人食いの化け物の話 46
「青鹿、腹は空いてないか」
あれから黒燕はことあるごとにヘマにそう聞くようになった。
人食いの化け物であるヘマは人間の肉でしか腹を満たせない。
人間以外でも口にすれば味を感じることはできるし、味の良し悪しだって分かる。だが腹には溜まらないから、人間を食べなければいつか餓えて死んでしまう。それでいて人間を襲って殺す力もない弱い化け物だから、人間を騙して食べる。
ついこないだまで、黒燕もヘマに騙されていたが、ヘマはあだ名通りのヘマをやらかしてこの男に自分が人食いの化け物であるとバレてしまった。
黒燕は弟を人食いに食われたと言って酷く人食いを憎んでいるので、ヘマはあわや殺されてしまうのではないかと思ったが、黒燕はそうしなかった。
しかしヘマが人間を食べるのは許さないと言うし、逃げ出そうとしてもそれは許されなかった。
…代わりに「腹は空いてないか」と何度も尋ねてくるのだ。
ヘマは盗賊の死体を齧ったばかりだし、もしや腹が空いたと答えた瞬間に殺されるのではと疑っていたのでしばらくは「空いてない」と返していた。そう答えると、黒燕は安堵したような息苦しそうな、変な顔をするのだ。
人食いの化け物でも料理の味は分かるし組合の食堂で食べられる料理は美味いと言えば、以前と変わらず金を出してヘマに料理を食わせてくれる。これまで何度も思ったことだが、やはり黒燕は変な奴だ。しまいにはヘマが料理を食べてる最中にも「腹は空いてないか」なんて聞くのでそれを聞いた組合の人間が変な顔をしていたくらいだ。
もしこの出来事がきっかけでおれの正体がバレたらマズいのだから全く迷惑な習慣だ! とヘマは借家に帰ってきてから黒燕に正座させて憤慨した。
「……これまでの経験則からお前が腹を空かすと何をしでかすか分からないのは身に染みて思い知らされているから、こまめに確認しておいた方がいいと考えている」
「こまめに確認したからなんだ! 腹が空いたと言えばおれに人間を食わせてくれるのか!」
「…人を食うのはダメだが、俺の血くらいならくれてやる」
「え!? そうなの!?」
じゃあとっとと腹が空いたと言えばよかった! これまで何十回と聞かれた分だけ損してしまった。なんてことだ。ヘマは歯噛みした。
「お前が言ったんだろう。俺の血をやるなら飢えて死なないかもしれないと…」
「は!? そんな話だったか? 黒燕は言葉が足りない阿呆なのか?」
「………………」
おれの言葉を聞いて目を瞑った黒燕の眉間の皺がまた深くなっている。あんまり眉間の肉が硬く皺が深くなっていくといつか脳味噌まで硬くなりそうで嫌だな。ヘマはいらない心配をする。
「そうだな…。すまない、俺の言葉が足りなかった。まだ人食いのお前に何と声をかけたらいいか悩んでいるんだ…」
「ははは! 嘘だな! 黒燕はおれが人食いと知る前から言葉が足りない! つまりただの阿呆だ!」
「………お前と話してると悩んでいるのが馬鹿らしくなってくるよ」
「そうか。悩みが減るのはいいことだな。たくさん話してやろう。おれは優しいからな」
「少し静かにしてろ」
黒燕の脳みそを柔らかいままでいさせてやろうと思ったのに、黒燕に形のいいほっそりした鼻をつままれてヘマはふぎゅ、と声を出した。
「あ! それより血を飲ませてくれるんだろう! 今すぐ飲ませろ!」
「さっき空いてないと言ったろ」
鼻声で血を要求するヘマに黒燕はすげなく答える。
「人食いに弟を殺された人殺しの剣士に腹が空いて人間が食べたいなんて馬鹿正直に言う奴がいるか! あんまりバカにするなよ。おれはいつだってたらふく人間が食べたい!」
「………ハ、」
黒燕は何が面白かったのか乾いた笑いを漏らした。
「お前は人食いと隠さない方がよほど分かりやすい奴で……、安心する、なんて思うのは…俺は本当に阿呆かもしれないな」
さっきからそう言ってるのに黒燕はやっと理解したようだ。
「……お前、以前人間に家族を殺されたと言っていただろう。あれも嘘か?」
「いいや? 本当のことだ。大抵の人食いが死ぬ時は飢え死にするか、人に殺されるかだからな」
「……人間が憎くはないのか?」
うーん? 同族からはたいしてよいこともされなかったが、悪いこともされなかった。人間が同族をみな殺してしまったせいでおこぼれにあずかれずにおれは腹を空かせている。
そうだ、腹が減っているのだ。どうしたら血よりもたくさん肉が食えるのだ……。
「あ! 恨んでる! 恨んでるぞぉ。だから、人間は詫びとしてもっとおれに人間の肉を食べさせるべきだと思う!」
「………」
名案だと思ったが、黒燕にはあまり通じなかったらしい。
「お前があくまで人間の肉にこだわるなら俺はお前を殺すしかないが……」
「なに!? おれが毎日美味い料理を食わせてくれる人間を憎むと思うのか!? いいから血! 血をよこせ!」
「昔話の化け物でも早々言わなさそうな頭の悪い台詞だな……」
そう言いながらも黒燕は小刀で自分の指に傷をつけ、ヘマに差し出した。鉄くさい、いい匂いがしてよだれが出る。
ヘマは黒燕がいいと言う前に指にかぶりついた。最初は吸っていたが焦ったくなって傷口をえぐるように歯を立てる。温かい生きた人間の肉の感触。黒燕の皮膚は硬くて食いちぎれないものの、さらに血が溢れ出す。美味しい!
黒燕は眉をしかめて人食いの額をはたいた。
「いたい!」
「こっちの台詞だ。お前俺が止めなきゃこのまま指を齧りとるつもりだったろ……」
「だめなのか」
「だめだ。俺の商売道具なんだ」
「商売道具?」
「…人食いを殺す仕事だ」
黒燕は威嚇するみたいに低い声で言ったが、ヘマは全然怖くなかった。この男はすっかりおれに懐柔されているのだ。ちょっとぐらい齧りとったところで本当に殺すことなんてないはずだ。多分。
それよりも気になったことをヘマは口の端についた血も一滴も逃さないように手で拭って舐めながら、黒燕に問うた。
「そんなにいるの? 人食いって」
「なに?」
ヘマは生まれてこの方、いると噂程度に聞くものの、自分と同族以外の人食いの姿を見たことはなかった。仕事にできるほどそんなに人食いがいるものだろうか。実際、ヘマが目にした黒燕の仕事は人殺しばかりだ。
「……お前みたいに人間のフリをしてるのもいるだろう」
「何に変化してようと人食いなら見れば分かるよ、人間が鈍いから騙せるだけだぞ! 黒燕は本当に人食いを殺してるのか?」
「……人食いを探しているが、そうと確信が持てたものはいない。大体がただの獣だ。人間に擬態した者もお前で初めて見る」
「だろー? それじゃただの猟師だ。あはは」
「獣狩りだけじゃやっていけないからな、盗賊を討伐したり旅人や商人の護衛もしたりする」
「人食いのおれより黒燕の方が余程人を殺してるじゃないか」
「………」
黒燕は言い返せないようで押し黙って、少しふやけた指の傷口を洗い、布で巻いて止血をする。生きた人間の血はあたたかくて死体にあるような酸化した生臭さがなくてとても美味しかった。もっと飲みたかったな…。
じっと黒燕の指を見つめていると、黒燕はようやく口を開いた。
「……お前が人食いを見分けられると言うのならお前も俺の仕事を手伝え。血を分けてやる分だけ働いてもらおう」
「え! 飲ませた後に条件をつけるなんて卑怯だ! それにおれ戦えない」
「ついてくるだけでいい。元からお前を1人にしておくとろくなことがないからある程度は目の届く所に置いておくつもりだった」
そんなのごめんだ! と言いたいところだったが、黒燕はそれに加えてヘマが人食いの化け物であることを周りにバレないようにする、バレたとしても絶対に殺されないように庇ってやるという約束まで付け加えてきた。
やることは見ることだけ、黒燕のできる限り死なないようにも殺されないようにもしてもらえる。中々に好条件なのだ。問題なのはいくら美味いとはいえ血しか飲んではいけないということだけだ。
ううん…。いや、こんなのは問題ではない。黒燕は阿呆なのだから目を盗んで食べればいいのだ! 黒燕の行く先はよく死体がある。いくらでも機会はあるだろう。
「分かった! その仕事を引き受けよう! 任せてくれ!」
「………」
ヘマがどんと胸を叩いて豪語すると、黒燕は疑わしい視線でヘマを見つめていたが何も言わなかった。あるいは何を言っても無駄だと思ったのか。
こうしてヘマは黒燕の仕事の手伝いをすることになった。
7
次の黒燕の仕事は村の近くまで降りてくるという大きな熊の退治依頼だった。
大熊の痕跡から人食いの気配はせず、そもそも熊は時折人を食べるものなので人食いだろうとなかろうとそんなに関係ない(と、ヘマは考えている)ので、特にヘマの出る幕はないし、ヘマの食べられる死人が出るわけでもない。黒燕の後ろをチョロチョロとついてまわるくらいしかやることがない。
ヘマは黒燕のやたらとでかい図体で熊と直接戦うのかと思ったが、黒燕は意外に器用な手先で熊の通り道に丁重に匂いが残らないように注意を払って罠をいくつも仕掛けると言う。慎重さがいるのでお前は近づくなと再三言われ、ヘマはウンザリした気持ちになりながら村で待っていることになった。
風貌だけは美しいヘマはどこでも注目の的で、この村でも村人からよく話しかけられた。まだ成功したわけでもないのに、皆一様に黒燕への感謝を口にする。
難しかったり危険な仕事は、組合に依頼を出してもすぐに誰かが引き受けてくれるものでもないらしい。まして、あまり金の出せない小さな村の依頼では尚更だ。
あまりに誰も引き受けないと組合の評判が落ちるから、組合の方から組合に所属している依頼引受人を強制的に複数人を組ませたりして、組合側から特別手当を出してまで引き受けさせたりするらしい。
そんな訳だから、難しい依頼では引受人が来る頃には依頼を出した時よりもさらに被害が増えていたりすることもよくあるらしい。
この依頼もまだ死人は出ていないものの、熊は軒下に吊るしてあった干物や、村人が育てている作物を食べるようになっていて、いつ次の獲物が村人に変わってもおかしくない所だったから、こんなに早く引受人である黒燕が来てくれたことに村人は大層感謝しているのだった。
聞く限り、黒燕はそういう難しい依頼を組合から強制される前に率先して引き受けているという「噂の人」らしかった。
まるで昔話に出てくる化け物退治に活躍する剣士様のような語られ方と、普段の黒燕の落差に思わず笑いそうになるのを堪えながら貰った干し柿を頬張っていると、9つかそこらの子供にまん丸な目で見上げられながら聞かれた。
「お兄ちゃんは、どうしてあの剣士さまといっしょにきたの? お兄ちゃんもあのおおきなクマを退治できるの?」
ヘマは返答に困った。
当然ヘマは熊退治には何の役にも立たない(熊退治以外にもほとんど役には立たないが)し、馬鹿正直に人食いを見破るためにいるとは言えない。
何と言うべきか迷っている間に、別の子供が口を挟んでくる。
「バカ、おまえ。この間旅の途中とかでここに泊まったオシノビのえらい人がこういうキレイな子をつれてただろ。ああいうのはオチゴサンって言うんだって、おれのかあちゃんが言ってたぞ」
「オチゴサン? なんだそれ」
「ちがうじゃない! みーくんの早とちり!」
「なんだよぉ!」
ヘマが聞き返す前に子供たちはきゃんきゃん言い争い始めて最後にはすっかり最初の議題を忘れ、わぁきゃあと追いかけたり追いかけられたり、その辺を走り回る遊びに興じ始めた。
しばらくして日が真上よりも幾分か降りてきた頃に黒燕が罠を仕掛け終えてヘマの元に戻ってきた。
「なにか悪さしなかっただろうな」
「流石にこんな衆人環視の中で何もできやしないぞ。それよりオチゴサンってどういう意味だ」
「おっ……!?」
黒燕がギョッとした顔になる。
「だ、誰から言われた…? それにお前なんて答えた? 他に何か言われたり何かされなかったか?」
「その辺のガキ。オチゴサンって何って聞いたらどっか行っちゃった。あとは知らん」
「そうか……」
黒燕はほっと息をついているが、ヘマは腑に落ちないままだ。
「なあ、オチゴサンってどういう意味なんだよ」
「………あまり…人前で言うなよ。その言葉」
「分かった」
オチゴサンの意味は分からなかったが、黒燕を困らせたい時は大声で「おれは黒燕のオチゴサンだぞ」と叫べばいいんだな、とヘマは理解した。
2日ほどして、罠を確認しに行く黒燕に、ヘマは暇なのでついて行きたいと駄々を捏ね、絶対指示に従うという約束をして同行を許された。
熊は見事に罠にかかっていた。
随分暴れ回ったようで肉に食い込んだ罠から血が滴り、荒い息をしてこちらを睨みつけている。
ここから黒燕と熊の残虐な闘いが始まることを期待してついてきたのに、黒燕は熊の爪が届かない位置から毒を塗った矢を番えた。一矢、二矢と射るものの、熊も射られたら終わりだと分かるのか暴れ回って中々刺さらない。
「下手くそだなあ」
「……正直、自分でもそう思う」
早く楽にしてやりたいのに、余計と苦しませてしまっている。そう言って黒燕は眉を寄せる。
十ほど射って、ようやく熊の脇あたりに矢が刺さり、しばらくして熊は泡を吹いて倒れた。
「よっ、弓の名手!」
「やめろ」
本気で嫌そうな顔をされた。
熊が痙攣しなくなってから、黒燕は短剣を抜いて、慎重に倒れた熊に歩み寄る。
首筋に剣を突き立てた途端、熊はどこにそんな力を残していたのか太い腕を振り回して暴れた。
「ぐッ、」
黒燕は咄嗟に短剣で向かってくる爪を防ぐが、なにせ突然のことで短剣は熊の膂力に弾き飛ばされた。
今際の際に暴れるのを見て熊と闘うの大変すぎるな、熊食いとかに生まれなくて良かった〜と呑気に考えていたヘマの足元に弾き飛ばされた短剣が飛んできて刺さったので、ヘマはでかい声で「ぎゃっ!」と声を上げた。
熊がその声にほんの少し意識をとられた隙に、黒燕は熊の爪の届かないところまで下がって素早く短剣を拾い上げた。
しかし、罠にかかった熊は、もはや本当に最期の力の一絞りだったのだろう。追い縋る余力もなく、小さく呼吸を繰り返して動かなくなった。
「………まさかお前に助けられるとはな」
ふぅ、と一息ついた黒燕の言ってる意味が分からなかったのでヘマは一拍おいてああ! と手を打った。
「まあ、おれにかかればこんなものだな」
「踏ん反りかえるな」
黒燕は無駄に外した矢を回収してから、熊の骸に刃を入れて毛皮を剥いでいく。毒矢の刺さった部分は肉を抉り取って、回収した矢と同じ袋に入れた。
「退治の依頼でそこまでやるのか?」
「村人にやらせてもいいんだろうが、なにせかかってくれた罠が1番山奥のものだったから、取りにくる間に他の獣に荒らされてしまうかもしれないからな。肉の方は多分持って帰るのは無理だろうな。山の獣にくれてやろう」
ヘマが聞きたかったのはそういうことではないが、この男がお人好しなのはすっかり知っていたので、まあいいかと流した。
ふと黒燕の顔を見れば頬に爪が掠ったのか一筋、皮膚に赤い線が引かれている。
美味そうだなあ、と思って直に舐めたら今度は黒燕が「ぎゃ!?」と声を上げた。
「血が出てたから」
「俺がいいと言ってない時に舐めるのはやめろ! 特に外では絶対にやめろ! 外聞が悪すぎる!」
「ああ、オチゴサン?」
黒燕が頭を抱えてしまった。
「……次からはそんなこと言われる前に、お前のことは相棒と紹介しよう」
「相棒?」
「今回はお前の…まあ……行動…、に助けられたからな」
だいぶ言葉を選んでいるのはヘマにも分かったが、黒燕が自分にへりくだるのは良い気分なので黙っていることにした。
「しかし、相棒なんて名乗って何をしてるか聞かれた時におれはなんて返せばいいんだ?」
「ウン……………」
黒燕が空を仰いでしまった。おれもつられて空を見上げる。今日はいい天気だな。
「お前は……黙っていれば賢そうに見えるから、そうだな。専門家かなにかということにしておけばいい」
「何の専門家だ?」
「ああ…、いや、そのまま人食いの専門家でいいだろう。お前は行き当たりばったりで嘘をつくから、事実に近い方がやりやすいだろう」
「なるほど。なんかおれのこと馬鹿にしてないか?」
「実際馬鹿だ。お前は」
馬鹿にされていた。
その後、他の場所に仕掛けた罠を回収して、毛皮まで持ち帰りそれを村人に譲るとまで言う黒燕に、村人はもう平身低頭の域で感謝して、依頼料にも少し色をつけてくれた。まあ、立派な熊の毛皮の売値よりは少ないものであったが。
こうして、ヘマは噂の剣士様のかなり役立たない相棒となった。
8
その日の依頼は連続殺人鬼だとかいう人間の退治だった。黒燕のところにヘマが転がり込んでから数ヶ月でこうも人が殺されるとは、どうやらこの辺の人里はかなり治安が悪いようであった。黒燕に見つかる前にさっさと山を下りて人里にいた方が死体にありつけたかもしれない……とヘマは軽く後悔した。
何でも、今回の奴は山に居を構えるようなことはせず、街の中で暮らし、人気の少ない場所で1人か2人でいる人間を襲って殺しては金目のものを掠め取っていくという手口らしい。
特に女が狙われるということで、街の女たちは夜に出歩くことにひどく怯えているようだった。
「組合がある街で殺しとは、舐めた真似をされているな」
組合の建物の卓を囲んで、組合に所属してる人間たちが結構な人数で話し合っている。それに黒燕も参加していて、おれは例のごとく黒燕の横で、組合の奴がくれた菓子を齧っている。
「ところで黒燕にいつもベッタリなのはいいがそこのおチビさんにこんな話聞かせていいのかい」
「むっ、黒燕がやたらと大きいだけでおれはそんなチビでもないぞ。歳だってもう16だからな」
「そうかそうか」
なんか生ぬるい温度の目で見られている気がする。黒燕は規格外にデカくてよく鴨居に頭をぶつけているし、夜中に出歩いてるとたまに熊と間違われるくらいだ。組合の連中はやたらガタイが良い奴らが多いが、おれはといえばその辺の村の住人全員と身長順に並んだら多分真ん中から隣に2つか3つか4つかの辺りだ。チビではない。
「こいつは俺の仕事の補佐として連れて歩くことにしたから、俺が参加する仕事の概要くらいは聞かせておきたい」
黒燕がそう言うと、周りの人間たちの反応は様々であるが一様に驚いた様子であるのは間違いなかった。
「仕事の補佐って? このチビちゃんに何をさせるつもりなんだ?」
「チビじゃない」
さっきヘマをおチビさんと揶揄ってきた細い目の男が問う。飄々とした様子だが、ふざけた表情ではなかった。
「青鹿は…人食いを見つけることができる」
「人食いね……。お前がよく言ってるやつだろ? そのチビちゃんにそんなことが本当にできるのか? できたとして、お前が復讐に精を出すのは勝手だが子供を巻き込むのは違うんじゃないか?」
「おれは子供じゃない」
ヘマはこの細い目の男は自分の反論を無視するのであまり好きではない。ムカムカしたヘマは言葉に詰まった黒燕の代わりに言い返す。
「復讐に精を出すのが勝手なら、おれが復讐に精を出してもいいだろう! おれの家族は人食いに殺されたんだ! その時に嗅いだ人食いの匂いを忘れたことはない。黒燕がおれを巻き込むんじゃない、おれが黒燕を巻き込むんだ!」
細い目の男は面食らって、よく回る口を閉じた後に、くくくと笑った。
「確かに、黒燕は良い相棒を見つけたようだ」
「皮肉はよしてくれ」
黒燕は顰めっ面をしているように見えたが、その実ヘマに対してよくもまあペラペラとそんな嘘がつけるものだ、という呆れた目で見ていたことにヘマは気づいていた。
「まあ、今回は青鹿の出番はないだろうが、仕事についていくための予行演習くらいにはなるだろう」
「おれの出番はないのか」
「今回のは嗅いでみなくたって確実に人食いじゃないだろ。死体をひと齧りもせずに金品だけ奪っていくんだから」
「味見はしてるみたいだがな」
「やめろ」
ヘマの話題は終わり、組合の人間たちの話題は元の殺人犯の件に戻る。その様子にヘマは完全に論破してやったぞ! と得意げになって、あとの話は適当に流し聞く。
「憲兵も出動してるらしいが、中々捕まらないらしい。もう5人も殺されてる。そこで憲兵の方から共同捜査を依頼されてるってわけだ。組合のある街でそんだけ殺されて手も足も出なかったんじゃ信頼に関わるから、俺らも腰を入れて取りかからなくっちゃならん」
5人も死体が出たのかあ。5人も殺すなんて口で言えば簡単だが、実際にはとんでもなく大変なことだ。死体はもう燃やされたのだろうか。もったいない。
「まだ犠牲者は出ると思うか?」
「分からん。出なくても、何かしらの決着が付かないと面目が立たんぞ」
確かに、人食いなら5人も街で食い殺したら確実にその街を離れてしまうだろう。そもそも1つの街で5人も食い殺すなんてことはしない。3人でも多いくらいだ。5人も殺せば、まさにこんな風に人間たちが血眼になって追ってくるのが分かりきってるからだ。
「本当に金品が目当てなのか? 夜に1人で出歩くような者にそんな金目の物を持ち歩けるような階級の人間はそういないだろう」
「やはり“味見”の方が目的で、金品を持っていくのはついでということか……」
「味見ってなんだ?」
「青鹿、それは後で話すから……」
気になったので口を挟んだら黒燕に引き剥がされた。おれもできることなら人間の味見がしたい! 人間のフリをしたまま味見ができるなら腹の足しになるというのに……。
「仮にまだこの街にいるとして、どうやって見つける? 盗まれた金品も珍しいもんでもないし、そこから足跡を辿るのは難しいだろう。盗まれた金銭にしたって同じだ。不自然に羽振がよくなるほどの額じゃない」
「そもそもこの街にまだいるのかも分からないだろう」
「まだこの街にいるなら、この街で次の被害が出るかもしれないということだ。近隣の街や村には通告を出して警戒を促すしかない。俺たちが守れるのは俺たちの街だけだ。俺たちが努めるべきは次の被害を出さないことだろう」
「そうは言っても、次の被害を出さないために何をするんだ? 夜中に出歩くなと言っても、根本的な解決にはならないだろう」
ヘマの頭の上で喧々轟々と言葉が飛び交う。
今回の事件は腕っぷしだけではどうにもならないからか、中々意見がまとまらない。
フッ…やはり筋肉自慢のアホな人間どもにはこんなことも思い付かないのか……、とヘマは心の中で嗤いながら、得意満面の顔で手を挙げて言った。
「囮を使えばいいだろう」
組合の連中は顔を見合わせてヘマを見た。
「……おチビちゃん、言ってる意味が分かってるのかい」
「もう既に相手の出没する場所と時間と狙ってるものさえ分かっているんだろ? そこに餌を仕掛ければ食らいついてくるはずだ。熊を捕まえるのと同じだ」
本当は熊ではなく、人食いを捕まえるための常套手段でもあった。ヘマはこれで何匹かの同族が死んだらしいと聞かされたことがある。
「そうじゃない。その囮は誰がやるんだい」
「そりゃその人間が好みそうな…」
「組合はこの街の役人から金を貰って警護の一端も担ってる以上、街の住人に囮になってくれとは言えない」
じゃあ、この中の誰かが──と言いかけて、ヘマは口を閉じた。この中の? 見渡しても筋骨隆々な奴らしかいない中から選んだって、5人も殺したような周到な奴が引っかかるわけない。
「黒燕がこの仕事を始めたのはいくつだったっけ?」
「……16、だが……」
うん? なんだか雲行きが怪しい。何故黒燕の歳の話をするんだ?
「復讐のためにそこまで買って出るとは、見直したぞ。青鹿。お前も一端の勇士という訳だ」
あれ!? いつの間にかおれが囮を買って出たみたいになっている!! おれの見た目がかわいいばっかりに!?
慌てて黒燕に視線を送るも、眉間を押さえて難しい顔をしている。というか、もはや頭を抱えている。
「黒燕も、これに利用されてやると言うならきちんと面倒を見てやれ」
「う、あ、ああ……」
黒燕も了承してしまった! もっと粘ってほしい。おれはめちゃくちゃ弱いんだぞ!?
しかしヘマの思惑とは正反対に、自分の失言のためにあれよあれよと囮役に引き立てられてしまった。
組合の事務職員の女性の協力によって(ヘマは大変自分が可愛い生き物なので、この人が囮をすれば…とも思ったが、もうその時には完全に言い出せる空気ではなかった)中流階級の屋敷の使用人の娘のような格好に着替えた。
「青鹿は顔が派手だからこういう地味な服は逆に似合わないねえ」
「暗い中で顔なんて見えないから大丈夫だろう」
勝手なことを言う組合の連中にヘマはキーッ、その暗い中のどさくさに紛れて囮役から逃げてやろうか! とも思ったが、どう考えても逃げ出して1人になるより組合の連中が隠れて監視してる方が安全なので馬鹿な考えはやめた。ヘマは自分の1番の長所である顔が役に立たせない作戦とは、なんとも役不足な話であろう! と心の中で憤慨した。
しかし、日が暮れて暗い中に出てみると、不思議とヘマの容姿は闇に映えた。昼の日の光の下よりもよほど美しく見える。
ヘマと同族の人食いは夕暮れ時や月明かりの下にふ…と現れ、人間を誘惑して食べる。ヘマもそういう生き物の端くれだ。そうあるのが当たり前のように、尋常ならざる人離れした美しさに輝いてさえ見えた。
「おかしいなあ。昼間はいくらツラが整ってるとはいえ泥まみれで遊んでるその辺のガキと大差ないのに、これじゃまるで……」
「天女さまみたいねえ」
ヘマの着替えを手伝った職員が頬に手をあてながら言った。
「綺麗すぎて逆に怪しいなあ。とてもじゃないがその辺の使用人の娘には見えん」
「なんだと。じゃあこの作戦はやめにするか。ああ…おれが可愛すぎるばかりに……」
「いや、少し不自然ではあるが笠とかで顔を隠せばいいんじゃないか?」
「不自然だと──」
「…………いいや、本当にやめた方がいいんじゃないか」
ヘマがさらになんとか難癖をつけて作戦を中止させてやろうと口を開く前に、黒燕が言った。
なんだ!? いいぞ黒燕! 大分口を挟むのが遅かったがそのまま辞めさせてくれ!
「なんだ今さら。やっぱり青鹿がかわいいのを見て囮に出すのが恐ろしくなったか?」
「いや……」
バカ、黒燕! 否定するな! そういうことにすればいいではないか! おれの外見は可愛すぎるほどに可愛いのだからみな納得するぞ!
「じゃあ、何か代案でもあるのか? お前に囮ができるとでも?」
「…………」
クソ〜! 黒燕のアホは口が下手だからすぐ言い返されて黙ってしまった。黒燕はこういう性分でたくさん損をしていそうだが、その損におれを巻き込むな! ヘマは非難の視線を送った。
黒燕は、いつものしかめ面の中に何かに怯えるような表情をしていた。組合の人間には、それは青鹿へ降りかかることへの危惧に見えたらしい。ヘマにはもちろん本当はそうでないことも、ヘマの非難の視線への表情でもないことも分かったが、この熊でも人でも殺せる男が何を恐れるのかは分からなかった。
「そんなに心配なら、青鹿の1番そばに隠れて守る役はお前がやるといい。うちには夜目の効く弓使いもいる。それに、これから噂の剣士様の相棒としてやっていく青鹿の勇気ある初陣を取り上げてやるなよ。黒燕」
「………ああ、そうさせてもらう」
了承してしまった……。
ヘマは冷めた目で黒燕を見たが、黒燕は目を合わせなかった。
笠を被り、ヘマは使用人の娘の姿で人気のない路地をすいすいと歩いた。あまりに迷いなく歩くものだから、まるでそういう夜の生き物みたいで、てんで怯えた使用人の娘には見えないものだから見張りの1人に配属された組合の人間はこりゃ本当に配役を違えたかもしれない、と思った。
しかし、夜もふけり街の音も虫が鳴くばかりになった頃にヘマは物陰から伸びてきた腕に引っ掴まれて暗い路地の土の上に引き倒された。
すぐさま顔を上げれば、ヘマと目が合った男は鼻息荒く興奮した様子で唾を飛ばしながらほとんど金切り声に近い声を上げた。
「おッ、お前だ!! お前に違いない!! お前を探していたんだ!!」
「はあ?」
「化けモンッ! 俺の兄キを食った化け物だ! やっと見つけたッ、ころ、殺してやるッ!」
確かにヘマは人食いの化け物だが、あまりに心当たりのない話にどう上手く返せばいいのか悩んだ数瞬の間に、男が短剣を振り上げた。
それは誰の肉にも刺さることはなく、暗闇から伸びてきた黒燕の手が男の腕を捻り上げた。短剣はカランと夜の闇の中に乾いた音を立てる。
「青鹿ッ、怪我は───」
「離せェええッ!! アレが俺の兄キを食った化けモンなんだ! 兄キの仇だッ!」
黒燕は目を丸くしてヘマを見た。ヘマは半分呆れたような顔だった。
「何度も言うが食ってない。人食い違いだ」
「…この男は、人食いを探して…人を殺してたのか?」
「そッ、そうだ…! 人食いがこの街にいるって聞いたんだ…。俺の兄キを目の前で食った化け物がッ! 殺させろッ、間違えられたヤツらにゃ悪いがこの化け物は殺さなきゃならねェ!」
人食いがこの街にいると聞いた? 変なことを言う男だ。ヘマは訝しんだが、黒燕の顔色はみるみる悪くなった。
「お……俺が、この街に連れてきたから、5人も…、し、死んだのか……?」
ヘマはつくづく黒燕は変な人間だと思った。今腕を捻り上げているこの人殺しだって、黒燕はやろうと思えば躊躇なく殺せるだろうに。
ヘマは優しいので、黒燕に柔らかい声で子供に教えるように話してやった。
「黒燕、何をバカなことを言う。全く、お前は騙されやすいにも程がある。コイツの兄貴とやらが目の前で人食いに食われてる時にコイツは何をしてたんだ? 人食いにのこのこついてきて鼻の下を伸ばして下履きを脱いだバカな兄貴は死んで、コイツは下履きをあげて逃げたからここにいるんだろう? 下履きをあげた後に食われてる兄貴を尻目にその短剣を握らなかったのはどうしてだ? 人食いは人を食ってる時が1番無防備だぜ? 今は短剣を振り回せるのはどうしてだ? 犯せば人食いでないと分かるのに殺したのはどうしてだ? なあ、黒燕?」
ヘマは喋りながら目を細めて男と黒燕とを順繰りに見つめ、薄く笑った。
月明かりの下で見るその顔はまるで美しい毒花のようだと黒燕は思った。
「う、あ、ああアアッ!!!」
男が叫びながらやたらめったらに自由になる手足を振り回しヘマに掴みかかろうとするのを黒燕はほとんど反射的に身体に染み着いた技術で素早く制圧して、男の身体を地面に押さえ込んだ。
時間にして数分の出来事だったが、黒燕にはひどく濃く感じられた。
待機していた組合の連中も遅れて駆けつけてきて、取り押さえられた男は狂乱の有様だった。
「オイッ、やめろ! 離せッ! アイツだ! アイツが人食いの化け物なんだ! あの美しさは間違いねえ、人食いだ!」
「狂ってやがる。美人がみな化け物だったら世の中おしまいだぜ」
「証明してやるッ! アイツを犯させろ! そうすりゃモノを噛みちぎって本性を現すんだ! 嘘じゃねえ!」
「黙れッ」
細い目の男がその言葉に額に青筋を浮かべて、喚き散らす男を殴った。男が黙るまで、何度も。
ヘマは何も言わず、黒燕の太い腕にしがみついて離れなかった。
端から見ればヘマは怯えているように見えただろうが、黒燕はこの得体の知れない化け物に、少し力を入れてしまえば簡単に折れてしまうこの細腕に、捕まえられていると自覚させられるようで、背中に冷たい汗が流れた。
男は憲兵に引き渡され留置所に入れられたが、翌朝に牢に見回りに来た憲兵が牢の中で自分の服を裂いて作った紐で首をくくっていたそうだ。
黒燕は昨夜からずっと浮かない顔をしているが、それを聞いてからさらにしょぼくれて、大きな身体を萎ませているようだった。萎んでしまったらヘマは食べられる量が減るのでヘマは黒燕を励ましてやることにした。
「黒燕、そう気を落とすな。あれはあの男が全部悪いのだ」
「…だが……、あの男が言っていたことは真実じゃないか。この街に人食いが……お前がいるから……」
「黒燕が止めなければおれはこの街で2、3人食べたかもしれないぞ。黒燕は立派にやっている。それにあの夜言った通り、あの男が本当に人食いを探すつもりがあったなら黒燕と同じようなやり方にすべきだったろう?」
ヘマは黒燕に都合の良いことを囁きながらその広い背中をポンポン叩いてやる。肉が詰まっていて美味しそうな良い音がする。
「……あの男が首を吊ったのはお前の言葉が原因だろう」
「はあ」
意外な切り口で責められたのでヘマは気の抜けた声が出た。それこそ人殺しの黒燕に責められた話ではないのではないか。とうとう眉間に皺を寄せすぎて脳がおかしくなってしまったのか。
「お前に人を殺させないように…と、俺は……気を遣っていたのに」
「はあ」
自分の完璧な仕事に傷がついたので凹んでいるのか? 黒燕の考えることは時々、いや、いつもよく分からない。
「おれが人を殺さなければ人食いでなくなるわけでもないのに」
「…………」
「黒燕は人殺しでも人間だろう」
「…ああ………」
黒燕は返事なのかため息なのか分からない声を出して、俯いた。
「それより、良かったのか? あの男、死んでしまったのは黒燕にとっては損失だろう」
「……なぜ」
「本当に呆けてるな…。この街に人食いがいるとあの男に告げた奴がいるだろう。そいつは何故いると分かったんだ?」
「……!」
黒燕はがばと身体を起こしてヘマをまっすぐ見つめた。ヘマが黒燕に告げた言葉を思い出す。
「人食いには───人食いが見分けられる」
つづく