Recent Search
    Create an account to secretly follow the author.
    Sign Up, Sign In

    はるち

    好きなものを好きなように

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 🐉 🍵 🎩 📚
    POIPOI 171

    はるち

    ☆quiet follow

    ドクターの死後、旧人類調技術でで蘇った「ドクター」を連れて逃げ出すリー先生のお話

    ある者は星を盗み、ある者は星しか知らず、またある者は大地のどこかに星があるのだと信じていた。

    あいは方舟の中 星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね
     ――引用:星の王子さま/サン・テグジュペリ
     
    「あんまり遠くへ行かないでくださいよ」
     返事の代わりに片手を大きく振り返して、あの人は雪原の中へと駆けていった。雪を見るのは初めてではないが、新しい土地にはしゃいでいるのだろう。好奇心旺盛なのは相変わらずだ、とリーは息を吐いた。この身体になってからというもの、寒さには滅法弱くなった。北風に身を震わせることはないけれど、停滞した血液は体の動きを鈍らせる。とてもではないが、あの人と同じようにはしゃぐ気にはなれない。
    「随分と楽しそうね」
     背後から声をかけられる。その主には気づいていた。鉄道がイェラグに入ってから、絶えず感じていた眼差しの主だ。この土地で、彼女の視線から逃れることなど出来ず、だからこそここへやってきた。彼女であれば、今の自分達を無碍にはしないだろう。しかし、自分とは違って、この人には休息が必要だった。温かな食事と柔らかな寝床が。彼女ならばきっと、自分たちにそれを許してくれるだろう。目を瞑ってくれるだろう。運命から逃げ回る旅人が、しばし足を止めることを。
    「お久しぶりです」
     振り返ると、そこにはイェラが立っていた。最後に会ったのは、もう百年は昔だろうか。しかし蒼氷を見つめ続けたような瞳も、黒に雪原の白と氷原の青が混じるその髪も、色褪せることを知らないようだった。
     変わってしまったのは、自分とあの人だけだ。
    「イェラグには、どうして?」
     さくさくと、雪の上に足跡を残しながら、イェラがこちらへと近づいてくる。
    「ちょっとした観光ですよ」
     外部からの介入を拒んでいた彼の地は、雪山事変以降、その有様を変えた。ライン生命が〝宙〟を観測するための施設を建造したことを皮切りに、多くの国がこの雪原へと参入するようになった。イェラガンドへと信仰を軸に成り立っていたこの国の有様は、確かにかつてとは変わってしまったが、それでもどの国に併合されることもなく、数多の尽力の上に、この国は今も尚〝イェラグ〟として存在している。
     時折、思う。
    「イェラガンドの像をあの人が見たがるもんですから」
     雪山事変にドクターが介入しなかったならば。この国は今、どんな形をしていたのだろう。
     もう、と拗ねたようにイェラは唇を尖らせた。自分などより余程年上であるはずなのに、彼女には童女のような仕草がとても良く似合っていた。
    「あの像には納得がいかないの。知っているでしょう?」
     イェラガンドの代理人である彼女が、あの偶像に複雑な感情を抱いていることは知っている。本物はもっと――と言うことすらできないのだから、さぞかしもどかしいことだろう。苦労しますねえ、と言いかけた声を、雪原を渡る足音がかき消す。
     今でも、思う。
    「リー」
     〝ドクター〟を欠いたこの大地は、一体どのような形になるのだろう。
     あちこち走り回ってはしゃいでいたせいだろう。頬は朱色に上気していた。吐き出す息は白く色づいて生きていることを伝えるけれど、どこまでも無機的な冬の中へと溶けていく。
    「その人は?」
     イェラの眼差しがこちらへと滑る。だからリーは一つ頷きを返した。
    「この人はイェラさんです。おれの――古い馴染みですよ」
     二人の元へと追いついたこの人は、イェラを見つめた。そして、かつてと――ロドスにいたときと、何ら変わらない笑顔を見せた。
    「はじめまして、イェラ。私は■■■、リーと一緒に旅をしている」
     
     ***
     
    「まだ休むことはできないんだ」
     鉱石病の治療薬、ロドスの悲願であるはずのそれを作り出して尚、Dr.■■■の表情は凪いだままだった。それは薬の完成を祝うパーティーでのことだった。浮足立つオペレーターたちから隠れるように、ドクターは笑い合う彼らの姿を片隅から眺めていた。どうしたんです、今日はあなたが主役でしょうに――と声を掛けると、Dr.■■■は目を伏せた。
    「君に見せたいものがある」
     それが大声では離せない類のものであることは、声の調子から察せられた。自分にしか聞こえないように密やかに。袖を引かれるまま、賑やかな会場を後にする。
    「また仕事の話ですか?」
     今日ぐらいやめておきましょうよ、と言いたかった。それを許さないのはこの大地であるのか、それともドクター自身であるのか。
    「私には、もう時間がないからね」
     廊下の蛍光灯に紛れるようにして、Dr.■■■はひっそりと笑った。そこに自嘲めいた色彩があるのかは、フードの落とす影のせいで伺い知ることができない。数歩先を行く背中が随分と小さく、折れそうなほど華奢になったのは、いつからだろう。
     この大地に生きるものであれば、逃れられないものが二つある。その一つが、時間の流れだ。長く続く禍に、Dr.■■■は懸命に抗っていたけれど、時の流れを止めることは出来ない。それを表だって口にする人間はいないけれど、残された時間がそう長くはないことに、リーも気づいていた。
     思ってはいたのだ。あなたはいつ〝ドクター〟という役割を降ろすつもりなのか、と。そして理解していた。そんな日が永遠に訪れないことも。鉱石病の特効薬は出来た、しかしそれで感染者への差別と偏見がなくなるわけではない。テラの抱える問題はそれだけではない。深海には未だ静寂が沈み、北限の銀氷の果てには悪魔が潜んでいる。この大地に平和と安寧をもたらすための戦いは終わらない。
    「パーティーを楽しむ時間もないんですか」
     茶化したところで、機械音だけが響く廊下では空寒いだけだった。角をいくつも曲がり、袖を引かれるまま進んでいく。辿り着いたのは、Dr.■■■のIDカードなしには解錠しない扉の先、薄暗い部屋だった。パーティーの喧騒も、笑い合い人々の声も、あまりに遠く。扉からは、闇と寒気が零れ出ていた。
    「この大地が抱える病巣はあまりにも――あまりにも多いからね」
     だから、と。Dr.■■■が振り返り、真直ぐにリーを見つめた。扉の先にはフードの内側よりも昏い闇があり、そこへ進む覚悟があるのか問うように。
    「だからって――」
     あなたの身体は、と言いかけ、それを本当に口にしてよいのかと唇を噛む。Dr.■■■は全てを見透かしたように微笑むだけだった。
    「だから、君に、頼みたいことがあるんだ」
     Dr.■■■は誘うように腕を広げ、だからこそリーはそれに従った。それを拒めるはずもなかった。一歩足を踏み入れた室内は暗く、低い機械音と点滅するランプだけが知覚される。
    「君が案じている通りだよ。この身体はもう持たない。全く、往く年月には敵わないね」
     壁際のスイッチを操作すると、明かりがつき、闇の中に沈んでいた存在が晒される。
    「だから考えたんだよ。どうすればいいか」
     それは石の棺だった。いくつもコードが伸びており、点滴やチューブに繋がれる患者を連想させた。
    「覚えているかい? クルビアとウルサスから石棺を回収したことを」
     或いは、鎖に繋がれている罪人を。
    「それが――」
     どうしたのか、と言いかけ――リーは気づいた。
     石棺の蓋に開けられた硝子の窓、そこから、誰かの顔が覗いていることに。
    「私がこれに入って二年ばかり寝ていたことは知っているだろう? 石棺には生命維持装置の機能があってね。色々と便利な使い方が出来る。コールドスリープにも、傷の治療にも――」
     それが、誰かにとても良く似ていることに。
    「――クローンの培養槽にすることも、出来る」
     リーに向き直ったDr.■■■は、笑っていた。ようやく実験結果を公表できた科学者のように、悪戯の成功した子どものように、無邪気で誇らしげに。いくら歳を重ねて皺が増えたところで、その笑顔だけはかつてと変わらない。嗚呼、きっと、あの棺の中で眠っている誰かも、こんな風に笑うのだろうと――解ってしまった。
     あなたは、と喉を突いて出た言葉は酷く掠れて、乾いていた。この人が求めているものは商人と称賛であり、糾弾ではないことはわかる。けれどこれを咎めずして、一体何が罪であると?
    「――何をしているのか、わかっているんですか?」
    「わかっているよ」
    「あなたは――あなたは、自分を何だと思っているんですか」
    「私はロドスのドクターだよ。今も昔も、これからもずっと」
     胸倉を掴んで怒鳴ることが出来たならばそうしていただろう。けれどそんなことをしても何の意味もないことはわかっていた。Dr.■■■が暴力の前に膝をつくことも、自らの道を譲ることも、歩みを止めることもなどないのだと、傍にいた自分自身が一番よく知っている。
     けれど、Dr.■■■自身が暴力の場合は、一体どうすれば良い?
     解っているよ、とDr.■■■は石棺の蓋を撫でた。
    「この中にあるのは、私の遺伝情報を持つ肉体だけだ。目を覚ましたところで、それはドクターにはならない。……でも、ちゃんと方法は考えてあるよ。文明の存続を使えば、記憶と感情を伝えることが出来るから――」
     Dr.■■■はクローンの製造と生命維持の方法、そして個体にどうやって〝ドクター〟を継がせるかを滔々と語っていた。内容が半分も耳に入ってこなかったのは、専門用語が多いからではない。
     解ってしまったから。
    「目を覚ましたら。〝私〟のことをよろしく頼むよ」
     Dr.■■■は、死んでも〝ドクター〟という役割を降ろすつもりなどないのだと。
     永遠に、自分自身を続けるつもりなのだと。
     眩暈がするほど身勝手な願いだった。知っているのだ。それを自分が断れないと。
     けれど。
    「……いつか、全部が終わったら」
     約束をした。
     尚蜀の梅を見に行こうと。
     イェラグの雪原を歩こうと。
     ラテラーノの教会を訪れようと。
     いつか、この大地が平和になったら。やることが終わったら。また二人でここへ来よう、と。いくつもいくつも、甲板の上で、シーツの合間で、荒野の中で、そんな約束をした。
     それが口約束だということは知っていた。それが叶わないことは知っていた。雑談に混じって、任務が終われば忘れてしまう類のものだと。それでも、自分にとっては大切なものだったのだ。こうして戦い続ければ、そんな日が、いつかは訪れるのではないかという希望を胸に宿すために。
     けれど――それは。
    「あれは、嘘だったんですか?」
     そんな日が永遠に訪れないという確証は。こんな形で与えられるものだったのか?
    「……」
     Dr.■■■は一度だけ目を閉じ、そして。
    「ごめんね」

     Dr.■■■が二度と現世に戻らない旅路に出たのは、それから一年と立たずしてのことだった。
     リーが、石棺で眠る〝■■■〟を連れ出して、ロドスには戻らない旅へ出たのも。
     
     ***
     
    「ようやく古い知り合いに、ともすれば旧友に会えるものと思っていたんだけど、まさか貴君達がこんな風になっていたとは」
     ロドスを離れてからは、この大地中を逃げ回る旅だった。なにせそれまでの古巣を敵に回しているのだ。頼れるものは限られており、オペレーターとしての第一線から退いていたイェラやリィンは数少ない寄る辺だった。
    「そうだ、再会を祝して乾杯しようか。一曲吟じるのにも、まずは舌を湿らせなくてはね」
     炎国の山峡で再会したリィンも、やはり、かつてと変わらなかった。東屋で燃えるような赤に染まった山々を眺めながら、詩を吟じている。お久しぶりです、と声を掛けたリーを一瞥すると、手すりに腰かけていたリィンはひらりとそれから降りた。東屋の横に置かれていた木箱へと近づき、手をかける。釣られてリーもそれを覗き込んだ。木箱はところどころ破れており、中の保存状態はあまり良いとは思えないのだが。
    「空ですね」
     そもそも中には何も入っていなかった。目ぼしいものといえば落ち葉くらいのものだが、何もそれを肴とするわけでもないだろう。リィンが手にしている杖で四隅をつついている辺り、始めから何もなかったというわけではないのだろうが。収めていた酒瓶は、通りがかった旅人の喉を潤したのだろう。
    「おれはいいですけどリィンさんは――ってちょっと!」
     思わず大きな声を出したのは、リィンが木箱をひっくり返したからだ。続けて出現した小龍が、木箱の下の地面を掘り返す。すると、
    「はい。貴君も飲むだろう?」
     出てきたのは酒瓶だった。土を払いながら、リィンは上機嫌に笑い、蓋を取って中身を煽った。小龍が掘り出した一つを咥え、リーの方へと放る。
    「二段構えってわけですか」
    「そうだよ。私が留守にしている間に、この景色を見に来る客人がいるかもしれないだろう?」
     木箱の中には盗まれても良いものを入れ、本命は下に隠しておく。成程、確かに本当に隠したいものを守るためには有効な手段だ。大抵の人間は、一段目で満足するだろう。箱の下を確かめようとはするまい。とはいえ、勝手に木箱を漁る人物を客と呼んでいいのだろうか。リーは苦笑し、渡された酒に口をつけた。この身体になってからというもの、酒をいくらでも飲めるようになったはいいが、味に関してはまるでわからなくなった。それをメリットとデメリットのどちらで呼ぶべきかは、今でもわからずにいる。
    「それで、貴君達は」
     既に一本目を空にしたらしいリィンが、瓶を放り投げる。
    「どこへ向かおうとしているのかな?」
    「……」
     Dr.■■■がしようとしていたことは、人の道から外れていた。自分自身だからという理由で許されるはずがない。だってそうだろう、石棺にいたのは、同じ姿形をしているだけの別人なのだから。
     けれど自分がしたのは、それを正すことではなかった。
     この大地には、ロドスには、〝ドクター〟が必要だった。
     あの日、自分は太陽を盗んだのだ。この暗く冷たい大地を救うための太陽を。
     それは、何のためだったのか。
    「……頼まれちまいましたから」
     ■■■を連れ出すためには、ロドスの同胞たちを裏切る必要があった。あれからは一度も艦に戻っていない。国を渡る中でも、彼らと会わないように細心の注意を払っている。追っ手の気配を感じたことは一度や二度ではないが、しかし遠巻きに視線を感じるだけだった。クローン計画がロドスの中でも秘中の秘であったことは想像がつく。だからこそ信頼できる人員を確保することが難しいのだろう。自分と言えば、かつての信頼を裏切ったのだから。
     ■■■を連れて旅をするために、人の身体を捨てた。龍が長命な種族であるとはいえども、目を覚ました■■■に寄り添い、旅を続けるには、自分もあまりに歳を取り過ぎていた。だから、禁術を用いて僵尸となることに躊躇いはなかった。体温を捨て、味覚を捨て、眠りを捨てることになるのだとしても。
     笑ってしまう。あの日の自分は、確かにドクターを人の道から外れていると思ったのに。今の自分は、どれほど正道を歩いていると言えるのか。
     そこまでして、自分は何がしたかったのか。
     それは。
     遠く、自分を呼ぶ声がした。見れば石段の先で、あの人が手を振っている。リィンに目をやると、彼女は早く行ってやれと目配せをした。だからそれに甘えて、約束を優先することにした。
    「また来ますよ」
    「いつでも待っているよ。ああ、ただ次に来るときは、佳肴を持ってきてくれないかな」
     わかりました、と手を振ってリィンと別れる。僵尸となった際に味覚は消失しているが、まあ、何とかなるだろう。いざとなれば手伝ってもらえばいい。■■■には、一人で生きていくための方法は伝えてある。食べられる野草とそうでないもの、料理の仕方、街に入る時は金を複数の財布に分けて持つこと、信頼できる人間を如何にして見分けるか。
     石段を下りると、その先に立っていた■■■は、何やら渋い顔をしていた。
    「何の話をしていたの?」
    「あなたの話ですよ」
    「またそんなことを言って」
     リーは色んな所に知り合いがいるから、とどこか不貞腐れたように俯く。それが可笑しくて、悲しかった。本当は、彼女たちはみな、あなたに会いに来ているのだから。
    「そうですねえ――、■■■。次はどこへ行きたいですか?」
     〝私〟を頼む、とあの人は言った。
     だから盗んだのだ。ロドスのドクターが、二度と目覚めることのないように。休むことが出来るように。ドクターという職責を降ろした、ただの人間となれるように。
     けれどそれは、本当は誰を救うためだったのか。
     それは自分だけの星とするためではなかったのか。
     それでも。
    「そうだね……。サルゴンに行ってみたいかな。寒いところばかり行っていたし。それに、サルゴンでは砂が海のように広がっているんだろう? 見てみたい」
     無邪気に笑う。傷つく痛みも、戦争の恐怖も、何も知らない笑みだった。ロドスにいたドクターが、決して浮かべ得なかった笑顔。嗚呼、そうだ。この人は、本当はこんな風に笑えたのだ。あらゆる責任と、義務と、罪と、罰から解放された、この大地の果てでは。
     おれは、これを、
    「行きましょうか。――どこへでも、あなたの行きたいところに」
     
     ***
     
    「――そうして彼らは、末永く幸せに暮らしました。めでたし、めでたし」
     私は手にしている紙を折り畳むと、それを灰皿の上へと放った。紙は良い。燃やせば灰になってくれるから。電子媒体を利用した情報のやり取りではこうはいかない。あのクロージャでさえ、痕跡を完璧に消すことは出来ないのだ。
     だから、完全に闇に葬りたい秘密は、紙でのやり取りに限る。暗号化された文面は、そうと知らない人間が見れば麻婆豆腐のレシピにしか見えないだろうが、私にとっては何よりも重要な報告だった。だからこそ、消さねばならない。誰の目にも触れないように。
     ライターを取り出し、紙に火をつける。舞い上がる煤の匂いを嗅ぎながら、灰皿の隣に置いていた煙草の箱から一本を取り出した。どうせ部屋の換気をするのなら、吸っておかなければ損だろう。
    「ドクター、次の作戦についてだが――」
     ノックもせずに入ってきたケルシーは、室内の様子を見て片眉を跳ね上げた。彼女の不機嫌の理由が、喫煙にあるのか、今まさに灰になりつつある秘密にあるのかはわからない。
    「作戦開始の目処が立ったのかい?」
     そう。
     回収した石棺は、二つあったのだ。
     あの日、Dr.■■■がリーに見せたのは、その内の一つだけだった。聡明な彼であれば気づきそうなものだが、しかし情が彼の推理を妨げているのだろう。そんなことをするはずがない、という。私からすれば、クローンを一人作るのも百人作るのも似たようなものだが、しかしクルビアの地下に埋まっていた石棺で使用に耐えうるのが一つだけだったのだから仕方がない。旧人類の遺産でさえ、時の流れには敵わないのだ。
     かくして冷たい石の棺で目覚めた私は、全ての記憶を義務を引き継ぎ、今もこうして役目を果たしている。バックアップとしての。後続機としての。
     私は主治医のために、煙草を灰皿に押し付けて消した。紙も燃え尽き、室内は煙たいばかりだ。
    「……まだ、そんなことを続けているのか」
     ケルシーの冷たい眼差しが向けられているのは、片割れの消息を未練がましく追い続けていることなのか、それともこの舟を離れた龍が吸っていたものを同じ煙草を愛飲していることに向けられているのかはわからない。その温度が、憐憫を意味するのかも。
     だから私は肩を竦め、努めて陽気に笑ってみせる。
    「さあ、次は何をすればいい?」
     石棺に眠っていたのは二人で、目を覚ましたのも二人で、けれどドクターと■■■は別々の一人となり、私は方舟へと残された。それを羨ましいとも恨めしいとも思わない。
    「テラを守るのが、私の使命だからね」
     この大地は、どこかに、星を隠しているのだから。
     だからこの大地は、こんなにも美しいのだと、私は知っているから。
     
     きみが星空を見あげると、そのどれかひとつにぼくが住んでいるから、そのどれかひとつでぼくが笑っているから、きみには星という星が、ぜんぶ笑っているみたいになるっていうこと。きみには、笑う星々をあげるんだ! 
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    😭🙏💯👏👏👏👏🌠👏😭🙏❤
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    はるち

    DONEドクターの死後、旧人類調技術でで蘇った「ドクター」を連れて逃げ出すリー先生のお話

    ある者は星を盗み、ある者は星しか知らず、またある者は大地のどこかに星があるのだと信じていた。
    あいは方舟の中 星々が美しいのは、ここからは見えない花が、どこかで一輪咲いているからだね
     ――引用:星の王子さま/サン・テグジュペリ
     
    「あんまり遠くへ行かないでくださいよ」
     返事の代わりに片手を大きく振り返して、あの人は雪原の中へと駆けていった。雪を見るのは初めてではないが、新しい土地にはしゃいでいるのだろう。好奇心旺盛なのは相変わらずだ、とリーは息を吐いた。この身体になってからというもの、寒さには滅法弱くなった。北風に身を震わせることはないけれど、停滞した血液は体の動きを鈍らせる。とてもではないが、あの人と同じようにはしゃぐ気にはなれない。
    「随分と楽しそうね」
     背後から声をかけられる。その主には気づいていた。鉄道がイェラグに入ってから、絶えず感じていた眼差しの主だ。この土地で、彼女の視線から逃れることなど出来ず、だからこそここへやってきた。彼女であれば、今の自分達を無碍にはしないだろう。しかし、自分とは違って、この人には休息が必要だった。温かな食事と柔らかな寝床が。彼女ならばきっと、自分たちにそれを許してくれるだろう。目を瞑ってくれるだろう。運命から逃げ回る旅人が、しばし足を止めることを。
    8274