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    ピュウ

    @pyuw_hiyuw

    Pixivから移転させた投稿物とか、一次創作とか二次創作とか。
    ツイは鍵かけてますがフォロリクはスパム以外通しています。
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    ピュウ

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    一次創作。一人称俺と一人称俺が共依存になる話。
    第七話→(https://poipiku.com/214064/10543017.html
    第九話→(https://poipiku.com/214064/10565218.html

    #創作BL
    Original Bl
    #一次創作
    Original Creation
    #冷土にて
    atColdSoil
    ##一次創作

    冷土にて 第八話「混線」 風向きが変わったのは、本格的な夏が始まってしばらく経ったある日のこと。
     穂波が再び桔梗家具店を訪れ、アンリと対峙してから三か月にも満たない頃だった。
     穂波と尾研は、中継地計画の現場に訪れていた。そこは都市から北向きに出て森を回り込んだ位置にある。都市の郊外から車で一時間ほどの場所だ。
     プロジェクトの場所をこの位置に誘導したのは穂波だ。都市に住む人々の心情も考え、出来るだけそこから見えない位置に拠点を張るべきだろうと何度かさりげなく意見した。
     穂波は集落の周囲全域の地理に詳しいわけではないが、この位置からなら森の途中で広い陥没地帯に突き当たるはずだった。外部からは霧に覆われていて、一見してそうとは気付けない。その地帯に辿り着くだけでもかなりの手間が掛かるため、集落が暴かれるまでいくらか足止めになるはずだ。ともすれば、計画ごと休止になるかもしれない。
     現場の入り口で何度目かの下見を行い、拠点に戻って職員や外部スタッフとの打ち合わせを行った。それだけで一日があっという間に過ぎる。空は陰っており、時は夕刻となっていた。
     その帰りしなに、珍しく穂波ではなく尾研に職員から声が掛けられる。何か尾研に対して伝えることがあるらしい。
     尾研は先に車へ戻っているよう穂波に伝え、別室に消えて行った。

     車に戻って来た尾研の顔は、酷く青白かった。
     運転席に座りベルトを締めたが、エンジンをかけようとしない。
     ようやく発せられた尾研の声は凍てついていた。
    「支部の捜索チームから連絡がありました。……立織と思われる死体が見つかったそうです」
     後部座席にいた穂波は驚いて、バックミラー越しに尾研の目元を覗く。
     立織。尾研の育て親だった人間の名。十二年前に穂波と尾研が協力して霧の中へ連れ込み、置き去りにすることで死に追いやった相手だった。
     立織は表向きは普通の人間だったが、見えない所で尾研に酷い暴力を振るっていた。
    「……本当に立織なの? 死体にもう情報なんて殆ど残ってないだろ。十年以上前のことだし。不審な死に方には違いないけど、殺されたとまでは断言できないはずだ」
    「歯型が残っていて、そこから本人の可能性が極めて高いと。それから……」
     尾研の体が小さく震えだす。
    「だっ、……ダイイングメッセージが、残されていたと……」
    「ダイイングメッセージ?」
    「遺体が発見された場所から少し離れた地面に、不自然なくらい石が集まっていた、と……。偶然死体を見つけたダイバーが踏み荒らして一部が崩れたようですが、なにやら文字を作っていたようにも見えるとの報告が上がっていました。先日死体が発見され、その時は生存者の救助が優先されたのですが、今日ついに回収されたそうです。現場は、明日改めて調査に向かうと。周囲の情報を拾った音波装置の解析も進められています」
     やはり立織はあの後動き回れたのか、と穂波は一人納得する。しかし、そんなことをする余裕まで残っていたとは。
     穂波と尾研があの場を去った後、眠りから覚めた立織が残った力を振り絞って周囲を歩き回り、手探りに石を掻き集めた。そしてその石で長い年月に耐え得るメッセージを残そうとした。霧に肺を焼かれ、手が寒さでかじかむ中で――。
     穂波は正直、立織が最後まで諦めていなかったことに感心した。あのような殺され方をされれば、最期に一矢報いたくなるのは当然のことかもしれないが……。そのダイイングメッセージとやらには、穂波やミナトの名前でも示されているのだろうか。
     尾研が膝に拳を打ち付けて嘆く。
    「もう終わりです! 何もかも……! 全部……!」
     尾研はつい最近になって、自分が立織から受けた加害の内容を穂波に打ち明けていた。尾研自身の中でようやく心の整理がつき始めたことが大きいが、幼い容姿の穂波に知らせることも躊躇われたのだろう。その内容は、穂波が想像し得なかったものも含まれていた。
     そんなタイミングで立織の死体が霧の中から浮かび上がって来たのである。
     尾研は何度目とも分からぬフラッシュバックに苦しみ、見るからに取り乱していた。
    「落ち着いて尾研。もし、仮にだ。万が一僕らが疑われたとしても、やったのは僕だ。キミは当時僕に脅されて協力した」
    「駄目ですよそんなの! 仮に重い罪に問われなかったとしても、間違いなくあなたの力は危険視されて拘束される! 当時からあれだけのことを淡々とやってのけたと知られれば、猶更だ」
     尾研は両手で顔を覆って泣き出した。
    「穂波がいなくなったら、私はどうやってあなたの暮らしていた場所まで行けばいいんです? 私はどうやって生きていけば……」
    「尾研……」
     尾研がこれまで生きて来れたのは、穂波との約束があったからだ。穂波が尾研を霧の奥の集落へ連れて行くと誓ったから……。
    「駄目元で訊くけど、今すぐそのダイイングメッセージってやつを壊しに行くのは?」
    「無理ですっ。当時よりも調査地域が広がって、森の周囲に、監視が増えているし、元職員の死体が見つかったことでっ、職員の関心が、集まっています……。出入りの瞬間を見られでもしたら、犯行を自白するのと同義です……!」
     確かに、今から現場に行くのはリスクも高く、手遅れかもしれない。
     仮にダイイングメッセージやその後の捜査から穂波と尾研に疑いが向かわなかったとしても、尾研が暫くの間多大なストレスに晒されることは目に見えている。グラスの職員が行方不明になった後霧の中で死体となって見つかり、しかも殺害された可能性が否定しきれないという情報がどこかから漏れれば、世間にはセンセーショナルなニュースに見えてしまうかもしれない。もし職場以外の人間からも注目が集まってしまったら最悪だ。
     ただでさえ今の尾研は冷静ではないのに、その後の捜査報告や、この件に関心を寄せた職員への対応をし続けなければならないと考えると、とてもやっていける状況ではない。
     ここが限界なのかもしれない。穂波はそう思った。
     尾研は腕で涙を拭い取って、車のエンジンを掛ける。穂波は席の間から身を乗り出して、まだ涙の止まらない尾研に顔を寄せた。
    「尾研、よくここに来るまで取り乱さずにいられたね。でも、そんな状態で運転したら駄目だ」
    「しかし、少しでも都市から離れて、時間を稼がないと」
    「でも、宛てなんかないしさ……」
    「あいつの……。雪路のところに行きます。あいつを連れて行かなきゃ意味がない」
     この状況を強引に解決できる方法があるとしたら、集落に身を隠してしまうことだ。それを尾研も分かっていた。
     最悪の場合、雪路を伴わずに逃げ込んでしまうことも出来るだろう。けれど雪路を連れていかなければ、穂波は小さな部屋に二百年閉じ込められる。集落に辿り着いたばかりで戸惑うだろう尾研を残して。
     穂波が今尾研へ懐いている気持ちを、何もない部屋のなかで孤独に忘れていく。消えるとしてもそれまで尾研の傍にいたい。穂波には堪えられなかった。
     他にもう一つ、雪路が死亡した証拠を偽造して持って行くという手もある。だが、雪路は飾水が選び出した特別な相手だ。その証拠に納得するか分からないし、偽造したことが明らかになれば二人に何が待っているか分からない。
     雪路をこの手で殺して証拠を確実なものにしてしまおうか。二人の障害となる相手からまた衝動的に命を奪う。今度は憎んでもいない相手を――。それも駄目だ。その場合も後に飾水の怒りを買うのは明らかである。
     二人で集落へ逃げ延びその後の安寧を得るには、雪路を連れて行くことが絶対条件だ。尾研の言う通り、雪路に会う必要がある。しかしここからでは、雪路が暮らす町までは短くとも半日は掛かる。
    「だったら猶更無理だ。今ここで倒れたら元も子もないんだよ、尾研。無理のない範囲でここを離れて、とにかく一度休もう」
     穂波はタオルを取り出し、尾研の頬の涙を優しく拭いてあげた。
    「はい……」
     尾研は頷き、車を静かに発進させる。
     後部座席に戻った穂波は、振り返って荷室に手を伸ばし、そこに積まれた鞄を探る。中から便箋とペンを引っ張り出した。
     ベルトを締め、膝の上にまっさらな便箋を広げる。
     流れていく街灯のオレンジ色が、ちらちらと手元を照らしては消えていく。その僅かな灯りを頼りに、穂波はペンを走らせた。

     穂波と尾研は休息を挟み、翌日の夕方に雪路のいる町に到着した。
     商店街の外れに車が停まる。
    「お疲れ様、尾研。キミは車で待ってて」
     長時間の運転を経た尾研は、精神の困憊もあって限界が近かった。穂波が店へ行って雪路と交渉する少しの時間だけでも休んでおくべきだ。
     穂波は一人で車を後にし、真っ直ぐ桔梗家具店へ向かう。
     店の重いドアを開けると、穂波の背後から夏の涼やかな風が店内へ流れ込んだ。
     カウンターを見ると、前回と同じくアンリが立っており、険しい表情でこちらを見ている。穂波は、自分のやるべきことが分かった。
    「もううちに来ないでくれませんか」
     アンリは真っ先にそう口にした。
    「うん。もう来ない。来るのは今日で最後だから安心して、アンリ」
     穂波がそう伝えると、アンリの明るいオレンジ色の瞳が彩度を増した。
    「……俺の名前は遼遠です」
    「ああ。やっぱりそうだったんだ」
     穂波は納得した。
     アンリ――改め遼遠は、自分の新しい名前を予め雪路に伝えていたに違いない。何かの事情があって改名手続きを行っていなかったが、穂波が訪れていない間に正式に名前を変えたのだ。
     遼か遠くと書いて、遼遠。
    「やっぱり、キミたちは繋がっているんだな」
     穂波は独り言ちる。
     そして風が草地を優しく撫でるように、ゆっくりとカウンターへ向かって歩き出した。
     遼遠が声を上げる。
    「帰ってくれ」
     穂波の足は止まらなかった。誰に聞かせるでもなく、静かに語り始める。
    「僕にも、繋がってる人がいるよ。――僕らアンカーについてくれるボディーガードはね、希少な存在である僕らの身を守ってくれるだけじゃないんだ。僕らが仕事の時以外で力を使わないようにするための見張りだよ。人を好きに操れるかもしれない存在を野放しにしちゃうなんて怖いだろ? 関係者でもなきゃ僕らが普通の人かアンカーかだなんて分からないんだから、そっちの目的の方が重い」
     遼遠には穂波の話している意味がまるで分からない。呆気に取られているうちに、穂波がカウンターを回り込んで遼遠のすぐ目の前まで来ていた。
     穂波はその場に立ち止まって俯く。身長差があって、遼遠から穂波の表情はよく見えなかった。
    「ボディーガードという存在は、僕の安全を保障するという代わりに、僕を縛っている……」
     穂波は顔を上げて、真正面から遼遠の瞳を捉えた。睨むように細められた目元から、動揺した光が揺らめく。
    「でも、尾研は違うんだ。僕との間にはそれよりも大事な約束があるからね。僕が一般人のキミに力を使おうとしても、尾研は止めてくれないよ」
     穂波の雰囲気が変わったことを感じ取り、遼遠は身構えた。
    「何をするつもりだ……」
    「キミが雪路と繋がっているのなら、キミの方をどうにかした方が早い」
     穂波が伸ばした両手を遼遠が払いのけようとする。穂波はこちらへ誘い出された腕をそのまま掴み取り、指先に力を込める。意識を集中させた。
    「なっ、やめろ……」
    「大丈夫。少し眠くなるだけだ」
     瞬く間に遼遠の体から力が抜けていき、意識が遠退いた。その場に崩れるように倒れ、静かな寝息を立てて動かなくなる。
     穂波はカウンターに置かれた電話の受話器を取り、内線に繋いだ。
     数回の呼び出し音が続いた後に、隣接した工房にいる人物が応答する。
    「もしもし、雪路? 久しぶり。……穂波だよ。話があるから、店の方まで来てくれないかな」

     受話器から穂波の高い声が聞こえてきた瞬間から、雪路の胸騒ぎが止まらなかった。
     通話が切れても頭が真っ白なまま受話器を持ち続けた。内線の内容が何だったのか親方に尋ねられるが、何も言うことができない。
    「お、俺、店に行ってきます……」
    「私も行く」
     雪路の震えた言葉に、鋭い声が返ってくる。
     親方は雪路の激しい動揺をすぐに察し、共に悪い予感を感じ取っていた。
     二人は店の正面入り口に向かい、店内に駆け込む。
     カウンターの傍に穂波が一人で佇んでいるのが見えた。だが、店番をしているはずの遼遠の姿が見当たらない。嫌な予感が破裂寸前まで膨らむ。
     もしやと思い穂波のいる場所まで駆け寄ると、カウンターの裏で遼遠が気を失って倒れていた。
     雪路は親方と共に遼遠の傍へ行き、上半身を抱き起こす。遼遠の体は力が抜けきっているせいで重く、揺さぶっても反応がない。
    「遼遠! しっかりしろ!」
    「何が起こっている……」
     雪路は遼遠に呼びかけるのをやめ、一度その体を丁寧に床に下ろした。親方は遼遠の顔を心配そうに覗き込んでいる。
     雪路はゆっくりと立ち上がると、穂波の後頭部を睨みつけた。
    「遼遠に何をした!」
     穂波にひるんだ様子は無かった。雪路に背を向けたまま答える。
    「心配しないで。眠ってるだけだ」
    「ふざけるな! お前の力か!」
     穂波は最早なりふり構っていられなかった。時間もない。最後の手段に懸けるしか道は残されていない。
     雪路に向き直った穂波はこう宣言した。
    「雪路、僕はキミを飾水に会わせなきゃいけない。僕についてきてくれるんだったら、この人を目覚めさせてあげる」
     雪路は耳を疑った。
     親方は話の飛躍に追いつけず、黙って二人のやりとりを見守る。
    「なっ……。何でここで飾水の名前が出てくるんだ!」
    「生きてるんだ、霧の中で。キミも本当は飾水と一緒にそこへ行くはずだったのに、キミが飾水との繋がりを断ち切って森の中で別れたんだよ。覚えてないだろうけどね」
     唖然として言葉が出てこない。飾水が霧の中で生きている? 雪路は自分の妄想の話でもされているのかと混乱が加速する。
    「何を、言ってるんだ……」
    「僕も霧の中から来た。キミを連れて帰るという使命を受けてね。……もっとのんびり誘おうと思ってたんだけど、事情が変わっちゃってさ」
     穂波はうつむきがちに雪路から視線を逸らす。
    「飾水に一度会うだけでいい。その後またこっちに帰って来たって僕は構わない。そこまでは僕の仕事じゃないから」
     穂波が頼まれたのは、雪路を連れて行くことだけだ。
     その後飾水がどんな話を持ち掛けようと、どんな揺さぶりを掛けようと、雪路には帰る権利がある。
     穂波の言葉を聞きつつ、雪路は足元で仰向けに眠っている遼遠の顔を見た。
     一度に様々なことを言われた雪路の脳内は、混沌として何もはっきりと思考が紡げなかった。けれど、確かなことがひとつだけある。雪路は今すぐ遼遠を救いたい。
    「聞きたいことが山程ある。――けど、遼遠は関係ないだろ! どうして巻き込むんだ!」
    「キミたちは選んだんだろ! ずっと繋がっていることを!」
     穂波は叫んだ。店の空気が静まり返る。
     雪路と遼遠はお互いに一緒にいることを誓った。運命を共にすることを選んだ。
     二人は繋がっている。だから、それを穂波は利用した。
     穂波のことを見据えて、雪路は言う。
    「……俺がここであんたの要求を呑めば、遼遠は助かるんだよな」
    「雪路っ」
     はっとした親方が声を掛けるが、雪路は振り向かなかった。
    「ああ。速やかに催眠を解くよ。まだ考えたいのなら、僕はこのまま帰るけどね」
     穂波は、雪路が応じなければ尾研と二人だけで集落へ向かうつもりだった。自分が幽閉されてしまっても、尾研を蝕む苦しみだけは救うことが出来る。尾研と一緒にいられないことは寂しかったが、その寂しいという気持ちさえも時間が経てば分からなくなるはずだ。
    「雪路……!」
     親方が再度呼びかけるが、既に雪路の答えは決まっていた。
    「――わかった、行く。飾水に会いに。会って、ここに戻ってくる」
    「二言は無いね?」
    「ああ」
     雪路は頷く。その傍らで親方が俯くように視線を落とす気配がした。
     穂波はしばし感じ入るように黙り込み、やがてこう言った。
    「……キミが優しい人で良かった。ありがとう、雪路」
     穂波が遼遠にかけた催眠は元々しばらく経てば消えるもので、穂波がその場を離れてしまっても待っていれば自然と目が覚める。雪路の思いを利用して、穂波ははったりで雪路に要求を呑ませようとした。雪路が長考すれば穂波に分は無かった。仮に会話での交渉が決裂し穂波が腕力で反撃されでもしていたら、その場合もどうすることも出来なかった。
     これはせめて本人の希望通り、雪路を行って帰って来させることを大前提に動くしかないだろう。穂波はそう思った。
     穂波は遼遠の傍に来てしゃがみ込む。その肩に手を置いて数回軽く叩くと、再び距離をとって雪路たちに背を向けた。
     雪路はまだぐったりとしたままの遼遠を抱き起こし、顔を覗き込む。
    「遼遠!」
    「遼遠!」
     雪路と親方の声が重なる。
    「んう……」
     重力に垂れた首筋にひくりと力がこもるのを雪路は感じ取った。
     遼遠は消え入りそうなか細い寝息を立てるのをやめ、深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すのを繰り返す。切り替わった呼吸に合わせて胸部が大きく上下する。
     閉じられた瞼の裏で眼球がうろうろと動く様子が分かり、やがて明るい瞳の色がまつ毛の合間から覗いた。
    「遼遠……!」
     雪路は遼遠の身体を抱き寄せ、その肩口に顔を伏せた。
     目覚めた遼遠は状況が理解できず、何度か目を瞬かせる。首を捻り、店の中に穂波がいるのを確かめた。穂波は店の外を眺めるように背を向けている。顔を戻すと、自分の傍に親方がいたことにも気付く。今遼遠を抱きしめている人物は――雪路だ。
     雪路の腕に、抱きしめた遼遠の体が次第にひく、ひく、と震えだすのが伝わった。
     状況を理解し始めた遼遠がしゃくりあげて泣き出した。
    「ああ、あ、……、俺のっ、せいだ……。俺が、お前に、選ばせたっ……」
     雪路はその背を優しく叩く。
    「そんなの今更すぎるだろ。俺はそれでいいよ」

     遼遠が落ち着くのを待ち、穂波は雪路たちに向き直って話を再開させた。
    「雪路。出発は明日の早朝。道具や装備は向こうに揃っているから心配しなくていい。ここから飾水のいる集落まで行きの案内は出来るけど、帰りはキミ一人だと思え」
    「そんなにすぐ行くのか?」
     穂波の急すぎる話に遼遠は狼狽え、雪路のことを引き留めるように袖を掴んだ。
     雪路は意外そうに穂波を見た。
    「あんたはもうこっちに戻らないつもりなのか」
    「そう。そこが僕にとっての帰る場所なんだ」
     そう言って穂波が目を伏せる。
     すると、今まで大人しく話を聞いていた親方が、急に穂波に歩み寄っていった。
    「お前さんの名前は」
    「え、穂波だけど……」
     急に間を詰めてきた親方に、穂波はたじろいだ。
     親方はさらに一歩詰め寄った。
    「穂波、明日までお前はどうするつもりだ」
    「車でここまで来たから、そこで大人しくしてるよ」
    「これから店を閉めて夕飯の支度をする。来なさい」
    「は? な、なんで?」
     穂波はさらにたじろいだ。雪路と遼遠も唖然としてお互いに顔を見合わせる。
     周囲が困惑しつつも、親方は譲らないようだった。
    「腹は空かんのか」
    「あのねえ。僕はキミたちを脅迫して雪路を無理やり連れて行くんだよ?」
    「そうだそうだ」
     雪路も口を挟む。珍しく穂波と意見が合った。取引は終わったはずだが、また穂波が力を使って危害を加えて来る可能性はある。
     二人の物言いに親方はフン、と笑って見せた。
    「うちの雪路をしばらく預けるんだ、食事くらいもてなさないとな。それに、まさか詳しい事情も話さずに立ち話で済ませて行くつもりか、穂波?」
    「そりゃ、説明した方がいいとは思うけど……。食べながら話さなきゃ駄目?」
    「他にいつそんな時間がある?」
     そこに割って入ったのは遼遠だった。
    「親方はお人好しすぎだよ。俺も反対なんだけど……」
     遼遠はさっきまで穂波の力で無理やり眠らされていた上に、自分が人質になったせいで雪路を霧の中へ向かわせる羽目になってしまったのだ。相手が華奢で幼い雰囲気があるため、親方が思わず心配してしまう気持ちも分かる。だが遼遠にとっては、穂波に自宅の敷居を跨がせることだけは感情的に受け入れられなかった。
     そんな遼遠に、親方は言う。
    「話が決まってしまった以上は、雪路の帰還のために出来ることをするしかない。雪路が無事に帰って来れるかどうかはこの子にかかっているようなものだぞ」
     それを言われてしまうと、遼遠も反対できない。
    「雪路のためなら仕方ない、か……」
    「おい、遼遠まで……。正直、俺は話は聞きたいけど、こいつが大人しくしてる保証なんて無いですよ、親方」
    「ちょっとちょっと、勝手に話を進めないでよ!」
     騒ぎ出す店の連中を黙らせて、穂波は大きくため息をついた。
    「あーもう、分かったよ。……今度はこっちから人質を出す。それでいい?」

     穂波の連れてきた人質――もとい、ボディーガードの尾研は酷く憔悴していた。
     長時間の運転による疲労だけではないだろうということは、雪路たちから見ても十分察せられる。だが、尾研について詳しい事情は話せないのだと穂波は最初に断りを入れた。
     ガラス細工に触れるように尾研を気遣う穂波と、穂波に手を引かれるままの尾研。まるで守る側と守られる側が逆転しているようだ。そんな尾研を得体の知れない家に入れるのは、穂波も気が進まなかっただろう。尾研は確かに、穂波が差し出す弱みとしてはかなり大きい存在なのかもしれなかった。
     穂波を良く思っていない雪路と遼遠であったが、穂波と尾研が何か重い事情を抱えていることを感じ取ると、それ以降露骨に敵対心を露わにする気にはなれなかった。

     そして今、台所には非常に気まずい空気が流れている。
     台所から見て居間の奥にあるソファには、穂波のボディーガードだという尾研という人物がおり、今は力なくうずくまっていた。一応の警戒を解かない雪路は同じく居間におり、尾研の傍に立つ形で人質を預かっている。
     一方、親方は家や店の収納から穂波たちに貸す毛布や椅子、使えそうな食器を探して来ると、今度は商店街にパンと果物を買いに出掛けた。
     そして残る遼遠と穂波は、台所に立ってぐつぐつと煮える大鍋を眺めている。
     大鍋の中身は家にある根菜を入れて適当に作ったスープだ。五人分のためいつもより分量が多く、煮え立っている様を見ているだけでいくらでも時間が過ぎていきそうではあった。
     しかし何故、自分が買い出しではないんだ。ついさっき起こったことを親方は忘れてしまったのか。遼遠は頭を抱える思いであった。
     穂波はてっきり尾研の傍についているものだと思っていたが、居間や台所全体をきょろきょろと見て歩いた後に、吸い寄せられるようにコンロの前までやって来た。
     黙って調理風景を見ていた穂波が、唐突に小声で話しかけて来る。
    「結局僕が言ったこと、雪路に話してなかったんだ」
     穂波の声は、換気扇の音と大鍋の煮える音で搔き消されてしまうような声だった。
     居間と台所の間には壁があり、角度の関係もあって雪路たちと遼遠たちはお互いの様子を見ることが出来ない。こんな状況で遼遠と秘密の会話をしようというのだ、穂波は。
     穂波が言ってきたこととは、以前穂波が店に来た際に、遼遠が雪路よりも先に飾水について知る羽目になっていた件についてだ。
     遼遠もぎりぎり穂波に届く程の声量で答えた。
    「当たり前だろ。言ったって俺たちに何の得もない」
     結局、雪路は飾水に会いに霧の中へ行くことになってしまった。けれど、雪路には霧のことを考えずに済む日常が必要だったはずだ。雪路に秘密を明かさなかったことを遼遠は後悔していない。
    「……あのさー」
    「何」
    「雪路が向こうから帰って来たら、沢山元気づけてあげて」
     何故そんなことを、しかも穂波から言われなければいけないのか。遼遠は内心辟易する。
    「……そんなの、言われなくてもそうするよ」
    「きっと雪路は、帰って来たら行く前とは少し変わっちゃってると思う。飾水がどんなことを言うのか分からないし、集落を実際に見ることで何かしらショックを受けてしまうと思う」
    「……」
     遼遠は第一に、雪路が無事に帰ってきてくれるのかどうかが不安だった。青い霧の中がどれだけ過酷な場所か、入ったことのない遼遠は想像することが出来ない。
     雪路が霧の中へ潜る仕事を辞めたのが五年前。癖となっている歩幅を保った歩き方は今でもそのままだが、それでも何年ものブランクがある。それを明日以降、ぶっつけ本番で現場に入る。
     雪路が生きて帰って来れるだけでも遼遠にとっては奇跡的なことだ。けれど欲を言えば、これ以上雪路が心に傷を負うことなく戻ってきて欲しい。
    「……雪路が変わっても、俺は変わらないから大丈夫。あいつが戻りたいなら、俺が引き戻す」
    「……そっか」
     穂波の声には安堵の響きがあった。
     その場に留まりすぎて居間にいる雪路に怪しまれないよう、穂波は再び台所をうろうろと歩き、また遼遠の傍に戻ってくる。
    「……あのさー」
    「何」
    「さっきは乱暴してごめんなさい」
    「それ、一番最初に言うべきだろ」
     親方、早く戻って来てくれ。そう強く祈って、遼遠は天を仰いだ。

     家の食卓を五人という人数で囲むのは、皆初めてのことだった。
     ソファで塞ぎ込んでいた尾研も席に着き、状況に戸惑いながらも食事に加わった。
     尾研の顔色の悪さを見かねて、親方がオレンジ色に輝く瓶を取り出して食卓に加える。パンに合わせるはちみつだ。
     それを見た雪路と遼遠がざわつく。雪路は思わず身を乗り出して尾研に言った。
    「尾研だっけ。これ、すごいもてなされてるからな? 味わえよ?」
    「……お前に言われなくても分かっている」
     尾研は雪路をひと睨みし、親方の方を向いて頭を下げる。
    「……親方さん、申し訳ありません。押しかけてこちらの要求を呑ませた上、我々をこのように受け入れてくださって……。――私は、こういう風景に混ざることも出来たんだと、最後に知れて良かった……」
     雪路への態度から一変し、尾研は泣き出した。
    「いいから、冷めないうちに食べなさい」
     親方の言葉に促され、尾研はスープの中にスプーンをくぐらせる。それを見た穂波がこう言う。
    「作ってるところを僕がしっかり見てたから安全だよ、尾研」
     今度は遼遠が席を立ち上がった。
    「失礼な。やっぱり出て行ってもらわない?」
     雪路が色々と諦めた様子で遼遠を宥める。
    「何かあったんだろ。もうそういうやつらだと思わないとやってられないぞ。……それに美味いよ、料理」
    「……それはどうも」
     食事をしながら、穂波は自分が持っている情報を雪路たちに伝えた。
     スポットの中心部に充満する純度の高い霧は青いまま透けること。そこに集落が形成されていること。澄んだ霧を取り込み続けると肉体の時間が止まり、やがて思考や感覚が鈍化していくこと。
     そして雪路と飾水が生き別れた経緯や、穂波が飾水から受けた条件について。穂波と尾研の二人がそのまま集落に残るつもりであることについても穂波は語った。
    「きっと飾水は、雪路と集落で暮らしたいんだと思う」
    「そんな……」
     不老不死の状態になって、狭い集落で永遠の時を生きる。途方も無い話に、雪路たちは言葉を失う。
     雪路は、飾水がそんなことを思って自分と生活していたとはとても信じられず、事実を受け止められない。
    「でも、何も悪いことをしていない雪路が拘束されることはないよ。帰りたいならそうきっぱり伝えて、引き留められても逃げて来ちゃえばいい。キミが一度そうしたように」
     穂波はテーブル中央の皿に残ったデニッシュを一つ手に取り、左右の手で二つにちぎった。
     穂波は飾水に言われた通りに雪路を連れて行かねばならないが、何もかも飾水の目論見通りに事が運ぶのは癪だった。
    「その、俺が覚えてないうちにやったっていう、アンカーの繋がりを切ったことで怒っている可能性は無いのか。強制力で上下関係があったとはいえ、飾水との今までの信頼関係を裏切る行為だったってことだろ」
     そもそも飾水がアンカーの力を持っていたことすら雪路には初耳だった。声のマーキングの話といい、自分がいつそんな催眠をかけられたのか、全く覚えがない。
    「その可能性は……無いとは言えないけど。でもそんな理由で雪路を捕まえることはしないよ。こっちもいざという時のために保険を用意するし。キミは合計二回もやっちゃってるけど、繋がりを切るなんてことは早々無いことなんだ。僕が言えたことじゃないけど、多分飾水もキミのちゃんとした合意なんて取らずに森へ連れて行ったんじゃないかな。あの時は多分、途中で帰りたくなったキミが飾水を拒絶した」
     穂波は手に残ったデニッシュの欠片を口に放り込む。
    「子が親のわがままに付き合うことなんて無いよ。そんなに雪路と暮らしたいなら、飾水の方からこっちに降りてくればいい話なんだからさ」

     流石に家の中で寝るのはお互い落ち着かないだろうということで、車で眠るつもりの穂波と尾研には毛布を貸すに留めた。
     そして明日の出発を控えた雪路は店の三階には戻らず、布団一式を抱えて遼遠の部屋の前にいる。
    「本当に俺の部屋で寝るのか?」
    「そうだけど?」
    「言いたくないんだけど、こういうの良くないんじゃないか? これがお前との最後の記憶になっちゃうっていうか……」
    「帰ってくるって言ってるだろ、心配性」
     遼遠のベッドの脇に布団を置き、部屋のドアを閉める。
     すると、遼遠が何も言わずに雪路を背後から抱き締めてきた。雪路は身動きをやめて口を閉じる。
     二人はそのまましばらく佇む。
     雪路は間近にあるその顔を見ることはしなかった。息遣いから、恐らく遼遠は泣いていた。
    「やっと飾水に会える。まだ全然実感が湧かないけど。会って話せば、楽になれるような気がする」
     遼遠は何も返さなかった。体にしがみついているその手に、雪路は自分の手を重ねる。
    「お前、前に俺の歩幅がどうとか言ってただろ。ここに戻ってくるために役に立つ時が来たじゃないか。今まで覚えたままで良かったんだ。訓練をした時間も、グラスで働いていた事も、無駄じゃなかった。全部今日まで繋がってた。ブランクはあるけど、俺の脚鈍ってないだろ? 大丈夫だ、遼遠」
    「嫌だ……雪路……」
    「悪い。約束守れなかった」
     そう伝えると、遼遠がおもむろに背中から離れ、手で涙を拭う。
     今日の遼遠は泣きすぎだった。雪路がようやくその顔を見ると、すっかり赤くなった目元を細めてこちらに微笑んでいる。
    「……いや、こっちこそ悪い。早く寝よう。寝不足でお前の集中を欠くことになったら、一生後悔する」
    「そのことなんだけど、……さっき言ったのは格好つけだ。やっぱり俺、霧の中に行くのが怖い。飾水に会うことも、かなり怖い……」
     穂波から集落の住民の存在を知らされたことで、雪路の中の霧の世界への恐怖の一部は霧散した。過去に体験した奇妙な体験の何割かは、恐らくその人々が関わっていることが察せられたからだ。
     しかしその代わりに、飾水の心の内は一層の深い霧に覆われて見えなくなった。あれ程会いたかった相手なのに、今はどう接したらいいのか分からなくなっている。
     雪路の不安はもっともだ。遼遠は頷いた。
    「うん……」
    「だから、お前のすぐ傍にいた方が安心できる」
    「…………うーん、そうきたか……」
     部屋まで雪路の寝る布団を運んできたが、結局枕だけ持って遼遠のベッドに二人で横たわった。
     部屋の灯りを消す。暗くなっても、カーテンから透ける月明りでお互いの輪郭線が分かった。
     一人用のベッドで大人二人が寝るのは難しい。お互いに向き合って、身を寄せ合うような形でなければ毛布の中に収まらない。
    「早く寝ようって言ったけど、俺が寝れないな、この状況……」
    「そうか。じゃあお先に」
     落ち着かない様子の遼遠をよそに雪路は寝姿勢を調整し直し、さっさと目を閉じた。寝るべき時に寝る。ダイバーの頃から備わっていた気持ちの切り替えが雪路には出来ていた。
    「おやすみ、遼遠」
    「おやすみ……」
     雪路は瞼を閉じるための力すら抜き、一度息を深く吐き出す。呼吸が次第に長く穏やかなものになり、やがて眠りに落ちていった。
     その様子を見守っていた遼遠の瞳から、また涙がこぼれる。
     遼遠は音を立てないように必死に耐えながら、涙が流れるままに泣いた。
     雪路が帰ってくることを心から信じているはずなのに、不安な感情は膨れ続けるばかりでちっとも楽にならない。今すぐ心臓が張り裂けてしまいそうだ。
     止めどなく溢れる涙が、自分の心が決壊する瞬間を少しでも遅らせてくれているだろうか。遼遠が頬を押し付ける枕は、流れ落ちる水滴をいくつも吸い込んでいく。

    ――きっと雪路は、帰って来たら行く前と少し変わっちゃってると思う。

     せめて、今ここにいる雪路のことを覚えていよう。眠ることは雪路を見送った後にいくらでも出来るのだから。
     遼遠は滲んだ視界に映る静かな寝顔を見つめ続けていたが、やがて泣き疲れて眠りの世界へと引きずり込まれていった。

     翌朝。日の出と共に出発する三人を、遼遠と親方は見送る。
    「達者でな」
    「ありがとー」
     親方は、昨晩ついでに買って来た朝食用のパンでサンドイッチを拵え、それぞれに持たせてくれた。 
     車の後部座席に座った雪路は窓ガラスを開け、遼遠に向けて手を伸ばした。
     二人は握手する。
    「すぐ帰ってくる」
    「俺は十三年もお前の帰りを待ってたんだ。このくらい平気だよ」
     その手がするりと離れ、行き場を失って所在なさげにそれぞれの胸の前に浮かんだ。
     尾研が車のエンジンをかける。
     親方と遼遠に向けて、雪路は微笑んだ。
    「行ってきます」   
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