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    GtgtG(ランス編)

    GtgtG(ランス編)風が冷たさを増したある日、ランス・クラウンはワース・マドルの正面の席に座った。図書館で近くに座ることはある。けれど多くは横隣であり、こうして顔を付き合わせるのは随分久々に感じたのだった。ランスが真剣な顔でワースの名前を呼んだ。
     「お前、就職先は決まっているのか」
     「ンなわけねェだろ、嫌味か?」
     なんせワースの就職活動は困難を極めている。己の犯した過ちのせいで魔法局のインターンは取り消し、処分待ちの身に内定を出す企業なんてあるわけもない。嫌そうに口を曲げたワースとは対照的にランスはその口元を緩めた。よく見れば笑みにも見えた。
     「なら決まりだな。お前を雇いたい」
     「ハ?」
     ランスは姿勢を正した。だから、ワースも背筋を伸ばした。二人で上げた顔は学生の顔ではなく、ひとりの男の顔。既に社会を垣間見てきた男の顔だ。
     「契約としてはオレと、内容としてはマッシュ・バーンデッドの執務室の管理及び警備」
     「気が早ぇ話だな」
     「そうでもない。世界が終わるか、アイツが神覚者になるか。この世界は今、二つに一つだ。」
     「分からねェでもねェけどなァ。そもそもテメエが欲しいのはなんだ。魔法局内のコネか?悪ィがもう使えるもんは何もねェんだわ」
     ワースの目の前で惑星が揺れた。銀色に輝き揺れたそれは見慣れたランスのピアスだ。しかし、それが目の前で揺れた。ワースが視線だけずらしていく。長い薄色のまつげとその奥にある空色の瞳はそのなかに自分が映るほど近くにあった。
     「貴様の『努力』と『魔法』が欲しい」
     「…」
     ランスの瞳のなかの自分が絶句している。あまりにも真っ直ぐ見つめられすぎて瞬きすらできない。しかし、何とか気力で顔を引き離すとぐうっと目を強く閉じて目頭を押さえた。なんだ、今のは。心臓が茨を飲んだように痛かった。
     努力と魔法。ンなもん、人が欲しがるようなもんじゃない。特に、お前は。ワースが恐々目をあける。空色の瞳は未だ自分を見ていた。
     「もし世界がマッシュ・バーンデッドを選んだら、魔法使いの世界は荒れる。それは既に始まっている。分かるだろう」
     「そりゃァな。だから知ってる奴を執務室っていう心臓部に置き使いたいのは理解できる」
     「加えて貴様の魔法は密室ほど強く応用が効く。そうだな?」
     「…手の内を明かせってか?」
     「いや、いい」
     ランスは愉快気に鼻を鳴らした。腹立つ仕草には違いないがランスの予想が間違っていないのだからワースも何も言えやしない。まったく、困った。
     「貴様なら妙な言いがかりも対処できるだろ、変化に対応するだけの知識はこの図書館で飽きるほど見てきた。それを得て、使いこなす為の過程を『努力』と言うならば尚更だ」
     まったく、困った。ワースは顔に熱が集まるのを感じていた。なんせ、こんな真正面から言われたことがない。それだけ大きな承認と称賛だったもので。だから、一言でたのは意地で、もう心は殆ど決まっていたのだ。

     「信頼が足りないだろ。オレがお前らを裏切ったらどーすんだよ」
     「貴様が?」

     空色の瞳が大きく開き、ぱちくりと瞬く。その幼い仕草にワースの胸がもう一度鳴った。「そんなこと考えてもいませんでした」とランス・クラウンという男からの、本心からの信頼はワースの心を貫き、ワースは大きく溜息を吐くと絞り出す声で言ったのだった。

     「契約書を用意しろ。世界がマッシュ・バーンデッドを選んでからでいい」

    ***
     そうして、世界が救われたその直ぐ後、図書室にやってきたランスの手には想像以上にちゃんとした契約書が用意されていた。ワースはその紙束を指で弾いて内容を見る。あまりに早い斜め読みを終わらせ、指摘ひとつ無しにペンを取る。インクをつけようとしてワースの手が止まった。そわついたのはランスだった。
     「何かあったか?」
     「いンや、なんでもねェよ」
     ワースはインク瓶を手の甲で押すと鞄の中に手を伸ばした。一際小さな小瓶を取り出し、ペン先をそれに沈める。じわじわとついていく色は赤だ。
     「赤インク」
     「そうだ。契約だからな」
     「特に指定していないが」
     「まァ、色んな事情を考慮してってやつだ」
     柔らかなペン先が、赤い文字でワースの名前を描いていく。紙に写った赤はインクの色よりも黒く、ランスの目元が怪訝に歪んだ。だが、ワースは気にも留めない。全部書き切って出来たと声を上げた。

     「ワース・マドル」
     「マドルの名に期待はするなよ。実家には入れない。名を使って何か興すことも禁じられている。手段はアレだが息子を魔法局に入れたという実績在りきだ」
     「都合が良すぎる」
     「家族なんてそんなもんだろ。それこそ血で繋がった契約だ」
     「フン」
     
     ワースが乾いた赤字を撫でる。契約書に自分で書いた己の名。

     「じゃ、頼むぜ。ご主人様」

     にんまりと笑むワースに、ランスは瞳の奥がぐらりと揺れた。

    ***
     マッシュ・バーンデッドの代理として執務室を得たランスだったが「オレは代理で満足しない。神覚者には自分自身の力で成る」とのことで現在試験を順調に進んでいる。
     これに泣いたのはカルドで、人手不足だから今すぐランス・クラウンを使わせてほしいと零したのをワースは聞いた。
     ということで、『マッシュ・バーンデッドと代理のランス・クラウンの一時的な執務室』は他の神覚者のものに比べとても小さい。人手不足故、遊撃隊に位置するマッシュ・バーンデッドだ。社会を回す役目が無い分書類も少なく、ランスはランスで試験中ということを加味して仕事内容はお手伝いに留まっている。
     つまり、二人分の書類仕事ではあったがワースには朝飯前に終わってしまう程度だったのだ。なんせ、ワースは優秀だった。ランスが思うより数段優秀だった。事務仕事にミスは無く、空いた時間で執務室に必要な設備制度をコツコツと拵える。学生神覚者のために学校と魔法局とのパスを繋いだのは各方面に喜ばれ、インターン関連で行き来の多いカルドや弟の様子を見に行くレインは感謝の印と菓子やハチミツを持ってきたほどだった。ハチミツは趣味かもしれないが。

     今日も今日とてパスが揺らいで執務室に主人がやってくる。片手に書類を抱えたランスは部屋に入り、そして息を吐いた。
     自動書記でペンを走らせ、整頓魔法で本を片付け、本人は棚の間でファイリングをする。棚に背を預け体勢を崩しながらも頁を擦る姿は図書館のそれとあまり変わりはないが、あまりに有能すぎる。ランスがその男の名を呼んだ。
     「ワース。サイン済みの書類だ」
     「わーった」
     ワースはそのまま杖を振る。3人ほどの泥人形を出すと書類を振り分け届けに走らせた。 泥人形の背を見送り、ランスをワースに向きなおる。その瞳には少しだけ怒りが滲んでいた。棚と棚の間で仁王立ちをし、ファイリングを続けるワースの退路を塞ぐ。叱る姿勢である。
     「先ほどの書類だが、事後報告が多過ぎる。」
     「確認が必要なものはちゃんとやってるだろ。線引きはちゃんとしてるはずだ」
     「討伐任務は…」
     「ンな雑魚、わざわざ神覚者が出るもんでもねェよ」
     「ワース」
     ランスはワースを見下ろしたまま、真っ直ぐ伸ばしていた首を曲げた。惑星のピアスがぐらりと揺れて光を反射してぎらつく。ワースはその様子に目を細めると両手をあげた。ついでに指の間にある杖も振った。敵意無し。完全降伏。
     「善処しまァーす」
     「する気ないだろう」
     「オレで十分だってこった」
     ランスの口がへの字に曲がる。ワースの実力を疑っているわけではない。確かに彼でも対処出来るだろう、しかしそういうことじゃあない。
     「貴様が万が一怪我でもしたらどうする。この執務室に穴をあける気か」
     「その言葉、そっくりそのまんま返してやるぜ。ここで怪我でもしてみろ、神覚者試験はどうする?投げる気か?このまま代理で満足かよ?」
     ランスの瞳がその言葉にひとつ瞬きをした。下を向いて瞬きをした視線が、ゆっくり驚きと共にワースを見る。ランスの目はなかなか表情を隠さない、何を思っているかは丸わかりである。考えてもなかったってか。
     「神覚者は学生の内にしか勝ち取れない価値だ。この社会で一番強い権力だ。本当に欲する奴は死に物狂いで取りに来る。オレが二年の時のレインのようにな。だから、神覚者代理をやりながら、なんて余裕はそもそもあるわけがねェんだよ。お前がどんな天才だろうとな」
     なんせ、天才同士の争いなのだ。ワースはマギア・ルプスを思い出す。あれだけ強いアベルでも絶対に勝てるというものではない。だから万全にするためにマギア・ルプスは在ったのだ。金貨を集め、地盤を固め、その先学校同士の争いでも有利になるように。余計なことまで思い出しそうになり頭を振る。未だにこちらを見るランスの瞳を正面から睨むと鼻を鳴らした。

     「此処は、此処だけは任せとけ。ランス・クラウンが心配することは何一つねェ。オレの『努力』と『魔法』に誓って、此処だけはお前を煩わせはしない」

      狭い部屋の隅々までその声は届き反響する。誓いとの言える言葉はランスへと向かい、その真っ直ぐさに息を飲むのはランスの方だった。喉奥へと下がっていった空気がほろほろと出ていく。安堵に近い心地は胸にじんわりと響いた。
     
     「お前を選んで良かった」

     持ち上げた頭と共にランスの耳元で惑星が揺れる。窓から入る光は彼の耳元で乱反射して部屋を明るく照らす。宝石のような光が天井に揺らめき、輝いていた。

    ***
     そう、ワースの言う通りだったのだ。神覚者を目指す者の熱を知った気でいた。それぞれの背景、才能、努力、そして策略。その総合戦である本来の神覚者試験は熱戦が続いた。最終試験が始まる手前は執務室に足を運ぶことも難しいくらいで、ようやく終わったランス・クラウン高等部二年の三月。ようやく始まりの杖を手にしたランスは、狭い執務室でもう一度ワースと正面の席に座った。
     「サイン済みの書類だ」
     「覚悟はしてたが山のようだな。ほぼ二か月分かァ?」
     「ああ。あとこれも」
     「おン?」
     机に置かれたのは薄っぺらな紙だ。神覚者からの推薦状。魔法局一般職員として働くための紙だった。
     「今まではランス・クラウンとの個人契約だったが、オレが神覚者になったことでお前も一般職員に引き上げることが出来る」
     「なァるほど」
     「…オレとしてはこれまで通りでも良かったんだがな。カルドさんが早くお前を使いたいらしい」
     「オレぇ?」
     「そうだ。だが、所属はオレの執務室だ。マッシュの執務室も形式上残しておくから兼任だな」
     「…そうか。よかった」
     ワースがペンを持つ。いつも通りインクを含ませると慣れたように自身の名を書き上げる。ランスはそれを見て昔のことを思い出した。あの時は、赤いインクだった。しかし、まぁ、大体の時は黒だ。それは、そうだ。何かが引っ掛かっているがそれが何かは分からない。ランスは口を開けかけて止めた。それよりも書きあがった書類の方が大事だ。
     ワースがペンを置くより先、彼の名の写った書類を取り上げる。ワース・マドルのサインを見て口元が綻んだ。

     「入局の気分はどうだ」
     「へ?…あぁ」

     そうだ。魔法局に入ることが当たり前だと思い、挫折し、それでも此処を目指し、ランスに拾われ、ここまで来た。入局、言葉にするとまだ胸がじくりと痛む。ワースはサングラスの位置を直した。その手で口元を覆って、痛む喉を辿る。首元を指で擦って、下がる視線を揺らしてランスに言う。

     「多分、まだ実感がないんだわ」
     「そうか」
     「…それより、オレは役に立ってるか?お前の名で一般職員に引き上げるくらいに価値はあるか?」

     ワースの手は首元から動かない。ランスの目もそれを見た。親指で静脈を擦りうろつく視線は子供が不安がる仕草に似ている。人を焚きつけた時とは違う仕草にランスの胸がじんわりと熱を持つ。
     ランスは正面から机に乗り上げた。首を擦るワースの手を取り指を絡めて首から離す。鈍色の目が見開いて邪魔なサングラスの奥でくらりと光る。その光を己の影が閉じていく。近付いた視線は互いの輪郭をぼかし鼻先から触れていく。
     息を飲んだのはワースだった。緩く吐かれたランスの息が暖かで、知らないもので、冷えていた身体が反応してしまったのだ。柔らかな唇が互いに擦り合って離れる。たった一瞬の触れ合い。絡んだ視線は離れていくほどにはっきりと今の有様を見せていく。
     
     「お前を選んでよかった。オレとだけの個人契約を続けたいくらいに、入局させるか悩むほどお前は良すぎる」

     キスをした。ふたりが目元を染めて、それでも目線は互いを捕らえたまま。ワースが口をわななかせ、とても小さな声で礼を言った。

     「そりゃ、どォも」

    ***
     さて、試験からまだひと月しか経っていないのにランスの神覚者の業務は着々と増えていた。お披露目だと連れていかれたパーティーも、雑誌の表紙も、独占インタビューとやらもすでに息切れだったのに過ぎた先にあったのは過酷な肉体労働だ。レインが無茶振りと言っていたのが良く分かる。これは殺意も沸く。
     ランスが自分の執務室に戻ってきたのは三日振り。今までの狭くて棚だらけの部屋ではない。三名ほどの補佐が動き回る広い執務室のなかでランスはワースを探した。右を見て、左を見て眉を寄せる。近くに居た補佐官に声を掛けると、そのタイミングで扉が開いた。胸一杯に書類を積み上げ持ってきたワースはランスを見て「おつかれさん」と言った。

     「どこに居た」
     「人材管理局と魔法道具管理局。あぁ、レインが神覚者専用の魔法道具の説明をするから時間あるときに来いってよ」
     「わかった。サインする書類は」
     「机の横。専用のボックス作ったから適当に取ってやりゃァいい」
     「…アレか」
     
     床に置いてあるボックスの中はぎっしりと書類で埋まり山になる。膝くらいまで積み上がったそれを見てランスも目頭を押さえる。そして書類の一枚目を手に取り押さえた指をぐっと押した。

     「ワース…」
     「善処しまァす」
     「する気がないだろう!また事後報告か!」
     「線引きはしてるっつってんだろ、お、じゃあな」

     ばちゃん。話していたワースがどろりと溶けて床に跳ねる。ランスはとうとう両手で顔を覆うと恐る恐る近付いてくる補佐官に唸った。

     「あの馬鹿は何処だ」
     「多分、マッシュ・バーンデッドの執務室かと」
     「…」

     ランスは長く息を吐く。随分師匠に、そして彼の兄に似た仕草だったが仕方ない。息を吐くのは大事だ。最近この仕草の有効性を思い知っている。
     積み上げられた書類の中には昔から変わらずワースが独断で肩代わりした仕事の事後報告が入っている。小型魔獣の撃退、魔力不全者の避難補助、街の補修。そのどれもが首都近郊であり、報告書を読んでも半日も掛からないものばかりではある。ランスはもう一度息を吐いた。線引きとはなんだ。線引きとは。
     困るのは、ワースのそれが確かに忙しすぎる神覚者にとって有難いと思えることである。ワースが望む通り役に立ってはいる。が、ランスにとってそれが胸をじくじくと痛ませた。何かずっと古傷に囚われている気がするのだ。

     仕事をこなしてマッシュの執務室へと向かう。道すがら複数体のワースに出会いその全てに声を掛ける。最初の数体はのらりくらりしていたが流石に五体目になると「マッシュの執務室で結構忙しくしてるんで勘弁してくれ」と音を上げた。多少乱暴に執務室を開ける。そわっと立ち上ったのはワースの魔力。それもすぐに納まり、狭い部屋で彼の姿はすぐに見つかった。珍しくマッシュも居た。
     「…何かあったのか」
     「あ、ランスくん。凄かったよ、ドラゴン」
     「ハ」
     「ドラゴンが三体だ。とある街の上で大喧嘩しててなァ。竜の神杖も行ったが難しかったんだわ。だから一発殴って貰ったってわけ」
     「喧嘩両成敗だからね」
     「で、なんで此処に」
     ワースが溜息を吐いて振り返る。げっそりとした顔に昔の自分を思い出した。そう、テスト前のマッシュの面倒を見ていたあのときの。

     「報告書が酷すぎる」

     マッシュから聞いた報告をワースはメモにまとめていた。最悪、自分が書いてしまえばいい。しかし、その思考はすぐに消えた。
     え、筋肉で空を飛んで?ドラゴンに関節技を…へぇ…、で、頭を殴った…うん…。
     報告書は書くのは得意だ。なんせ事実をそのまま書けばいい。しかし、ワースはフィクションを書く才能がない。なんせどう書けばいいのか分からない。そう、マッシュの報告は、そこはかとなくフィクションだった。だからどうしようもなかったのだ。
     ワースからメモを渡されたランスが「懐かしい」と零す。なるほど、こう見るとやはり学校生活というのはそれなりの一貫性があるもんだ。任務になるとこんなにも支離滅裂になるものか。
     
    「マッシュのことは任せろ。お前は、そうだな」
    「ん?」

     戻って仕事する気満々だったワースの手首をとった。手首の内側を指で撫でればひくりとその身体が跳ねる。皮膚の柔らかさと温度にランスの今までわだかまっていた何かが溶けて心臓が鳴る。居心地悪そうに上目でこちらを見るワースに満足するとその手を離した。

     「長くなるから茶でも入れてくれ。で、此処に居ろ」
     「わァったよ、ご主人様ァ」
     その答えにランスが目を細める。マッシュは二人を見て「わあ」と呟いた。


    結局、報告書が終わったのは夜が更けた頃で完成させたのはランスだった。ソファーでひと息吐いていたランスが隣を見た。ワースがぐらりとその頭を揺らしていた。
     「疲れたな」
     「まぁ、殆どオレは何もしてねェけど」
     「そんなことはない。今日は何体の泥を動かした。本体を此処に置いたままずっと動き続けていただろう」
     「ただのお使いだ。なんてことねェよ。それより」
     ワースの指がサングラスを外した。そのまま指の背で目元を擦る。ランスはそこでようやく気が付いた。ワースの目の下には濃い隈があった。
     
     「結局、お前の手を煩わせちまったなァ。しかも、この場所で」

     馬鹿か、大馬鹿か。ランスがワースのサングラスを取り上げる。ワースの指も気にせずその隈に親指を這わせるとその親指越しに唇を鳴らす。リップノイズでとろとろとこちらに視線を寄越したワースに眉を寄せた。

     「煩わしいなんて思うほどでもない。そもそも執務室はオレが仕事をする為の場所だ。お前に仕事を押し付ける為の場所じゃあ無い」
     「それはそうだけど。…でも、オレにとっても…、」

     すぅ、とワースが寝入るように息を吸った。まだ目も閉じていなかったが吐き出した言葉は寝言のように輪郭がなかった。

     「俺の…価値を…」

    ***
     学生時代はあっと言う間だ。ともなれば学生神覚者という肩書もあっと言う間で、あっと言う間にただの神覚者に成り下がる。時間と書類、ついでに魔物を追い追われランスは神覚者が短命な理由を知った。あまりに忙しい。
     まだうちは良いのだろう。なんせワースが居る。彼はなんせ秀才だった。一般局員として数年、仕事をコツコツ自身のハイペースで覚えていったワースはどこの局も欲しがるオールラウンダーになっていたのだ。事務も会議も必要があらば肉体労働も、人手が必要なものは泥人形をも使ってワースだけでどうにかしてしまう。カルドは度々ランスに「ワース・マドル頂戴」と言っては振られている。何処にもやるわけがないだろう。

     神覚者として本格的に動き出して一番変わった物は遠征だ。特に範囲が広く上空にも及ぶランスの魔法は遠征向きであり短いターンで各地に行っては杖を振るう。ワースが距離に応じた帰宅用の魔法道具を用意したが遠すぎてあまり意味もない。レインと相談してどうにかすると言っているがお疲れのランスにとってその一言もざわざわするのだった。

     
     またも遠征の話か。ワースから渡された書類を見てランスが肩を落とす。ワースはもう一枚紙を置いた。
     「今回のメインは調査だ。専門知識のある調査員が数人、行動を共にする。一応うちの補佐官も一人つけるぞ」
     「お前か、お前だな。ワース」
     「残念だったな、オレは行けない」
     「何故」

     縋るように睨むように顔を上げるランスにワースが口をまごつかせた。ランスの目が鋭く光る。

     「今までも数回このやり取りをしたな。貴様の魔法こそ地盤の不安定な土地での調査に向いているだろう。知識も気付いたことの紐づけも得意だ。何故、来ない」
     「買い被り過ぎだ。ここはイーストンじゃねェんだよ。それぞれ専門分野を持って研究をしている人に溢れてる。オレの知識や気付きなんて役に立たねェよ」
     「魔法の件はどうだ。何か言えるのか」
     「ああいえばこういう」

     ワースが手持ちの書類でランスの顔を叩く。紙で出来た影の下、空色の瞳がギラギラとこちらを睨みつけていてワースは直ぐに紙を回収すると執務室から逃げていった。まったく。

    「しかし、ワースさんも頑なですね。本当になんで遠征イヤなんでしょう」
    声を出したのは執務室の立ち上げからいる補佐官だった。不機嫌丸だしのランスを見て、分かってますよと笑う、穏やかな補佐官だ。
    「遠く離れる遠征ですもん、落ち着ける人が欲しいですよね」
    「ワースもそれを理解してくれればいいんだけどな」
    「分かってない訳じゃないと思いますよ。あれでいて遠征前の心身管理は徹底されてますし、今回も遠征メンツをだいぶ選抜してましたし」
    「…」
    「まぁ、マッシュ・バーンデッドの執務室も今は忙しいみたいですし」
    「ん?」
    ランスが顔を向ける。補佐官は知りませんか?と首を傾げ、とてもふわふわした話を聞かせたのだ。ふわふわしている割に現実的で、とてもイヤな話だった。


    「ああ、お前も聞いたのか」
    「『5年に一度悲劇はやってくる』、確かに神覚者の殉職・退職歴と合わせると辻褄が合うのが最悪だ」
    「特に魔法局からのスカウトじゃねぇ、試験を上がってきたやつのリタイアが酷い」

     ワースの魔力を追って辿り着いたのはレインの執務室。そこに居た泥人形に声を掛けるとぱくぱくと口を動かすだけだった。思わずレインを見る。『辞書代わりにさせてもらっている』とは言葉通りで机に広がる魔法道具の解析に泥人形を使っているだけらしい。思わず舌打ちが出た。
     だから、ランスも聞くことにした。さっき聞いたばっかりのイヤな話だ。イヤな話だが、正しいらしい。『5年に一度悲劇はやってくる』それは巨人族の進行だったり、イノセントゼロの件だったり形は様々だ。それでも被害が甚大なのはどれも一緒。
     『実際、妙な魔獣の動きが多いんですよ。それにマッシュさんの手も借りているって聞きました』

     思い出した言葉にランスが頬を掻く。レインは細かい作業に疲れたのは目頭を揉み込んでその姿勢のままランスを見た。

     「お前と、あとオーターさんも今は遠征がメインだろう。そういう訳だ」
     「納得はした。気分は最悪だが」
     「これはオーターさんから聞いた話だが、今回はエルフ族の動きが怪しいんだと」
     レインは差して気にしていないのかやはりふわふわな話をふわふわのまましている。聞いた話は聞いた話。自分の目の前に立ちはだかったときに考える、レインらしい喋りだった。
     「なんせ魔獣やドラゴンを蹂躙する魔法を使わない人間が現れたんだ。魔法しか防衛手段のねぇエルフ族にとっては脅威だろ」

     この世界はバランスで成り立っていた。そのバランスを崩したのは間違いなく人間であり魔法社会であり、震源地はマッシュ・バーンデッドに他ならない。
    ***
     調査の遠征は面倒だ。頭脳も気も休まる時はない。気付きと繋ぎを繰り返し仮説を出してはアウトプットする。幾度となく出されては消えていく見解を更に繋ぎ正解に一番近いものを導き出すのだ。ランスは使いすぎた頭に冷えたタオルをのせた。既にオーバーヒートしそうだ。
     山の間にある小さな集落は昔から数少ないドラゴン信仰の強い村だった。信仰なのか畏怖なのか、ただその様子が更に奥にあるエルフの集落を安心させていたのは間違いない。色んな話、時期、特徴を繋ぎ合わせこの村の信仰しているドラゴンがマッシュが殴ったものに違いないとランスは結論を出した。
     人に殴られ、逃げ帰ってきたドラゴンを見て村は何を思ったのか。少なくとも畏怖が揺らいだのは間違いない。ドラゴンに向けて捧げられていた家畜や食物の用意は無くなり、結果、ドラゴンが自分から村へと食べに来た、と。
     頭にのせていたタオルをさげる。顔を覆うようにすれば目の前は真っ暗。安寧の闇だ。バランスが崩れている。この村の更に奥から向けられる監視の目。魔法の気配を感じながらランスは顔を拭ったのだった。

    ***
     ランスが執務室に戻ってもワースを探さないことが増えた。マッシュの執務室にいるのがランスには分かっている。道すがら動き回るワースの泥人形全てに声を掛けるのは変わらず、もう一人目から「マッシュの執務室だから、忙しいンだホントに」と泣き言を聞くのが常になっていた。
     それが崩れたのは神覚者会議が終わって直ぐのこと。ふいに顔をあげたカルドが「続けてて」と退出した後だった。ランスが執務室に戻ると補佐官がランス様と駆け寄ってくる。
     「早く、マッシュ・バーンデッドの執務室へ」
     緊張した顔で急かす部下に、思わず執務室の中を見回した。当たり前だが、ワースは居なかった。

     ランスがマッシュの執務室についたのはそれからすぐ。最初に見えたのは泥の固まり、転がされた男たちである。恰好からして局員に違いなかった。カルドが腕を組み見下ろしてワースに何かを言う。首を振ったワースは確かに返した。
     
     「ランスの指示を待ちます」
     
     「そうは言っても彼でもこれ以上の処分は出来ないよ?」
     「分かっていますが、線引きは大事なので」
     「線引き、ねぇ、…あ、噂をすれば」
     「…」

     ワースがこちらを見る。ランスは違和感に眉を寄せた。彼はこんな目をしていただろうか。黄土色の瞳が興奮でぎらりと光る。瞳は縦に割れ、仄暗くこちらをみて回って見せた。ゆっくり降りた瞼が開く、その時にはもう鈍色の落ち着いた瞳が有った。
     もう一度名前を呼ばれてランスがカルドに身体を向ける。泥で固定されている男たちは嬉々としてランスの名を呼んだ。

     「ゲヘナ家、クラウン家の方なら分かるでしょう。やはり魔法こそ尊ぶべき力。悪しき力を混ぜたからこそエルフが御怒りになるのです」
     「そこの爵位を得たばかりの貴族擬きでは話にならん。世界を救ったとは言えただの暴力を神覚者として扱うべきではないのですよ」
     「エルフの怒りも魔獣のざわめきも、あいつが作り出したこと。何もなしでは秩序が乱れる」
     泥に転がされて良く口が回ることだ。ランスはワースを見た。捕らえていたのが泥だったからだ。
     「許可なく侵入したから捕縛した。直接的な被害はない」
     「そうか」
    これに吠えたのは男たちだ。
     「書類を見てやろうと思ったら泥になったんだ!怪しいだろう!」
     「紙束に指が埋まっていったんだぞ!目の前でどろりと溶けた!」
     「この部屋全体が泥みたいだった!変なものに侵されいるに違いない、この魔法局の一室が」

     ランスが長く静かに息を吐く。しっかり六秒を数えたが怒りは消えない。熱情のままに杖に触れたがそれを止めたのはカルドだった。
     「力に訴えるのは良くないね。特に、被害のない、今の状況では。僕は厳重注意をお勧めするよ」
     「これだけ言われっぱなしで、ですか」
     「ああ、負けたくないなら言えばいいのさ。舌戦は苦手かい?なら、僕が変わろう」
     カルドはにっこりと笑う。口で戦うことに慣れているものの余裕だ。ふと視線を感じて、その先を見た。ワースのサングラスの奥がまたも黄土色に光っている。漏れ出た光が目頭と目尻に垂れ、しかしすぐに消える。白昼夢のようなそれはランスの背筋を冷やした。
     「厳重注意を頼みます」
     「まかせて。ワースくんも連れていくのは僕がやるから」
     「畏まりました」

     泥魔法を解けば男たちはバラバラに床へと転がった。床を叩いて悪態をつく男たちをランスは冷ややかな目で見下ろした。

     「みんな毒されてしまったんだ」
     「ああ、神聖な魔法局がなんてこと」

     一番綺麗な身なりをした男がワースを睨んだ。恨めしそうに目を張るがその中の恐れが隠しきれていない。それもそうだ、こいつらはワースに取り押さえられたのだから。力で負けたのだ。

     「ああ、この悪魔め!」

     遠くから腕を組んで見ているだけだったワースがひとつ瞬きした。杖を持ったまま、重そうな頭をぐらりと傾け口元を歪ませる。   。小さく何か言葉を零したのは見て取れた、しかしそれがどんな音だったのか誰にも分からない。
     ランスはワースへ近付くとその杖を取り上げた。直感的にそうしたほうがいいと思ったのだ。泡立つ肌がそれが正解だと伝えていた。

     「だァいじょうぶ、何もしねェよ」
     「…興奮しすぎだ。少し休め」
     「     」

     またもワースの口だけが動く。聞き取れない音は耳を流れ違和感だけを生んだ。ワースの両肩を掴む。おい、と声を掛ける。遠くを見ていた目がゆっくりランスを見下ろした。

     「ランス?」

     そこにいるのはいつも通りのワース・マドルだった。

    ***

    社会の動きは人の動き。残念だが、マッシュの執務室の侵入犯と同じ思想の者は多くいるのであの日以来ずっと緊張状態は続いていた。誰も彼も一度は思ったことがある疑問なのだろう。なんせ未だに魔法中心の世界なのだから。一度彼に世界規模で救われたからといってその全てを認められるわけではない。良いことも悪いことも時間が経てば薄くなる。マッシュへの感謝が薄くなった今、残ったのは不信感ということだ。
     
     ランスはそれは長く息を吐いた。彼の師匠でもこんなに長かったことはない、とうとう自分らしいアンガーマネジメントを手に入れたランスをワースは生温かい目で見ている。その原因、机にのせられた遠征の知らせをランスは握りしめながらも受け取った。
     「多過ぎるッ」
     「そう言うなって、上手く行けば今回で最後だ」
     ワースが地図を取り出した。遠征と言えど種類は様々、今までの調査や見回りは想定よりスムーズで魔法局の頭脳はこの緊張を断ち切るための一手を考え付いたのだ。すなわち、外交。エルフたちがマッシュという暴力を恐れているのであれば、無害であると示すしかない。実際、何もしなけりゃ彼は拳を握らない。
     「エルフの中でも特に過敏になっている地域がある。直接行くのは逆効果になるからそこと親交のある集落から順に話をしに行く」
     「それでカルドさんとオレか」
     「あまり人数を連れて行くと警戒されるからなァ」
     ワースはそこまで言うと一つの物を取り出した。魔法石のついたストラップは伝言ウサギに取付られるようになっていた。
     「カルドさん曰く、報連相の密度が肝になる。別動でライオさんと…兄貴も魔法局を出るらしい。だからほぼオートでリアルタイム、本人たちが望んだタイミングで通じ合えるようにする」
     「そのための、コレか」
     どうみても普通の魔法道具ではない。伝言ウサギについたものを持ち上げて揺らすと石の中に文字が見えた。
     「何の文字だ?」
     「エルフと人が共存していた街の記録がある。そこで使われていたものだな。ただの魔力勝負となればエルフに勝つのは難しい。それは魔法道具でも一緒だ。刺激して戦闘にでもなれば壊されることは目に見えている。その対策だ」
     ランスはレインがワースの泥人形を使っていたことを思い出す。なるほどコレか。あまり面白くない光景だったが気持ちそのままに舌打ちしたことを今更恥じた。大人気ないとは分かっていた。ワースが咳払いをする。言いづらそうに視線を落としているせいでその瞳の色は見えなかった。

     「神覚者と言えどエルフと純粋な魔法勝負では分が悪い。あちらさんのホームじゃ尚更な」

     既に何かを予期しているような言い方にランスも眉を寄せた。どんなに凝らしても、やはり、目の色は見えなかった。

     「兎に角、連絡だ。それだけ忘れてくれるなよォ。お前の後ろにはお前のために動いている部下が沢山居るんだ」

     口元だけ、嗤っているように見えた。

    ***
     数値の上に予測はあり、予測の上に予見は座す。故にワースは適切なタイミングでマッシュを執務室に呼ぶことが出来た。それは遠征隊が最初の村に到着した次の日。襲撃の報が入って直ぐである。

     「来ちまったなァ」

     マッシュはその扉の前で立ち止まった。どうにも部屋の空気が違う。ソファの前で座りもせずに上を見るワースに、暫く言葉も掛けなかった。
     「来ねェのか」
     「…」
     「でも来ちまったンだわ」
     「…」

     無言のマッシュにワースが哂う。ぐらりと重そうに揺れた頭は黒く淀み、跳ね上がった首から面が見える。瞳は黄土色に光っていた。その中央で瞳孔は四角に伸びマッシュは思わず呟いたのだ。
     「山羊」
     「ああ、ヤギだなァ」
     「ワースくん、そんな目でしたっけ?」
     「さぁ、しらねぇな。オレからじゃ見えねェ」
     「そうですか」

     カクンと首が落ちる。今度目についたのはその頭である。黒い霧から生まれたのは大きな角。重そうにその頭上を這い出たそれらにまたもマッシュは口を開いた。
     「羊だ」
     「羊だなァ」
     「ワースくん、そんなもの付けてましたっけ?」
     「どうだろうなァ、興味ねェわ」
     「そうですか」

     マッシュはとうとうその部屋へと入る。いつもの、自分の、ワースが取り仕切る執務室。マッシュ・バーンデッドの執務室だ。
    一歩入れば足を取られ、その泥沼に落ちていく。不思議とマッシュに焦りや恐怖はなかった。狂ったように甲高い鳴き声で啼くワースのようなものを見ても、彼のセンサーはそれが悪い人とは思わなかったのだから。

     「さァて、契約執行の刻来たれり。ただ巻き込まれた可哀想なマッシュ・バーンデッドに優しい優しい悪魔様が語ってやろう。それはただの契約の話だ。ただテメェを生かすための話だかンなア」

     マッシュはちょっと煩いなって思った。でも、拳を握るに留めたのだ。多分自分にはまったく関係ないけれど大事な話なのだろうから。

    ***
     悪魔とは律儀な生き物だ。契約を取り決め、一心に遂行する。その効力が切れるまでは従順で全ての力を契約のために使うのだ。

     契約内容は『マッシュ・バーンデッドの執務室の管理及び警備』
     契約者はランス・クラウン。
     彼が欲しがったのは『努力』と『魔法』

     ワース・マドルはこの話をされた夜、神覚者の一覧を机に広げた。どのような学生がどのように神覚者に成り、そうして散っていったのか。死んだ者も重症で働けなくなった者も自己都合で消えたものも。
     数値の上に予測はあり、予測の上に予見は座す。執務室というのはそこに神覚者が居なければ存続しない。ならばどのような形であれ、生かすしかない。それが第一で、全てなのだ。
     「世界がマッシュ・バーンデッドを選んだなら…」
     努力と魔法はそこに置いてやる。だから、マッシュ・バーンデッドを生かすのだ。ワースは契約書を作った。そこに赤文字で己の名を書いた。魔力を通じて己のなかの悪魔が哂う。お前は本当に阿呆だな、と哂った。

     『いいぜ。此処にいる限りお前の努力と魔法は尽きない。特に魔法は縛りをやろう。出来る限り此処から離れず魔力の貯金をしておくことだな。悪魔は律儀だぜ。見合った分だけ利息をやるよ』

    予定が崩れたのはランス自身が執務室を望んだからだ。ワースの中で悪魔は哂う。なんせ契約先が命の危機だ。

     『死んだらどうなるんだこりゃァよォ。あえ?此処にきて追加の契約かァ?肝っ玉座ってんなァ、ワース。ああ違うか、オレの身体、オレの精神や。さあ、どうやって生かす?どうやって活かす?』

     山羊が啼き羊角が揺れる。ワースの賢い頭でも答えの出ない問題だった。だから、彼の言葉を繰り返したのだ。

    「世界が、マッシュ・バーンデッドを、選んだなら…」

     『ははん。そりゃ凄い自信だ。アイツさえ居れば何でもどうにかなるって?アイツさえ敵地に送り込めばいいってか?でも残念、マッシュ・バーンデッドが死んだらこの契約は破られる。不成立だ』
     「馬鹿はテメェだ。オレの足りねぇ魔法如きが。求められたのはオレの『努力』と『魔法』だ。あくまでパーツであって頭脳じゃねぇ。アイツなら、ランスなら死に際に何を求めるか。死なないために何を求めるか。それだけ考えりゃいいんだ。そうすりゃアイツらはどちらも生きる。マッシュ・バーンデッドも、ランス・クラウンも。どっちも神覚者として生き、執務室は守られる。」

    ワースはもう一度唱えた。生きよ、活きよ。

     「あいつらどっちも死ぬときなんざ、そりゃ世界の終わりだろうよ。さ、理解したならとっとと契約しろ。マッシュ・バーンデッドの執務室の管理を広意義に。オレの工房として活きるように。
     やることはシンプルだ。たった一回切りの超遠距離テレポーテーション。オレの「努力」と「魔法」でマッシュ・バーンデッドを解析して、溶かして、土あるところで統合する」
     『テメェで言ったんだろワース。テメェの魔法如きじゃあ足りねェよ』
     「じゃあ簡単だ。命を使え」

     ワースが笑った。その先の魔力で悪魔が哂った。

     信念を持ったら人は強く成れるらしい。愛しい人の言葉で一番難解なものだった。
     彼は怒るかもしれないが自分が見つけたのはこういうことで、自分にしか出来ないことを誰かの為に使えたらきっとそれで満足なのだ。自分は特別じゃなくていい。特別な人を、価値ある人を活かせれば良い。その為に愛しい人が、あのランス・クラウンがあの日最初に認めてくれた物を使い切る。この覚悟を、いや覚悟なんて名前はつかないか、ただの気持ちを信念とは呼べないだろうか。

     ワースだって馬鹿じゃない。自分で言い切れないのだから、信念なんて呼べないんだ。
     
    ***
    『たかがワースの信念擬きの為に、テメェはまた世界の危機とやらに送られるんだ。残念だったなア。5年に一度やってくるらしい危機とやらにちっぽけなワースが用意した、たった一回の安全装置。この一回を乗り切ればどうにかなるって勝手に信頼して創り上げた自殺砲!ハハハ!滑稽!』
    「どうしよう。全然分からなかった」

     マッシュの身体は頭の先まで埋まっていた。温かな泥はその身体に張り付き、沁み込み、馴染み、慣れる。零した言語は解析されて泡と成った。しかし、それは魔力の中の話である。
     古代の技術を模して作られた魔法道具は殊更そのようなことには強く、溶けた言語もそれまでの悪魔の独白も全て全て神覚者に共有していたのである。だってマッシュ・バーンデッドは神覚者で、悪魔のいうことが理解出来ずとりあえず自分以外の誰かに聞いて貰いたかったのだから。

    「とりあえず、世界救いますか」
    「ところでワースくんの命を使うって。自殺砲って」

     思考が続いたのはそこまで、どこまでも落ちていく感覚は遥か昔の学生時代に経験した泥の其れだ。マッシュ・バーンデッドの情報は土を続いて遥か遠くへ送られる。
     
     それはランス・クラウンの遠征先で、エルフが高度な魔法陣で罠を敷いた場所で、彼らは血を流しその杖を手放す手前で、ただそのどうにもならない強い魔法の気配に瞳は勝手に地の奥を視る。

     エルフはざわめいた。地だ。地なのだ。己の基盤となる地が口を開け、その真髄を剥き出しにする。惑星という小宇宙の核は鏡合わせのように蠢き、そこから一つ一つ形を作る。泥から生まれたのは足だった。這い出るように手が伸び、押し出されるように身体が吐かれる。
     生きよ、活きよ。数値の上に存在を成し、土の上に姿を合わせよ。
     産声のように山羊の鳴き声が響く。けたたましいそれにマッシュは眉を潜め、その波に便乗して高く飛び上がるとランスに杖を向けるエルフ族へと腕を振り上げた。
     
     「喧嘩両成敗」

     ***
     魔法使いの工房は一種の結界である。ワースが媒体としたマッシュ・バーンデッドの執務室は泥で溶け、彼の魔力が枯渇すると共に形を戻していく。机一つしかない、ワースがこの部屋に出会ったばかりの形に戻っていく。書類も、本もそこに見えていたものはイミテーションなのだ。ワースの魔力で作り出した、幻想なのだ。
     部屋のど真ん中に在る泥だまりでワースは身体が溶けるのを感じていた。魔力として消費された命は身体に直結するのだと初めて知った。最後まで知るための生だった。それはなんと幸福なことだろう。マッシュ・バーンデッドは無事降り立っただろう。オレの努力は実を結んだ。
     オレの魔力は。嗚呼、魔力ってやつは。相変わらず足りなかったなァ。

     足指が消えた。膝が消えた。
     腹が泥になった時、確かにその場は震えあがった。不躾なほどに膨大な魔力が泥だまりに流れ込み掴めないワースの身体に舌を打つ。泥よりざらついた砂どもは手当たり次第を巻き込んでその魔力を泥の中で放出した。そして掴めるようになった手を取るとありったけの魔力を叩き込んだのだ。
     神覚者のありったけは悪魔の精算を多いに狂わせた。
     『ハハハ、釣りが出るどころの話じゃねェな』
     兄の魔力は身体に馴染み、どうにも形すら整ってしまうのだから仕方ない。
     『困っちまう。悪魔は律儀なんだ』
     「そうだろう。私の知る弟もそういうヒトだ」
     『お前がワースを語るのかア?』
     「ワース自身の魔力であるお前以上には語れないだろうよ。ただお前が思う以上に知っていることもある」
     オーター・マドルの胸元で通信機器に連なる魔法道具が揺れる。
     「お前は昔から信仰心が強すぎる」

     腕の中に戻ってきたワース・マドルの身体はオーターの知らないほどに育っていた。けれど心は小さなときと変わらない。父を全てと思って精一杯尽くし、己自身を踏みしめ伸びあがった幼少時代と何も変わらない。
     部屋の中で羊の鳴き声が響き渡る。安堵を覚えるその音にオーターはワースの身体を抱きしめた。初めて赤子を抱いたときのように柔らかく大事に抱きしめた。

    ***

    ランス・クラウンはワース・マドルの正面の席に座った。ここ最近は隣に座ることが多い彼だったのだから、こうして顔を付き合わせるのは随分久々に感じたものだ。ランスが真剣な顔でワースの顔を掴んだ。
     「瞳、良し。頭、良い」
     「そりゃどうも。毎日チェックしたところでもうセコンズは出てこねェよ。あれはアレで条件が揃わねェと出来ないかンな」
     「出来ないことの確認をしてるンだ。一生やるなよ」
     「こっわ」
     
     再び世界の危機を乗り越えて直ぐのこと。兄の腕の中で目を覚ましたワースはそりゃもう驚き暴れまくった。何故か身体が元気なもので想像以上に暴れてしまったのだ。そうすれば兄は砂を出すものでこの部屋の主が帰ってきたときにはワースはしっかりと砂で拘束された後だった。マッシュとランスの顔を見て、砂を緩めようとするオーターにランスが首を振る。そのまま、兄同伴で始まったランスの大説教大会はカルドが来るまで続けられた。
     傷を癒してから来たカルドは執務室の工房化が解けてるのを見てひとつ頷く。今回は助かったから、と前置きして始まった新たな説教は半分は八つ当たりだったに違いない。
     その間に、ランスはワースとの一番最初の契約書を持ち出した。赤文字で書かれたワースの名前は血しぶきのようにインクが跳ねまわった状態でしかなかった。
    「どういうことだ」
    「一度はオレの魔力を使い切ったからだろ。今動いてるのは兄貴の魔力だしよ」
    その一言で部屋の温度は数度下がった。なんせ兄と弟の魔力のアレソレは共有されていなかったからだ。事態を聞いたランス・クラウンは早かった。ソファーにワースを寝かせると重力で潰しながら布団を取りに仮眠室へと走る。砂で拘束され、重力で潰され、散々なワースにカルドはにっこりと言った。「謹慎ね」

     ワースは見慣れた執務室の天井を見て思う。
     ああ、やり遂げたのだ。どんな方法でも、自分はマッシュ・バーンデッドの執務室を守り切った。ランスもマッシュも命は在り、この先も神覚者としての日々が続いていく。
     だから、この先の自分を何一つ決めていないことを思い出した。だって、自分が居る予定ではなかったのだから。
     また何かを見つけなくてはいけない。価値ある人を活かすための何か。自分が出来る何かを。

     重い重力がふっと抜ける。温かい空気が布団と共にやってきて、それと似合わない紙を叩きつける音がすぐ間近で響いた。砂のさざめきにワースも横目で紙を視る。
     婚姻届と書かれた紙はランスの名前以外は空っぽ。急いで持ってきたのは分かったがワースは思わず息を飲んだ。なんせ差し出されたのは赤いインクだ。
     「新しい契約書だ」
     「いや、あンなァ」
     「今回のことでオレも考えた。お前がオレとの契約に命を張るならオレも一生を差し出してやる。ほら、サインしろ」
     「そういうもんじゃねェだろ!」
     「口約束でもいいぞ。証人は沢山いるしな」
     
     ランスはワースを上から見下ろす。逆光で瞳だけがギラつくなか、惑星のピアスが虹色に輝いていた。
     これはいつか彼らが気付くこと。ワースの信念足り得る献身はその実、愛と呼べるもの。そしてワースが探していた価値ある人を活かすための何かもまた愛であった、と。







    本作説明かっとばしたところとネタメモ(改変あり)

    ◎悪魔との契約
    行為と魂の交換(マッドロ⇔ワス)。もしくは主人に仕えるために代償なしで行うもの(ラン⇔ワス)
    書面による悪魔との契約は血もしくは赤インクで行われる。悪魔の文字は読めない。

    ◎ランス⇔マッドロデビルとの契約
     マッシュ・バーンデッドの執務室の管理及び警備。管理とは在ることが前提、維持が基本。つまり、マッシュが神覚者として存続することが第一。生きよ。(生命が在れよ)

    ◎マッドロデビル(魔力)⇔ワース(身体)との契約
     ランスの生命の確保。必要なのはマッシュ・バーンデッドだとワースは決め打ちしてランスの生命の危機にマッシュの執務室からランスがいる「土」に超遠距離移動出来るようになっている。(マッシュに対して)活きよ。(活用せよ)

    ◎それぞれの線引き
    ラ⇔悪魔
    マッシュの執務室に置いて決定権はラにある
    ワは何かを判断することは出来ない

    悪魔⇔ワ
    マッシュの執務室から離れない
    ※魔力の貯金、ワースの身体から日々工房(執務室)に魔力を補うことで遠距離移動を成功させる。距離が足らなきゃ命から魔力を補う。命の定義は身体、精神性、その後に記憶。
     
    ◎バフォメット(右腕が溶解:左腕が凝固)(Solve et Coagula)
    (錬金術:広意義:人間の知の在り方、世界の変革)
    溶かして固めよ。分析して統合せよ。解体して統合せよ。

    ◎山羊と羊
    山羊が悪、羊が善。
    山羊
    苦難や罪を追わせて荒野に離した山羊(スケープゴート)→安全装置としてのマッシュ

    生贄、不完全な贖い→マッシュを送り込むためのワス

    マッドロちゃん(悪魔/魔力信仰)
    ワスがこれまで(ンスくんと契約したときに一番)崇めていたもの
    努力と魔法の魔法の部分。マッシュの執務室でちゃくちゃくと力を貯めていたワスの魔力の部分。

    ランワスの流れ

    ワス
    ・契約するときから生涯ランのパーツとして生きよう(活きよう)としている
    ラン
    ・契約時、信頼できるだろう何か→神覚者試験で恋を自覚
    →すくすく育った恋心(多分両想いだと思ってる)
    →死にかけからのワスの自殺報で既にワスの命を貰っていたことに気付く→結婚しよ
    ※お気づきの通り、付き合っていない

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    Arasawa

    DONEハピエン前提で、愛する女に嫌われ逃げられてる七海が好きな人にオススメの話です。
    七海の出戻りが解釈違いな元カノの話 1呪術師としての物心がつく前から七海はそばにいた。七海は、私が二年の時に入学してきた。彼のことは大好きだった。彼も実は私のことが好きだったと判明して、学年が上がる前に付き合い始めた。そこからずっと、灰原が亡くなっても夏油が離脱しても、ずっとずっと七海のそばにいた。七海がいない人生なんて考えられなかった。だからこそ、私は高専卒業と共に呪術師を辞めようとした七海を必死で引き留めた。七海に地獄を味わわせ続けるとしても、そばにいてほしかった。当時高専を卒業して一年目だった私は、七海がいない人生が考えられなかった。

    七海は誰よりも何よりも心の支えだった。支えを失った自分がどうなるのかなんてわからなくて、七海がいない人生なんて考えるだけで背筋が凍るほど寂しくて、時には冷静に時には情けなく泣きじゃくりながら説得したけれどまるで効果がなかった。七海は七海で、私をこの地獄から連れ出そうとしてくれた。お互いにお互いを熱く説得しあって、険悪にもなる日もあったし見えない心を身体で分かり合うように貪りあう日もあった。大きな紆余曲折を経て、結局私は七海と共に過ごす人生よりも、この地獄で支えを失ったまま生きる道を選択してしまった。
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