ふたりのピクニック(ベリソロ)ふたりのピクニック(ベリソロ)
ソロモンのスケジュールは過密だ。とはいえあらかじめ決まっているような予定はさほどない。だが、指輪保持者であり軍団の長であるソロモンには、探せばいくらでも仕事がわいてくる。
ジリ、と微かに火の燃える音がする。揺らめいた明かりに目をやると、死者のロウソクがその背を短くさせていた。寝る前までの僅かな時間に少しだけ細工物をやってしまおうと思っていたが、案外時間が経ってしまったようだ。手元の細工物はもう少しで完成する。キリがいいしやってしまおうかと考えていたソロモンの耳に、足音が聞こえてきた。騒々しいわけではないが、自分の存在を主張するような足音はソロモンの部屋の前で止まり、間を空けずに扉が開く。
「なんだまだ起きてたのか」
「ベリト? どうしたんだ?」
ロウソクの明かりだけが灯る薄暗い部屋をぐるりと眺め、ベリトはずかずかと部屋に入ってくる。ソロモンの座るところにまで近づいてきたかと思うと、ぐいっと顔を近づけられた。酔っているのかと思ったが、酒のにおいはしない。
「明日朝から出かけんぞ。俺様のために弁当を用意しろ。二人分だ、わかったな」
「え? べ、弁当?」
ベリトはそれだけ言うと、ぐりぐりとソロモンの頭をかき混ぜてから部屋を出ていった。ソロモンは呆然とベリトが出て行ったあとの扉を見つめていたが、しばらくしてはっとする。
「弁当って、俺が作るのか……?」
くしゃくしゃにされた髪の毛を撫でつけ、ソロモンはつぶやいた。こんな遅い時間では誰かに頼むことも難しいだろう。……であれば明日朝早く起きて作るしかない。小さな嵐の訪れに、ソロモンはそっと息を吐いた。だが、不思議とどこか、わくわくする。
「早く寝ないとな」
ソロモンは机から立ち上がり、道具をまとめてからふっとロウソクを消した。
***
翌日早朝から起きだしたソロモンは、朝食当番のメギドを手伝いながら材料を分けてもらい、二人分の弁当を完成させた。厨房の片隅で弁当をバスケットに詰めながら、そういえば時間は聞いていなかったなと思い出す。昨日アジトにいたようだから、今日はアジトに泊まったのだろうか。ベリトが使っている部屋を訪ねてみようか、と考えていると、不意に肩に腕が回って体重がかかる。う、と声を漏らせば、耳元で愉快そうな声がした。
「よしよし、できてんな」
「ベリト。もう出かけるか?」
「ああ。他のモンは執事に用意させたからな」
ベリトが顎をしゃくって示す先には、バスケットを下げたアリトンの姿があった。アリトンは隙のない所作で近づいてくると、微かなだけ息を吐く。
「私は貴方の執事ではありませんが。ソロモン様、これを」
「ありがとう? ええと、これを持って行けばいいんだな」
アリトンからバスケットを受け取る。布がかけられていて中身は見えないが、軽くはない。
「ええ。私がお供できれば良かったのですが……」
アリトンがちらりとベリトに視線を遣る。ベリトはソロモンに体重を預けたまま、しっしと手を払うように振った。アリトンは仕方がないとでも言いたげな表情をすると、ソロモンに向かって恭しく頭を下げ、きびきびと歩いていった。
「んじゃ準備できたな。行くぞ」
「行くぞって、行き先はどこなんだ?」
「俺様の秘密の場所」
小首を傾げるソロモンに、ベリトは不敵な笑いをこぼして言った。
ポータルを使って街に出たあと、ベリトが手配をしていた馬車に揺られる。馬車が通れるだけの整備をされている道のようだが、なんだか街からはどんどん離れていくような気がする。ソロモンは馬車の窓から外の風景を見つめた。遠くに青い山の稜線が見え、人家のようなものは全く見えない。開けた土地には若緑色の草が広がっていて、何か特別なものがあるようには見えなかった。
(長閑な風景だ。……いったい何があるんだろう)
ベリトの様子から、何か事件が起こっているという可能性は低いのだろうということは察せられる。邪本探しのようなことであれば、ベリトはそうと言うはずだ。
ベリトは先ほどから黙ったまま、頬杖をついている。時折外に視線を投げ、ふと馬を繰る御者に声をかけた。
「ご苦労。ここでいい」
ベリトに促され、馬車を降りる。道はまだ続いているようだったが、ベリトの目的は道の先ではないらしい。馬車はそのまま、道を走って去っていった。
「行くぞ。あの丘の先だ」
ベリトは道から外れ、迷いなく歩いていく。示した先は少し小高い丘があった。ソロモンはバスケットを抱えて、ベリトの背中を追う。緩やかな傾斜が足に負荷をかけ、丘を登りきる頃には少し息が上がっていた。一足先に着いていたベリトを見上げると、彼は笑って手招きをする。
空から続くような薄青い瞳が、すいと丘の先へと向けられた。その視線を追って、ソロモンは丘の先に顔を向ける。
「え……わ、すごい……!」
丘の先に広がっていたのは、色とりどりの花が咲き乱れる光景だ。白いモーリュの花、小さな赤い妖精の花、様々な種類の花が一斉に咲き誇っている。それにフォトンの光が合わさってきらきらしく輝き、ソロモンは思わず目を細めた。
「すごい、眩しい……」
「眩しい? ……ああ、フォトンの光でも見えんのか」
「うん、すごいよ。こんなの、初めて見た……」
感極まったようなソロモンのつぶやきに、ベリトは満足げに笑った。
「ここはちょうど風が集まる場所でな。四方八方から植物の種が運ばれてくるんだよ」
ソロモンたちの立つ丘の下、少し窪んだようになっているところに花畑はある。先ほどから吹く風は、丘を沿うように上に向かって吹いていた。巻き上げられた種が、この窪んだ土地に落ちて花を咲かせるということなのだろう。咲く土地の違うはずの花たちがここで咲いていられるのは、豊富なフォトンのおかげか。
「おい、ここらでいいだろ」
ぼうっと花畑を見ていたソロモンの耳に、ベリトの声が届く。はっとして見ると、少し離れた、平坦なところにベリトが腰を下ろしている。もしかして、と思ってアリトンから持たされたバスケットの中身を確かめた。
おそらく地面に敷くための大きな布と、手拭き、水筒。加えてソロモンが作らされた弁当。
(まさかこれって、ピクニックなのか……!?)
「何してんだ。早く敷け」
「ああうん、わかった」
バスケットを下ろし、布を広げる。きちんと畳まれていた布は思ったよりも大きく、大の大人が寝ころべるくらいの大きさがあった。風が吹いているので、飛ばされないようにバスケットを隅に置く。敷き終わると、当然のようにベリトが改めて腰を下ろした。
「ん」
何かを要求する仕草だ。と考えて、もう一つのバスケットの存在に思い至る。弁当を取り出すと、ベリトは口元を笑ませた。
「ちゃんとテメェで作ったんだろうな?」
「さすがにイチからは無理だよ。俺は手伝って詰めただけ」
言いながらソロモンはサンドイッチをベリトに手渡す。フン、と鼻を鳴らしてそれを手に取ったベリトは、豪快にかぶりついた。
「あ、でもそれは俺が工夫したんだ。スクランブルエッグを入れようと思ったんだけど、ポロポロこぼれるだろ? だからチーズを乗せて焼いてから挟んでみた」
「ン、まあ悪くねぇ」
ソース代わりのケチャップが指についたのを舐め、ベリトは小さくうなずいた。よかった、とほっとしてソロモンは別のサンドイッチを取り出す。それにかじりつきながら、眼下の花畑を眺めた。
時折巻き上がる風が、色とりどりの花びらを舞わせていく。ぼうっと景色を見ながらサンドイッチを食べていると、すでに食べ終わったらしいベリトに視線がいった。
「そういえば水筒があったな……アリトンの紅茶かな」
アリトンが用意してくれた水筒の中身を小さなコップに注ぐ。携帯用なのか、木製のそれは小さくて軽い。注いでわかったが、中身は紅茶ではないようだ。色が薄くて香りも違う。
「ベリト」
「ん」
ベリトにコップを手渡し、自分も別のコップに中身を注いだ。持たされてから時間が経っているため冷めているが、ハーブティーのようだった。熱くも冷たくもないそれは、緩やかにソロモンの喉を滑り落ちる。落ち着いた香りがして、ほっとした。
最後の一口を食べ終わり、ちびちびとハーブティーを飲む。一息に飲んでしまえるくらいの量だったが、なんだか名残惜しかった。ベリトはこの景色をただ見せたかっただけなのだろうか。彼はただ、黙って丘の向こうを眺めている。何をしたかったのかはわからないが、退屈ではないのだろうか。そんなことを思って、ソロモンは口を開く。
「なあベリト、そろそろアジトに戻らないか?」
ベリトがこちらを見たかと思うと、腰を上げてのっそりと近づいてきた。帰る気になったのだろうかと腰を上げかければ、ベリトはそれを制するようにソロモンの頭に手を乗せてきてぎゅっと押す。なんだか動くなと言われているみたいだ。困惑気味の視線を向けると、ベリトはちらりとソロモンを見て、どっかりとソロモンの隣に腰を下ろした。
「俺様は眠い」
「え?」
ベリトの体が傾いて、ずるずる下がっていく。頭が膝のところに乗せられて、ベリトはそのまま目蓋を閉じた。
「ちょっと、ベリト!?」
「うるせえ。枕がしゃべんな」
「ええ……」
暴君はそう言って、ふっつりと黙り込む。穏やかな呼吸の音は、巻き上がる風の音にかき消えてしまいそうだった。ベリトは本当に眠ってしまったのだろうか。艶やかな青みがかった髪の毛をちょんとつまむ。閉じられた目蓋はぴくりともしなかった。
一定のリズムを保ったまま、緩やかに上下する胸郭。ソロモンはぼうっとそれを見て、なんとなしにベリトの顔に手をやった。触れるというよりも、ただ手を沿わせているだけだったが、触れた皮膚からは確かに体温が伝わってくる。単なる錯覚かもしれなかったが、心臓の鼓動が微かに感じられるような気さえした。
風が運んできた花びらが、はらりと目の前を落ちる。ちらちらとフォトンの光が見えて、きれいだ。こんなにもフォトンが豊富だということは、このあたりは幻獣の被害を受けていないのだろう。こうしている間にも、どこかの村が幻獣に襲われているかもしれない。やっぱりアジトに戻った方が、とソロモンは膝に乗せているベリトに視線を落とす。彼はやはり目蓋を閉じていて、動く気配をみせなかった。体温はますます移って、膝のあたりが暖かい。体に当たる風は少し冷えてきていたが、寒さは感じなかった。
ふ、と息をつく。自分一人が焦っても、幻獣と戦えるわけではない。ベリトは「秘密の場所」だと言っていた。確かに、いつまでも見ていられそうな景色だ。なら、もう少し楽しんでいってもいいのかもしれない。
「ベリト」
ソロモンが声をかけてもやはり、ベリトの目蓋は上がらない。
「足、伸ばしたいからさ。ちょっとだけ頭上げてくれ」
ソロモンがそう言うと、薄く目蓋が上がった。ほんのちょっとだけ頭が上がり、その隙にソロモンは足を伸ばした。すかさずベリトの頭が腿に乗ってくる。
「退屈じゃないのか」
「テメェはどうなんだ」
問いかけには、はっきりした声が返ってきた。たぶん、眠ってはいなかったのだろう。上げられた目蓋からみえる青い目は、ソロモンの真意を問うように向けられている。ソロモンは少し考えてから、視線を落とす。
「質問に質問で返すなよ。……いいのかな、って思うけどさ。退屈じゃないよ」
「ならいい」
ベリトは鼻を鳴らし、再び目を閉じた。ざあ、と風が吹く。ソロモンは少しベリトの頭の位置をずらし、敷物の上に寝ころんだ。青い空に花びらが散る。そうしていると、じわりと目蓋が重くなってきた。
ちょっとだけなら、いいかな。ベリトもまだどいてくれそうにないし。
そんなことを思って、ソロモンは目を閉じた。
「……くしゅん!」
自分のくしゃみで目が覚めた。は、っと目蓋を引き上げると、目の前の景色は真っ暗で一瞬混乱する。肌を撫でる風が冷たくて、自分のいる場所が外であったことに気づいた。
「え? 俺、すごい寝ちゃっ……ベリト!」
ソロモンの腿に頭を乗せていたベリトを揺り起こす。「なんだよ」と気怠げに体を起こしたベリトは、くあ、と一つあくびをした。
「なんだって……夜になっちゃってるだろ! どうして起こしてくれなかったんだ!」
すっかり夜の帳が降りている空は、昼間の光景とは間逆の印象を受ける。窪んだところが影になり、大きな穴が空いているようにすら見えた。巻き上がる風の音が低く響き、うなり声のように響く。
せき立てられるように、ソロモンはベリトに訴えた。
「何で俺様が起こす必要があるんだよ。別に良いだろ、わめくな」
「い……ッ、良くはないだろ!? 今からどうやって帰るんだよ?」
ポータルがある町からここまで、馬車を使って移動してきた。今から馬車が手配できるとは思えないし、歩いて元の道を戻るのにどれほど時間がかかるか。そうソロモンが言うと、ベリトは少し考えるそぶりをする。
「あぁ……向こうに町がある。ちと歩くが、宿はあったはずだ」
そういえば、馬車を途中で降りたのだった。道に戻った先に町があるということか。何の備えもなしに野営をすることにはならなそうで、ソロモンはほっとした。
「ポータルは……」
「あるわけねぇだろ。朝になったら馬車を借りればいい」
答えはわかっていたが、はっきり言われるとやはり落胆する。少し出てくるつもりであったから、大した言付けもしていない。ベリトはアリトンに用意を頼んでいたようだったから、アリトンがうまくやってくれていればいいのだが。
「少なくとも明日の昼くらいになるってことだよな……ブネになんて言われるか……」
ブネの太い怒鳴り声が頭の中に響いてくるようだ。たぶんブネだけでなくフォカロルからも説教をくらう気がする。それを思うと、なんだか気持ちが沈んできた。
「ハハ、ならそれまで楽しまなきゃ損じゃねえか」
ベリトは笑いながら立ち上がり、ソロモンに向かって手を差し伸べる。あたりは暗く、うまく表情が見えなかったが、ベリトが笑っていることはわかった。ソロモンはぱちりと瞬きをし、ベリトの手を取る。
「……ベリトのそういうところ、すごいと思うぜ、俺」
「そうだろ、もっと称えやがれ」
引っ張り上げられて立ち上がる。敷物をたたんで片づけると、少し先に行って立ち止まっているベリトの姿を追った。赤いフードマント姿は、暗い中でもはっきり見える。
「行くぞ」
振り返ったベリトは、当然のように手を差し出してきた。子どもじゃないんだけどな、と思いながら、ソロモンはその手を握る。冷えた体に、手から伝わる体温があたたかい。なんだか振り回されたような、そうでないような。けれどなんだか、力が抜けた。
手を引かれながら、暗い空を見上げる。目覚めたときは真っ暗だと思ったが、そうしてみると無数の星の瞬きがよく見えた。町の明かりはまだ遠かったが、足取りは軽かった。
「ベリト、俺、町に着いたら温かいのが食べたい」
「ああ? いくらでも食え」
ソロモンはそっと笑い、ベリトの隣に並び立つ。それでも手は、離されなかった。
おわり