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    おためし

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    「ハローアゲインサンクスグッバイ」おまけ
    2023年8月20日のインテで頒布した新刊のおまけでした。第三者目線の短いお話です。

    #流花
    flowering

    2024/11/09up アトランタのミッドタウン、ピードモント・パークの西側は、このところの建設ラッシュが少し落ち着いて、住宅街らしい静けさを取り戻しつつある。かくいう私たち夫婦もほんの数ヶ月前にダウンタウンから移転してきたばかりで、このあたりのことは毎日立ち寄ってくれるご近所さんたちから聞いて学んでいるところだ。うなぎの寝床みたいに間口が狭くて奥に長く、カウンターでコーヒーを買った人が新しくお店に入ってきた人とすれ違うのもやっとだった物件から、テラスにもテーブル席がおけるくらい広い物件に越してきたおかげで提供できるフードの種類も増えて、特にレーズンやシナモンを入れた甘めのフォカッチャや、ピメントチーズ・サンド、バーベキュー・チキンサンドなんかが朝食に好評だ。
     ご近所さんたちを中心として店には色々な人が訪れるけれど、私と夫の間では、半月くらい前から店にやってくる日本人男性二人組のことがよく話題に上る。
     赤い髪の子が先に店に来てコーヒーとフードをテイクアウトして行き、そのあと黒い髪の子を連れてくるようになった。どちらもアジアンにしてはかなり長身の部類で、しかもプロのバスケット選手らしい。黒髪の彼が地元のNBAチームの選手であることに気づいたのは夫だった。温め直したサンドウィッチを乗せたトレイを差し出しながらもしかしてカエデ・ルカワ? と話しかけたところ、こくりと頷いたのだという。夫はバスケが好きで、試合も時々観に行くからすぐに判ったみたいだ。サインが欲しいという言葉を飲み込み、いつも素晴らしいプレーをありがとう、と言うだけで我慢したというのを聞いて、私は夫の背中を軽く撫でた。地域で愛されるカフェのオーナーには自制心が必要なのだ。その点で言えば彼は間違いなく一流のオーナーだと思う。
     黒い髪の子がカエデ・ルカワ、赤い髪の子はハナミチ・サクラギ。こちらはNBAとは別のリーグの選手だという。
     大抵は朝、時々午後にも二人でやって来て、テラス席に座る。
     いつも眠そうで言葉数が少なく、前に立つハナミチの肩に顔を埋めて半分寝ていることもあるカエデと、常にちゃんと起きていて、話しかければわりと喋るし愛想もいいハナミチは日本の高校時代からの「腐れ縁」らしい。ハナミチの方は少し前までカリフォルニアで暮らしていたこと、最近になってアトランタへ来て、カエデと二人で暮らすため近くのアパートメントに引っ越してきたこと、料理が得意なことなんかは聞いていた。
     カエデはワシントンの大学を出て以来、ずっとアトランタのチームでプレーしているそうだ。カウンター越しに見える二人といえばテーブルの下でお互いの膝や足を軽く蹴り合っていたり、なにか熱心に──主にハナミチの方が──身を乗り出して日本語で喋っていたり、その表情は真剣だったり笑ったり、くるくる変わって楽しそうだった。前の店はジョージア工科大のすぐそばで、そのときもああいう雰囲気の大学生がたくさん来ていたのを思い出す。きっと昔から仲のいい友人なんでしょうねという私の評とは違い、夫は彼らが恋人同士だと主張した。
    「同居してるからって、そういう間柄とは限らないんじゃ?」
    「それだけじゃないよ。彼らの間には友人以上の親密さがあると思う」
    「そう思う根拠は?」
    「うーん……会話の内容は判らないけど、彼ら時々、喋らないで視線だけ合わせるだろ。そのときの空気というか……あとカエデの方が、ハナミチのことずっと見てたりとか」
    「えっ、あの子、そんな風にしてることある?」
     全然気づいてなかったから驚いた。いつも眠そうだってことしか。ハナミチの方が表情も豊かだしアクションが大きいせいで、そっちに注目しがちだったからかもしれない。
     そんなわけで、私は彼らを、もう少し注意深く観察してみることにした。
     その翌朝、店にやってきたのはハナミチ一人だった。あら珍しい、一人なのと私が訊けば、彼は「まあ、ちょっと」と人差し指で頬を掻いて答える。
    「腹が立ってたんで、起こさねーで来てやりました」
     ケンカでもしたのだろうか。それ以上のことは尋ねなかったけれど、彼の言い方からしてカエデは彼に起こされなければここに来ることもできないのだということだけ判った。随分なお寝坊さんだ。ハナミチは彼のいつものコーヒーにチキンサンドをオーダーし、テラスに一人で座ったかと思うとあっという間にそれを平らげ、つまらなそうに肘をついて顎を乗せた。カウンターのこちら側から見てもはっきり判るくらい、下唇が突き出ている。彼がじっと眺めているのは、いつも彼らがやってくる方向だ。たぶんカエデが自力で起きてやってくるのを待っていたんだと思う。でもその日、結局カエデはやって来ず、ハナミチはつまらなそうな表情のまま帰っていった。次の日も、その次の日も同じことが続き、私たち夫婦は店が終わったあとでそのことについて話した。彼らのプライベートに顔を突っ込むなんてもっての他だけど、私たちは思っていたより、あの二人のことを可愛いと感じていたみたいだった。
     彼らがただの友だちだろうと、夫の言う通り恋人だろうと関係ない。早く仲直りできますように。私たちの少々お節介な祈りが通じたのか、その翌日、やっぱりつまらなそうに頬杖をついているハナミチの視線の先からカエデが現れたとき、私は思わず夫の背中を叩いてしまった。来た!
     カエデの髪には寝癖がついていて、着ているスウェットもよれよれだった。必死で起きてどうにかここまでやってきたという風情でハナミチの前まで来て、なにか話しかけている。対するハナミチはまだ怒っているのか、ぷいっと横を向いてしまった。ああ。固唾を飲む私たちのことなど知らず、カエデはよろよろと歩いてカウンターまでやって来る。
    「ハイ、おはようカエデ。いつもの?」
     彼は夫の言葉にこくりと頷き、それからちらりと横のショーケースを見た。そこには数日間前から取り扱いを始めた何種類かのドーナツが並んでいる。すかさず夫は言った。
    「ストロベリーがお勧めだよ」
    「……じゃあ、それ」
     ピンク色のチョコレートにカラフルなスプレーがけのドーナツを皿に乗せ、コーヒーと一緒に提供する。可愛い色合いの甘い食べ物は、私たち夫婦にとって仲直りのキーアイテムだ。ギスギスしていた空気も、それがあれば少しは和む。経験則による咄嗟の提案は結果的には正解だった。ハナミチの座るテーブルに戻ったカエデは、彼が顔を上げたのと同時にドーナツを差し出した。声は聞こえなかったし、例え聞こえたとしても日本語だっただろうけど、それでもなんとなく察することができた。
     なんだよこれ、こんなんでオレの機嫌が取れると思ってんのか? おそらくそんなような言葉と共に、それでもハナミチはドーナツを掴んでぱくっと食べた。一口で半分以下になったそれを今度はカエデの顔の前に突き出す。彼は一瞬迷ったのちそれを齧る。残りを自分の口へ放り込んだハナミチは、もう自分のコーヒーがなかったらしく、カエデのカップからコーヒーを飲んでまたなにか言った。カエデがパッと顔を上げる。
     その表情で私は、彼らの仲直りが済んだことを察した。彼らはしばらく何事かいつもより低い声で話し、そのあと黙って見つめ合っていた。私にも、夫の言う意味が少し判った。二人の目にはお互いしか映っていないように見えた。特にカエデの横顔は真剣そのものだった。デュラレックスのグラスを拭きながら見守っていると、カエデはテーブルの上の手をそろそろと伸ばし、ハナミチの指に自分の指を絡めた。きゅ、とそこに力が籠る。私がエスプレッソマシンの前に立つ夫を振り返ると、彼は微笑み、ウインクを送って寄越した。
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