フラットの寝室にあるベッドの上。肌触りの良い黒いシーツを頭の上まで引っ張りあげて、楽しげな笑いを漏らす天使を見ながら、クロウリーは息をついた。
同じくベッドの上――天使の隣で、クロウリーが開いたまま手に持っている本を、読み聞かせてくれと渡してきたのは天使だ。
「あたたかくて、真っ暗で、きみの匂いがする」
「聞かないならやめる」
「聞いてるよ。でも、残念ながら私は読み聞かせで眠るのに向いていないみたい」
シーツから顔も出さず、天使は勝手なことを言う。クロウリーが思いきりシーツを捲りあげると、天使は楽しげに声をあげて笑いだした。なるほど、読み聞かせで眠るには向かないようだ――さらにいえば、天使が選んだこの本だって、寝かしつけに向いているとは思えない。
クロウリーは開いたページにしおりを挟むと、ヘッドボードに本を置いた。
「今日はここまで」
「また続きを読んでくれる?」
するりと伸びた天使の腕が、甘えるように首に絡む。そのまま重みをかけられて、クロウリーは大人しくベッドに身体をあずけた。
「眠れなくなるのにか?」
ごめんね、と申し訳なさそうに目を伏せた天使の身体を何気なく撫でると、すぐに「擽ったい」と笑いだす。静かで薄暗い寝室や触り心地のいい寝具に寝間着、それから悪魔による読み聞かせも、睡眠に慣れない天使の心を躍らせてしまうらしい。
「眠れなくてもいいから、きみに読んでもらいたい」
あぁ、この天使ときたら「俺は悪魔で、お前は天使だ」と思わず確認したくなる無防備さで甘えてくる。
笑いすぎて涙が浮かんだペールブルーの瞳。零れそうになった涙を指でぬぐう天使に、クロウリーは剥ぎとったシーツを再びかぶせた。先ほどと違うのは、シーツの中身が二人になったこと。
「おや、また真っ暗」
「もう寝ろ、天使さま。蛇に食われるぞ」
「ねえ、蛇って――」
「読み聞かせは、いつかまた気がむいたらしてやる」
「きみ、私を食べるの?」
「――いい加減にしないと、本当に食べるぞ」
ふざけて天使の手に軽く歯をたてると、天使は裏声で「キャー、タスケテ!」と悲鳴をあげ、足をばたつかせる。実に楽しそうだ。
ベッドに入った当初の予定にしたがい、天使をどうにか眠らせてやろうと思っていたクロウリーも思わずふきだした。そして堪えようにも堪えきれず喉の奥でくっくっと笑う。
シーツでおおって外の光や音を遮断したところで、おおわれた中身がこれではどうにもならない。
シーツをめくって顔をだし「なんだ、その悲鳴は」と笑いまじりにたずねるクロウリーに、モンスター映画と美女の解説をはじめる天使。いったい、いつの時代のモンスター映画を観たのか。
「あー……――クソっ」
「――それでね、美女を攫って――ん?なあに?」
「こっちまで眠れなくなった」
「え――、そうか、ごめんね、うるさかった?私ときたら、つい浮かれてしまって」
慌てたように身体を起こして、天使はクロウリーの表情をうかがうように覗きこんでくる。クロウリーはその頬を両手でつつむようにして、顔にかかる髪をあげてやった。
さっきまで楽しげに笑っていたくせに。心許なさげな顔をして、不安に揺れる瞳を隠そうともしない。
二人の間に長いあいだ横たわっていた、邪魔くさい「私は天使で、きみは悪魔だ」は、どこへ消えたのか。
「いや、面白くてな」
「面白いの?あぁ、それならよかった――」
シーツの中をもぞもぞと移動して、天使はクロウリーの身体の上に乗りあげる。食事量に見合わずほっそりとした天使の身体。重くはないが、落ち着かない。
「ふふふ、私は眠れる気がしないし、きみの睡眠の邪魔をして悪いなとは思うのだけど、でも――私は楽しいよ」
ことりとクロウリーの胸に頭をあずけて天使は笑う。
「睡眠は諦める」
まいった。
眠れるわけがない。
「でもせっかくだから、もう少しこうしていさせてね。こうしていると声が響いて面白いの」
「お好きなように」
「ありがとう」
そうだ、あとで交代しよう――そんなことを言って、天使は満足そうに目を細める。
「きみが眠ってしまっても、下敷きになってつぶれたりしないから安心して。私、けっこう力持ちなんだよ」
「知ってる」