ある雨の日Ⅰ「……うっとうしい雨だな」
ぼんやりと窓の外を眺めていたディアドラがぽつりと呟いた。ソファに沈めた身体が余計に重い。
先ほど昼食を済ませたところだが、雨は今朝から降り続いている。
彼女の向かいでは、ラディアスが本に視線を落としていた。アナベルに借りたらしい。表情を微塵も変えずに黙々と読み進めている。
『私は雨の日は好きよ。なんだか、本を読みたくなるじゃない?』
ふと姉の言葉を思い出した。いつだったか、明日どこかへ出掛けようと約束した翌日がちょうど雨模様で、ディアドラはとてもがっかりしたことを覚えている。結局その日は家で過ごしたのだが、アナベルが物語の読み聞かせをしてくれたのだ。
子供じゃないのだから、と初めディアドラは断ったが、
「たまにはいいでしょう? それに、貴女と一緒に同じものを楽しみたいの」
と言われ、それならと素直に聞き入れた。
物語は、昔々のとある王様がたいそう大事にしていたというお妃様の形見の杯を、騎士たちが探しに行く話だった。
初めのうちこそ物語にわくわくしていたが、だんだん姉の声音とリズムが心地よく感じてきて――いつの間にか姉の肩にもたれ掛かってうたた寝してしまったのだ。
姉の体温と、微かな良い匂いと、そっと頭を撫でてくれる手がとても気持ち良くて、夢心地という言葉の意味をよく実感したものだった。
今度雨が降った時は、久しぶりに姉に読み聞かせを頼んでみようか――。
「……アナベルのことを考えているのか?」ラディアスの言葉で我に返った。
声こそ出さなかったが、きっと目が見開かれていたのだろう。ラディアスはほんの少し苦く笑ってみせた。
「図星か」
「……すまない」軽くため息を洩らした。ラディアスの視線に気が付かなかったとは。
「お前が謝る必要はないだろう。むしろ私の方こそ、邪魔して悪かったな」
「いや、……」
彼女を庇う言葉を探そうとしたが、きっとお互い同じことの応酬になると思ったので止めた。「……何の本を読んでいるんだ?」
「詩集だよ。いろんな作家の詩が載っているんだ」
それを聞いて、密かに胸を撫でおろす。
今度姉さんにまた、あの騎士たちの物語を読んでもらおう。それがいい。きっとそれは、自分たち姉妹にとって大切な時間のはずだ。
「……ラディアス」
ディアドラは向かいのソファの後ろへ回り、彼女を抱き締めた。
「……読み聞かせを、してくれないか」
「え……」
姉だけでなく妹にまで頼むとは、自分はとんだ甘えっ子だな、と思う。しかし苦笑いは心の中だけにとどめておいた。ラディアスとの時間だって同じように大事なものなのだ、これくらいは良いだろう。
「……構わないが……お前、人の頭の上で寝るなよ」
「それは心配ない。私がお前と一緒にいて、お前より先に寝たことがあるか?」
暫しの沈黙。
やがて、大げさなため息の後に頁を繰る音が聞こえた。ラディアスが言葉を紡ぎ始める。
姉は子守唄のような優しい声だったが、ラディアスは凛とした、まるで舞台を見ているように脳裏に響く声だった。
すんと鼻を鳴らすと、ほのかに甘い匂いがする。姉とは違う匂いだ。それでも顔は勝手にほころんでしまう。
再び頁を繰る音。
そしてラディアスがもう何度か頁を繰った時、ディアドラの瞼は落ちかかっていた。
――こんな欲張りな自分を、二人は許してくれるだろうか。
姉とは違う心地よさに身を任せながら、ディアドラの祈りは微睡みの中に溶けていった。