妖精への贈り物「お花ちゃーん!」
丘の上の花畑から、わたしの住む村に入る道に普通の人より大きな人影が見えて、ぶんぶん手を振りながら大きな声でそのひとのあだ名を呼んだ。
お花ちゃんは脚が四本あって人よりも歩くのが速いから、わたしは急いで丘を駆け下りて、途中で足をもつれさせて転んでしまった。
「ふぎぅっ」
おやおや、とお花ちゃんが駆け寄ってきて、半透明なタコの足みたいな形の触手でわたしを起こしてくれる。
「えへへ、お花ちゃん、こんにちはぁ」
「こんにちは。危ないから坂道で走ったらだめだよ」
「うん!」
わたしは元気よく返事をして、さっき丘の上で摘んだお花を差し出した。転んだ時にも潰さないように死守したのだ。
「お花ちゃん、これね、あげる」
「花?」
「うん!屈んで!髪につけてあげる」
お花ちゃんは長い前脚を折り畳んで、わたしの前に角の生えた頭を差し出してくれる。かわいいお花みたいな色のふわふわの髪の毛に、本物のお花を飾ってあげる。とってもかわいい。
「どうかな?」
「すっごくかわいい!」
「ありがとう」
私が自信満々に言うと、お花ちゃんは人間と同じ形の方の手でわたしの頭を撫でた。
それから立ち上がって、半透明な触手の手でわたしと手を繋いで、村まで一緒に歩く。
お花ちゃんは馬みたいな脚をしてるから、立ち上がると背が高くて、子供のわたしでは人間の形の方の手には手が届かない。
もっと大きくなったら手が繋げるのになあ。でも、半透明な手もお母さんが大事にしてる結婚指輪の宝石みたいにキラキラしていて好きなので、これはこれで悪い気はしないのだ。
「お花ちゃん、村についたらもっとすごいのをあげるから、楽しみにしてね!」
「ふふ、そうなの? 期待しておくよ」
お花ちゃんは妖精さんだ。
妖精といっても名前だけなのだと言う人もいるけど、わたしに違いはよく分からない。わたしが生まれた頃にはもう妖精というのはこういうひとたちのことで、それ以外の妖精といえば大昔より大昔の御伽噺にたまに出てくることくらいしか知らない。
お花ちゃんは人間が好きな妖精で、色んな所を巡って人間と交流するのが趣味らしい。お花ちゃん本人が言っていた。
わたしの住む村にも年に2回くらいは訪れて、わたしや子供たちと遊んだり、大人の人とお喋りしてまた他の所は行ってしまう。
わたしは綺麗でかわいくてかっこいいお花ちゃんのことが小さい頃から大のお気に入りで、村で1番懐いてるとお父さんやお母さんに笑われたりする。だって素敵なひとを好きになって何が悪いの? この前にお花ちゃんが来た時に頬を膨らませながらそう言ったら、お花ちゃんはうふふ、と笑った。
綺麗なお花ちゃん。お花ちゃんはこんなに素敵なひとなのに、決まった名前がない。
妖精には親がないから、名前をつける人がいないらしい。お花ちゃんというあだ名も、昔のこの村の子がつけたもので、他の場所では違う風に呼ばれているらしい。
自分で好きな名前をつけてもいいんじゃないのと思うけど、それも別にほしいとは思わないって、お花ちゃんが言っていた。
それって寂しくないの? と聞くと、お花ちゃんは少し困った顔をした。
「私は人間が好きだから、妖精の中ではそうなのかもしれないね。でも、妖精はみんな形を得る前の世界だった場所の怒りや憎しみの中から弾き出されて寂しさや空腹を置いてきてしまったから、そういう意味では妖精になった者は欠落していて、その穴が寂しさと言えるのかもね」
お花ちゃんの言うことはたまによく分からない。でも、わたしを子供扱いしたりして誤魔化したりしないでお花ちゃんの言葉を正直に話していることはわかるので、そこも好きだった。
本当を言えば、わたしがお花ちゃんの名前を考えてあげたかった。でも、お花ちゃんも欲しいとは言ってないし、嫌がられるかもしれないと思うと、ずっと言い出せなかった。
それに、村では妖精に名前をつけてはいけないと教えられてきた。みんなは大概お花ちゃんを歓迎してくれるけど、本当は妖精に関わったりするのも極力やめた方がいいって言う大人もちょっとだけいる。
お花ちゃんも妖精を全く歓迎しない村には立ち寄らないと言っていた。お花ちゃんは悪いひとじゃないのに、どうしてみんなそう言うんだろう。不思議で仕方なかった。
でも、そう思うのもきっと今日までの話だ。
わたしはとっておきの作戦を考えたのだ。
その名も「素敵なプレゼント作戦」! お花ちゃんに、皆の目を惹くような素敵な髪飾りをプレゼントするのだ。
そしたら、お花ちゃんはただの「妖精さん」じゃなくて「素敵な髪飾りの妖精さん」だ。お花ちゃんを知ってる皆がそう覚えたら、それはもうほとんどお花ちゃんの名前だし、そしてその髪飾りをあげたのはわたしなのだ。これはもう私がお花ちゃんに名前をあげたのと、ほとんどかわらないでしょう。
いつもお花を頭に飾ってくれるお花ちゃんならきっと嫌がらないし、村の大人たちにも怒られない。すごく名案だ。
この日のために、わたしは村で1番手先が器用でアクセサリーを作るのが趣味のおばさまに教わって、一生懸命に髪飾りの作り方を勉強した。
丸半年以上努力と研鑽を重ねて作ったそれは、我ながら素敵な出来栄えだった。おばさまもお店に出しても恥ずかしくないくらいねえと褒めてくれたし、お父さんとお母さんに見せてもお前は器用な子だなあ、すごいなあ、と褒められた。
はめ込んだ青色の石は、私のお小遣いではそんなに高価なものは買えないから色付きのガラス玉みたいな物だけど、わたしには十分宝物に見えた。
だから、だからきっと、お花ちゃんも喜んでくれると思う。
ちょっと待っててね! とお花ちゃんをわたしの家の前で待たせて、急いで自分の部屋に駆け込む。ラッピングの袋も自分で縫って、付けるリボンをどれにするか丸一日かけて悩んだくらいだ。それを大事にドキドキしている胸の前に抱えて、今度は転ばないように小走りで玄関に向かう。
「お花ちゃん! これ……」
「なぁに?」
お花ちゃんに髪飾りの入った袋を、目一杯背伸びして突き出すと、お花ちゃんは人間の形をした方の手で受け取ってくれた。
「あのね、これ、わたしが作ったの。お花ちゃんにプレゼントしたくね、」
「開けてもいい?」
「いいよ!」
なんだか気恥ずかしくて、袋を開いて中身を確認するお花ちゃんの顔から目を逸らしてしまう。
「髪飾り?」
「うん! これね、わたしね…」
「ああ…すごく綺麗だね」
もじもじしてたら、お花ちゃんは髪飾りを褒めてくれた。嬉しい。お花ちゃんは喜んでくれてるんだ。
「私がもらっていいの?」
「うん! その為につくったんだもん!」
すっごく嬉しい。お花ちゃんが嬉しそうに微笑んでくれてる。心臓が飛び跳ねちゃいそう。
「お花ちゃん、あのね、……」
ポチャン、と音がして、わたしの作った髪飾りがお花ちゃんの半透明な触手の内側に入り込む。
何が起こったのか分からなくて、目をまんまるにして目の前の光景を見ていることしかできなかった。
髪飾りはまるでお湯の中に放り込まれた氷みたいにどんどん溶けていって、最後には跡形もなくなってしまった。
「ああ…本当にすごく美味しいよ。ありがとう」
お花ちゃんは、満面の笑みでそう言った。
「わ」
わああああーん! と、大声で泣いた。
どうして食べちゃったのぉ! わたしがつけてあげたかったのにぃ! お花ちゃんにつけてほしかったのにぃ! と、涙と鼻水を垂らしてずびずび鼻を鳴らしながら要領を得ないなりに、そう主張した。
お花ちゃんは自分が何をしたのか気づいたらしく、悲しい顔になってしまった。その顔を見てさらにわたしは泣いた。そんな顔してほしかったんじゃないのに。
わたしはわあわあ泣くのが止められなくて、そのままお花ちゃんを外に置いたまま自分の部屋に踵を返して涙と鼻水だらけの顔をベッドに突っ伏して立てこもった。
お花ちゃんが追いかけてくることもなく(当然だ。お花ちゃんは物理的にわたしの家のドアを通れる大きさじゃないのだ)、もう家の前にはいなかったと日が暮れかかった頃に野良仕事から帰ってきた両親に言われて知った。
結局その後、お花ちゃんが村を離れる日まで顔を合わせることができなくて、村から去っていくお花ちゃんの背中をこっそり丘の上の花畑から見送った。
「だから妖精とは仲良くしない方がいいって言う人もいるのねえ」
わたしがしょぼしょぼした目で語ったことに、お母さんはぼんやりした感想を言った。
お母さんはただ思ったことを言っただけだっただろうけど、わたしはものすごくショックを受けた。
わたしは妖精たちを遠ざけたがる人たちを、嫌な人たちだと思っていたのに、それと同じことをお花ちゃんにしてしまったのだ。
勝手にひとりで盛り上がって、お花ちゃんが思った通りのことをしてくれなかったから拒絶してしまった。お花ちゃんの気持ちも考えずに…。
なんてことをしてしまったのだろう。
少なくとも、お花ちゃんはどんな形であれ、わたしの贈り物を喜んでくれて、笑ってくれたのに。
それからわたしは、次のお花ちゃんが来る季節まで、たっぷり悩んで、悩んで、たくさん考えた。
そしてお花ちゃんが来る季節がやってきた。
毎日毎日、またお花ちゃんがもう来てくれなかったらどうしようと考えながら、村の入り口を見に行ってはうろうろした。手には、あの時のかわいい袋を持って。
わたしの心配に反して、またお花ちゃんはやってきた。ちっとも気にされていないみたいで、それはそれで複雑な気持ちもわきあがってくるけど、それは心の奥に押し込めた。それよりも大事なことがたくさんあるんだ。
「お花ちゃん!」
わたしは急いで、でも転ばないように慎重に足を運ぶ。
「ミリィ。こんにちは」
「こんにちは! お花ちゃん! あのね! あのね……」
言いたいことはたくさんあるのに、気持ちばかり焦って、何から話していいのかわからなくなってしまう。お花ちゃんは、わたしの手の中に握られたあの時と同じ袋があることに気づいて微妙な顔をした。
「ミリィ、あの時のことなんだけどね…」
「わたしもう怒ってないの! ごめんね、わたし、酷いことしちゃったよね」
「ううん。君は普通だよ」
「違うよ!」
お花ちゃんはあの時嬉しくて、笑ってくれたのに、それを拒絶するのが普通なんて認めるのは嫌だった。わたしは目一杯考えて、自分なりに答えを出したのだ。
「わたしがお花ちゃんにあんなこと言うのが普通なら、わたしは普通じゃなくていい! これ、見て!」
わたしはズイッと手の中の袋をお花ちゃんに差し出した。半年の間にもわたしは少し背が伸びて、前よりは少しだけ背伸びしなくてもよくなっていた。
「ミリィ、でも…これは……」
袋を開いたお花ちゃんの人と同じ形の手の中には、あの時と同じ──いいえ、半年分以前よりも上手になった髪飾りがあった。
「食べていいの!」
そう言うと、お花ちゃんは驚いた顔をした。
「お花ちゃんに、食べさせてあげるために作ったの! 1番上手にできたやつよ! きっと1番美味しいと思う」
「そんな……」
お花ちゃんは困ったような、迷っているような顔になる。わたしはこれでお花ちゃんを笑顔にしたいのだ。それには、期待するだけじゃだめなんだ。
「いいの。前の時はビックリしちゃって…すごく取り乱しちゃったけど、お花ちゃんが私の髪飾りを食べて喜んで笑ってくれたこと、嬉しかったもの」
「いいのかい? 私は人間みたいにとっておいて、大事にすることができないのに」
「いいの! 人間だって、贈り物を死ぬまでとっておくひとなんてすごく稀だわ。そりゃあ、そうしてくれたら嬉しい気持ちはあるけど、お花ちゃんは人間じゃないもの」
「うん」
「でも、でもね。人間みたいじゃないから、ダメなんてことないの。わたしがお花ちゃんが笑ってくれたら嬉しいのも同じくらい本当の気持ちだもん。わたし、お花ちゃんが来るたびに髪飾りを作るわ。あ、今は髪飾りだけじゃなくって他のアクセサリーの作り方も習ってるのよ! 作れるようになったらお花ちゃんにも食べさせてあげる」
「本当に、いいの?」
「うん!」
「ありがとう」
ぽちゃん、と音がして、わたしの作った髪飾りはお花ちゃんの中に溶けていった。
「ああ…本当に…本当に美味しいよ。ありがとう」
お花ちゃんは微笑んでくれた。わたしも笑い返した。
「あ…、でも…また髪にお花を飾らせてくれる?」
「ふふ、もちろん。いいよ」
わたしが照れながら頼むと、お花ちゃんは膝を折って、わたしの横に座る。私は丘の上から摘んできたお花をいつものように飾ってあげる。
「それからね、もうひとつ、あげたいものがあるの。食べられないけど、わたしが死ぬまでなくならないの。もし、良かったら……受け取ってほしいの」
横に座る妖精は、わたしの贈り物を聞いて、いいよ、と微笑んだ。
「フローラ!」
村の入り口の横の、花畑の丘から、フローラと呼んだ妖精に手を振る。
「ミリィ。こんにちは」
あれから季節は何度も巡って、私は家業の手伝いをしながら、アクセサリーを作ることを副業としていた。
「今度の新作見て! すっごくかわいいでしょう!」
「うん。美味しそう」
「フローラ」という名前が、幼い頃の私がこの妖精に受け取ってもらった、もうひとつの贈り物だった。
フローラは自分からフローラと名乗ることはないし、他の誰かがフローラと呼ぶこともない。私がただこの妖精をフローラと呼んで、フローラはそれに返事をする。ただそれだけの名前。
私たちの間にしか…いいえ、私にしか意味の無いものかもしれないけど、それを許してくれることが、私にはこの妖精の何よりの愛情表現に感じられた。
フローラ、と呼ばれた妖精が微笑む。
私はそれに微笑み返して、フローラの髪にお花を挿すために角の生えた頭を傾けてもらった。
おわり