背中流して!「わざわざ箱根くんだりまで来て話すことでもないだろ、仕事の話なんか」
旅館の入り口で西嶋がそう愚痴る。発端は、俺にかかってきた一本の電話なのだが。
「お前から誘ったんだから、仕事の電話ぐらい切れよ」
「だって、遠藤さんからの電話なんですもん。出ないと殺されますよ」
「あの人はそこまで非道じゃないだろ。まだ終わらないのか?」
「すみません……チェックインは俺の名前で通ると思います、先部屋行っててください」
俺はスマホを取り出して、遠藤さんの名前をタップする。すぐにコール音が鳴り、遠藤さんと電話が繋がる。それを聞いて西嶋は、はあ、とため息を吐き、旅館の方へと向かった。
話から解放されたのは十分ぐらい後で、部屋には既に西嶋がいた。部屋の内観を見るのにも飽きたらしく、備え付けの急須にお湯を注いでいるところだった。
「いやあ、ごめんなさいね。お待たせしました」
「もうそのケータイの電源切っておけ」
「そうはいきませんよ、西嶋さんだってそうでしょう?」
「……まあ」
西嶋は急須から俺の分の茶を湯呑みに注いだ。ちょっとぬるくなっていたが、文句は言えまい。それを啜って、ゆっくりと庭先に目を向ける。そこにはこの部屋についている露天風呂があった。
「どうです? 奮発していい部屋を取ったんです。なかなかいいもんでしょう」
悪くない、と西嶋はぶっきらぼうに返すが、その実、視線はすっかり露天風呂に釘付けだった。
「温泉、好きなのか?」
「嫌いな日本人とかいます? 嫌いだったらこんなところまで来てないですよ」
「まあ、それもそうだな」
「ああでも、これがあるんで大浴場には行きづらいんですよ」
そう言ってネクタイを緩め、シャツのボタンを外す。背中を西嶋に向けると、お前、いつの間に、と小さく呟いた。
「いつって、まあ、就活終わったぐらいのことなんで、七年ぐらい前とか?」
「なんで、そんなもの」
「まあ、若気の至りってやつですよ。就活が大失敗して、やけになって。まあこれ自体は、この界隈じゃ珍しくないでしょう」
「確かに帝愛には極道みたいなことをしているやつもいるが、あまりにもテンプレートすぎないか?」
俺は返す言葉もなかった。若気の至りで入れた入れ墨は、恥ずかしい思いも苦しい思いも一緒に乗り越えた愛着があった。
「まあまあ。西嶋さんもどうです? 箔をつけるために背中に登り龍。いいでしょう」
「嫌だ。俺は入れ墨は入れない」
「まあまあ、俺とお揃いですよ?」
ちら、とうなじの髪を退かせてみせる。西嶋の喉が鳴ったのがわかる。
「……それなら、いいかもな」
「いや、流されないでくださいよ」
「流すのはお前の背中だ。ほら、風呂に入るぞ」
「えぇ? もう少しゆっくりさせてくださいよぉ」
そんなことを言いながらも、シャツを脱いでしまった俺はなす術なく露天風呂へと引っ張っていかれるのだった。