幼児退行澄(♀)付き合っている曦澄。最近仕事が忙しくて、同棲しているが触れ合いの時間が少なかった二人。
その日澄は、部下のミスで上司に盛大に責められた。当然挽回し巻き返すも、自分の仕事は進まず『あぁ、疲れたな…』と思いながら退社。帰宅中、無意識にコンビニで大量のスイーツを買い込む。
なんでもないように装って、マンションのドアの鍵を開けた。でも、真っ暗な玄関にたどり着いたらそれもお終いで、我慢の限界を迎えた。
コンビニの袋とバックを廊下に投げ捨てて、スーツのままへたり込んだ。深く息を吸い込むと、堪えていた涙がじわじわこみ上げてくる。目頭の熱さを意識すれば、途端にボロボロこぼれ落ちるそれ。
「…ひっ、ぅ…」
嗚咽も抑えられず、本格的に泣き出した澄。スーツも化粧も気にならず、ぐしぐし顔を拭う。けれども涙は止まらない。
嫌だな、と思う。なんでこんなに世の中は面倒くさいことばかりなのか。自分は頑張っているはずだ。できていると思う。なのに、この虚しさはなんだろう。何が悪いのか。自分が不甲斐ないからだろうか。
悶々と思考に耽る澄。すると、ドア越しにガチャガチャ音がして、『あれ、開いて…?』という声が。
「江澄…?帰って…」
そろり、と顔を覗かせたのは恋人である曦。白いスーツを嫌味なく着こなし、まるで白百合の花の化身のような女性。
「江澄、…阿澄?電気も点けずに…、泣いているの?」
蹲ったままの澄と放り出された荷物を見て、曦は澄を優しく抱きしめた。二人の動きに反応して、廊下に据え付けた人感センサーの間接照明が、ぼんやりと澄の顔を映し出す。
「どうしたの?疲れちゃった?」
「…ひ、く、…」
「おやおや、私の阿澄の可愛い顔が大変なことに…ここは冷えるから、リビングに行こう、ね?」
曦は澄を半ば抱えるようにして移動し、ソファーに座らせた。大人しく腰をかけた澄の腕には、曦が誕生日にプレゼントした大きなクマのぬいぐるみ。ふかふかのぬいぐるみにぎゅ、と抱きつく澄。
曦は散らばった荷物をまとめて片付けてから、電気ケトルのスイッチを入れる。
「お湯が沸いたら、ミルクティーを煎れようね。」
ジャケットだけを脱いだ状態でソファーの隣に座れば、澄がそ…と指を伸ばし、スカートの裾を摘まんだ。
「いいよ、おいで」
向かい合って腕を広げれば、ぬいぐるみを抱えたままの澄が抱きついてきた。
曦は何も言わず、しばらくそのまま震える背中を擦った。室内には澄がしゃくり上げる、苦しげな息遣いが響いていた。
「何が、嫌なのかわからない、けど、くるしいんだ」
「うん」
「わたし、がん、ばってる、よね?」
「うん」
「がんばってる、はずだけど、ダメなのかも」
「…そう?」
「わたし、なにもできない、ぜんぶできない、やっぱりダメなんだ、ぜんぶ、ぜんぶ!!」
そうしてまた幼子のように泣き出した澄。普段から自己肯定感の低い澄だが、この状態に陥ってしまうとは。相当溜め込んでしまったか、タイミングが悪かったか。どちらにせよ、気付かなかった自分が悪い、と曦は歯噛みした。
澄は、完璧主義に近い。他人にも自分にも厳しい。できるのが普通。できて当然。そうやって、無意識にプレッシャーをかけてしまう。それに首を絞められて、気付かぬうちに追い詰められて。だからたまにこうして、爆発してしまう。
一つできないと全部できない、と結論付けてしまうのだ。積み木崩しみたいに。
これが、澄の生い立ちと関係することを曦は知っている。だから、こうなる前に、気付いて少しでも甘やかしてやれば良かった、と曦は思った。
「疲れちゃったね、ごめんね、気付かなくて」
「なにもできない、できないの、ダメな子なの、キライ、だからみんな、わたしからはなれていくの、」
「大丈夫だよ」
「わたしは、わたしのこと、すきじゃない、キライなの、ぜんぶ、キライなの」
「私は阿澄のことが好きだけどな、阿澄は、私のこと嫌い?」
「ぅー、う、う…」
滅裂な会話が続く。
無理に言い聞かせた所で逆効果なのだ。遮るような真似はせず、全部吐き出させるのがいい。だから、今曦にできるのは、抱きしめて、相づちを打つだけ。
これも、何度か経験して身に付けた。澄は、全部吐き出せば少しずつ回復できる子だから。だから、待つしかない。
少しして、胸に顔を埋めていた澄が、曦のシャツを捲った。
「はいる、」
ここに入れて、抱っこして、と赤い目で見つめられて、ハイハイ、とシャツのボタンを外した。
澄が言葉で自分を責め立てなくなったら、それだけでも前進なのだ。そのためにどれだけ自分が利用されようが、構わないと、曦は思っている。
澄は曦の素肌に触れてほう、とため息をついた。泣き声も止んでしばらく経つ。あれから毛布に包まって、ずっと抱き合っていた。
ぬいぐるみはソファーの反対側へ。ケトルのお湯はとっくに沸いていた。
泣いて喉が渇いているだろう、と思う。けれど、縋り付いた澄は離してくれない。本当は、腫れた目元も冷やしてあげたいのに。
「阿澄、喉が渇いていたでしょ?」
「…ない」
「目も、痛いでしょう?タオルを取ってくるから…」
「ない!」
ぎゅう、と腕の力が強くなる。逃げるだなんて、そんなことするわけないのに。この状態の澄は、曦がどこかに行くのを極端に嫌うのだ。
「阿澄の顔が腫れちゃうと、私が悲しいんだけどな…」
「ダメ!!」
「お水飲もう?頭も痛いでしょ?」
「う、うー…」
「顔を見せて?ほら、こんなに腫れて…」
イヤイヤ、と顔を背けようとする澄。
「お水飲ませてあげるから、ね?」
ぐずる澄に、曦は甘く囁く。飲ませてあげる、とは口移しで、ということ。卑怯とも取れるが、人肌に飢えている澄にこれが効くのだ。
「ちゅーで?」
「うん、ちゅーで飲ませてあげるよ」
「…すぐ戻ってくる?」
「すぐに戻ってくるよ」
ちゅ、と瞼に唇を落とせば、澄はふにゃりと笑ってぬいぐるみに抱きついた。
ケトルの中身は諦めて、曦は冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出した。タオルを濡らして固く絞り、ソファーで待つ澄の元へ急いだ。
ソファー越しに、ぬいぐるみと一緒になってこちらを見ている恋人が可愛らしくてしかたない。
「ん、」
曦が戻る気配を察して、ぬいぐるみはまた定位置へ。手を広げて待ち構えていた澄は、曦が申し訳程度に羽織ったシャツを脱がして、またぴとり、と素肌にくっついた。
「お水は?」
「…のむ」
「冷たいから、ちょっと待ってね」
曦はキャップを空け、水を口に含んだ。そのまま口内の温度で温まるのを待つ。冷たさがなくなったのを確認して恋人の顎をくすぐると、澄は素直に顔を寄せた。
「ん、」
ごくり、と細く白い喉が上下する。飲み込みきれなかった水が肌を伝い、拠れてしまったスーツにじわりと染みこんだ。
「…もっと」
「阿澄、お洋服濡れて冷たいでしょ?脱がせてあげようか?」
「ん、脱ぐ」
猫のように擦り寄って、澄は体の力を抜いた。
ブラウスも、ストッキングも、下着もすべて曦に脱がせてもらった。お返しに、曦の下着を外そうと背中に手を回したら『それより目を冷やして』と言われたので、澄はいい子で目元にタオルを当てていた。
「ハイ、いいよ」
声をかけられて、目を覆うタオルを外した。長時間涙を流した目は、案の定少し腫れぼったかった。
でも、そんなことどうだってよかった。一糸纏わぬ姿の恋人が、微笑みながら腕の中に導いてくれたから。
澄は、曦の豊かな胸の谷間に頬を寄せた。温もりと心音が鼓膜に響いて、とてもしあわせで、心地よかった。
曦は澄の髪を梳いていた。澄は白く繊細な指先に触れられて、ぽやぽやと浮き足立ってしまいそうだった。頭を撫でて耳朶をなぞり、頬に降りたそこには、思いのすべてが込められていたから。
「ちゅーして」
だから、甘えた声で熱を強請った。普段の自分には似合わない、随分と可愛らしい誘い文句だったと思う。でもいいのだ。誰も、こんな澄を知らないから。
曦の唇はふ、と重なり優しく柔らかく食んで離れた。
それが気に入らなくて、澄は頬をぷくっ、膨らませた。
「…もっと、口のなか、ぐちゅぐちゅするヤツがいい」
今の澄は、口調も精神も意図せず幼くなっているので、いつもとはまた違った色香が漂っている。それを、本人が自覚する日は来ない。
小さな口から、卑猥な擬音語が紡がれる様を『たまらない』と感じるのは、曦の特権だった。
「ふぁ、あぁ、ア!」
しなやかな肢体が、曦の舌の動きに合わせて震える。とっさに刺激から逃れようとした腰を、臀部ごと抱え込んで制した。澄は、曦の顔の両側に膝をついて陰部を舐られていた。
「ア、あ…」
器用な舌が敏感なすき間に割って入り、余すところなく愛撫される。じゅるじゅると溢れ出た蜜を啜られて、もう何度達したのかもわからなかった。膝が震える度に腰を抱かれて支えられ、絶え間ない快楽に落とされる。
「…阿澄、お手々がお留守だね?」
下から見上げられ、優しく咎められる。強制はしない。けれど、胸を慰める指が止まっていると。
「ん、ん、だって今、くちゅくちゅされて、きもちよくて」
「でも、今日は自分でやるって言ったでしょ?」
「ん、うん…」
普段澄が、自分より背が高い曦に見上げられるなんてことはほとんどない。あるとしたら、今日のような。恋人の上に跨がってはしたなく乱れているとき。
「ホラ、阿澄は先っぽが好きでしょ?」
「うん、ん…ちくびの先、いじるのすき、」
「どうやるのが一番好きなの?」
「ア…こちょこちょするのが、すき、つめでピンってするのも、すきぃ…!」
「じゃあ、もっと気持ちよくなって…できる?」
「ン、…やる、できる」
蕩けた表情で、澄は頷いた。恋人と肌を重ねるのが好き。気持ちいいのも好き。ダメになっても、何をしても、最後に受け止めてくれる恋人が好き。
「しー、ちぇん」
「なぁに?」
「だいすき」
「…私も、阿澄が大好きだよ」
「うん、うん、しってる」
せっかく止まった涙が、また溢れてしまうそうになる。曦だけは自分を好きだと言ってくれる。例え澄が、どんなに自分を嫌っていても。
静かな夜に包まれて、迎える明日が恐ろしくとも。朝が来て、眩い日差しに差されても。たった一つ、変わらないもの。ずっとここに、傍にある。だから。
「あなたのことが好きな自分は、キライじゃない、の」