ドジっ子刑事の部下の受難(?)「うわぁ」
「ロシナンテさん…………大丈夫か?」
隣を歩いていた(一応)上司が派手に転んで、驚いたスモーカーが声をかける。ロシナンテが転ぶのはいつもの事だが、隣に並んで歩いている長身がいきなり転ぶのは流石にビビる。
「あァ…大丈夫だ…!」
「あんた商店街の聞き込みしてるだけで何回転ぶんだ…」
今日は最近この辺りで頻発している切り裂き魔についての聞き込みだった。
今回はどうやら地形の歪みで少し突出していた石畳に足を取られたうえに打ちどころが悪かったらしく頭から血を流している。今日この3時間だけで5回は転んでいる。最早わざとなのではと疑われても仕方ないが、これで大真面目にやっているのだからもうどうにもしようがない。
ロシナンテは立ち上がって砂を払い、何もなかったかのように話し始める。
「それにしても不思議だよな〜。なんで綺麗に服だけ切るんだろうな。一滴の血も流さずに、でも服はスパッと切る…って普通なら無理だしそんなことしないだろ」
そして、何もなかったかのように話し始める。
「まァ、確かに…。
それよりあんたは転びすぎて血塗れだから一旦病院行った方がいい」
「このくらいどうってことねェよ!
通り魔と同じ感じでむしゃくしゃしたから服切ったとかなのか?」
「男も切られてるって考えるとその線が1番濃いって感じか…女だけだったり男だけだったりしたらそういう趣味の変態が犯人ってなるんだが…。むしゃくしゃして服だけ切るってどういう状況だ…?
つか、あんたはどうってことなくても、住民たちにすごい目で見られてんだ」
スモーカーもついつい流されて普通に会話をしそうになるが、頭から血を流しているのだ。
「そうか?あんまり視線向けられてるようには見えねェが…」
「そりゃ頭から血ィ流してる3m近い人間と目を合わせたかねェだろ!」とスモーカーは叫びたかったが、一応上司ではあるし更に目立つことになるので必死で押さえ込み、
「とにかく!!目立つからさっさと病院行ってこい!!」
と怒鳴った。
可愛い部下に怒鳴られたロシナンテは、泣く泣く聞き込みを部下に任せ、久方ぶりに病院に来ていた。いくらドジを踏んでも、なんとかなるの精神で頑として病院に行かなかったので、病院に来るのは子どもの頃に兄弟揃ってインフルエンザにかかったとき以来である。確かロシナンテが先に罹って甲斐甲斐しく世話をしてくれていたブラコンの兄にうつしたのだ。
病院が嫌いかと言われれば、別にそうでは無いが、何となく嫌な気分がする。何か、大切なものが傷付けられそうな、そんな気がする。
「ドンキホーテさん、診察室へどうぞ」
名前を呼ばれ診察室に入ると、黒髪で琥珀色の目をした、恐らくロシナンテよりも一回り歳下の、目つきの悪い細身の男がいた。白衣を着て診察室に座っているので医者なのだろう。清潔感を保つ為か、両耳に2つずつのピアスホールには何もついていなかった。
「…いや、あの、かけてください」
どれくらい見つめていたのだろうか。実際にはほんの数秒だろう。
「ッ!あァ、すみません…!」
ロシナンテは慌てて目の前の椅子に座った。
「それで、その感じだと頭の傷でいいんですよね?」
ロシナンテの顔を見ながら、正確には顔ではなく頭を見ながら医者が言った。
「はい」
医者の胸の名札にトラファルガー・ローと書かれている。聞き覚えはないがどこか懐かしさに近いモヤっとした感情が呼び起こされる。
「何したんですか…?」
「いや…歩いてただけなんですけど…」
「歩いてただけで普通の人間はそうはならないですよ…まァ、とりあえず診ますから気を楽にして動かないでください」
ローが立ち上がりロシナンテの頭─というよりは額に近い─の傷を診る。ロシナンテにしては珍しく前に転んだので、その傷を診るローの顔から首筋にかけてがロシナンテの顔の目の前にくる。
ロシナンテがドギマギしているうちに、診察が終わり、包帯まで巻かれた。
「とりあえず…しばらく安静にして、怪我の経過を診たいのでまた3日後くらいに来てください。何か異変があったら直ぐに来てください」
次の日、ロシナンテがいつも通り出勤すると、スモーカーが声をかけてきた。
「ロシナンテさん怪我は?」
「ん?あァ。悪ィ、心配かけたな」
「いや、まァ、無事なら…」
スモーカーは何とも言い難い違和感を感じた。
もちろんロシナンテの言葉にでは無い。ロシナンテはあまり嘘が得意ではないので、確実に心の底から申し訳ないと思って言っているだろう。
違和感を感じたのはロシナンテの態度だ。いつもよりどこか余所余所しいというか、ソワソワしているというか…簡単に言うのであれば上の空なのだ。仕事はきっちりこなすのだが、ずっと何か別のことを考えているようだった。
「今日はずっっっと上の空だが…何か気になることでも?」
意を決して尋ねてみた。
「え?あ、いや…」
「恋ですか?」
スモーカーの部下でこの部署の紅一点であるたしぎがニコニコと声をかける。
「え」
「…え」
ロシナンテはギクリと肩を震わせ、スモーカーは心底驚いたようにロシナンテを見る。
「お相手はどなたなんですか〜?」
たしぎがいつの間にかニコニコしながら応対用のテーブルに3人分のコーヒーとお茶菓子まで用意していた。
2人は促されるままに座り、話を続けた。
「あ、いや、その…恋とかじゃなく、」
「あ〜、ちょっと気になるって感じなんですね!」
たしぎはずっっっとニコニコでロシナンテを見ている。スモーカーは諦めろ…という少し哀れみの混じった目で見ていた。
「え、あ、いや、その〜…はい」
スモーカーをちらりと見つめ、あ…これだめだわ…と気づいたのか、諦めたように白状した。
「ふふっ…どなたなんですか?」
「昨日行った病院の先生…」
「お医者様…お若い方ですか?」
「あァ…おれよりかなり歳下だと思う…じゃなくて!仕事しよこの話おしまい」
ロシナンテは慌てたように話を終わらせ、さっさと執務机に向かい書類を片付け始めた。恥ずかしくなったのか少し顔が赤い。それを見たたしぎはさらに笑みを深め上機嫌で仕事に戻った。スモーカーは、野郎の恋バナ聞いて何が楽しいんだ…?と思わなくもなかったが言わずにおいた。
それからもロシナンテが怪我をして病院にかかる度に開催されるその恋バナ会(?)は、半年もしないうちに惚気に変わり砂を吐きそうどころか実際砂を吐いているんじゃないかという気分になるのだが、今の彼には知る由もない。