レモン 八百屋なんてめったに寄らない。スーパーですべて事足りてしまうから。
でもその日はとても暑くて、目の前に陽炎が現れて、つい目を逸らしてしまったのだ。道の左側にある、昔ながらの八百屋。店先にその日の目玉商品と、季節の果物が並んでいる。そうか、もうスイカの季節か。丸のままと半分に切ってあるのと、それらはつやつやと涼やかで、ふと目が惹かれてしまったその先。
レモンが、無造作に籠の中に並べられていた。
はじめてのキスの味なんて、もう覚えていない。何度も塗り重ねるうち、彼の味はすっかり僕に馴染んでいった。自分の唇をなぞる。鮮やかなあの果物の、酸味がなんだか恋しくなった。
レモンをひとつだけ買うなんて、珍妙な客だと思われただろう。梶井基次郎しかやらないんじゃないか。それならばこのまま丸善に寄って、本棚に寄らないと。「檸檬」を思い出しながら、指は勝手にスマホを操作する。彼は四コールで電話に出た。
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