神に誓いを「─国を作った20人のうち、─」
世界史の教師が黒板に映し出した世界地図に書き込むのを見ながら、ローは退屈そうに肘を机につき、ノートを取るでもなくただ座っていた。
ローはいわゆる"人生2周目"というやつで、"歴史の勉強"は前世で飽きるほどしてきたので今更学ぶべきことなどほとんど残されていない。強いて言うならば話す言語が変わっていないのに書かれる文字が見慣れぬものになっていた程度だ。
さらに言うならば、この歴史の教科書には致命的な欠陥があった。しかしそれはこの教科書だけでなくどの教科書にも歴史書にもある欠陥だった。
ローがそれに気がついたのは10歳になった頃、生まれた頃はうすらぼんやりだった前世の記憶が全て戻った後だった。記憶が戻って真っ先に"続き"が気になって、今世でも医者である父の大きな書斎の歴史書を片っ端から読み漁ってみても海賊のかの字もない時点で確信した。
歴史に2箇所の空白があるのだ。
前世でも空白の100年と呼ばれた100年間と、ちょうど前世で生きていた頃の、大海賊時代の歴史が丸々消えているのだ。
よく考えれば、丸々100年を空白にしたあの世界政府が、自分たちに歯向かう奴らが作った時代など歴史に残すはずがないのだ。
そのせいでローは2回も"歴史の勉強"を妨げられているのだが。
ローは大学を卒業して、前世の頃の世界とどれだけ変わったのか自分の目で確かめる為に旅に出た。
今は船を自分で用意せずともどこへだって行ける。
前世の航路を順に辿ろうかとも思ったが、やめた。
前世の航路を知るものが見たらランダムなのかと思うほどに規則性なく何となく行こうと思った所から回っていった。
1年程かけて、覚えている限りハートの海賊団が船を寄せたほとんどの島を回り、今まで後回しにしていたドレスローザに辿り着いた。
今は名前も変わって、多少島の位置や地形も変わってしまっているが、どことなくあのドレスローザの面影を残しており、情熱の国と呼ばれるに相応しい活気に満ちた国だった。あれから500年近く経ったにもかかわらず、他にもひまわり畑や王の台地の一部、独特な料理などが未だに残っていた。
リク王家はここには住んでいないのだが、今なお残る王の台地の宮殿は遺跡として開放されており、中には代々リク王家が治めてきたというような内容の説明がそこかしこにあった。やはり大海賊時代の真っ只中であったドフラミンゴの支配下にあった時代は葬り去られているようだ。
ローが王宮を見て回っていると、宝物殿が開放されているのが見えた。宝物殿が常に開放されている遺跡はなかなかないので珍しい、と思いながら覗いてみると、さらに驚いたことにリク王家は宝物には手をつけず有事の際の為に取ってあるようで、かなり厳重にショーケースと監視カメラで管理されているが、かなり昔のそれこそ"500年"以上前からあるような物まで所狭しと並べられており、ひとつひとつに説明がついていた。
ローはその中に一つだけ空の宝箱があるのを見つけた。説明を見ると、何代も前の王が取っておけと命じたようだが理由は王本人もよくわからないというようなことを言ったそうだ。
その謎の宝箱にはかなりの量の血液が付着したような血痕があった。その大きな血塗れの宝箱に、ローは見覚えがあった。何故リク王は取っておけと命じたのだろうか。これをここに持ち込んだのは─
「久しぶりだな…500年振りくらいか?」
気配で察してはいたが、だからといって転生してまで会いたい人間とそうでない人間はいる。
「生憎おれはあんたみてェな背の高い男は1人しか知らねェな」
ローは振り向きもせずガラス越しの宝箱を見つめたまま答えた。
「フッフッフッ!そういうことは顔を見てから言うもんだ。
…その様子じゃあまだロシーには会えてねェようだな」
その背の高い男──ドフラミンゴは愉しそうに煽った。
「…"会えてねェ"ってことはコラさんはいるんだな」
ローはここで初めてドフラミンゴの方へ顔を向けた。あのド派手なファーコートは着ておらず、ちょっと派手なカタギに見えない強面の男、といった装いだった。
「あァ、何の因果か今世もおれの弟だ…どこにいるか知りてェか?」
「いや…コラさんが生きてるならそれでいい」
そう言いながらローはまた宝箱を見つめた。
ドフラミンゴが溜息をついたことに気がつかなかった。
「なァ…これ、空だっただろ」
ローはドフラミンゴの方へ体を向け、宝箱が見えるように体をずらした。
ドフラミンゴはローが体を動かしたことによって初めてローが見ていたものを知った。
「!…何でお前が空だったって知ってんだ…?」
「コラさんがあの時おれをこの宝箱に入れて隙を見て逃げろって言ったんだ…これにはおれ以外のものは入ってなかった」
「上手く逃げたってのはただのハッタリだったか…」
「…何で取っておいたんだ…って聞くのも野暮か…何でもねェ、忘れてくれ」
ドフラミンゴは立ち去ろうとしたその背中に声をかけた。
「ロー、お前はこれからどうするつもりだ?」
「…どこへ行こうとおれの自由だ」
ローはニヤリと笑いながら振り返り、今度こそ出て行った。
ドフラミンゴが誰もいなくなった部屋でまた溜息をついたのも、ローは知る由もなかった。
ローは、ドフラミンゴに会ったこともあってか、意を決してフレバンスへ赴いた。
それまで何となくフレバンスについては現状を知ることすら避けてきた。今そこに国があるのか、それとも地殻変動で海の底なのか、はたまた荒地なのかすらローは知らなかった。知っているのは位置のみで、大規模な地殻変動が起きていたのならそれすらもわからない。ローは賭けに出ることにした。前世の記憶を頼りにフレバンスへ向かい、そこに存在したのならどんな国でも、たとえ荒地であっても見てみよう、そこに存在しなかったとしたら綺麗さっぱり諦めようと。
怖かったのかもしれない。あの頃とは全く違う国がそこにあるのが怖かったのか、あの惨劇が繰り返されているのが怖かったのか。自分でも何を恐れているのか分からないが。
ローが記憶を頼りに辿り着いた場所には、鉄の国境も、白い街並みもなかった。
かつて"白い町"と呼ばれた土地には、ただ、壮大なまでの自然が広がっていた。
ローはどうしたものかと思い、とりあえず人の通ったような道があるか周ってみると、1箇所だけ不自然に草が踏み分けられ、木が切られて、人が何度も通ったかのような跡があった。
足跡の大きさにばらつきはないので観光名所があるというわけではなさそうだが、人が通るということは何かしらあるのだろうとひとまず辿ってみることにした。
森の中は鬱蒼としていて光が入らないようで、ぬかるんでいるところが多く、ところどころ滑ったような跡も残っている。ローもところどころぬかるみに足を取られ何度かバランスを崩しかけたが、何とか道の終わり(おそらく中心)までたどり着いた。
道が途切れた先には木がなく、少し寂れた教会が建っていた。もちろんフレバンスにあった教会は焼かれたのでまた新しく建てられたものなのだろうがかなり年季が入っていて、かなり前─おそらくは数百年前に建てられたのだろう。しかし、修築されたあとも多く見受けられ、教会周辺もかなり整備されている。熱心に通う信者がいるのだろう。今通った道以外の道がないので、足跡的に多くとも2,3人ではあるだろうが。
ローは、教会の外をぐるりと1周しようとすると、裏手に立方体型の石碑があるのに気づいた。石碑と言っても地面に突き刺さっている訳ではなく、ただ置いてあるといった様相で、ローの膝程の高さのそれには、全ての面に文字がびっしりと書かれていた。ポーネグリフの小さい版のようだ。ただ、ポーネグリフのあの暗号のような文字ではなく、前世で見慣れた文字で書かれていた。
上を向いていた面を読んでみると、思いもしないことが書かれていた。
『我、ここに至り、彼らの魂を鎮め、彼の悲劇を後世に語り継がん。我、死に至りて後は、我が子孫、これを代々受け継ぎ、途絶えさすること勿かれ。』
立方体の側面にぎっしりと刻まれた文字は全てフレバンスの悲劇を語り継ぐ役目が課されていたのだった。これを作ったのがどこの誰だかは全てを読んでも分からずじまいだったが、全てを知っている人間が記したものであることは確かだった。
ローは教会の中も覗いてみることにした。
重厚な扉を開けると、普通の協会と何ら変わりなく、目の前には美しいステンドグラスと大きな十字架があった。十字架を眺めながら、ローは美しかった故郷に思いを馳せ、一縷の希望を無惨に絶たれた彼らを偲んだ。美しかった思い出を忍んでいると、突然扉が大きく開かれる音がした。
ローは驚き振り返った。足跡があった時点で誰かが来るという可能性はあった訳だがすっかり失念していたのだ。
「ロー!!」
ローが振り返ると同時に、大きな声があまり広くはない教会内に響いた。声の主はローが振り返って声を発する前に、あっという間にローの身体を包み込んだ。
「何で、こんなとこに…」
「ドフィがローに会ったって教えてくれたんだ…ローが行きそうなとこなんてここくらいしか知らねェから…なァ、お前はおれに会いたくなかったのか…?」
「!そういう訳じゃ、」
反射的に顔を上げると、慈愛に満ちた顔で見下ろしていた。
「おれは会いたかった…ずっと」
「…おれの方がずっと会いたかった…500年前から」
ローはずっとずっと会いたかった大好きな人の胸─正確には身長差のせいで腹─に頭をうずめてごにょごにょと返した。
「な!お前それは狡いだろ!」
「狡くねェ。コラさんが置いてくのが悪ィ」
ローは今世も自分よりはるかに背の高い恩人を見上げて、不満そうな顔をした。
「そ、れは、確かにそうだけど!」
ロシナンテは急に痛いところを突かれ目を逸らした。
「素直に認めるのか」
「やっちまったことは仕方ねェ、事実だ」
ロシナンテが大きく頷いた。
「開き直るな」
「なァロー、今度は置いてかねェって約束するから、ずっと一緒にいてほしいんだ」
ロシナンテはローの目を真剣な顔で見つめていた。
先に目を逸らしたのはローの方だった。
「じゃあ絶対置いてくなよ…約束だからな…」
また顔を埋めてごにょごにょと喋った。
「あァ!神に誓って置いてかねェって約束する!」
「こんなとこで神に誓うとか言っていいのかよ」
「神に誓うにはちょうどいいだろ。愛してるぜ、ロー」
ローはシスターの最後の言葉を思い出した。
『この世に絶望などないのです』
─なァシスター、彼らは今この世界のどこかにいるのだろうか。幸せに暮らしているのだろうか。少なくともおれは今最高に幸せだ。
「…なら、おれもずっとコラさんと一緒にいるって誓う」
─ずっと探し求めていた人と永遠を誓い会えたのだから。