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    Mame___144

    @Mame___144

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    Mame___144

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    最終回です。死体損壊と自殺と人間が食べられる描写があります。
    前の話→https://poipiku.com/208731/8722864.html
    1話→https://poipiku.com/208731/7941648.html

    ##小説
    ##人食い

    人食いの化け物の話 5(終)9

    「人食いには───人食いが見分けられる」

     人食いのヘマはかつて黒燕にそう言った。
     そして、人食いを探すためだと言って5人も人間を殺した半ば狂った殺人者は、「人食いがいると聞いてこの街へ来た」と言った。
     ならば、その殺人者にそう話した何者かこそ、人食いの化け物である可能性がある。

     しかし、肝心のその殺人者は何も話すことなく憲兵の目を盗んで首をくくってしまったので、黒燕はその痕跡を辿るのに苦労した。
     その男は泊まる宿を転々と移しており、この街にいつから滞在しており、どこから来たかさえ探るのは困難を極めた。
     あちこちで聞き込みをして、結局はざっくり北の方から来たらしいという程度の情報しか掴めなかった。
     黒燕は頭をガシガシ掻いて、眉間のシワを濃くした後に、ふとヘマの顔を見て言った。

    「……そうだ、青鹿。この街にはお前以外の人食いの化け物は確かにいないんだよな?」
    「うん? いないんじゃないか? あの男以外の手で人が死んでないし、ここじゃ死体を燃やすから食べられる死体もないからな」
    「じゃあ…、あの男が言った人食いはお前で間違いないんだな?」
    「知らん。全部の街に『あの街には人食いがいるぞ』と吹聴してるかもしれんし」
    「………。仮に、あの男が言った人食いがお前のことだとして、それを教えたやつはどこかで青鹿に会ってるんじゃないか? 覚えはないか?」
    「え……うーん……。人間の肉とか食べたら思い出すかもしれない……」
    「……切った爪とかでいいか」

     黒燕は呆れ顔で、投げやりに返事した。

    「えーっ、まあ、くれるなら貰うが……」
    「食べるのか……」

     ヘマはヘマで、貰えるものは何でも貰う主義だった。

    「それで? 覚えはあるのか?」
    「ないな。流石に見かけたら覚えてると思うんだが……俺は目立つから、遠くからこっそり見られてたとかだったら気付かないかもしれないな…」
    「…………」

     八方塞がりだな、とヘマは思った。

    「どうするんだ? 黒燕。いくらなんでもここから探し出すのは無謀だぞ」
    「いや……、一時的にここから拠点を移そうかと思う」
    「は!? 正気か?」
    「……まずは聞け。他の街の組合で仕事を受けながら俺が人食いを探してるという話を流す。目立つお前がいるから、すぐに話は広まると思う。そうしたら、あの殺人犯に人食いの話をした奴が、何かしらの形で向こうから接触してくるかもしれない」
    「またおれに囮をしろって?」
    「……そうだ。すまない」

     それで本当に上手くいくのだろうか? 下手したら何年待ってもなんの成果も得られない可能性だってある。ヘマは元々決まった棲家など持たない流浪の生き物だが、黒燕は違うのではないか。黒燕は結構雑でバカな人間だから、新しい土地で騙されたりしないものか。この土地の人間はアホの黒燕に手厚くしてくれているのはヘマにだって分かった。
     黒燕が勝手に騙される分にはどうでもよいが、仕事をする代わりに黒燕に守ってもらうと約束した今では、そうなるとヘマにも累が及ぶだろう。全く迷惑な話だ。

    「何年待っても来なかったらどうするんだ?」
    「なにも俺も死ぬまで待つつもりはない。燕は渡りをする鳥だが、いつも同じ所に戻ってくるだろう」
    「黒燕は燕じゃなくて人間だろう」
    「……お前には情緒というものがない」

     黒燕はヘマの髪をくしゃくしゃと掻き回した。

    「拠点を移すといっても、あの殺人犯が北から訪れたのが真実かどうかも分からない。北だけで活動するというよりも、一時的に活動範囲を広げると考えてほしい」
    「ふうん……」

     そもそも、よく考えてみればヘマにとって黒燕が人食いを見つけて復讐を終わらせることに何の益もない。むしろ、お払い箱になる可能性だってある。
     思いついたからつい、まだ気づいてない黒燕のアホ面の鼻を明かしてやったらさぞ愉快だろうと思って「人食いかもしれないぞ!」と囃し立ててしまったが、早まったかもしれない。
     あまりに仕事に役に立たなければ黒燕が人食いを見つける前にヘマに愛想を尽かして殺してしまうかもしれないが、先の事件では囮役まで引き受けたのだ。もっとこれにあぐらをかいて半年くらいのうのうと暮らせば良かった…。黒燕の、ヘマを危険に晒した罪悪感を刺激してやれば大半のことは言うことを聞くとヘマはたかを括っている。
     それをまた囮役をやらされるとは……。
     なので、黒燕のこの計画はヘマにとって、ものすごく面倒くさく、かつ、自分が言い出した手前反対もしづらいものであった。
     しかしヘマには恥というものはないので、この面倒な仕事をせずに済むような理由をなんとか捻り出そうとした。

    「あ、そうだ。おれが人食いと見破った奴がこの街に来てたのなら、なぜあの男じゃなく黒燕には話さなかったんだ? 黒燕だって人食いを探してるだろう?」
    「俺が人食いを探してることは親しい者にしか話したことがない。別に隠している訳ではないから組合の連中はなんとなく程度には把握しているが、俺が直接話したことがあるのは組合の連中の中で5人程だ。あいつらもわざわざこんな話を言いふらすようなことはしないから、組合の外で知っている奴はほとんどいないだろう」
    「そ、そうか……。ふーむ……。組合の連中以外に話したことはないのか? 例えば家族とか」
    「俺に家族はない」

     おや? とヘマは思った。
     弟を殺した人食いに復讐を願うほど、家族想いのはずの黒燕が家族の話になった途端に表情を固くして、冷たく言った。なにかあるな、と直感的に感じ取ったものの、そこから面倒な仕事を黒燕に諦めさせる理由は捻り出せそうになかったのでヘマはすぐにどうでもよくなった。

    「えーと……、活動を広げることで俺の正体がバレる危険が増えるんじゃないか? もしそうなったら人食いを匿ってた黒燕は悪人だぞ」
    「……青鹿。お前、囮がやりたくないから、やらなくてもいいように俺を諭そうとしてるだろ」
    「…………」

     目を泳がせるヘマに、黒燕は目線を合う高さになるように屈んで優しく肩に手をおいた。

    「お前に負担を強いる作戦なことは分かっている。お前を守ると決めたのは俺なのに、不甲斐ないとも思う。本当にすまない。お前の負担を軽くする為に、できることがあればできる限り努力しよう。なんでも言ってくれ」
    「じゃあ黒燕の腕の肉とか食べていいか?」
    「ダメだ」

     即答だった。

    「前にも言ったが俺の腕は商売道具だし、お前を守るのにも必要だ。理解してくれ」
    「じゃあなんか余ってる肉とかないのか」
    「……俺の腹に余った脂があるように見えるか?」

     見えない。無駄に無駄のない身体しやがって…。ヘマは黒燕の美味しそうな身体を恨めしく思った。
     仕方ないのでヘマは前向きに考えることにした。つい数月前までは、人間から隠れながら墓を探し歩くような生活をしていたのだ。それが今では、いつでも飲んでいい血袋が、他の人間からおれのことを守るとまで約束してくれているのだ。
     もしおれの正体がバレたって、義理堅い黒燕は自分が死んだっておれのことを守るだろう。そうなったら、黒燕のことを綺麗に食べてやろう。黒燕の弟を食べて骨だけ遺したという変テコな人食いとは違って、おれは黒燕の骨から髪の毛の一本まできちんと食べてやる。黒燕はおれに懐いているから、きっと本望であろう。

     それから、黒燕はよく働いた。
     ヘマは言われた通りに黒燕についてまわるだけだったが、人食いに家族を殺された美少年とそれに付き添う腕利きの巨躯の男はよく目立ち、噂はだんだんと広まっていった。
     仕事の範囲を広げても人食いは見つからず、殺人犯への情報提供者もなかなか現れない。

     しかし一方で、この仕事を始める前は乗り気ではなかったヘマは一転、噂のひとになったことでよく人間にチヤホヤされるので、存外にご機嫌であった。
     黒燕はあちこち駆けずり回ってよく働き、その上ヘマに血を飲まれているので、ヘトヘトになることもしょっちゅうだった。ヘマは黒燕に潰れられても困るし、なによりご機嫌だったのでよく黒燕の面倒を見る風な真似事をした。
     ヘマは寝そべった黒燕の背中に乗って踏んでやったり、腕や脚を揉んで按摩してやったが、大抵ヘマが美味しそうな黒燕の肉に涎を垂らし始めるので、黒燕の大きい掌に額を掴まれて押し除けられるのが常だった。
     黒燕はヘトヘトになって働く分、他人から感謝された。元より人一倍よく働き損をする性分の黒燕は、人食いを探しているという情報をばら撒いていても市井の人間から好かれた。黒燕も顔には出さないがそのことに悪い気はしていないようだった。
     ──いっそ人食いを探すことをやめてもいいのではないか。
     おせっかいな人間にはおせっかいな人間が寄ってくるのか、度々そう言う人間が現れもした。そういうのは大概、ヘマではなく黒燕に声をかける。黒燕の前途を心配しているのだ。
     ヘマは黒燕に人食い探しをやめてもらってはお払い箱なので、そういうのが来る度に追い払ってやるつもりでいたが、大抵その前に黒燕の方からキッパリ断ってしまうのだった。
     黒燕のこういった行動は大変自分に都合が良かったのでヘマは何故そうも黒燕が人食い探しにこだわるのか考えることはなかった。

     あちこちで仕事をすれば、当たり前に盗賊討伐だとか、人殺しの仕事も入る。そういう時もヘマは同行した。
     (隙あらば死体を齧りたいのは当然として)案外盗賊の中に人食いが紛れ込むというのは悪くない手なのだ。盗賊は人を殺すが、その死体から金目のものを奪ったり女の身体を弄りまわしたりするものの、その後の死体には興味が無い。だから、死体のひとつふたつ食ったとてバレやしないのだ。
     そう進言して、渋る黒燕にヘマは同行した。死体食べたさに言った言葉だが、嘘ではなかった。しかし、この盗賊の中にも人食いは紛れてはいなかった。
     いつも通り、黒燕が抵抗した人間は粗方殺し、命乞いをした人間は憲兵に引き渡すために捕縛する。
     黒燕が抵抗の意思を失った盗賊を縄で縛りあげている間に、目を盗んで死体に齧り付こうとすると、目敏い黒燕から声が飛んでくる。

    「オイ! 青鹿!」

     素早く盗賊の縄を締め上げると、黒燕は今度はヘマの首根っこを掴んで動きを封じる。

    「約束を忘れたか」
    「約束? おれを飢えさせないというやつだろう?」
    「違う。いや、そうでもあるが、人は食わないという約束だ」
    「そもそも何故人を食うことが悪いことなんだ? 人間もひとつも食うものがなくなって飢えた時は人間の肉を食うと言うぞ。そうして生き延びた人間が死後人食いになるんだ」
    「……!? 本当か、それは」
    「ウン……? これは殺されそうになった時に言うやつだったか…?」
    「………他にはどんな話があるんだ?」
    「病気の妹とか、人食いに攫われてきて人の肉で食い繋いでいた人間なのです……とか?」
    「あまり本気にしない方がいいようだな」

     黒燕は深くため息をついて、そのままヘマを抱えて地面に下ろすことなく仕事を終えた。ヘマは大層不服であったが、その仕事の後に黒燕の温かく美味しい血を多めに飲ませてもらったので不問にすることにした。
     黒燕には定期的に鬱陶しい虫がついて面倒だが、ヘマはチヤホヤされるし黒燕は温かい血を飲ませてくれるし、案外悪くない生活ではないかと思っていた。

     しかし、そうした生活は突然に、例の情報提供者の出現によって終わりを告げる。


    10


    「ああ、あなたが黒燕さん…でございますよね」

     ふと、仕事のない日にその街の組合の酒場の片隅でヘマに料理を食べさせていた黒燕は声をかけられた。
     またぞろ黒燕にアレコレ言いたがる輩かと思い顔を上げると、声の主は旅装を身につけた細面の若い男で、どことなくヘマに雰囲気が似ていなくもない。
     ヘマは何となくどこかで見たような顔な気がして、あんまり自ら掘り返すことのない記憶の山を掻き分けた。

    「あ!」

     ヘマは一声上げて、握っていた箸を取り落としてサッと黒燕の後ろに隠れた。ぎゅうと黒燕の服の裾を掴むおまけ付きで。

    「青鹿…?」
    「人食いに名前をつけていらっしゃるのですか」

     その言葉に黒燕が射殺すような目つきで細面の男を睨み、空気がピリリと変わった。

    「人食い狩りだ……」

     黒燕が男に正体を問いただすよりも先に、ヘマがそれを口にした。
     その男は、ヘマと暮らしていた同族を皆殺しにした人食い狩りのひとりだった。

    「ええ、私は人食い狩りの家の者です。人食い独特の香を纏って、人食いの群れに混じって殺すのです。人食いは姿を変える生き物ですから、知らぬ姿の人間が入ってこようと、匂いさえ同じであれば気づくことはないのです」
    「何をしに来た。赤煉の街で5人殺した男は貴様の差金か」
    「…………」

     男は少し沈黙し、悔しげに顔を顰め唇を噛んだ後に再び喋り出した。予想に反して、彼は酷くしょぼくれた様子に見えた。

    「そうではありません。しかし、責任は私にあります。それを謝罪しに来たのです」
    「謝罪?」

     男は深々とつむじが見えるくらい頭を下げた。もし周囲に人目が無ければ地に額をつけていたであろう。

    「あのような事件になったことは、私の本意でありません。あの男とは、ただ酒場で知り合っただけの仲でございます。しかし…あの事件が起こったのは確かに私の責任です」

     話が長くなりそうな気配を感じた黒燕はヘマが落とした箸を拾い上げ、しょぼくれた男に席を勧めた。そういう所がお人好しなのだとヘマは呆れる。

    「酒は」
    「すみません。禁酒しているのです」
    「…では、お前の名前は」
    「明暮と申します」
    「生まれは」
    「人食い狩りの里にございます。ここより北に二つほど山を超えた所にある隠れ里です」
    「隠れ里の場所をそう簡単に教えるものか?」
    「よいのです。人食い狩りは私の代で終いでございますから」
    「なぜ」
    「貴方様も人食いを探しておられるというのなら、お分かりではないのでしょうか」
    「…………」
    「人食いはもう、人食い狩りによって狩り尽くされてほとんど滅んでしまったからです」

     黒燕は目を見開いて、わずかに顎を震わせた。ヘマなんかよりも余程、瞳を絶望の色に染める。人食い狩りの男は、それに気付かない様子で話を続けた。

    「…そ、う簡単に、口伝で伝わるほど昔からいるものが、滅びるものなのか?」
    「先程申し上げた人食いの香が、私の先々代が考案したもので、これが覿面の効果があり……人食いと連れ添っているのなら分かるでしょう。人食いは非常に利己的な生き物です。もし狩り逃した人食いがいても、同族の香りがする者から殺されかければ、2度と同じ香の者には近づきません。人食いは他の人食いに『こういう手合いの者が殺しに来たから気をつけるように』だとか忠告することがないのです。なのでこの駆除方法は人食いの間に広がらず、私の代では人食い狩りとは、ほとんど作業のようなものでした」
    「…青鹿、お前の同族は皆、人間に殺されたと言うがこれは本当の話か」
    「いや…、おれは寝てたら同族がワアワア言いながら殺されてて慌てて逃げただけだから初めて聞く話だ」
    「…………」
    「それより、5人殺しの男の方の話は? 本題じゃないのか?」

     ヘマは人食い狩りの言う様に、もし同族に見える相手から襲われたことがあれば黒燕の人食い探しに協力することにもっと頑なに拒絶を示しただろうが、その通りだと言うのはなんだか癪なのでそのことは黙っていることにした。黒燕が呆れたような寂しいような顔でこちらを見るので、話題を変えた。

    「ああ、そうです。その話の方がずっと重要です。あれは半年ほど前のことで──」

     酒場でたまたま知り合った男でした。素性も、名前すら知らなったのですが、常連のようでいつ行ってもいるような男。店からはよくツケの催促をされていたようでしたが。
     当時の私は成人して以来飲めるようになった酒をよく気に入って若いながらに酒を嗜むのが趣味で、常連というほどではないですが、よく仕事の合間に酒場に足を運んでいました。…いえ、もう酒は飲まないと誓ったのですが。
     とにかく、酔っていない時の彼のことはよく知らないのです。よく話す人で、他の客に絡むのが好きなようでした。嘘か誠か分からぬ話ばかりする人で、時折夢見るように遠くを見つめているような人です。私はその人にどこか、死んだ兄に似た所を感じていました。兄を尊敬していたわけではありませんし、仲が良かったわけでもないのですが、懐かしい気持ちになっていたのかもしれません。
     ええ、気の緩みです。私の不肖の致すところでございます。
     ふと、人食いの化け物の昔話の話題になったのです。私が人食い狩りの家の出とは周囲に伏せており、皆、人食いなぞ御伽話の存在だと思っておりました。特に、人食い狩りの里が近くにあるものですから、到底人食いなんて出ない場所ですから……。
     そこで酔った私は、酒場で皆が嘘か誠か分からぬ話をするように、人食いの話がしてみたくなったのです。ええ、はい。間違っております。こんなことはすべきではありませんでした。あまりに上手くいく人食い狩りに、私は調子に乗っていたのです。
     人食いには特有の香があり、それを嗅ぎ分ける訓練をした者がいるのだ。それには幼少の頃から訓練を積み、やっと習得するのだ。そういう話をしました。それだけにするつもりでした。
     しかし、彼──件の、5人殺しの彼です──は、異様にその話に食いつきました。もっと話を聞かせろと言うのですが、私の仕事の話をするわけにもいきません。そこで私はふと、仕事で各地を回っていた時に立ち寄った貴方の街──赤煉の街で、薄く人食いのような香りが鼻を掠めたことを思い出しました。……まさか、本当に人食いがいるとは思ってもみなかったのですが……、当時はどこかに同業の者がいるのかと思っていました。ええ、人食いを探す赤煉の街の者がいると聞いて、貴方がどこからかその香を手に入れて、纏っているのだと思っていました。この場でその人食いを見るまでは。
     ……話が逸れました。すみません。あまり人に話すような仕事でないので不慣れなのです。
     それで、彼に、それを話したのです。私の知り合いの知り合いに、その香を嗅ぎ分けられる者がいて、赤煉の街でその香を嗅いだことがあると。まさか、まさか彼がそこへ行くとも、あんなことをするとも思っていませんでした。
     ええ、いえ、言い訳です。私はすべきでないことを行い、それが最悪の結果となりました。私の軽口が無ければ5人の人間と、彼は死なずに済んだはずで───

    「もういい」

     黒燕は若い人食い狩りの話を制止した。

    「ですが」
    「俺には、もういい。お前が償いを望むのなら、赤煉の街に行き、まず組合に、それから殺された者の家族を訪ね、全てを詳らかに説明すればいい。下げたいだけ頭を下げればいい。……あの男…お前の、酒呑み仲間だった男は……焼かれて灰となったが、墓地にはいない。重い罪を犯した者は墓に入って弔われることは許されない。少なくとも、俺の街ではそうだ。だから、街から離れた所にある沢の近くに埋められ、目印に板が立てられる。謝りたいのなら探すといい」
    「あなたは……なぜ、もういいのですか」
    「俺は……、俺は、街の者が5人殺されたことに義憤を燃やしてお前を探していたのではない。俺の弟を殺した人食いを探す当てを、期待して……。生きた人間を5人弄んで殺した男と、6人の人間の死を自分の復讐の好機と捉えた俺の……どこに差があるんだ。俺に謝られる資格は無い」

     なにを気にしているのか分からないが、黒燕がまた難しいことを考え込んで眉間の皺を深くする。ヘマは掴んでた裾をそっと離して、少し丸くなる背をさすってやることにして、後ろから囁いた。

    「黒燕、何をそんなに落ち込むことがある? お前はそいつらの死を無駄にしたくなかったんだろう? 優しいことじゃないか」
    「違う……。それ以上何も言うな、青鹿」
    「むぐ」

     言うな、と命令しつつも物理的にでかい手で口まで塞がれた。なぜ黒燕はおれが命令を聞かないと思っているのだろう。ヘマは不思議に思った。

    「……黒燕さん。あなたはその人食いを飼っていらっしゃるのですか」
    「…………」

     若い人食い狩りは、ヘマを鋭い目で見つめた。狩人が畑を荒らす害獣を見る目だった。

    「……差し出がましいようですが、人食いを探すために、それを飼っているのなら、早く処分することをおすすめします」
    「お前が殺すとは言わないのか」

     ヘマはギョッとして黒燕の横顔を見た。いつも陰気臭い顔をしているが、今日はいつにも増して暗く、表情の読めない顔だった。

    「……人食い狩りは、人食いを殺す研究の為に、人食いを捕まえて一時的に飼うことがあります。奴らは、血液だけでも持続的に与えれば死にはしない。人食いの香もそうした研究の成果です」
    「……それで?」
    「私の兄はその研究者でした。人間が人食いと親交を深めるのはさして難しいことでも、珍しいことでもありません。兄も多分に漏れず、その人食いと次第に仲を深めているようでした。ある日、兄は片腕をその人食いに食われました。拘束された人食いが人間を襲って食べるなんて、腕力に欠けるあの化け物には到底あり得ないことです。兄が、自ら差し出したのです。その人食いの望みに応えて」

     黒燕の背中にへばりついたヘマには、彼が小さく息を呑む音が聞こえた。

    「兄は謹慎を言い渡され、その後に兄の腕を食べた人食いは里の者によって殺されました。それを知った兄は狂乱して、その報せを持ってきた里の者と監視を殴り付けて逃げだし、人食いが監禁されていた部屋で後を追うように……」
    「何が言いたい」
    「人食いは、利己的で、刹那的な生き物です。たとえ殺されると分かっていても、人の肉が食べられると分かれば、何よりも食べることを優先します。その手管がいくら周到であろうと、求める結果は短絡的なのです。人食い狩りに捕えられた人食いはいつも、人を食べて殺されるか、人を食べようとして殺されるかのどちらかの死に方しかしません。
    ……恥ずかしい話ですが、人食いに人を食べさせてしまった人食い狩りは、私の兄だけではありません。時折、酷く人食いに魅入られてしまう者がいるのです。そういう人間は、人食いを殺されると酷く荒れて……碌な人生を送ることはできません」
    「俺がそうなると?」
    「いえ……。ですが、できるだけ未練は残さない方がいいと私は思います」

     人食い狩りは、それから二、三のことを黒燕に言い残して去って行った。黒燕に言われた通りのことをしに、赤煉の街に向かうようだった。
     黒燕はふらふらと酒場を後にして、宿に戻ってきた。ヘマもそれについて行った。逃げ出しても、山の中ならいざ知らず、知らない街の中で見かけの大きさにも関わらず素早い黒燕の足の速さに敵うはずがなかったからだ。

    「黒燕、おれを殺すのか」

     いつだかに聞いた問いを、ヘマは再び黒燕に投げかけた。

    「…………」

     黒燕は中々答えないので、ヘマは懸命に死なずに済む方法か、死ぬ前になんとか人間が腹一杯食える方法を考えた。
     人間を腹一杯食べるのは難しい。いくら黒燕が馬鹿だからといって最後の1匹になった人食いをそう簡単に逃すわけがないのだ。
     これまで立ち寄った街でも未だ土葬の地域だってあったが、そういう場所では黒燕はヘマを布団で簀巻きにして、括った紐を柱に結びつけてから寝た。ヘマは変化を解いて黒燕の爪の甘いことを心中で嘲りながらナメクジのように布団から這い出てやったが、服も一緒に脱げてしまったので適当に荷物を漁っているうちに気付かれて捕まってしまった。それからはずっと黒燕の布団の中で寝かせられた。黒燕は野生の動物みたいに眠っている時も周囲の動きによく気づく。ヘマの脱出はほとんど不可能になってしまった。当然、ヘマの動きに注意しながらでは黒燕の眠りも浅くなるだろうが、黒燕はずっとそうした。執念深いのだ。
     ヘマが黒燕に殺されないためには、理由が必要だ。これまでは人食い探しの専門家であったが、なにか、それ以外の役割だ。それこそ人食いの疑似餌でなく本当にこの可愛い外見の肉体を黒燕に抱かせてやれれば、それもひとつの手としてあっただろうが、人食いの化け物には穴は食事のための口のひとつしかなく、口に入れたものは反射的に食べてしまうので無理な話だろう。
     どうしよう。黒燕が欲しがるもの…。黒燕に足りないもの…。おれにあって黒燕にないもの……。なんだ! 簡単な話ではないか!
     黒燕は愚かなくらい馬鹿正直で損をする性格なので、賢いおれが黒燕の役に立てると証明すればいいのだ!
     
    「そうだ、黒燕! なにか悩み事はないか。賢いおれが解決してやろう。おれは役に立つぞ。そう分かればお前もおれを殺す気が失せるだろう!」

     ヘマが嬉々として黒燕にそう言うと、黒燕は肩を落として長い長いため息をついた。しかしもう眉間に皺はよっていなかった。

    「なにかないのか? なんでもいいぞ!」
    「……いや…、今1番悩んでいたことはさっきどうでもよくなった……」

     なんだと! それは困る。きっと人食いがもういないということだ。いないものを探すのは全く無駄な行為だから、黒燕はきっとどうでもよくなってしまったのだ。ヘマは困った。ウンウン唸って、これまた慣れないことに、これまでの黒燕の話を記憶から色々掻き出して振り返ってはなにか解決してやれることはないか探した。
     人食い……人食い狩り……組合の美味い料理……黒燕の弟……復讐……美味しかった人間の肉……黒燕のあたたかい血……弟の骨……。

    「あっ!!!」
    「今度は何を企んでいるんだ?」
    「そうだそうだ、変だと思ってたんだ! さっきの話を聞いてようやく分かったぞ!」
    「なにを」
    「黒燕の弟のことだ!」

     黒燕はヘマから弟の話を持ち出されるとは露とも思っていなかったようで、驚いて体を硬くした。

    「黒燕は弟の骨が残っていたと言ったよな?」
    「あ、ああ……」
    「おれが黒燕の殺した盗賊を食べた時のことは覚えているか?」
    「そりゃ……忘れたことはない」
    「おれが食べた盗賊の腕の骨は残ってないだろう?」
    「な……」
    「人食いが食べたのに骨が残ってるのは変だ。おれたちはこう見えて本当は大きな口がついた袋みたいな形をしていて、その中に人間を丸ごと入れて骨まで溶かして食べるんだ。だからわざわざ、骨だけ残して捨てるのなんて変わった趣味のヤツだと思ってたんだ」
    「なにを……」
    「その時はそういうヤツもいるのかーと思っただけだったが、アイツの先々代から人食いは減ってるんだろ? しかも子供を騙して食ったのも変なんだ。人間は子供を食べると親がやっきになって探すから、その場所での狩りは終わりになってしまうからな」
    「なにを言っている……?」

     ヘマは得意満面にその答えを黒燕に突きつけた。

    「黒燕の弟を殺したのは、本当に人食いの化け物なのか?」


    11


     ──黒燕の弟を殺したのは本当に人食いの化け物なのか?

     黒燕は自分が足をつけている地面がぐわんぐわんと揺れているような心地がした。人食いの手がかりの尻尾を掴んだと錯覚した時の喜びとは全く違う、足がすくむような感覚。


     黒燕の生家は所謂歴史のある名家というやつで、黒燕は双子の弟の白陽と共にその家の跡取り候補として産まれた。
     黒燕は元気でそこらの山野を駆け回って遊ぶようなやんちゃな子供だったが、白陽は身体が弱く、黒燕と同じように遊べば翌日には熱を出してしまうような子供だったので、いつも窓辺から黒燕に手を振るばかりだった。
     代わりに書物や勉学と親しくなった白陽は心根が優しく、聡明で、いつでも公正な人であった。黒燕はそういう白陽を尊敬していて、誇りに思っていて、大好きだった。

    「黒燕、人にはそれぞれ、どうしてもできないこととできることがある。だから皆で助け合って、補い合って生きていくものなんだよ。君はきっとすごい人になれるだろうから、余計にこのことを忘れてはいけないよ」

     白陽はよく黒燕にそう言った。
     黒燕からしてみれば、白陽の方がずっとすごい人で、彼がこの家の当主になった時に、この人を支えるのが自分の仕事なのだと思っていた。
     黒燕は弓はからっきしだったが、剣だけは年若い頃から大人顔負けに強かった。14になる頃にはその街で黒燕に勝てる者はいないほどだった。
     しかし黒燕はそのことを鼻にかけるようなことはしなかった。白陽の言う通り、俺には白陽のように他人に助言をしたり、公正に判断することもできない。剣は有事の時にしか役立たないが、白陽の言うことが役に立たない時はなかった。白陽の方がよほど人の役に立つすごい人で、俺は俺にできる手伝いがしたい。それが黒燕の夢だった。
     
     前日の夜におやすみなさいと挨拶を交わしたはずの白陽が消えたと揺り起こされて告げられたのは、日が地平からやっと上り始めた早朝のことだった。親戚や街の住人が総出で捜索し、その日のうちに、山の中で白陽と同じくらいの背丈の、まだ所々に点々と赤い肉が残った人間の骨が見つかった。
     白陽は人食いに攫われて食われたのだと言われた。頭蓋は砕かれて中身を啜られたように掻き出れていた。
     黒燕はあまりのことに頭が真っ白になって、それを囁いたのが親戚のうちの誰だったのか定かでない。
     それから半月ほど黒燕は自失し、あることを思いついた。
     白陽がいないのに、俺が当主になっても仕方がない。俺には剣の腕がある。仇だ。仇をとろう。剣の腕ばかりの俺が、白陽にしてやれるのは最早それだけだ。
     当然、家族や親戚中から反対されたが、黒燕はそれらを聞き入れず、独りで出奔するように夜の街を出た。人食いはひと所に留まらないと聞く。なら、この街の山にはもういない。
     それから、人食いを追うに役立つであろう組合なる組織に身を寄せるようになって──。


    「どうだ? 心当たりはあるか?」

     人食いの化け物が目の前で笑う。にこにこと、自信ありげに。

    「青鹿、」
    「なに?」
    「………人食い、が……やった可能性は絶対に無いと言えるのか……?」
    「ン? んー…、まあ、絶対とは言えんな。おれは人間の料理が好きな物珍しい人食いだし、他に変な人食いが絶対にいないとは言えないだろう。人間は人食いを責めるが、人間にだって人間を食べる時があるのと一緒だな」
    「………………」

     黒燕は黙ったまま、意味もなく視線をうろうろさせて、ようやく喋り始めた。

    「調査が……必要だ。お前も協力してほしい」

     やった! とりあえず殺されることは防げたようだ! ヘマは自分の無事を喜んだ。


     それから、2人は黒燕の故郷を目指した。人間は自分の家が好きな生き物だから、黒燕も真っ先にそうするかとヘマは思っていたが、黒燕はそうしなかった。

     まず一番近くの組合の建物に寄り、身分を伏せて人食いの事件について聞いてまわった。皆一様に「十数年前の名家の坊ちゃんが食べられた事件のことなら知っている」とは口にするものの、他の事件は挙がらなかった。
     そりゃそうだ。本来なら人食いの食べた死体は骨ひとつ残らないので、ほとんどが行方不明事件となる。たまに人間の身体が人食いよりも大きくて、口の中に入り切らない時に邪魔な部分を噛みちぎってそのまま捨てるような人食いはいるので(昔のヘマはそういった食べ残しを食べて生きてきたのだ)、足首だけだの手首だけだのだけ見つかる怪事件として発見されることもある。そういった事件もここ何十年と聞かないという。
     
    「人間を一夜にして白骨に変えるようなことが人食いにはできるか?」

     黒燕から当時の顛末を聞かされ、そう問われたヘマは首を傾げる。

    「さあ…? そもそも人食いは人間を口に入れたら潰して食べる。蛇が鼠を食べる時みたいな感じだ。人食いは蛇と違って全部食べるけどな! 骨が残ってたとは聞いてたけど、その話の通り、背丈まで分かるような形で残されてたのなら相当変な食い方をしないとそうはならない」
    「……そうか……」
    「なぁ黒燕、逆に聞くが…人間は人間を一夜にして白骨に変えるようなことができるか?」

     黒燕は少し目を見開いて、顎に手を当てて考え込む。

    「…………青鹿、もし、お前が一夜で白骨死体を用意しなくちゃならなくなったらどうする」
    「ええっ!? なんでそんな面倒なことをしなくちゃならないんだ!」
    「例えばの話だ。本当にやるわけじゃない」
    「あ〜〜? うーん……」

     例えばの話でも、なぜそんなことしなきゃならないのか納得がいかない。もったいないし面倒だから骨まで食べたい。

    「人間から肉だけ剥がすのは大変だからそんな面倒なことしたくない……」
    「大変じゃなければできるのか?」
    「あー……、腐りかけの死体はむしろ骨だけちゃんと残っていて肉を集めるのが大変だった。あれなら骨と肉をバラバラにするのも分かるな。人間は一晩で腐ったりするか?」
    「そんなことはあり得ない……」
    「んーー……じゃあ、黒燕が何か勘違いしてるんだ。黒燕はしょっちゅう勘違いをしているからな!」
    「そんなことは……、……」

     黒燕は反論しかけてやめた。心当たりが多いせいだろう。

    「なら、何を勘違いしていると思うんだ? 青鹿」
    「じゃあ……、その白骨死体って本当に黒燕の弟だったのか?」



     黒燕の故郷では、墓地は山の中腹に建てられる。死に関するものは忌避され、生活から遠ざけるような文化圏らしかった。
     ヘマはここでなら赤煉の街とは違って墓荒らしは容易く、山には鬱蒼と茂った森まであるので身を隠すのにも最適だと思った。なんとも棲みやすそうな場所だ。もしここに人食いがいたとして、あんな馬鹿げた露見の仕方でこの地を去ったとすればかなりの馬鹿に違いなかった。
     黒燕と無言で墓参りのために整備されたであろう山道を歩き、墓場までたどり着いた。人気のないにも関わらず、墓石は綺麗で雑草もそう多くない。手入れしている墓守がいるようだった。
     黒燕は墓守が住んでいるらしい小さな小屋の扉を叩いた。それに反応して中から物音がしたので不在ではないのだろう。しばらくして、髭もじゃの世捨て人のような風貌の歳をとった男が出てきた。

    「あい、墓守なんぞに何用でございやしょう」
    「倫家の白陽という名に覚えはあるか」

     黒燕が挨拶も無しにそう告げると、墓守は目を見開いてがくがくと震え始めた。

    「あっしは……あっしはただ……」
    「何をしたんだ? 言ってみろ」
    「な、何なンだお前さんは! どこの誰なんだよ!」
    「黒燕という名に覚えは?」

     墓守はストンを腰を抜かして、木の床に座り込んだ。

    「あ、アンタ本当に黒燕の坊ちゃんにございやすか……ご立派になって……」
    「お為ごかしはいい。お前がしたことだけを話せ」
    「ど……どうかどうか、この卑しい墓守が話したとだけは誰にもおっしゃらないでくだせえ。あっしはあのお方らと違って死んでも顧みる奴がいねえんで、すぐに殺されちまう……」
    「白陽の身代わりもそうだったのか?」

     ヒュッ、と墓守が喉を引き攣らせるような小さな悲鳴をあげた。

    「ゆ……許してくだせえ……あっしは……やらなきゃあっしの死体が増えるだけの話で……」
    「…………分かった。お前のことは誰にも話さないと約束しよう」
    「ひ、あ、ありがとうございやす、ありがとうございやす」

     おどおどと墓守が話すに、十数年前のあの時分に身なりの良い男がやってきて最近死んだばかりの子供の死体を売れと言われたそうだ。握らされた袋には墓守の男が一生かけても手に入らないような額が入っていた。男はその重みに頭がすぅと冷えて身体が震えるのを感じた。
     身なりのいい男は麻布で顔を隠し、丈の長い外套を着ていたが、その腰に帯剣しているのが薄らと伺えた。
     これを断ったら、自分は殺されて、この「最近子供が死んで、ここに埋葬された」ということまで知っている男が、自分の代わりにその墓を掘り起こすだけなのだろう。
     人倫にもとる穢れた行為とは分かっていたが、墓守の男は命惜しさに震える手でその墓を暴き、大きな布に包んで中身が見えないように紐でくくりつけ、男に渡した。
     その後どうなったかは直接には知らないが、倫家の跡継ぎの坊ちゃんが人食いに食われて骨だけになって見つかったと聞いた。坊ちゃんは15、6の歳頃で、墓守が渡した子供の死体は14、5歳のものだった。
     きっと、渡したあの死体は非道にも腐った肉を削がれ…、その白陽という攫われた坊ちゃんはどこか見つからない場所で……。
     そういう風に、墓守は悲壮感たっぷりに話すので、ヘマは聞くのに疲れて外で蟻だとかを見て暇を潰していた。
     
    「その男のことで他に覚えていることはあるか」
    「何分、十数年前のことですから、なんとも……。あ…………」
    「何だ。何でもいいから言ってみろ」
    「鈴……たしか鈴のような音を聞きました。多分、剣かなにかに、ついていたんじゃねえかと……」

     それを聞いて、黒燕は苦虫を噛み潰したような顔をした。


    「聞きたい話は聞けたのか?」

     山道を下りながら、ヘマは黒燕に尋ねた。

    「ああ…………」

     黒燕はいつも言葉少なだが、それよりもさらに唇が重たそうに話した。

    「……小さな鈴を剣の装飾に施すのは倫家の慣わしだ。倫の名の通り、人道に則り不意打ちなどせぬように、と……」

     それを聞いてヘマはケラケラ笑った。

    「何だそれは! その剣を脅しに使ったのか! きゃはは! それで身元がバレていやがるのも笑える! 大した正直者もいたものだ!」
    「…………ああ、滑稽だな」

     対する黒燕の顔はひとつも可笑しさなどなく、重苦しい顔をしている。

    「……俺は、俺たちは、双子であるから……両方に跡取りとなる権利が同等にあった。俺は、当然素質がある者がなるのだと思っていた。俺は馬鹿で、机に向かうのはからきしだったからな」
    「確かに」
    「…………、弟は、白陽は賢い奴だった。色んなことを見通す力があった。勘違いだらけの俺とは正反対だった。……それが、疎ましい者が……身内にいたのだろうな」
    「ああ、当主には内緒で悪さをしていたのか。その白陽という奴が当主になればバレると思ったのか」
    「それもあるだろうが……、もし俺が、白陽と同じほどに賢い人間だったなら、こうはならなかったかもしれない」
    「なぜ?」
    「俺が……剣に夢中の馬鹿だから、使いやすいと思ったのだろう。俺を当主に据えて、適当に仕事をさせておけば、俺は身内の悪事を見抜けないから……」
    「確かに。俺がいなければここまで辿り着けなかったものな」
    「……その通りだ」
    「だろう! おれが役に立つことがよく分かってくれたようだな!」
    「はは……」

     黒燕は力無く笑った。覇気が全く無くて、今にも枯れてくず折れそうな木のような笑い方だった。
     可哀想に黒燕は、バカなので騙されていたのだ。それも信頼していた「人間」に。

    「そうだ黒燕! 人食いに騙されたと気づいた人間は人食いを殺そうとするぞ! 黒燕、もしかして弟を殺した人間を殺すのか?」
    「…………」
    「そうなら、おれにその死体を食べさせてくれ! おれは骨まで綺麗に食べてやるぞ! どうだ? こんなまどろっこしい方法で死体を隠す必要もない。おれは役に立つぞ」

     黒燕はヘマの顔を見つめて、眉をギュッと寄せて、何か言おうと口を開き、閉じて、やっと何か言う。

    「……いや……いい。俺は結局、家と縁を切って、当主にならなかったんだ」
    「だがそいつは生きてるんだろう?」
    「笑える話だが、今の分家の出の当主は酷く几帳面な倹約家で、家の隅から隅まで叩いて埃が出る所がないか探すような強い人らしい」
    「ほお?」
    「俺が当主にならなかったおかげで、その人が当主になった。その人はあの家の埃を全て叩き出したらしい。はは…、俺が当主とならないことで、もう復讐は済んでしまった」
    「そうなのか」

     ヘマはしゅんとした。折角黒燕に咎められずに人間を食べられそうな口実を見つけたというのに。

    「俺はもう人食いを探す必要がない」
    「む、そうだな」
    「俺はお前を殺すべきだ」

     えっ! ヘマは黒燕の思いもよらぬ発言に驚愕した。

    「なんて恩知らずなことを言うんだ!? おれが居なかったらずっと騙されてたんだぞ! 黒燕はバカだからな!」
    「そうだな」
    「うん!」
    「そうだ……」
    「そうだろうそうだろう。おれに黒燕を食べさせてくれてもいいくらいの恩だろう!」
    「……ふ、はは……」

     なんだか初めて、黒燕が故郷に帰ってきてからきちんと笑った顔を見た気がした。好感触だったのでヘマも嬉しくなった。

    「食べさせてくれるの!?」
    「ダメだ」
    「ケチ!」
    「お前は俺を食ったら次の人間を食べようとするだろう」
    「そりゃそうだが」
    「そうしたらお前はすぐ正体がバレて殺されてしまう」
    「そんなことないが!?」

     ヘマは酷い侮辱に憤慨した。多分そんなことはないはずだ。初めての1人食ったら勝手も分かるというものだろう。多分。そういうものだろう。

    「俺はたくさん間違える。だが、お前はさらに間違ったことをいつでもやる」
    「馬鹿にしてるのか!?」
    「していない。お前がいるから、俺はここまで来れたし、お前が馬鹿らしくなるほどに清々しく悪事を囁くから、俺は悪に手を染めようとは思えない」

     なんということだ。おれが誘ったのが逆効果だったらしい。次に誘う時はもっと上手くやろうとヘマは思った。

    「お前には大恩があるから、俺が生きてる間はずっと俺の血を好きなだけ飲ませてやる」
    「黒燕が死んだら食べていいか?」

     黒燕は何故だか少し驚いた顔をした。今さらおれが人を食べたがるのを驚くことがあるだろうか? 相変わらず不思議なやつだ。
     いつも突飛で考えなしのヘマはなぜ自分が黒燕に許可を得ようとしたのかという考えにすら至らなかった。

    「……その時に考えよう」
    「そっか!」

     じゃあそれまでにどうにかして黒燕に食べていいと言わせよう! 
     その時は、内臓から食べて、それから肉を食べて、骨まで丸呑みにしてやろう。目玉の中にある硬いところは口の中で転がすのにちょうどいいから溶かさずにしばらくとっておこう。黒燕の目玉はいつも優しい色をしてるからきっと甘いだろう。
     それに黒燕は阿呆だから、黒燕と一緒に長生きしていれば隙を見て人間を食べられそうな機会だってやってくるだろう。楽しみだ。 

    「青鹿、お前が人間を食べたら、俺はお前を殺して俺も人食いを飼っていたことを詳らかにして、腹を切って詫びる」
    「えっ!? 順序逆にならないか!?」
    「ならない」

     黒燕はすげなく断ると、ふっと笑った。
     何故そこで笑うのか、ヘマには理解できない。

     黒燕は故郷を去る前に、墓があった山とは違う小さな山に立ち寄った。身体の弱かった弟と一度だけ来たことがあるらしい。数十分足らずで登り切れてしまう丘の頂上からは、街がよく見えた。

    「子供の頃の俺は、ここからこの街を見おろして、弟に仕えて暮らすのを夢見ていた。白陽はどんな気持ちだったかは知らないが、この風景を気に入ったと笑ってくれたんだ」

     黒燕の自分語りを聞き流しながら、ヘマも街を見下ろす。小さな人間が蟻のように動いていて、掴み取って食べれたらなあ、と夢想する。
     ふと黒燕に視線を戻すと、何故だか黒燕は後ろに括っていた長い髪を切り落としている最中だった。

    「なぜ急に散髪を!?」
    「散髪じゃない。ここに髪を埋めていこうと思ったんだ。白陽の墓にはすり替えられた子供が入っていて、白陽の墓はどこにもないから。埋めるものがなくとも、双子の俺の髪ならそれらしくもなるだろう」
    「髪を埋めるのか!? もったいない! 俺にも食べさせろ!」

     ヘマがキイキイ文句を言うと、黒燕は不承不承に、髪の束からひとつまみだけ髪の毛をくれた。
     穴を掘って丸めた髪の束を埋めている黒燕の横でもちゃもちゃ口に入れた髪を噛んでいると流石に黒燕に嫌な顔をされたが、何なら全部食べたかったヘマ的には、黒燕の気持ちを考えて大分譲歩したと思っているくらいだった。
     穴に土を被せると、黒燕はそこにいつも懐に入れていた小刀を刺した。いつもヘマに血をくれる時に使っていたものだ。

    「それ捨てちゃうのか」
    「捨てるんじゃない。この小刀は俺がこの街から持ち出したものなんだ。白陽にくれてやるのにちょうどいい」

     黒燕は立ち上がると、膝についた土を払い、故郷に向かってだが、墓とやらに向かってだが分からぬが、短く別れの挨拶をした。
     そしてヘマに向き合って言う。

    「赤煉の街に帰ろう。燕は同じ場所に帰る鳥だ」
    「黒燕は燕じゃなく人間だろう」
    「お前は人間じゃないがな」

     でも、一緒に帰ろう。黒燕はそう言った。
     結局、黒燕は一度も自分の産まれた家に帰ることは無かった。ヘマも自分が産まれ育って、人間に皆が殺された郷に帰ろうとは思わないので、そういうものだろうか、と考えた。

     帰りの馬車の中で揺られながら、黒燕はヘマにひっそりと囁いた。

    「楼雀だけにはお前の正体を話そうと思う。奴は口が堅いし、義理堅い男だから、俺に免じてお前のこともすぐに殺そうとは言わないだろう。もし俺が仕事の中で先に死んでお前だけ逃げた時には、お前を殺してもらう」
    「楼雀って?」
    「お……お前……! 組合でもよく話してただろう! 名前を覚えてないのか!?」
    「ああ、もしかしてあの目の細い?」
    「そうだ…そうだが……お前という奴は……」

     黒燕はもはや癖にまでなってしまったため息を吐いた。
     ヘマは自分の正体を知る人間が増えても自分に利がひとつもないので拒否しようと思ったが、ここは黒燕のことを信じてみようか、と少しだけ考えて、黒燕の人の好さに信じられるような所がひとつもないことを思い返してやっぱり拒否しようとごねた。結局ヘマは弱い化け物なので折れることになった。いや、譲歩したと言おう。おれは黒燕のオチゴサンだと叫んでいつでも困らせてやることができるのだし。
     なにか企んで笑うヘマを見て、黒燕は訝しげな顔をする。訝しげな顔が可笑しくて、ヘマはますます笑った。
     どうせまたくだらなくて人を困らせるようなことを考えているのだろうな、と黒燕は諦めてヘマに笑い返した。
     笑い返されたヘマの方が今度は訝しげに黒燕を見返す番になる。黒燕はヘマの訝しげな顔の似つかわしくなさに笑った。

     それから幾年もの年月が経つが、青鹿と呼ばれた最後の人食いの化け物の1匹が、最期には殺されたのか、飢えて死んだのか、それとも未だ生きているのか、誰も知らない。
     かつて山紫明水と謳われた森のある国に、もはや人食いの姿はない。

    おわり
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