十年前に惚れた理由【影犬】*影犬短篇集⦅恋に傾熱⦆
「やあカゲ、久しぶり」
十年振りの恋人は別れたときの服装とそう変わりはなかった。黒い薄手のパーカー、おれと同じくらいの背格好。
「…クソ犬」
ぴょんと跳ねた黒髪も相変わらずで、男はマスクを顎元へ下げながら振り返る。黄金色のその瞳と目が合い、その目、顔つき、声色。昔のままの彼だと安心した。
「その呼び方はないんじゃない?」
「知るか」
おれの質問に間髪入れず答え、距離を一気に詰められる。腕を引っ張られ、黄金の双眸が目の前まで迫ってきた。
「うわっ…んっ…」
男の口がパカっと開いたことに気付いた時にはもう、唇は重なっていた。何度か粘着性の水音が耳に響く。
「……気が早すぎ」
思わず目元で弧を描いて、男を扇動してしまう。
「…お前もだろうが」
「仕方なくない?…十年振りだし」
そう言われてしまえばもう返す言葉はない。それに気付けるのがこの男の特権で、本音を隠したところでどうせバレるって話だ。
「…相変わらずサイドエフェクトは健在なんだね、安心したよ」
視線を男の顔からずらし、おれの腕を掴んでいる片手へ移して、その手を求める。するとその特権を利用して、おれよりずっと骨張ったその手で、そっと指先に触れてくれた。そこから互いの指を交互に絡ませて、恋人繋ぎなんて可愛らしい呼び方で彼と繋がる。それを確かめたら、思いを伝えようとすぅ…と息を小さく吸った。再び男の瞳を視界に捉え、口を開く。
「…ただいま、カゲ」
ずっと言いたかった言葉を、積み上げてきた感情を、意中の彼へ送った。それと同時に、今となっては遠い昔に彼が一度だけ惚れた理由を教えてくれたことを思い出す。とある時の顔が好きだと言っていた。果たしてその顔は今上手く出来ているんだろうか。
「……おかえり、」
声とともに男の表情が柔らかくなる。彼とは考えや言動がまるで一致しないし、ましてや笑顔を見れることは滅多にない。けれども今はきっと、気持ちも表情も通じて合っていると、彼の好きな顔も出来ていたと信じて良いだろうと、その表情を見て思った。
「犬飼」
その顔を見て思わず目を丸くしてしまう。十年振りに直におれの名前を呼んでくれたその顔は、もう一生見ることはないんじゃないかと疑いたくなるぐらいに、ずっと見惚れてしまうほどに、とてもとても優しい顔だった。つい頬が緩んでしまって、繋がっている手は熱くなる。かつての彼が言っていたその理由を実感する。
—————カゲは、おれの感情と言葉が一致したときの、あどけないくらいの淡い笑顔が好きなんだと。—————————
…なるほど、これはやばい。おれだってカゲにそんな顔されたら一瞬で惚れてるよ。