
    「服も、少し小さいかもだけど貸しますから」
    大きめに買った服なら魚住さんでもギリギリ入るだろう。もし入らなければ乾くまで家にいてもらえばいい。どうせこの暑さならすぐに乾いてしまうだろうから。たとえもう少しいてほしいと思っていても。
    「すまんな」
    「いーえ。傘入れてもらったお礼です」
    「傘入れてやったが結局お前も濡れてるじゃねえか」
    「あはは、確かにそうですね。でも魚住さんと話ができてオレ楽しかったです。それにほら、虹も見れましたし」
    そう言って空を指差すも、先ほど既にぼんやりとしていた虹は更に薄くなってもうほとんど見えなくなっていた。オレにとって魚住さんと過ごしたこの1年半は人生においてほんの一瞬の煌めきで、この恋心だってこれからどうなっていくのか分からない不確かなものなのに、それでもどうしようもなく愛おしくて眩くて。まるであの虹みたいだなんて、美しいものに触れたからだろうか少し感傷的な気持ちになって涙が滲んできた。でも涙を見せるのは違う気がして、この人の望むスーパーエース仙道彰とはかけ離れているように感じて、顔にかかった水飛沫を拭うフリをして僅かな雫を拭い取った。
    「どうした、仙道」
    「いや、なんでもないですよ」
    魚住さんが心配そうにこちらを伺ってきていることには気付いていたけど、そこにはオレのことを気遣う優しい顔があるんだろうこともまた分かっていた。だからとても魚住さんの方を見ることはできなくて前を向いたまま答えた。魚住さんの望むオレでありたいって気持ちは勿論あるし、それとまた別に好きな人に泣き顔を見せたくないって男としてのプライドもある。するともう雨なんて降っていないし傘だって閉じているのに、なぜだか魚住さんの腕が伸びてきて体がピタリと重なるよう抱き寄せられた。
    「う、うおず」
    「泣きたい気持ちなら泣いたらいい。ただ、そうじゃないなら笑っていろ。お前の笑った顔は可愛いし、そっちの方が似合ってる」
    頭上から降ってきた言葉にオレは弾かれたように顔を上げた。今、オレはもう感傷的な気持ちなんて抱いちゃいない。そんなの魚住さんの口から紡がれた衝撃的な発言に一瞬で吹き飛んでしまったからだ。魚住さんの台詞はまるで少女漫画のキャラクターや、物語に登場する王子様のようで、とても恥ずかしがり屋の魚住さんが発した言葉とは思えない。しかし魚住さんの耳は赤く染まっていて、それは先ほどの言葉が間違いなくこの人の口から出てきたものなのだと証明していた。
    「か、可愛い‥」
    「‥‥‥」
    「‥‥あはははっ!魚住さんも、んな冗談言うんすね!」
    「じょっ‥!?ま、まぁいい‥元気が出たのなら‥」
    オレが落ち込んでいると思って冗談を言って励まそうとしてくれたのだろう。自分で言った冗談なのにそれでも恥ずかしいのか耳を赤くしているのが実に魚住さんらしくて、悪いと思いつつも声を出して笑ってしまうのを我慢できない。そんなオレの態度に気分を害したのか、魚住さんが何やらごにょごにょと口籠っている。自分の笑い声で全然聞き取れないけど。
    魚住さんが何と言っているのか気になるのに、それにずっと笑っているなんて失礼なのに、さっきのロマンチックなフレーズがツボに入ってしまって中々笑いを止めることができない。あぁダメだ、腹が痛くなってきた。
    「仙道っ‥いい加減笑いすぎだ‥」
    「んぐっ、んふふ‥‥はぁ、はぁっ‥す、すみません」
    「まったく‥」
    しまった。すっかり機嫌を損ねてしまったようで腰へ回っていた腕は離れていき、足早に進む魚住さんに置いていかれてしまう。オレの家の場所を知らないのに先に行ってどうするつもりなのだろうか。そう思うと再び笑いだしそうになるけど、次笑おうものなら拳骨が落ちてきそうで手の甲をつねってなんとか耐えきった。
    何歩も先を歩く魚住さんに駆け足で追いついて再び隣を歩く。機嫌を取ろうにもいかんせん手札が少なすぎる。オレが知っている魚住さんの情報なんてバスケに関することくらいで、魚住さんが何を好むのか、何をしたら機嫌を直してくれるのか見当もつかない。だから知りたいと思った。魚住さんが引退するまでは我慢するから、そしたら少しだけ踏み込んでもいいだろうか。
    「ねえ魚住さん。アイス食いません?」
    「アイス?こんなずぶ濡れで店入れねえだろ」
    「オレん家にあるんで。食べてってくださいよ」
    「夏の楽しみに取っとかなくていいのか?」
    「夏はきっと先生が差し入れしてくれるから。それにほら、景気付けってことで」
    「そうか」
    「あ、でも先生ケチだからなぁ。念のため補充しとくかな」
    魚住さんの拗ねたような顔がアイスという単語につられて少しずつ楽しそうな顔に変わり、「先生ケチだから」という言葉についには声をあげて笑い始めた。良かった、笑ってもらえた。「んなこと言ってやるな。倹約家って言ってやれ」とそれらしいことを言いながら笑うものだから、フォローしてるのかしていないのか分からなくて、なんだか可笑しくてオレもつられて笑ってしまった。
    魚住さんは真面目すぎる人だと思っていたけど、冗談を言ったり、こんなふうに大きな声で笑う人なのかと新たに知れた一面に胸が高鳴った。バスケをするときの真剣な顔も、ぷりぷり怒った顔も大好きだけど、ケラケラと大きな口を開けて笑う顔は一等好きだな。なによりそれが自分に向けられているのが最高だ。たまらない。
    この先魚住さんとの関係がどうなっていくのか、不安がなくなったわけではない。今はバスケが繋いでくれているだけの儚く脆い繋がりにすぎない。それでも今こうして2人笑い合えているこの瞬間は永遠だ。永遠に失われることのない事実で、これからも変わることなくオレの胸に残り続ける。
    空を見上げると虹はすっかり消えていて、学校を出たときよりも随分と薄暗くなった空があるだけだ。それでも今度は感傷的な気持ちにはならなかったし、涙だって出てこない。視線を空から魚住さんに向けて、「風邪引いちまうし、早くアイス食いてえから走りましょ」なんて言って魚住さんの手を掴んで夜の街を駆け出した。すれ違った人は皆驚いてこちらを振り返るし、走ったせいで余計に寒くって。それでもオレも魚住さんも足を止めなかった。気付けば全力で走っていて、それでも外されることのない手の平にオレは嬉しくって後ろを振り返って笑った。オレに手を引かれ後ろを走る魚住さんも泥で汚れた顔でくしゃっと笑っていた。

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    DONEまだ付き合っていない両片思いの魚仙。
    インターハイ予選、海南との試合の数日前の2人。

    2月に出す予定だった2冊目の魚仙本に収録予定だったものです。けっこう前に書いたものなのでおかしな箇所や誤字脱字あるかもしれません‥
    天気雨のち虹(わっ‥マジかぁ‥)
    自主練習を終え体育館を出た途端に聞こえ始めた音に思わず眉を寄せた。雨だ。これから帰ろうかと思っていたタイミングになんと運の悪い。いや、地面の濡れ具合から考えればおそらくずっと前から降っていたんだろう。ボールの弾む音とバッシュが鳴らすスキーム音にかき消されていただけで。
    徐にその場にしゃがみ込み、ザァザァと雨が降っている割に明るい空を見上げた。空には薄い雲しかかかっておらず隙間から日差しも差し込んでいる、おかしな天気だ。こういうのを天気雨と言うんだったか。
    しかしどうしたものか。東京からやって来たオレは今神奈川のアパートに1人下宿をしており、家にテレビがなく天気予報を見ることがない(テレビがあったら見るのかと言われれば微妙なところだが)ため翌日の天気の情報源といえば友人やチームメイトとの世間話くらいだ。彦一と魚住さんは気を使ってわざわざ教えてくれたりもするけど。ありがたいことに。しかし昨日は今日と同じく遅くまで残って自主練習をしていて1人で下校したため、誰からも天気の話を聞くことがなかったのだ。まさか雨の予報だったなんて。頼みの綱の置き傘もこの間使って家に置いたまま。仕方がない、今日は走って帰るか。
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