無題 最後に手袋の片割れをピンチハンガーに吊り下げる。これは弟の物だろう。同じ物を使っているが、ついているくせが違う。……少々自信はないが。
清々しい秋晴れの下、二人分の洗濯物が風に揺れる。日は少々低く、気温も上がりきっていないためためか冷たい風が服の隙間から入り込む。
はためく色違いの服たちを満足気に見やったマリオは、暖かいお茶が飲みたくなってきた、と軽くなった洗濯カゴを抱えて身をひるがえした。
昨日油を差した扉は、軋むことなく開いた。よしよしと内心頷き、弟に呼びかける。
「おーい、干し終わったぞー」
「ありがとう!」
ひょっこりと階段の上から顔を出したルイージは、手に雑巾を持っていた。拭き掃除に入っているということは、少なくとも二階の掃除は仕上げに入っているのだろう。
「一階の方はしないんだっけ?」
「うん、そっちは昨日したから」
「手伝う?」
「すぐ終わるから大丈夫!」
もう一度礼を告げた弟は、そのまま引っ込んでしまった。ならば、とカゴを洗面所に戻したマリオはキッチンに立った。せめて温かいものでも入れて労わりたいと思って。
……とは言うものの、飲み物を用意してくれるのは大抵彼の方だ。自分で入れられないことはないけれど、弟が入れてくれた方が美味しいからといつも任せている。それに、コーヒーならば入れられるが、弟はどちらかと言うと紅茶を好む。どうしたものか、しばし顎に手をやり考えに耽った。やがて小さく声を上げたマリオは、冷蔵庫の隣にある戸棚を開け中を探る。目当てのものを見つけると、ついでに朧気な記憶を頼りに隣の冷蔵庫も確認する。ぱっと目を輝かせ、真っ白なマシュマロが詰め込まれた瓶を取り出した。
しばらくすると、上機嫌な鼻歌が聞こえてきた。無事に掃除が終わったようだ。階段を下りる足音も軽い。
「お疲れルイージ。ありがとうな」
「うん、兄さんも……んん? 良い匂いがする」
「はは、そうだろう」
「なになに、どうしたの?」
「頑張ってくれたお礼さ」
「わぁ……!」
マリオの視線につられて見たダイニングテーブルには、色違いのマグカップが二つ置かれていた。そこにはぷかりとマシュマロの浮かんだココアが入れられていたのだ。
「ちょっと早いかなとは思ったんだけど、こういうときは甘いものが欲しいかと思ってね」
そう言いながら、はにかんだマリオはぽりぽりと頬をかいた。
「ボク、ちょうど甘いものが欲しかったんだ!」
無邪気に喜ぶ弟に、マリオも目を細めた。
「うん。後片付けはぼくがするからさ、少しゆっくりしたらどうだ?」
「ありがとう。お言葉に甘えてそうさせてもらうね」
入れ違うように雑巾のかかったバケツを受け取る。
二分もしないうちに戻ると、テーブルの上が少し賑やかになっていた。
「あれ、こんなクッキーあった?」
「えへへ、試食したらね、兄さんが好きそうな味だって思って。一緒に食べたいなって買ってたの」
弟はそう言って柔らかく相好を崩す。人には見せられないような顔になっていると分かっているが、頬が緩むのを止められない。
「昼前だっていうのに、良いのかい?」
「今日は特別! ボクたちとっても頑張ったんだもの。ご褒美だよ」
「それもそうか」
実は、一昨日まで大暴れしていたクッパ軍団を止めに二人は国中を奔走していた。いつもの通りピーチ姫を攫おうとして、マリオに阻まれたのだ。
そこで終われば良かったのだが、あのクッパが諦める筈もなく。今回は特にしつこく姫を狙ってきた。しかも、毎回すんでのところで逃げられ、仕切り直される。ここ一ヶ月ほど戦いは続き、互いに辟易してきたところであった。そうしてようやく、一昨日クッパを倒しきったという訳である。しばらくは大人しくして欲しいものである。
「このクッキー、あんまり甘くなかったはず。だからきっとココアにも合うよ」
弟の言葉に、自分がぼんやりしていたことを自覚する。返事がなくとも気に止めていないらしいルイージは、クッキーを一口かじり、もう片方の手でココアを傾けてはふにゃりと笑った。
「やっぱり! ぴったりだよ兄さん! 兄さんも食べてみて」
「わ、わかったよ。……いや、自分で取るから!」
急かされるように一口食べる。薄めのクッキーは確かに甘さよりも塩気が効いていて、おつまみにもなりそうな感じだ。
どう?どう?と目で訴えかけてくる弟に美味しいよ、と伝えれば、自慢げな笑みと共にキラキラと目が輝いた。
塩気が口に残るうちに、温かいココアを飲む。自分の方にはマシュマロを入れていないから甘さは控えめだが、マリオにはちょうど良くほっと息が漏れる。
「久しぶりに飲んだなぁ」
「兄さんはあんまり飲まないもんね」
「ああ。でも、たまには良いな」
「ほんと? それなら、今度はボクが入れてあげる! ココアにも色んなアレンジがあるんだよ」
「楽しみにしてるよ」
「任せて!」
しょっぱいものと甘いものを交互に飲み食いしていれば、それほど量のなかったカップはあっという間に空になった。クッキーの方も残り一枚。小首を傾げ、無言で問いかける弟に、良いよ、と手を差し出す。いつもなら喜んで食べるだろうに、今日は納得いかない、という顔だ。
「食べないのかい?」
「兄さんに食べて欲しくて買ってきたから、兄さんに食べて欲しいな」
なんともいじらしいことを言う。こちらとしては弟が食べてくれる方が嬉しいのだが、そういうことなら他の方法を取ろうではないか。
「分かった、ありがとう」
そう言うと弟はにこにこと頷いた。マリオはほんな弟を尻目に、最後のクッキーを手に取るとパキっと半分に割り、差し出した。
「はい」
「えっ」
「一番平和な選択肢だと思わないかい?」
弟が幸せそうに食べているところも見たいし、弟の願いだって叶えてやりたいのだ。弟はきょとんとしたものの、素直に受け取った。
「ふふ、美味しいね兄さん」
「うん、とっても」
昼前のひとときは穏やかに過ぎていった。