軍雛 遠くの方から、楽し気な音楽が聞こえてくる。けれど、類はそちらの方を見ず、じっと海を見つめていた。
「はあ、つまらないな」
海から視線を逸らし、今度は空を見上げた。星々が輝いているが、手を伸ばしても届きそうにない。欲しいものは手に入らないのだと言われているようで、そっと地面に視線を降ろした。
本当は、今頃、ショーをしているはずだった。会場にいる人たちをあっと驚かせ、そして笑顔にするのだと、そう決めていた。けれど――
「僕のショーは、危険すぎる、か……」
ショーの準備をしていると、周りの大人たちが一斉に止めてきた。いくら危険はないのだと説明しても、幼い子どもにはさせられないのだと聞く耳も持ってもらえない。だから、類は諦めて、こうして会場の外でぼんやりと景色を眺めることにしたのだ。
何故大人たちが止めてきたのか、その理由を類は十分分かっていた。自分は、この国を支える大切な軍師候補で、周りの大人も、怪我をさせるわけにはいかなかったのだろう。優秀な人材として田舎の町から都会へと連れてこられた類のことを、大人たちは特別かわいがってくれている。けれど、類は別にそんなことを望んでいるわけではない。もちろん、将来は軍師になり、この国の平和のために尽くしたいとは思っている。けれど、それは別に権力が欲しいとか、威張りたいとか、そんなことではなくて。ただただ、平和を願って――人々が笑顔になることを願って、目指しているのだ。だから、周りの大人たちが腫れ物に触るかのように接してくることに、類は嫌気が差していた。
「はあ……」
ため息が、口から溢れてしまう。
きっと、会場を勝手に出た自分のことを、大人たちは探しているだろう。齢10にも満たない子どもが、夜に一人で出歩くなど、心配をかけてしまう。けれど、今は戻りたくなかった。
地面に下がっていた視線を、少しだけあげてみる。目の前には海が広がっていて、けれど、今は夜だからか、深い黒色しか見えない。それも、つまらなくて、今度は横へと視線を動かした。
「―――!」
そこには、星がいた。
砂場にある広場で、星が舞っていた。
淡い水色の着物をヒラヒラと靡かせて。帯についているリボンをフワフワと揺らして。
そして何より、金色の髪を、キラキラと輝かせて。
「———っ」
自然と、足がそちらへ向かう。フラフラと、その輝きに誘われるように。
そうして近くによると、いちばん輝いていたのは、金髪ではなかったのだと気がついた。
橙色の、瞳が。キラキラと、眩いほどの光を放っていたのだ。
「ぁ――」
その輝きに囚われてしまいそうで、でも、それに触れたくて、類は一歩足を踏み出してしまう。すると、落ちていた木の枝を踏んでしまい、カサっと音が鳴った。
「——む?」
橙色の瞳が、類を捉える。驚いたように見開かれたその瞳は、今にも落ちそうなほど大きかった。
「お前、誰だ?というか、見ていたのか?」
桃色の唇が紡いだその言葉に、まずいことになったと類は冷や汗をかいた。
こんな人気のない場所で、一人で舞っていたのだから、人に見られるのを嫌がる人なのかもしれない。そもそも、見知らぬ人にずっと見つめられていただなんて、普通は恐怖を抱くだろう。
「ご、ごめんなさい。少し、気になってしまって……」
謝罪と同時に、頭を下げる。相手が怒っていなければいいのだけれど、と不安が押し寄せてくる。しかし、そう不安を滲ませる類の頭上から聞こえてきたのは、ずっと明るい声だった。
「オレの舞は、どうだった!?素晴らしかっただろう!?」
星——もとい、水色の着物を身に着けた少年は、ニコニコと嬉しそうに問いかけてきた。
「え、えっと……」
予想外の反応に、類の頭は混乱して、上手く言葉を紡げない。
すると、少年はしびれを切らしたかのように、ぐっと類の方に近寄ってきた。橙色の瞳が近くなって、類の顔が真っ赤に染まる。
「な、どうだった!?ずっと練習しているんだ!初めは上手くいかなかった部分も、今では、ほら、この通り!」
少年は一歩後ろに下がったかと思うと、くるっとその場で回ってみせた。着物の袖が、綺麗な円を描いている。
しかし、最後のところで、少年が前のめりに倒れてしまった。どうやら、着物の裾を踏んでしまったらしい。
類は慌てて少年の傍に寄る。怪我はしていないか、痛いところはないか、それを確認するためにザッと少年の様子を窺う。まずは、足の様子を見よう。そう思って視線を下げる。すると、頭上から鼻を啜る音が聞こえてきた。
「うっ、ぐすっ……」
まんまるの瞳に涙をいっぱいに溜めて、唇をギュッと噛んで。精一杯泣かないように堪えている様は、何ともいじらしい。
「れ、れんしゅうでは、うまくいっていたのにっ!」
少年は着物の裾を握って、身体をプルプルと震わせている。
このままでは泣いてしまうんじゃないかと思って、類は慌てて口を開いた。
「えっと、その、回っているの、とってもカッコよかったよ!袖が、綺麗な円になっていたし!」
「ほ、ほんとうか……?」
涙が溢れそうな瞳を類の方へ向けて、少年は不安そうに見つめてくる。それに、類の胸はギュッとなった。けれど、まずは少年を励まさないとと思って、再び口を開く。
「本当だよ。君の舞は、キラキラとしていて、とっても素晴らしかった」
これは、励ますためについた嘘ではなく、本心だった。類が今まで見た物の中で、一等輝いていたのだ。
類がそう伝えると、少年はパッと表情を明るくさせた。
「そうかそうか!フフン、さすがオレ!」
胸を張っている姿は、先程までの様子とは一変して、堂々としている。
「しかし、上手くいかなかったのは、とても残念だ……」
今度は、眉を下げて悲しそうにしだした。コロコロと変わる様に、類はついつい微笑んでしまう。けれど、悲しそうにしてるのはなんだか嫌だったので、頭を回転させて、なんとか知恵を絞り出す。
「あ、そうだ!回るときに、ジャンプしてみたらいいんじゃないかい?そうしたら、裾がフワッと開いて、踏むこともないんじゃないかな」
「む、なるほど!」
少年はさっそく試してみようとばかりに、その場でジャンプをしてみせた。
類の言った通り、裾が開いて、着地したときに足は取られないようだった。
「おお!これなら、失敗しなさそうだ!ありがとう!」
少年は、これまででいちばんキラキラとした笑顔を見せた。類は言葉も発せないくらいに見惚れてしまう。
それに、自分が言ったことで、こんなにも喜んでもらえるだなんて、今までにない経験だった。
「お、そうだ。お前の名前を聞いていなかったな!なんて名なんだ?」
「あ、えっと、僕は神代類だよ」
「類か!オレは、天馬司だ!」
天馬司——その名前を、類は胸に刻んだ。
キラキラとした、お星様。
それを絶対に手に入れたいと、類は強く思ったのだ。
「ハッ!しまった、もうこんな時間か。すまん、オレはもう帰らないといけない!」
「そうなんだね……じゃあ、ちょっと待ってね、司くん」
司の手を、自分の手で包む。触れた部分から、温かい何かが伝わってくるようだった。
胸から溢れそうな想いを、そのまま言葉に乗せる。
「僕、司くんのことが好きになっちゃったみたいなんだ。だから、絶対僕と結婚しようね」
「……は?」
「ね、約束だからね」
司の手を自分の口元まで持ってきて、唇で触れる。その場所は、言わずもがな左手の薬指だ。これで、予約は完了だ。
「な、な、な―――!」
「フフ、顔が真っ赤だよ、司くん」
「あ、あ、当たり前だろう!!」
「それは、喜んでくれているってことでいいのかな?」
「う、うるさい!オレは、もう帰るからな!」
そう言って、脱兎のごとく駆け出していった司。
けれど、途中で止まり、類の方を振り返った。
「ま、またな!」
全力で手を振って、そうして司は再び走り出した。
その様子に、類は胸を押さえる。怒っていたのに――いや、類の目には照れているように見えたが、律儀に挨拶をしていった司に、類はますますのめり込んでしまう予感がしたのだった。
けれど――
類が司に会えたのは、あの一晩だけだった。
なんでも、天馬という家は、類が気軽に会えるような身分の家ではなかったのだ。神獣ペガサスに守られていると言われる天馬家は、それは尊い存在らしい。だから、あの日司と会えたのは、偶然だったのだろう。
けれども、類は偶然の出会いで終わらせたくなくて、必死に勉学に励んだ。優秀な軍師になり、自分の身分を上げれば、きっと司に会えるのだと、そう信じて。
そうして、現在。
類は大きくそびえる屋敷の前に立っていた。立派な表札には、天馬家と書かれている。
類は、自分の立場を存分に生かし、利用できるものは全て利用した上で、ようやく天馬家との面会の機会をもぎ取ったのだ。司と出会ったのは10歳の時だったというのに、今では17歳。長い年月をかけて、ようやく司と会うことができる。
緊張でバクバクとする心臓を手で押さえる。彼は、自分のことを覚えているだろうか。あの一瞬の出会いを、彼も大切にしてくれているだろうか。そう思うと、どんどん緊張してくる。過去の自分は、なんともまあ大胆に告白したものだと、あの海での出来事を思い出すたびに感心する。成長して臆病になることも覚えた身では、同じことはできそうにない。
「———よし」
一つ呟いて、気合を入れる。
不安だからと言って、司に会わないという選択肢はない。類は、あの日の、あの一瞬の出会いで、司に心底惚れたのだ。絶対に手に入れたいと、そう思ったのだ。だったら、とにかく会わないことには始まらない。
臆病な自分は閉まって、門の扉を叩く。
「すみません」
「おや、御用の方ですか?」
「はい。本日、天馬司様と面会の約束をしている、神代類と申します」
失礼のないようにと意識して、挨拶をする。
すると、使用人は類の名前を聞いた途端、嬉しそうに声をあげた。
「まあまあ!神代様ですね!お待ちしておりました!どうぞどうぞ、ご案内いたします!」
使用人は、ウキウキとした足取りで屋敷の中へと入っていく。そのテンションに面食らいながらも、このままついていけばいいのだろうかと、類も慌てて足を進めた。
そうして辿り着いたのは、大きな扉の前だった。ドーンと大きな星が書いてあるのは何故だか分からないが、装飾は豪華である。こんなところでも天馬家との身分の違いを感じて落ち込むが、なんとか自分を奮い立たせた。
「司様!神代様がいらっしゃいましたよ!」
使用人が大きな声で扉の向こうに話しかける。すると、中からガタガタという音がした。
「いいぞ!」
「かしこまりました!さあ、神代様、お入りくださいね」
使用人の手によって、扉が開かれる。促されて入った部屋は、蝋燭やらなにやら気になるものもあったが、スッキリと片付いた部屋だった。
けれど、類は部屋の内装になんて目が行かず。ただ一点を見つめていた。
「つかさ、くん――」
あの日と同じように、淡い水色の着物を着て。金色の髪は光を反射して。そして、橙色の瞳が、真っすぐにこちらを見て。
その美しさに、もしかしたらこれは夢ではないのかと、類は目を擦った。だって、確かに出会ったときの幼い司くんもそれは美しかったけれど、今の司くんときたら、現実世界に存在するのかどうか疑わしいほどに美しいのだ。
だから、もしこれが夢だったらショック死するかもしれないと、類は目線を下げる。臆病な自分が出てきてしまったのだ。
「なっ!!!」
すると、怒ったような声が聞こえた。続けて、大音量が響き渡る。
「なぜ、目を逸らしたんだああああ!?」
キーン、と耳がして、思わず両手で閉じる。そろそろと目を上げると、そこには怒ったような顔の司がいた。
「類ぃっ!なぜ、なぜいま目を逸らしたんだ!?」
「え、えっと、だって、司くんがあまりにも美しくて……」
先ほどまでの臆病な自分が引っ込んでしまうほどの司のテンションに、類も調子を取り戻していく。
類の言葉に、司は怒っていた顔から一変して、飛び切りの笑顔になった。それを見て、ああこれは夢ではないんだなと、類はほっとした。今目の前にいるのは、本物だ。彼の表情豊かなところも、類は好きなのだ。
「フフン、それならば仕方がないな!なにせ、天馬司史上最もカッコいいポーズで出迎えたのだからな!この日のために用意したのだから、もっと堪能するがいい!」
そう言って、司は奇妙なポーズを取り出した。よく思い出せば、それは部屋に入ったときに見えた司の立ち方と同じだ。その時は久しぶりに見た司に感動して何も思っていなかったが、今見ると、何とも奇妙だ。けれど、司は自信満々にポーズを取っている。
「待ちわびた再会の日にふさわしいポーズだろう!ほら、こんなにもカッコいい!」
「……待ちわびた?僕との再会を?」
その言葉に、類はポカンとした。
だって、それだと、司くんも僕との再会を待ち望んでいたということになる。僕はあの日から司くんのことが好きになったけれど、彼はそうではないだろう。だから、僕はまず好きになってもらうための第一歩として、こうして面会しているのだから。
けれど、司は当然だろうとばかりに胸を張って、驚くべきことを言ってのけた。
「む、当たり前だろう!オレは、あの日から類に会うのをずっとずーっと楽しみにしていたんだぞ!今日だって、類がオレとの面会を希望していると知り、頼み込んでオッケーしてもらったんだ!」
「……へ?」
「む、なぜ驚いているんだ?……まさか、お前、あの日の結婚の約束を、忘れてしまって……?」
「いや、忘れるはずがないだろう!現に、僕はあの日の司くんとの出会いを、毎日毎日思い出しているんだよ!」
「そうかそうか!それならば、いいんだ!ところで、今日は結婚の日取りか?あの日以降会えていなかったが、こうして会うことが許されたのならば、早速結婚したいよな!」
「……え!?」
急な展開に、類の思考は全くついていかなかった。結婚?え、もう結婚するの?
「待って待って、司くん!君は、僕と結婚する気なのかい!?」
「む、なんだ?まさか、お前、オレと結婚する気はないのか……?」
「僕はあるよ!君のことが好きだからね!でも、司くんは僕のことが好きなのかい……?」
類がそう言うと、司はムッと拗ねたような表情になった。
「オレも、類のことが好きなのだが」
「えっ」
「オレも、類のことを愛していると言っているんだ!あの日、類と過ごした時間が楽しくて、キラキラとしていて、類のことが好きになっていたんだ!」
顔を真っ赤にして、もはや叫んでいるかのように司は話した。
類は、身体中に熱が巡って、クラクラとした。だって、司も、自分のことが好きなのだと、そう言ったのだ。
衝動のままに、司の方へ寄る。司の顔に手を添わして、上へ向かせる。そうして、唇を合わせた。
キラキラとした橙色の瞳が、大きく見開かれる。今にも零れ落ちそうで、フフッと笑いが漏れた。
「好きだよ、司くん」
一度そう告げて、再び唇を寄せる。
しかし、それは司の手によって阻まれた。
司の方を見れば、顔を真っ赤にして、けれども真っ青にもなっていた。
「ど、どうしたんだい、司くん?」
まさか、キスが嫌だったとか。もしそうだとしたらショックだなと、類は不安を抱く。けれども、司が発したのは、もっと予想外のことだった。
「あ、あ、赤ちゃんができてしまうではないかーーーっ!」
「えっ!?」
「赤ちゃんは、まだ早い、早いぞ、類!」
「えっ、えっ!?」
「キスは、だめだぞ、類ーっ!」
そう、司の言葉が、部屋の中にこだました。
これは、類が後に知ることなのだが。
天馬家は、神獣ペガサスに守られていて。とても高貴な身分で。だからこそ、その子どもは、大切に大切に、それこそ雛のように育てられる。
けれども、そのせいで、いささか純情すぎるのだ。俗物的に言うと、性の知識がほとんどない。
というわけで、やっと司と想いを通じ合わせた類だったが、その後の道のりは果てしないものとなったのだった。