案外地獄とは静かなものである。
真っ暗、洞窟のような場所なのは予想通りだとしても、うめき声も血溜まりもなにもないのはちょっと拍子抜けだ。
そこをひとりで歩く。
ブーツを履いているはずなのに足音は立たなくて静かなまま、どれだけ進んだかわからないけれど、どれだけ進んでも行き止まりにたどり着くことはない。
静寂のなか何か言葉が浮かんではキリのように消えていって、ふと思いついて自分の手の存在を確かめようと持ち上げれば、目隠しをされた。
「だれ」
「さぁ、当てて御覧なさい」
意地悪をするみたいな普段より幼い声は、地獄には似合わない人の。
「アルジュナ?!」
「はい、りつか。藤丸立香、貴女のサーヴァント、アルジュナです」
「どうして、ここはあなたが来るような場所じゃ……」
言いかけて、でも彼が見た地獄ではないだけか、なんて同じ声が頭の中で呟いた。
「いいえ、貴女がいるのですからさいごまでお供します。そう、貴女の魂が消え塵ほどになってしまっても、そこに貴女がいればアルジュナでなくなっても俺は」
ぽたり、と頬に何かが触れた。
突然バツンと大きな音がして、それがまるでブレーカーが落ちるときのような音だった、なんて思った頃には見慣れた天井を見上げていた。
「お帰りなさい、マスター」
「先輩、先輩……よかったあぁぁ」
「私はキャスターたちを呼び戻してきます。マシュ、貴女はマスターのそばに」
「はい!」
大きな声と共に滴が降ってくる。まだぼんやりとした意識の中、なんとなく状況を理解した。
「何かしらの呪詛ね、疑わしきは選抜隊が罰しに行っているわ。今回はなかなかに洒落にならなかったのだから、問答無用よ」
「はーい」
頼りがいのあるメディアにそう説明されて、疑わしき誰かについては考えないことにした。
今向けるべき感情は怒りとか呆れではなくて、その分もこうしてわたしを生かしてくれた人たちへの感謝なわけで。
「ありがとう」
「どういたしまして、まぁそこの美丈夫のお陰でもあるからお礼を言っておくといいわ。私はこれで、元気になったらまた工房にいらっしゃい」
ちらり、とアルジュナを見たメディアが帰って行く。
そういえばアルジュナは大人のメディアともリリィのメディアとも付き合いがあるらしかった。
「イアソンと付き合いがあれば自然に。元は風紀委員的な働き、というらしいものを望まれて、のことだったのですが」
「えーアルジュナは生徒会長タイプだよ」
クエスチョンマークが付いたような彼の口からは聞き慣れない言葉たちに、ふざけたように反論する。そんなくだらない話をしながらベッドから体を起こす。まだ少し怠くて枕を背中に挟めば、姿勢は安定した。
アルジュナもどうやら体が重いようで、珍しく背もたれのある椅子に寛ぐようにして体を預けている。
夢、というほどでもないのだろうけれど他人の意識の中に入るというのは珍しいし難しいことらしい。彼の現状を見ればその労力がどれほどのものか想像できて、身震いをした。
「そういえば、そうなのか」
「貴女はマスターですから珍しくないだけですよ」
「あのときもそんなこと言ってたね」
あの夢を思い出す。誘い込まれた夢の結末、彼としてはちょっとばかり苦い思い出でもあるらしいのだけどわたしにしてみれば断言できるくらい、いい思い出でしかなくて。そんな幸せなことを思い出して安心したせいか、急に疲れが押し寄せて、体とまぶたが重くなっていく。
「その睡魔には身を任せてしまいなさい、明日の朝までは見張っていますから」
アルジュナの声によろしく、と頷いて返事を。もうまぶたは開かなかったけれど、彼はすごくやさしくわたしの髪を撫でてくれた。
――あぁ、明日起きたらお礼を言わなきゃ。
あんな熱烈なプロポーズ、うれしかった、って。
謹んでお受けします、とは言わなくても気付いてくれるよね、あるじゅな。