悪ガキどもにご用心 失敗した。おおいに失敗した。
寂れた町の近辺なら悪さをしても見つからないだろうと考えて、スパイクタウンのはずれを狩場に選んだのが間違いだった。こんな辺鄙なところには誰も来るものかと油断して、海外へ売りさばくためにポケモンを乱獲していたら、あっけなくスパイクジムリーダーのネズに見つかった。どうやらスパイクタウンのはずれはネズの根城で、たびたびひとりでたそがれているらしかった。しかも運が悪いことに、今日に限って、ナックルのジムリーダーであるキバナの姿まであった。何か用事があってネズを訪ねていたようだ。
現役のジムリーダー、それもエネルギーに満ち溢れた若人。そんなヤツらをふたりも相手にして、くたびれた中年の小悪党がたちうちできるはずもない。おれは見事にお縄になった。比喩ではなく、ほんとうに縄でぐるぐる巻きにされている。
地べたに座らされたおれは、身動きがとれないながらも、できうるかぎりおっかない目つきでネズとキバナをにらみつけてやった。しかしふたりとも平然としている。おれのことなどちっとも怖くないという顔だ。悔しいが、おれが彼らの立場だとしても、簡単に捕まったさえないおっさんに睨まれたって、何とも思わないだろう。情けないことこの上ない。
「ネズ、こいつどーする?」
「そりゃ警察に突き出しますよ。まあでも、スパイクで悪さされたんだから、おまわりさんに引き渡す前に、ちょっと自分の手で懲らしめてやりたいよね」
「そうこなくっちゃ!」
ネズがにやりと笑い、キバナの目が輝く。ふたりとも逞しい青年のはずなのに、表情はまるで子どもだ。それも、ピュアでイイコなお子様ではなく、大人たちにどれだけ怒られようとも果敢に悪さを繰り返す悪ガキの顔。
背筋がぞっとした。嫌な予感がする。冷や汗が出る。
「さてキバナくん、何かいいアイデアはありますか?」
「そうだな、じゃあこれはどうだ? ポケモンたちと遊ぼうと思って持ってたんだが……」
そう言ってキバナが荷物の中から取り出したのは、ポケじゃらしだった。ポケモンと戯れるためのおもちゃが、鋭利なナイフよりも恐ろしい狂気に見える。
「これで、こいつをくすぐる」
「ほう」
「首、脇、脇腹、足の裏……ありとあらゆるところをくすぐる。どれだけ笑ってもやめねえ。笑い死ぬんじゃねえかってところまで追い詰める」
キバナはにやにやしながらポケじゃらしをくるくると回す。ネズは興味深そうにポケじゃらしを見つめているが、おれの顔は真っ青だ。
たかがくすぐり、されどくすぐり。くすぐられるっていうのは案外つらいものなのだ。いくら笑っても止めてもらえないのだから、拷問にも匹敵する。しかも中年男が若者にくすぐられると言うのだから、プライドだってぼきぼきにへし折られてしまう。
青ざめるおれにも構わず、キバナは楽しそうに笑っている。無邪気で、屈託が無くて、だけど残酷な笑顔だ。容赦なくえげつないいたずらをする子どもそのもの。きっとこの青年は、心の中にしっかりと悪ガキの精神を残したまま、こんなに大きく成長した。
「どうだ、ネズ? 面白いと思わねえか?」
悪人をこらしめる判断基準を面白いか面白くないかにするな、と思うが、おれはそんな文句を言える立場にはない。
ネズはふうむ、と顎に手を当てて考えてから「悪くないけど、インパクトが足りないかな」
「えー、だめ?」
「キバナくんの案も面白そうだけどさ、くすぐるんじゃたいした罰にならないよ」
いやじゅうぶん罰になるだろ、と思ったが、それもやっぱり口にはできない。おれは悪人のわりに小心者なのだ。
「あ、そうだ。いいこと思いついた」
ネズがにっこりと笑う。愛嬌のある笑みなのに、何故だろう、おれは鳥肌が立った。ものすごく嫌な予感がする。
「実はこんなところに、こんなものがあるんだよね。誰かが捨ててったんだと思うんだけど……」
ネズは隅っこから何かを引っ張り出した。
キャスター付きの黒板だった。かなり汚れているが、黒板としての役目はじゅうぶんに果たせそうだ。
それを見た瞬間、おれは全てを察した。これから何をされるか想像して、がたがたと震えてしまう。
「それともうひとつ。ここに取り出したるは、じゃーん、『せんせいのツメ』。トレーナーならお世話になるアイテムだよね」
ネズはにこにこしながら、キバナに『せんせいのツメ』を見せる。キバナはツメをしげしげと見つめると、わははと笑った。
「なーるほど、そうきたか! さすがネズ、えげつねえな! でもそれだと、オレらもダメージ食らうんじゃないか?」
「だいじょうぶ、耳栓があります。ちょうど二組。かなり性能良いから、耳にはめればどんな大きな音もシャットアウトしてくれますよ。おれ耳がいいからさ、騒音に悩まされないように、耳栓は常に何セットか持ってるんだよね」
「ヒュウ、これなら何も問題ねえな!」
いやいやおれ的には問題がある。おおいにある。思うが、これもやっぱり言えない。こんなのリンチだ、リンチはよくない、一刻も早くおれを然るべき機関に引き渡し正当な法の裁きを受けさせるべきだ――そんな正論、おれのような犯罪者が口にしたところで、説得力など欠片もない。ネズもキバナも、聞き入れちゃくれないだろう。
キバナがいそいそと耳栓をする。ネズも耳栓をつけると、『せんせいのツメ』を手にして、黒板の前に立った。
「じゃあ、いくよ、キバナくん」
ネズはおれにではなく、キバナに宣言をした。おれのことなどまるで無視だ。いまのおれは、これまでの人生の中で最も人権を失っている。
キバナはこくりと頷いた。耳栓をしているからネズの声は聞こえないだろうに、唇の動きだけで何を言われたかわかったのだろうか。
ネズはにこにこと笑っている。キバナはにやにやと笑っている。悪ガキの心を忘れずに大人になった青年たち。彼らには容赦も慈悲はない。あるのはただ、無邪気な残酷さだけ。
「せーの……」
ネズが黒板にツメを立てる。
指先にぐっと力をこめて、えいや、と勢いよくツメで黒板を引っかく。
腹の奥底から湧きあがる不快感で、おれは悲鳴を上げた。
悪ガキどもは、涙目で苦悶するおれを見て、けらけら、わはは、と笑いやがる。
ネズはまた黒板を引っかく。おれは再びの悲鳴。ネズ、もう一度引っかく。おれの悲鳴。引っかく、悲鳴、引っかく、悲鳴、引っかく、引っかく、悲鳴、悲鳴、悲鳴、その合間に笑い声……。
悪ガキなんて敵に回すもんじゃない。苦痛にのたうち回りながら、そう思った。