司くん!ほら、次はこのポーズだよ! ピコンという音がスマホから聞こえた。
司はスラスラと進めていたペンを止め、通知欄を確認する。すると、類から『今日は19時くらいに帰るよ』とメッセージが来ていた。それに『気をつけて帰ってくるんだぞ』と返事をして、再び司はペンを進めた。
司と類は、大学へ進学すると同時に同棲を始めた。元々付き合っていたこともあり、いい機会だし一緒に暮らさないかと誘ったのは司の方だ。それから半年が経ち、時には喧嘩をすることもあるが、大好きな類と共に充実した日々を過ごしていた。
今日は、類は一日授業で、司の方は午前中までだった。だから、リビングでゆっくりと脚本を書いている。類がいないという寂しさはあるが、帰ってきたときに渾身の脚本を見せてやりたいと思って、司は1時間程集中して作業をしていた。
——ドサドサドサッ
しかし、突然響いた大きな音に、司は手を止めた。今のは、類の部屋から聞こえてきたはずだ。
同棲する前から分かっていたことだが、類は片づけが苦手だ。というか、全然しようとしない。物を大切にするやつだが、散らかっているということに無頓着なのだ。度々司から片づけるよう声をかけてはいるが、現在彼の部屋がどうなっているのかはあまり知らない。同棲しているとはいえ、類のプライベートな空間は守られるべきだと、司は勝手に部屋に入るのは遠慮しているのだ。
しかし、先程の音からして、類の部屋で何かが崩れ落ちたのは明確だろう。もし液体の入った物が倒れていたら、部屋の中が悲惨なことになってしまう。だから、司は類の部屋へと足を向けた。後で謝ることにして、今は類の部屋を確認することにしたのだ。
「失礼するぞ」
そろそろとドアを開けて、中を見渡す。すると、クローゼットの扉が開いていて、そこから物が崩れ落ちているのが目に入った。大方、中にものを詰め込みすぎて、重さで勝手に扉が開いたのだろう。とにかく、液体のものや壊れているものがないかだけ確認しよう。そう思って、司は落ちた物を一つ一つ点検していった。
「……なんだこれは」
すると、一つのものが司の目に留まった。と、同時に、沸々と怒りが湧いてきた。
「オレというものがありながら、こんなものを……!」
司は手にしたものをギュッと握りしめながら、怒りを滲ませる。類の奴、帰ってきたら問い詰めてやる。司を時計を確認し、怒りに震えながら類の帰りを待ち構えた。
□□□
「ただいま」
類の声が玄関に響く。いつもであれば先に帰っている司から返事があるはずなのに、今日は返ってこなかった。昼頃にスマホで確認したときには、この時間には家にいると言っていたのに。もしかして、何かあったのかもしれない。そう思った類は、急いでリビングへと走った。
「ッ司くん!」
リビングのドアを勢いよく開けると、司はソファーに姿勢よく座っていた。彼が無事であることに安堵しながらも、リビングにいるのならなぜ返事をしなかったのかと不思議に思う。
「ああ、家にいたんだね、司くん。返事が無かったから、何かあったのかと……」
「……荷物を置いて、ここに座れ」
「ええと、司くん?」
「二度は言わないぞ」
いつになく険しい顔をした司くんは、自分の隣を指差しながら言った。ただ事ではない様子に、類は緊張しながら隣に座る。
「どうしたんだい、司くん?」
「……心当たりはないのか」
ジト、と見つめる司の瞳に、類は冷や汗を垂らした。いつも直接的な表現をすることの多い司がこういう聞き方をするということは、きっと類が何かやらかしたのだ。これまでの経験から、類はすぐに察した。
「えっと……」
「お前の部屋から何かが落ちる音がしたから、壊れている物があるとよくないと思って、勝手に部屋に入らせてもらったんだ。そのことについては、すまない」
「ああ、いや、それはいいんだよ。怪我はなかったかい?」
「大丈夫だ。壊れている物は何もなかったしな。だが、その時にとんでもないものを見つけたんだ」
「……とんでもないもの?」
「ああ。とんでもないものだ」
そう言われ、類は頭をフル回転させた。類の部屋にある、とんでもないもの。それは、一体何か。類には、心当たりのある物がありすぎた。
もしかしたら、同棲を始めた時からコツコツと作ってきた『司くん♡アルバム』だろうか。高校生の時は自制心を働かせて隠し撮りはしていなかったが、同棲をはじめてからはシャッターチャンスが多すぎて、我慢できず隠し撮りをしまくっていた。さらには、その写真をいつでも見返せるように、アルバムまでつくっていたのだ。その中には、もちろんいかがわしいものもあって……。それを、見られたのだろうか。
それとも、今度お披露目しようと思っていたメイド服だろうか。コネを存分に使った司にジャストサイズのそれは、類の誕生日にプレゼントとして着てもらおうと思っていた代物だ。例の『司くん♡アルバム』にも是非その写真を載せたいと思っていたのだけれど、もしやメイド服が見つかってしまったのだろうか……。
類は色々と予想を立てたが、やはり見つかってはまずいものがありすぎて、今回見つかった物が何か検討がつかなかった。もしここで、司が見つけていないものを類が言ってしまうと、余計に司に怒られてしまう。だから、類は下手にこれじゃないかい?と聞くことができなかった。だから、司から上手く聞き出すしかないのだ。
「えっと……、とんでもないものって……」
「なんだ、分からないのか?」
「いや、その……」
けれど、司の怒りが伝わってきて、類は上手く言葉が紡げない。そうやって類がもごもごとしていると、司は呆れたかのように話し出した。
「はあ……。まさかお前、オレに見せられないようなものを大量に隠し持っているんじゃないだろうな」
「はは、まさか、そんなことはないよ」
「……本当だろうな」
類は、にっこりと笑顔を浮かべるしかなかった。
「……もういい。お前から言わないのなら、オレから言う。……これだ」
そう言って司が差し出したのは、赤いパンツだった。それも、女性用の。
「ああ、それか」
類はほっとしたように言った。もしアルバムやメイド服だったら、今までの思い出が無くなってしまうし、作り直すのにも時間がかかる。けれど、パンツなら既製品だから、もし仮に司くんに没収されてもまた用意すればいい。だから、類は硬くなっていた表情を少し和らげ、緊張を緩めた。
「……そっけないんだな」
「いや、まだ良かったなと思ってね」
「良かった……?オレがこれを見つけて良かったというのか?」
しまった、と類は焦った。緊張が和らいでしまって、油断したのだ。これは大声で怒られるぞと、類は恐る恐る司の方を見る。
すると、驚いたことに、司は目に涙を浮かべていた。
「え、司くん!?」
類は動揺のあまり、オロオロとしてしまった。だって、怒られはすれど、泣かれるとは思っていなかったのだ。類がそうしている間にも、司は涙は零すまいとグッと目に力を入れている。
「これは、誰のものなんだ?オ、オレは、確かに男だし、こんなものは似合わないのかもしれないが……でも、類に頼まれたのなら、頑張って履くかもしれないし」
「え、え?」
「それとも、オレにはもう飽きたのか?だから、別の女性と……?」
「え、そんなの、いないよ!」
別の女性だなんて言われて、類はますます混乱する。だって、類は司一筋なのだから。
「なんだ、違うのか?しかし、このパンツは一度洗濯済みじゃないか。誰かが履いたのだろう……?」
「あ、いや、それは……」
「……オレはこんなにも類のことが好きなのに、お前はオレだけじゃなかったんだな」
司はそう言うと、とうとうポロっと涙を零した。それを見て、類はすぐに口を開いた。パンツについては色々と説明しなければならないことがあるが、それよりも前に伝えないといけないことがあるのだ。
「僕が愛しているのは、司くんだけだよ!!」
「……嘘つきめ」
「本当だって!!これは、司くん用のパンツなんだよ!」
「…………は?」
類の言葉に、司は涙を引っ込め、一瞬にして冷めた目になった。
「なるほど。このパンツは元々オレに履かせるつもりで購入したものだと。そして、我慢できず、オレに許可を取る前に寝ているオレに勝手に履かせてみたという訳だな。」
「おっしゃる通りです」
「薄々思っていたのだが、お前、変態じゃないのか……?」
「……否定の言葉も見つからないよ」
「でもまあ、類が愛しているのがオレだけで良かった」
「それはもちろんだよ!僕がこんな風になるのは、カッコよくてかわいらしい司くんに対してだけだよ!」
「お前が変態なのを、オレのせいみたいに言うな!」
「すみません」
司はプンプンと怒っている。しかし、それは可愛らしいもので、誤解が解けて本当に良かったと心底ほっとした。司が涙を流した時には、心臓が凍るかと思ったのだ。
そうして安心していると、先程の会話で一つ気になったことがあったのを思い出した。もっと彼を怒らせてしまうかもしれないが、それでもこの件については絶対に確認したい。
「ところで、司くん。さっき、僕に頼まれたら、このパンツを履いてくれるとか言ってたよね?」
「……そんなものは忘れろ」
「忘れられないよ!僕がどれだけこのパンツを履いた司くんを見るのを夢見ていたと思っているんだい!?」
「寝ている間に勝手に履かせた奴の言うことなど聞くわけがないだろう!」
「お願いだよ、司くん!」
「断固拒否する!」
「……分かったよ。写真の司くんで我慢するよ……」
そう言って、類はスマホを取り出した。その中には、まだアルバムにしていない寝ている間にパンツを履かせた司の写真が入っているのだ。
「うう、かわいい……」
そのあまりのかわいさに、つい呟いてしまう。すると、司がボソッと何かを言った。
「……オレが目の前にいるというのに」
「え?何か言ったかい?」
「仕方がないから、履いてやると言ったんだ!」
そう大声で叫ぶと、司はパンツを持って自室へと走っていった。
今、彼は何と言ったか。……履いてくれると言っていなかったか?
類は急いでスマホの容量を確認した。起きている司くんが履いてくれるという貴重な機会。これを逃す手など、どこにもないのだから。
そうして翌日には、例の赤いパンツを履いた司の写真で一冊のアルバムが完成したのだった。