灯篭、朝靄、島流し
明けの空が好きだ。黒に段々と青が混ざり陽の橙が混ざり、ゆるやかに朝になっていく。
しっとりとした鬱ソングを流していたプレイリストは終わり、世界は明け方の静寂に包まれる。明日が来なければいいと願い、眠るような死へ誘う歌は、確かに心地が良い。寄り添われるようなリリックは楽で良い。
睡眠薬と少量の酒を流し込んでやっと訪れた眠気に身を委ねる。眠りたいと心底願うのに、朝9時出勤して5時にタイムカード上での退勤その後終電まで残業、帰宅後も自主的に仕事の持ち帰りという最悪な勤務体制に慣れてしまった身体は、ほぼ24時間張り詰めっぱなしだ。
次第に明るくなってまた音が溢れていく社会を疎ましく思いながら、意識を手離す。
一二三がいる。
淡い色の靄がかかったような夏の朝を、二人で歩いている。黒から藍に、藍から群青に、次第に薄くなる空の色をぼんやり眺めて、ふらふら歩いていた。ひんやりと突き放すような朝の冷たい空気は、日中の暑さに全部掻き消されて毎年覚えちゃいない。朝も早いというのに、せっかちな蝉が一匹どこか遠くで鳴いている。
ああこれは──、夢ではない。
午前四時。
子供は早く寝る。夜は大人の時間。子供は夜に出歩いてはいけない。それは悪いこと。
そうやって刷り込まれた俺たちは、それに異議を唱えてみようと思うこともなくここまで来た。でも周りはそうでもないみたいだった。
同級生の誰かが夜遊びをして補導された、なんて話は、高校に上がる頃には時折耳にすることもあった。
善いってなんだろうね、とは一二三の言葉だ。
善いことなんてわかりやしない。
決まったことを決まり通りにしたって最適解じゃない時だってある。回り道寄り道近道だって必要と言われればそうだ。けれど俺たちはどうしようもなく不器用で、バカで真面目だった。
「ね、逃げちゃいたいね」
進路希望調査のプリントの端に落書きしながら、一二三がそう言う。
一二三がどこにも行けないとよく口にするようになったのは、その頃だった。
女性恐怖症の兆候は学生時代からあった。どこで何があって、何が決定打であんなに女性を怖がるようになったかは俺も知らない。ただ女子に声を掛けられた時の一二三の様子がおかしい、とだけ気づいていた。
夜遊びで補導された子達は、逃げることが出来たのだろうか。夜になれば逃げれるんだろうか。何かが救われるのだろうか。答えは分からない。
でも俺たちはどこかへ逃げ出す勇気も潔さも、ずっと善くて清いまま生きていく決意もなかった。
だから中途半端な逃避行をした。
「夜遊びはダメっしょ?でも朝歩きならただの早起きして散歩しただけじゃん。な?なんなら帰りにラジオ体操でもしてく?」
と、冗談交じりの一二三の提案は悪くないものだった。早速次の日、決行した。
目覚ましの音を鳴らして家族にバレてもいけないから、夜遊びするかわりに徹夜でお勉強。そして四時になったらこっそり家を抜け出して、集合。健全なのか不健全なのかまったくわからない、そんなささやかな反抗だった。
四時になり、パジャマからTシャツと短パンに着替え、一応サイフとスマホだけ持って外に出る。初夏の朝は、日中の暑さとかけ離れ、まだ季節の移ろい目にいるのだと感じる。昨日の雨でしっとりとした空気が街を包み込む。
「おっ、どっぽちんちゃんと起きてた〜?」
待ち合わせ場所の近所の公園に行くと、一二三がベンチに座っていた。
「……起きてた。一二三は?」
「俺っちも起きてた!でもベンキョーは途中でやる気なくなったからサボっちった!へへ」
「はあ……授業始まる前に見せてやるよ」
「そう言ってくれると思ったぁ、さっすが幼馴染、分かってる〜」