海が見える駅で「場地さぁん!海に行きましょ!」
「あぁ?海ぃ?」
事の発端は、一昨日のカチコミ帰りに、俺の愛機ゴキを倒してしまい、メンテナンス行きにしてしまったことから。
昨夜、マイキーが電話口で大爆笑しながら「単車のねぇバジ、まじダサくて面白すぎるから、明日のカチコミは弐番隊の回すわ」とほざき、今夜の予定が無くなった。
じゃあ、千冬とどっかでダラダラするか、と思っていたら、千冬は朝も昼も姿を現さず、やっと会えたのは放課後。
顔を合わすなり、千冬は海に行こうと言い出したのだ。
「なんで海なんだよ。湘南とか?俺、けっこーイライラしてっから、浮かれた族とか見つけたら、たぶんブン殴っちまうぞ……」
「神奈川は合ってんスけど、ちょっと違います。ほら、電車の時間がなくなるんで!」
制服のまま、腕を引っぱられ、渋谷から電車に乗った。行き先は千冬に任せているので、俺はただ付いていく。
帰宅ラッシュが始まった車内は混雑しており、離れないよう並んで立つ。
なぁ、今日、朝も昼もどこで何してたん……?
聞こうか聞くまいか逡巡する。千冬なら何のことなく答えてくれるかも知れないが、なんか……重い?千冬を束縛しているようで、気が引ける。だが、知らないことにモヤモヤしている自分もいる。
結局、思い切れないまま、窓ガラスに映る自分のムスッとした顔を眺めるしかなかった。
隣に立つ千冬を覗き見れば、めったに乗らない電車から見える風景に、楽しそうな表情を浮かべている。
なんで、そんなに浮かれてるんだよ。
口を開きかければ、乗換駅に着いてしまう。そんなことを二回繰り返した。
最後に乗り換えた電車は、少し毛色が違った。始発から乗ったその電車はそこそこ満員だったが、数駅過ぎると乗車客がほとんどいなくなった。車窓の景色も、商業施設や住宅街が段々と少なくなり、大きな工場ばかり見えるようになる。
「マジで海だ……」
〝うみしばうら〟と書かれた終着駅。
ホームに降り立つと、正面の柵のすぐ下は水面。ちゃぷん、ちゃぷん……と海水が波打つ音が聞こえる。
「この駅、不思議なんですよ。改札の外に出られないんです」
「は?どういうこと?」
「元々、そこの工場で働く人専用の駅らしくって、改札の外はもう工場の敷地なんです。だから、関係者しか降りられない」
「じゃあ、俺らどうやって戻るん?」
「それはですねぇ…」
千冬はホームの端へタタタと駆け寄り、キョロキョロと何かを探す。あった!と声を出して、細長い券売機のようなものを指差した。機械の中央には見慣れたIC[#「IC」は縦中横]カードの絵柄がある。
「これにピッとするんです」
「ふぅん……」
「謎は解けたし、海、見ませんか?」
千冬は、ニッと笑った。
改札の外に出られないのだから、散策といってもたかが知れていた。
ホームの隣に、海に沿って小さな公園が設けられており、ベンチが数カ所置かれている。その一つに腰掛けて、改めて海の方を見渡す。
もう日の入りの時刻で、空の上半分は夜の色、下半分は夕焼け色だ。
海を挟んだ向こう側に、こちら側と同じような工場が並び、大きな橋が人工島を繋いでいる。
夕日の強い光が影を落とし、施設を照らす照明がポツンポツンと目立っていた。
「あれが鶴見つばさ橋で、あっちのあれがベイブリッジかなぁ……」
前に走りましたよね。千冬が嬉しそうに話し掛けてくる。
一方の俺は少しずつ噴出してくるモヤモヤにグルグルし始めていた。
「海って言ったけど、本当はこれ、運河なんで、海じゃないって話もあるんスよね」
それだ、それ。
「……誰の入れ知恵だよ」
とうとう言ってしまった。
「お前、普段そういうの興味ねぇだろ。急になんなんだよ……」
「え……」
千冬は呆気にとられた表情で俺を見返す。やがて言葉の意味を理解したのか、薄暗いなかでもわかるくらい、青ざめていった。
「……出過ぎたマネして……スンマセン」
かすれた声でやっと呟く。
俺が怒っていると思ったようだ。
「そうじゃなくて。あ~……‼︎お前、今日なにしてたんだよ!どこのどいつと会ってた⁉︎」
やっちまった。
モヤモヤを吐き出してしまった。
しかも、こんな追求の仕方をする『友達』がいるか。どこの亭主気取りだよ。
案の定、千冬は目を丸くしている。
俺は気まずくなって、正面を向いた。
日が落ちて、工場の夜景が輝いている。
これがカップルだったら、キレイだねとか言い合って手でも繋いでいるだろう。
「うちのクラスに……」
落ち着いた、静かな声。
俺の心拍数が上がる。
「鉄道オタクのやつがいて。そいつに教えてもらいました。朝も昼もメモ取って」
視線を千冬に戻す。
困ったように微笑んでいる。
「集会の後に、大黒ふ頭まで走った時のこと覚えてます?」
「……ん」
「あの時、場地さんが夜景を見てキレイだなぁって笑ったから……その、」
「……おぅ」
「ゴキがなくても見られるとこ、ないかなって……」
声が尻すぼみになっていく。
もうすっかり暗くなってしまって、色は識別できないが、それでもわかる。
今の千冬は耳まで真っ赤だ。
そして、俺も頬が熱い。
こんなのはまるで。
まるで、恋人を思っているみたいだ。
「千冬ぅ……、あんがと」
「……はい」
「キレイだな」
「……っ、はい」
俺たちは海の方を向いて、夜景を眺めた。
『友達』だから手は繋がない。それなのに、千冬のことを愛おしいと思う気持ちがどんどん膨らんでいく。
ヤバい。
潮風、もっと強く吹けよ。
早く頬の熱を冷ましてくれないと、帰りの電車に乗れないだろう。
一時間に一本の電車に乗って帰る。
車両にはほとんど客がおらず、ロングシートの真ん中に並んで座って、ぼんやりと外の景色を眺める。
工場の夜景が煌めいているが、さっきまでベンチから眺めていた景色ほど、心は動かない。
「場地さん……」
千冬が呟くように俺を呼ぶ。
「この先……、場地さんにカノジョができたとしても、今日の場所は秘密にしておいてもらえませんか」
カノジョなんて作らねぇよ。
そう答えようとした。
でも、お前はどんな心境で、その言葉を吐露したんだろうな。
「俺とお前の……秘密な」
結局、それしか言えなかった。
真正面のガラス窓に、満足げに微笑む千冬が映っていた。キラキラに輝く夜景を透かして。
ふぁあ……。俺はうさんくさい欠伸をひとつして、千冬の肩にもたれかかる。
「ねむ……、終点に着いたら起こして」
「はい」
本当は全然眠くなんてない。
ただ、これ以上、何を話して、どう過ごせばよいのか、わからなくなっていた。
本音が正しいことばかりではないと、俺たちはもう知っているから。
考えなしの俺が、考えなしに発言して、千冬を困らせないように。
小さな嘘をひとつ、許してほしい。
傾けた体に、千冬の体温が伝わってくる。今だって、ジワジワと浸食してくるのだ。
この体の末端まで、お前が染み込んでしまえばいいのにな。
終着駅なんて、こなければいい。
【終】