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    くろミミ

    @tebukuro54

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    くろミミ

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    人でなしのさくらちゃん3話目です
    田中のクラスの「顔の良い奴」の名前や性格を捏造しています。

    #オッドタクシー
    oddCab
    #ODDTAXI
    #田中一
    ichiTanaka
    #和田垣さくら
    sakuraWadagaki
    #タナワダタナ

    人造少女それを見つけたのは祖父母の家でのことだ。
    祖父母の家で見つけたということは夏休みか年末年始のことだろうが、今となっては定かではない。
    入ることを禁じられた部屋にどうして忍び込もうと思ったのか、それも思い出せない。

    おそらく俺は、その時から引き寄せられていたのだろう。
    会ったこともない誰かに、あるいは何かによって。

    その部屋は物が乱雑にしまわれた物置だった。
    倒してしまわぬよう気をつけながら部屋の奥へと探検していき、机があるのを見つけた。
    この雑然とした部屋の中で、その机だけがあるべきところに設えられているようだった。
    おそらく元々は誰かの寝室だったのが、主の不在により物置として利用されるようになったのだろう。
    引き出しを開けて調べたくなるのは男子小学生の当然の性といえる。
    残念ながらどの引き出しにも特に興味を惹かれる物は入っていなかったが、一つだけ上手く開かない引き出しがあった。
    力任せに開けようとして、何かが引っかかっていることに気づく。
    苦労しながらもどうにか引っかかっていたものを取り出すと、それは古いノートだった。

    そのノートには意外に明瞭な字が書き込まれており、読めない漢字もあるものの、それほど解読に苦労はしないように思えた。
    俺は古代魔法が書かれた魔術書を発見したような思いを抱き、高揚してパラパラとページをめくっていった。
    すると他とは違う手触りのページがあった。
    ページがくっついてしまっているのだと分かり、気をつけて剥がしていく。

    そこに描かれていたのだ。
    こちらに向かって微笑む、愛らしい少女の姿が。
    今見れば幼さを感じるあどけない表情なのだが、当時の俺はきれいなお姉さんだという印象を抱いた。
    それでも彼女を見た瞬間わきあがった感情は、今も変わらず俺の中に巣食っている。
    これが小学生の初恋だなどというのなら、もっと淡く柔らかな甘さを含むものであるべきだろう。
    一瞬にして俺を蝕んだ苛烈な情念に似つかわしい言葉とは言い難い。
    恍惚。渇望。執着。焦燥。
    恋でこんなにも後ろ暗い感情が渦巻くなど、その年頃に読むような物語には書かれていなかった。
    抱いてはいけない気持ちを抱いてしまった気がして怯えたが、それでも彼女に触れたいと伸ばした手を抑えることはできなかった。
    当然その手が触れたのは無機質な紙の感触だ。
    妙に茶色くくすんだインクで描かれた彼女の頬を撫でたところで、なんの熱も柔らかさも感じはしない。
    他に絵の描かれたページはなく、彼女が描かれたページにあったのはたった三文字の言葉のみ。

    さくら

    彼女の名前だ、と瞬時に理解した。
    他に彼女にふさわしい名前はないと思った。
    「さくら」
    口に出すと溶けていくように幸せな心地が広がった。
    その時から俺の心は常にさくらの元にあった。

    家に帰ってもしばらくは無断で持ち帰ったノートの中の彼女を眺めていたが、欲望は膨れ上がるばかりだった。
    さくらを知りたい。さくらに自分を知ってほしい。さくらに会いたい。さくらと話したい。さくらに触れたい。さくらに……。
    手掛かりになるものと言えば、このノートしかない。
    辞書を引きながら読んでみたものの、さくらについて書かれた記述はなかった。
    あったのは作り話のような話。
    「人造人間を造る方法」
    小学生だった俺はすぐに飛びついた。
    会いたいなら作ってしまえばいいのだ。

    材料は人間の死体を用いるのが一番やりやすいが、遺骨や遺灰を用いて人形を作るのも有効とあった。
    どちらもおいそれと手に入るものではない。
    仕方がないので試しに粘土で人形を作ってみた。
    仕上げに人造人間の名前を血で紙に書き、紙片を左胸に埋め込む。
    カッターで自らの指を切るのは覚悟がいったが、これもさくらに会うためと思えば痛みも甘い痺れに変わるようだった。

    絆創膏を巻いて自室に戻ってくると、「さくら」がいた。
    自分の作った稚拙な人形は明らかに人間の皮膚らしきもので覆われていた。
    左右で大きさの違う目が俺の姿をとらえ、俺の方へ来ようとした。
    少し長すぎた左足を引きづりながら、ゆらゆらとバランスの悪い体を揺らしながら俺の目の前まで歩いてくる「さくら」。
    倒れて動かなくなるのが後もう少し遅ければ、俺は悲鳴を上げて逃げ出していただろう。
    自分がしでかしたことの重さも「さくら」への恐怖もなにもかも忘れて逃げ出したかったが、どうにか踏みとどまって「さくら」を抱き上げた。
    妙に柔らかく、じっとりと重たく、段々熱の冷えていくような生ぬるい温かさだった。
    「さくら」は死んでいた。
    粘土で作ったのだから、少しの間生きていただけでも奇跡だろう。
    考えもなく命を作りだしたのが俺なら、「さくら」を殺したのも俺だった。

    勿論誰に言えるわけもなく、一人で公園の木の下に死体を埋めに行った。
    何度も夢に見たことがある。
    木の下から這い出てくる「さくら」の姿を。
    無辜の彼女は俺に何か危害をなそうとしてきたりはしない。
    ただ見ているのだ。
    俺の罪を。汚れた手を。

    完璧なさくらを作りあげなければならない。
    それこそが俺の願いであり、贖罪だった。
    ひたすら粘土をこね人形作りに打ち込む俺の姿は奇異な目で見られたが、他人の目を気にしている暇はなかった。
    母親に見知らぬ施設に連れていかれ砂の入った箱の中にミニチュアを置くよう指示されるようなこともあったが、大抵は誰が邪魔しに来ることもなく遠巻きに見られ放っておいてくれていた。

    大上に話しかけられたのは小学六年生の頃だ。
    「田中、まだそれ作ってたんだな」
    クラスのカースト上位にいる顔の良い奴。
    小3の時同じクラスだった頃に抱いた感想はその時も変わらなかった。
    「すげー上手くなってる。どこかの教室で習ったりしてんの?」
    「別に……」
    「え、じゃあ一人で?」
    「まあ……」
    「すげえよそれ! お前きっと有名な芸術家になれるよ!」
    「はあ……」

    大上は顔だけじゃなく性格も家も良い奴だった。
    彼の家は美術商を営んでいて、美術に造詣の深い家庭だった。
    家に呼ばれて人形美術に関する本を貸してもらったり、「作品」が見たいというので家に呼んでさくらの習作を見せてやったりするようになった。
    「一が作る人形って全部同じ顔っていうか……同じ人?」
    「うん。俺はさくらしか作らないから」
    「そういうこだわりのあるところが芸術家っぽいよな」
    「……でも大上くんに教えてもらった人形の先生には、もっと色んな人物を作るように言われた」
    「それで? 他の人形も作ったのか?」
    「言ったろ。俺はさくらしか作らない」
    「それでこそ俺が見込んだ通りの一だ!」
    何故か大上は俺を過大評価してくれて、何かと世話を焼いてくれた。
    彼がいなければ今のようなさくらを作ることに専念できる環境は得られなかっただろう。
    とても感謝している。

    試行を重ね、いよいよ俺は本当のさくらを造る決意をした。
    それには材料が含まれていなければならない。
    遺体を手に入れる伝手などあるはずもなく、やはり当てにするのは自分の家の墓だ。
    俺はノートを手に入れた家の方の墓を訪ねた。
    先祖への申し訳なさはあったが、今更踏みとどまることはできない。

    聞いたところによると、あの部屋には昔大叔父が住んでいたそうだ。
    おそらくノートの持ち主はその人だ。
    人造人間を作る方法を書き、さくらを描いたのも。
    一体さくらは誰なのか教えてもらいたかったが、今はもう亡くなっている。
    戒名までは聞きそびれたが、いずれかの骨壺が彼のものだろう。
    きっと彼にとって、さくらの一部になることは喜ばしいことなのではないだろうか。
    さくらの絵からは強い愛情と執着が伝わってくるのだ。
    それは狂気でさえあった。
    彼が精神を患って亡くなったらしいことと、絵の材質から俺は推測している。
    はっきり調べたわけではないが、さくらの絵は血で描かれているようなのだ。
    それでもなお、さくらは清らかで汚れのない微笑みを見せている。
    そう思う俺は同じ狂気を宿しているのだろうか?
    その境地に至らねばさくらに会えないというのなら、喜んで俺は狂気に身を任せよう。

    東京に戻った俺はあの公園へ行き、「さくら」を掘り返した。
    そこには小さくいびつながらも骨が埋まっていた。
    今度こそ彼女を本当のさくらにしてやらねばならない。
    そうすれば俺の罪も赦されるような気がした。

    全てをかき集めて砕いたものの、やはりその量は心許ないものだった。
    折角さくらを現世に生み出すことができても、すぐに亡くなってしまっては辛すぎる。
    「さくら」が僅かしか生きられなかったのは材料を入れなかったためだろうし、沢山材料を入れれば長生きすると書かれているわけでもない。
    それでも少なすぎると不安になる。
    かといって全く他人の墓を暴くのは気が引けたし、それで得られる量も大したものではない。
    結局気休めにしかならないのならと、せめて自分の血を混ぜ込むことにした。
    そうしてナイフを自分の腕に当てようとしたところを、大上に見られてしまった。

    「なにしてるんだ!」
    大上にナイフを取り上げられた俺は、どこまで打ち明けるべきか考えあぐねていた。
    人の大きさの人形を造らねばならないのだから、様子を見に来るパトロンの大上に隠し通せるものではない。
    「……俺は本当のさくらを造りたいんだ。それには人の血を混ぜ込むことが必要だと思った。
    これから等身大のさくらを造ることに専念するから新規の注文はしばらく受けられない。
    パトロンの契約は打ち切ってくれて構わないから、俺のことは放っておいてくれないか」
    きっと大上は俺の正気を疑っただろう。
    だが俺の悪評が広まれば損をするのは人形の売買をしている大上のほうだ。
    このまま黙って放置してくれるなら都合が良いと思った。
    「……人の血なら誰でも良いのか? 俺の血でも?」
    驚いて俺は大上の顔を見た。
    彼の顔色は悪く、無理に笑おうとしているような顔だった。
    「一の腕切ったら制作に支障が出るかもしれないだろ。死なない程度ならいくらでも俺の血使ってくれよ」
    「どうして……」
    「いつも言ってるじゃないか。俺はお前の生み出す芸術に惚れこんでるんだって。一には納得いく物を作り続けてほしいんだよ」
    「…………ありがとう……」
    俺はたださくらを造るために練習しているだけなのに、それを芸術だと言って信頼を寄せてくれる大上に対してはいつも後ろめたさがあった。

    ただでさえ助けてもらってばかりなのに、血が必要だと言ってしまった手前大上を傷つけないわけにはいかなくなってしまった。
    「ごめん、大上くん……」
    「一の最高傑作の一部になれるなら本望だよ。遠慮しないでどこでも切ってくれ」
    震えてはいけない。
    切り過ぎてしまったら命に関わる。
    傷がすぐに癒えれば良いがと思いながら包帯を巻いていると、大上はもう片方の手で何も心配することはないのだとでも言うように俺の頭を撫でた。


    そして話は現在に至る。
    ついに俺はさくらの体を作り上げることができた。
    指に傷をつけ、血でさくらと書きつけた紙片を左胸に埋め込む。
    跡が消えるように撫でつけ終えると、かすかに鼓動を感じた。
    表面が肌理の細かい色白の人の肌になっていく。
    頬に赤みが差し、ゆっくりと瞼が開かれると、硝子玉とは違う質感の透き通った瞳が現れた。
    さくらが、いた。
    彼女の瞳が、俺を見ている。
    俺は今までこの瞬間のために生きてきたんだ。
    もっとさくらを見ていたいのに、涙があふれて視界がぼやけてしまう。
    必死に涙を拭いながら、彼女の名を呼ぶ。
    「さくら……」
    すると、さくらは俺に微笑みかけてくれた。
    それだけで全てが報われた。
    今この瞬間に死んだとしても悔いはない、心からそう思えた。
    「さくら、俺、ずっと君に会いたくて……」
    思いの丈を打ち明けようとしても言葉が詰まり、嗚咽に変わってしまう。
    涙に濡れた頬に、温かくなめらかな手の平が触れた。
    息のかかりそうなほど近く、さくらがまっすぐに俺を見つめている。
    「あなたは、だあれ?」
    「はじめ……」
    俺はもう初めて彼女を見た子供の頃に戻ってしまって、消え入りそうな声で答えるのが精いっぱいだった。
    「はじめ?」
    桜色の唇が俺の名前を呼んだ。
    それだけでもう、俺は。
    「君に、君に贈り物があるんだ! ちょっと待ってて」
    逃げるように立ち上がり、俺は用意していた服を取りだした。

    若草色のワンピースに身を包んださくらは本当に可愛らしく、春の妖精のようだった。
    「どう?」
    「すごく可愛いよ。本当によく似合ってる」
    「ふふっ」
    さくらは嬉しそうに笑い、くるりと回ってみせてくれた。
    容貌だけでなく性格や仕草も愛らしい。
    愛おしいという言葉は彼女にこそふさわしいと言える。
    決して汚してはならない無垢な存在。
    世の中の汚いものに傷つけられぬよう、俺が守っていかなければ。
    「こういうときはありがとうって言うんだよね。ありがとう、はじめ」
    「ど、どういたしまして」
    「あのね、全部初めてなのに、知ってることと知らないことがあるの。なんか変な感じ」
    「なんだろう……元になった体の記憶が残っているのかな」
    「元になった体?」
    「ええと、君は俺が作った人間で、そのために人の遺骨を使ったんだけれど……」
    こんなことを言って怖がらせやしないだろうかと不安に思ったが、さくらの瞳から輝きが消えることはなかった。
    「はじめが私を作ったの? はじめは私のおとーさんてこと?」
    「おと……」
    少なからずショックを受けてしまった。
    父親ほどの年の差ではないが、10代の少女にしか見えぬさくらと釣り合いがとれるかと言われれば、俺は少し年を取り過ぎてしまったように思う。
    それなのに変わらぬ恋慕を抱いていると悟られれば、悍ましいものを見るような侮蔑の目を向けられてしまうのではないか。
    そんなことは耐えられない。
    「てかおとーさんていうよりおにーさん?」
    「ま、まあ、そんなようなものかな……」
    「でもおにーさんよりはじめって呼ぶ方が好きだな。はじめって呼んでも良いでしょ?」
    「ああ、もちろん」
    「私のことも君じゃなくてさくらって呼んで。はじめにさくらって呼ばれるとなんだか嬉しくなるの」
    「さくら……」
    俺ににっこりと笑いかけるさくら。
    大上がドアを開けるのがもう少し遅ければ、俺は不遜なことを口走っていたかもしれない。
    「え、その子は!? ……さくら……?」
    「ああ。彼女がさくらだ。さくら、彼は俺の友達の大上くんだよ」
    人見知りの幼子のように俺の陰に隠れたさくらを安心させようと声をかけると、さくらはおずおずと前に出てきた。
    「おおかみくんはじめまして。さくらです」
    「さくらそのものだ……この子がモデル……? いやでも俺らが小学生の時からだからそんな訳ないよな……」
    戸惑う大上にあのノートを見せ、さくらが俺の作った人造人間であることを打ち明けた。
    下手に嘘をついたところで長い付き合いのある彼にバレるのは時間の問題だ。
    人の良い大上なら信じた上で人に言いふらしたりしないでくれるだろうという期待もあった。
    「こんなことが、本当に……? 人造人間だっていう証拠というか、普通の人間と違うところはないのか?」
    「さくらは完璧だから見た目で分かる特徴はないよ。血液とかを調べれば多分普通とは違うと思うけど、この場で証明するのは……」
    「んー、じゃあこんなのはどう?」
    そう言うなりさくらは自分が横たわっていた台を持ち上げてみせた。
    「あ、危ないだろうさくら! 下ろしなさい!」
    「私が普通の人間じゃないところ見せればいいんでしょ? 普通の女の子じゃ持てなそうな重たいもの持てるのは証明にならない?」
    台を下ろしたのを見てほっとしたのもつかの間、今度は俺が抱えあげられてしまう。
    「なっ……! さくら、やめてくれ……!」
    「おおかみくん持ち上げた方が良かった? そっか、おおかみくんのほうが大きいもんね」
    「あ、もう大丈夫、信じた、から……」
    情けなさで自室に閉じこもりたくなったが、ここが自室だ。
    平静を装い、大上にはさくらのことを秘密にしてくれるよう頼み、さくらには人を勝手に持ち上げないよう注意した。
    「秘密にするのはいいけど……これからどうするつもりなんだ?」
    「ここで二人で静かに暮らす。それだけが俺の子供の頃からの望みだ」
    「そっか……そのためにずっと頑張って人形を作り続けてたんだな……」
    「……ごめん。俺は大上くんが思っていたような芸術家じゃなかったのに、君の信頼を利用して……」
    「何言ってんだよ、皆に認められる作品を作ることができたのは間違いなくお前の力だろ。お前の強い願いが俺をなんでもしてやりたいって気持ちにさせただけなんだから、謝ることなんかないって」
    そう言って笑いかけながら俺の頭をワシャワシャと撫でてくる大上くんに、俺は小さな声で「ありがとう」というのがせいいっぱいだった。
    今日は涙腺が弱くなってしまっていて、涙がこぼれないようにするのにひどく苦労する。
    「なんかずるい! 私もはじめをいい子いい子したげる!」
    「わわっ」
    「こういうのって普通撫でてもらう側になりたがるんじゃないか?」
    「はじめだったら私のこといい子いい子してもいいよ」
    「俺はー? さみしいなあ、さくらを作るのに俺の血も使ったんだぜ。そうだ、俺の血を分けた娘だと言ってもいい」
    「えー、おおかみくんは家族じゃないもん」
    「うわっ、ひどくないか? なあ一、お前どういう教育してるんだよ」
    いきなり話を振られても俺はこみ上げてくる可笑しさを堪えるのにせいいっぱいだ。
    ついに堪え切れず吹き出してしまった俺につられてか、二人も笑い出した。
    こんなに暖かくて幸せな気持ちになったことが今まであっただろうか。
    俺の幸せな人生はここからずっと続くんだ。
    ―その時の俺は本気でそう思っていた。

    彼女が何を気に入るかは分からないから、さくらの部屋には最低限のものしか用意していない。
    ショッピングモールへの初めてのおでかけを、さくらはすごく喜んでくれた。
    机も本棚もクローゼットも全て彼女の好きなもので満たして、彼女の世界を心地良いものにしてあげたい。
    彼女にとっては全てが初めての経験だが、迷うことなく好きなものをどんどん決めていった。
    やはり彼女の内面はまだ幼いらしく、絵本やぬいぐるみを好んだ。
    「えーとね……この子!」
    「それでいいの? なんか……あんまり可愛くないけど」
    あまりぱっとしない灰色の猫らしきぬいぐるみは他のものより地味に思えた。
    「この子がいいの! なんかはじめに似てるし」
    「……そう……?」
    しょぼくれたぬいぐるみの顔を眺めていると、近くでおしゃべりしていた女子高生たちの笑い声がやけに耳に障った。
    自分たちの話に夢中でこちらのことなど気にかけてもいないのだろう。
    頭ではそう分かっていても、自分のことを嘲笑われているのではないかと思ってしまう。
    可愛らしいさくらの側にいるには不相応な自分を。
    一体周りの人には俺たちがどんな関係だと思われているのだろう?
    兄というには似ていない。
    彼氏? まさか。年は離れているしその差を埋めるほどの魅力もないのに。
    友達にしても不釣り合いだ。
    俺が誰だったらさくらの側にいても許されるのだろう?
    「……これを買ったらそろそろ帰ろう。この辺は暗くなると今の時期でも冷えるから」
    店を出てもすれ違う人たちが不審な目で見てくるような気がする。
    「楽しかったー! また来ようね」というさくらの言葉に俺は返事ができなかった。

    その夜、ネグリジェ姿のさくらが俺の部屋を訪ねてきて狼狽しそうになった。
    「眠れないからご本を読んで欲しいの」
    まさか自分が白雪姫の絵本を朗読することになるとは思わなかった。
    さくらの部屋へ行き、ベッドの傍らに椅子を運ぶ。
    「一緒に寝ないの?」
    「それは……狭すぎるよ」
    「大きいベッドも買えばよかったね」
    俺は聞こえなかったふりをして絵本を読み始めた。
    うとうととしているのを見てやめようとすると続きを促される。
    「そして白雪姫と王子様は結婚して、末永く幸せに暮らしました……」
    最後まで読み終えると、ようやく眠りについたようでほっとした。
    安らかなさくらの寝顔は硝子の棺の中に横たえられた白雪姫を思わせる。
    この美しさならば、たとえ死体であっても誰もが口づけたくなることだろう……。
    いけない。
    俺は彼女を起こさぬよう注意を払いながらも足早に自分の部屋へと戻った。
    ベッドへ潜り込み寝ようとするも中々寝つけず、脳裏にはさくらの姿が浮かんでしまう。
    自らの手で作った裸身は易々と呼び起され、それに宿った温かさ、柔らかさの記憶が責め苛む。
    愛らしい声。甘やかな匂い。その記憶だけで堪らなくなり、俺を愚行に駆り立てた。
    彼女を世の中の汚いものから守ると誓ったのに、その汚らしいものは他ならぬ俺自身なのだ。

    「私もスマホほしいなー」
    いずれは言われるかもしれないと思っていたことだが、いざ切り出されるとどうしたものかと思う。
    「別に必要ないと思うけどな。電話をかけるような相手もいないし」
    「電話以外にも色々できるよ。おおかみくんが写真撮ってくれて、色々加工したりとか面白かった」
    俺の知らない所でそんなことをしていたのか。
    心がざわめくのを抑え、素知らぬ顔をする。
    「だったらカメラの方がいいし、写真を加工するソフトも買えばいい」
    むくれた顔も可愛いけれど、ネットの闇を思うととてもスマホなんか持たせられない。
    「こういう時のはじめ本当にお父さんみたい。私はもう小さい子じゃないのに」
    確かに最近のさくらの精神年齢は見た目に近づいている気がする。
    家にある書籍は全て読んでしまったようだし、家事を担当しようとする自立心もある。
    彼女の成長を喜ばしく思う一方で、関心が外部に向かっていくのは恐ろしい。
    「そろそろまたお買い物に行きたいな。この服も可愛いけど、人前で着るにはちょっと可愛すぎるっていうか……」
    「そんなことないよ。さくらによく似合ってる」
    「似合っててもTPOとかがあるんだよ。もっとカジュアルなのも欲しいし、新しい本も読みたいし……ねえお出かけしよう」
    「……別に出かける必要はないよ。服も本もネットで買えるから、後で一緒に見よう」
    「必要なくてもお出かけしたいの! いっつも家の近くのお散歩しかしないじゃない。はじめと動物園とか遊園地とか行きたいのに」
    「……忙しいんだ。今まで休んでた分の人形を作らないといけないから……」
    「じゃあ私一人で行く」
    「だめだ!」
    とっさに大きな声を出してしまって驚かせてしまった。
    後ろめたさが膨らむ。
    「何かあったら困るから駄目だよ、さくらが人造人間であることがばれたら大変だし……」
    言い返されぬ内にそそくさと工房へ向かった。

    もはや目的を果たした人形作りに打ち込める熱はなく、注意力が散漫になってしまう。
    かすかにさくらの話し声が聞こえる。
    さっき表で車の音が聞こえたし、大上が来たのだろう。
    俺を呼びに来る気配はない。
    大上は何しに来たのだろうか。
    嫌な想像が頭に浮かぶ。
    思えばさくらと会ってから毎日家に来ている気がする。
    前もよく家に来てはいたが毎日ではない。
    楽しそうな笑い声が聞こえた。
    大上のように顔も性格も良いやつを気に入らないわけがない。
    たまらず二人のいる部屋に顔を出しに行く。
    やはり部屋には大上がいて、さくらと談笑していた。
    「あ、はじめ! おおかみくんが動物園に連れてってくれるって! 一人じゃなかったら良いでしょ?」
    嬉しそうに笑うさくら。
    この二人ならば美男美女の似合いの恋人同士に見えることだろう。
    「帰ってくれ」
    「一? どうしたんだ? お前顔色が……」
    「帰れよ! もう来るな!」
    大上が何か言っているが俺は彼の腕を引っ張って玄関まで行き、外に押し出して鍵を閉めた。
    「はじめ……どうしたの?」
    さくらが困惑したように俺を見ている。
    「人造人間が人間と付き合えると思うな」
    「え?」
    「人造人間がどんなに人間らしく振舞ったって人間になることはないんだ。人のように見えるだけの怪物だ。怪物は人間に愛されない」
    見開いたさくらの目から涙があふれるのを見ていられず、俺は玄関の方に向き直った。
    「……怪物同士だったら愛されるの?」
    さくらの言葉は、フランケンシュタインの怪物が自分に恋人を作ってほしいと言った話を思い出させた。
    「俺はもう人造人間を作る気なんかないし、お前以外に人造人間は存在しない。わかるだろ? 外にお前の居場所なんてどこにもないんだ。お前はここでずっと一人ぼっちで」俺の側にいるしかないんだ。
    世界がぐるんと回って言葉がひゅーひゅーという音になった。
    目の前にさくらの顔が





    柔らかくて温かいものを感じて、ぼくは目をさましました。
    目の前にきれいなお姉さんの顔があって、ぼくににっこりと笑いかけてくれました。
    「おはよう、はじめ」
    はじめ。ぼくの名前です。なぜかわからないけど絶対そうだと思いました。
    お姉さんの優しい声で名前を呼んでもらうと体のどこかがすごくドキドキと動きました。
    きっとここがぼくの心なんだ、とぼくは思いました。
    「私のこと思い出せる?」
    とてもかなしいけれど、ぼくはお姉さんがだれなのか思い出せませんでした。
    それどころか、自分のことも名前がはじめだという以外思い出せませんでした。
    「ごめんなさい。わかりません」
    「ううん、いいんだよ。私はさくらって言うの」
    「さくらお姉さん」
    お姉さんによく似合うとてもすてきな名前だと思いました。
    「さくらでいいよ。ね、起き上がれる?」
    ぼくはの手を借りて起き上がりました。
    そして鏡のところへ歩いていきました。
    鏡を見たぼくはすごく驚きました。
    ぼくの首と左胸には糸で縫い合わせた大きな跡があったからです。
    首を触ってみると縫い目はぐるっと一周していることがわかりました。
    「どうしてこんな傷跡があるんですか?」
    「それはね、はじめが怪物だからなの」
    「怪物……」
    怪物。怖くて気味が悪い生き物。
    たしかに体にこんな大きな縫い目のあるぼくは怪物かもしれません。
    自分は怪物なんだと思うとぼくはかなしくなってきました。
    「大丈夫。はじめは一人じゃないよ。私も怪物だから」
    「さくらが……!?」
    さくらはこんなにきれいで縫い目もないのに、怪物だなんてとても信じられません。
    「怪物は人間に愛されないけど、怪物同士は愛しあってもいいんだよ」
    ぼくの心は飛び出てしまいそうなほどドキドキして、顔は真っ赤になるぐらい熱くなりました。
    「はじめは私のこと愛してくれる?」
    ぼくはぶんぶんと首を縦にふりました。
    さくらはぼくの顔を手でつかまえて、まっすぐにぼくの目を見ました。
    ぼくもさくらの目を見ていっしょうけんめい伝えました。
    「ぼくはさくらが好きです。結婚してください」
    すると、さくらは目をうるませながら喜んでくれました。
    「嬉しい。はじめがそう言ってくれるのをずっとずっと待ってたの」
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