深夜1時のホットミルクとあるセクシーショーを終えて帰路につく。既に日付は変わっており、理解の小言を受け流しながら夜ふかししている者も流石に部屋へと戻っただろう。音を立てないように慎重に玄関の扉を開ける。そのまま自室へと向かおうと思ったが、なにやらリビングの方から物音がする。明かりももれているし誰かいるのだろうか一度気になると知らぬふりはできない。階段に向かっていた足はリビングへと方向を変えた。
「あれ、天彦さん。おかえりなさ〜い」
「依央利さんでしたか」
扉を開けた先、リビングの奥にある台所にいたのは依央利だった。ただいま戻りました、と挨拶を返す。
「こんな時間まで何をしていたんですか」
「パイ生地を作ってましたぁ。いつふみやさんに命令されても大丈夫なように」
ねかす時間が必要なので予め作っておかなくちゃいけなくて、ふみやさんのおかげでスイーツのレパートリーが増えたんです、今まであまり作ってこなかったから、いい負荷ぁ…と心底嬉しそうに語る姿。本人は笑顔を浮かべているがその目の下にはクマができている。またあまり休めていないのだろう。他人にばかり気を遣い、自身の優先度が低すぎる同居人が心配でどうも目が離せなかった。
「依央利さんの作る料理はどれも美味しいですからね。いつもありがとうございます」
それでも彼は自分たちのためにしてくれているのだ、その気持ちを否定してはいけない。否定されることが何よりも辛いということはこの家に住む皆が少なからず感じてきたことだろう。えへへ、と幸せそうに笑いながら生地をのばしては折りたたむ動作を続ける彼の姿はとても健気に映る。
「ですが依央利さん、もう遅いですし、そろそろ休んではいかがでしょう」
ただでさえ家事全般など負担が大きいというのに、7人分と量もある。今日だって天気がよかったから洗濯日和だっただろうし、部屋には埃ひとつ落ちておらずきれいに片付いている。疲れているでしょう、と諭すように優しく告げるも、
「ううん、大丈夫。むしろまだまだ負荷がほしいくらい」
彼はけして首を縦には振らなかった。
「だって、僕が休んでる間に、何かする事が、できる事があったらって思うと不安なんです。僕は皆さんの役にたたないと生きてちゃいけないのに」
休むことなどできないと顔を曇らせて言葉を続けていく。
「ねぇ、天彦さん。何かやる事ありませんか、何か僕にできること…何でもやりますよ」
ねぇ、と縋るように尋ねてくる彼は、まるで希望に沿わないことで呆れられるのを怖がる子供のように見えた。放っておくことなどできないがどう見ても限界であろう彼に何かを頼むことははばかられた。どうしようかと少し考えてから口を開く。
「わかりました、依央利さん。それではホットミルクを作ってもらえますか」
ふみやのようにうまく扱えなくとも、どうにか休息を取るように誘導できないだろうか。わかりましたぁと生地を整える手を止めようとする彼を遮るように続ける。
「あぁ、そちらの作業が終わってからで構いません。僕はこれからシャワーを浴びてきますので戻るまでホットミルクを飲んで待っていただけたら…」
「はーぃ…って僕が飲むんですか天彦さんじゃなくて」
「はい、身体が冷えていたらしっかり休めませんから。嫌でしたら僕と一緒にバスタイムでもいいですが」
当然疑問に思うだろうと代替案も用意したが即時に却下された。しぶしぶといった感じではあったが先のお願いを了承してもらい一度リビングをあとにする。外から帰ったばかりだったとはいえ少し体が冷えていた。そんな部屋に自分より長くいた彼はもっと冷えているだろう。先に休むように言っても良かったがしっかりと休むところまで見守ったほうがいいだろうと待っているようにお願いしてしまったからにはあまり待たせるわけにはいかないと浴室へと向かう足をはやめた。
ーーー
寝間着に身を包み、髪までしっかりと乾かし終えてからリビングへと戻る。扉を開ければ緑色のマグカップを手にとろんとした視線がこちらに向いた。おかえりなさぁいと数十分前と同じようなやり取りを交わす。
「言われた通り待ってましたけど、次はなにすればいいですか」
マグカップに残った中身をぐいと飲み干して尋ねる声には眠気が滲んでいて愛おしさを感じる反面もっと自分自身を優先してほしいとも思う。まあ彼自身がそれをできるようになるまではこちらが気にかけていればいいだろう。
「依央利さんのこのあとの時間を頂いてもいいですか」
待っていてくれたことへの感謝を伝えてからそれではと告げれば、もちろん、と元気に了承が返ってきた。
「でもこんな時間にどんな御用ですか」
「え、流石にもう寝ようと思いますが」
「は?」
「依央利さん、今夜は天彦と共に寝ませんか」
依央利の手をとり真っ直ぐに目を見つめて問えば、数秒の間をおいていやいやいやと首を横にふられた。
「え、待つように言ったのってそのため」
「はい。先に休むように言ってもきっと他の仕事を探しそうですので」
信用ないなぁと彼は言うが、むしろ奉仕精神への信用によるものだろう。何をしようとおもっていたのかを問えば、猿ちゃんのジャケットが破れてたから直そうかなぁなんて…と目を泳がせながら答えるものだから苦笑がこぼれてしまう。
「依央利さん、その生き方が貴方にとって息がしやすいものであることはわかっているつもりです。ですが無理はしてほしくない」
わかりますか、ときけば小さく頷くのが見れた。
「よし。じゃあ今日はもう休みましょう。ちゃんと眠るまで見守らせていただきます」
さあさあと部屋への移動を促すも、これだけは洗わせてくださいと空になったマグカップを手に台所へと戻ってしまう。そうすぐに変わるものではないのだからと諦めて、流しに立つ姿を眺めていた。
他の住人が起きることの無いようになるべく音をたてずに部屋へと移る。おじゃましますと律儀に言ってくれるものだからどうぞなんてエスコートするように室内へと招き入れた。おそらく留守にしていた間に整えてくれたのだろう、ベッドにかかるシーツにはしわひとつ無い。そんなベッドに腰掛けて隣へ来るように促せば素直に従ってくれる。やっぱり部屋に戻るとか、普段のような小言のひとつでも言われるかと思ったがそれ以上に限界なのだろう。寝ましょうか、とふたりで横になれば自身の体格に合わせた大きめのベッドであるとはいえ手狭に感じる。こちらに背中を向けて丸まる華奢な姿にいくら本人が求めているとはいえもう少し負担を減らせないものかと考える。少し記憶が朧げになっているあのお花見のときに皆から心配されていた身体の不調も気になるし、と眠気に身を委ねつつぼんやりと考えていれば、
「こんなこと他の人にもするんですかこう、添い寝というか…子供扱い」
なんて尋ねられた。
「子供扱いだなんて思ってませんよ」
そう誤魔化しながらも内心動揺している。他の方に対して休んでほしいからとここまでするだろうか。
例えば湊大瀬、彼が夜中まで創作活動に勤しんでしたとして無理やり寝かすようなことをするかと言われたら否だろう。もちろん身体は資本なのだから無理をしていいわけではないがそれはきっと彼自身もわかっている。リビングで寝かけた彼を持って帰ろうかなんて冗談めかして言ったこともあるがそこに今回のような心配の意図はなかった。例えば猿川慧、朝方に彼の寝床へと忍び込み寝顔を堪能したことがあったがそれだって別に体調の心配だったりでは無くて……。ふみやに添い寝を申し出たのは己のリビドーに従ったものであるがそもそも断られると思っていたし諦めがついた。ただ今日は、相手が依央利であったからか、無理やり言いくるめてまで寝室へと誘ったではないか。